日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第九十三話『枯死』 急

 神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)の三人が去ったホテルの駐車場では、根(ね)尾(お)が次の指示を出す。

 

「岬(さき)守(もり)君、そのまま白(びやく)檀(だん)を館内へ頼む。俺(おれ)は繭(まゆ)月(づき)君に電話をしてから道(どう)成(じよう)寺(じ)陰(かげ)斗(と)を運び込む。皇(こう)國(こく)の皆さんも、部屋へ戻っていてください」

「解(わか)りました」

「うぅ、岬(さき)守(もり)さん、お役に立てなくてすみませんー……」

 

 航(わたる)は白(びやく)檀(だん)に肩を貸してホテルの入り口へと歩き出す。

 脇では放心状態の東(あ)風(ゆ)美(み)に埜(の)愛(あ)瑠(る)が手を貸して起き上がらせていた。

 色々と衝撃的な襲撃だったが、あと一つだけ問題が残されている。

 根(ね)尾(お)はホテル内で待機している繭(まゆ)月(づき)に電話を掛けていた。

 

「繭(まゆ)月(づき)君、突然呼び出して済まなかった。頼み難(にく)いが、もう一つだけ厄介事を引き受けてくれないか?」

『もう一つ、ですか?』

「ああ。久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)の安否確認だ」

 

 戦いの中で、八(や)社(おと)女(め)は双(ふた)葉(ば)を使って魅(み)琴(こと)をこの場から引き離したと言っていた。

 彼の口振りでは双(ふた)葉(ば)に手は出していないとのことだが、言葉の裏を読まずに放置しておく訳にも行くまい。

 

 とはいえ、現状で根(ね)尾(お)が動かせるのは繭(まゆ)月(づき)しか残っていない。

 戦いで傷付いた航(わたる)も根(ね)尾(お)も白(びやく)檀(だん)も動ける状態ではないだろう。

 虻(あぶ)球(く)磨(ま)新(しん)兒(じ)は気絶した椿(つばき)陽(よう)子(こ)から離れられない。

 唯(ただ)一手が空いているのが繭(まゆ)月(づき)なのだ。

 

『久(く)住(ずみ)さんの居所に心当たりはあるんですか?』

「申し訳無いが手掛かりは一切無い。麗(うる)真(ま)君と連携し、手分けして探してくれ」

『また無(む)茶(ちや)を言いますね……』

「すまん……。だが、頼まない訳にも行かない」

『解りました。乗りかけた船ですし、やってみましょう』

「ありがとう、恩に着る」

 

 根(ね)尾(お)は電話を切った。

 そして、陰(かげ)斗(と)を抱えて航(わたる)達の後へと続く。

 

「根(ね)尾(お)さん、あいつらのことですけど……」

「ああ……」

 

 戦いの終わりに、彼らは神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)の成り立ちと目(もく)論(ろ)見(み)を本人達から聞かされた。

 彼らの言うとおりだとすれば、身の毛の弥(よ)立(だ)つ様な恐怖と、途方に暮れる様な壮大さを孕(はら)んだ事実である。

 

 日本の歴史の中、各(おの)々(おの)の時代で天皇に恨みを持つ者達の集まり。

 彼らは永遠の命の中で、ずっと日本人を根絶やしにする機会を窺(うかが)っていた。

 その陰謀の果てに皇(こう)國(こく)を動かし、様々な世界で日本を吸収させ、この世界でも日本国との間に争いの火種を生んだ。

 そして講和が見えた今になって尚(なお)、新たな神(じん)皇(のう)を使って計画を継続しようとしている。

 

「こうなってくると、もう我々だけの手に負える話ではないだろう。奴(やつ)らの素(す)性(じよう)と目的は判明した、それを以(もつ)て捜査は終了とするべきだろうな」

「ええ、そうでしょうね……」

「残るは首(しゆ)領(りよう)Д(デー)こと道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)、狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の首(しゆ)魁(かい)唯一人か……」

 

 曇(どん)天(てん)が重く伸(の)し掛(か)かる、暗い昼下がり。

 陰(いん)鬱(うつ)な雲は彼らの居場所を侵そうとしていた。

 疲(ひ)労(ろう)困(こん)憊(ぱい)の彼らに、不吉な花束と不穏な影を贈る様に。

 太陽を仰ぎ見る大地の人々に、枯れ果てた死を齎(もたら)さんとしているかの様に……。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 時を少し遡(さかのぼ)る。

 岬(さき)守(もり)航(わたる)が根(ね)尾(お)弓(きゆう)矢(や)からの電話を受け、陽(よう)子(こ)に会いに行く少し前の話だ。

 

 久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)は記者・綿(わた)貫(ぬき)千(ち)紗(さ)から再び取材を受けるべく、待ち合わせ場所の喫茶店「金(かな)糸(り)雀(あ)」に向けて家を出た。

 なんでも、今度は特別警察特殊防衛課そのものの違法活動について話を聴きたいということらしい。

 嘗(かつ)ての友を売る葛藤が無いではなかったが、双(ふた)葉(ば)は敢(あ)えて受けることにしたのだ。

 

 航(わたる)も魅(み)琴(こと)も目を覚ますべきだ。

 その為(ため)には、自分が如(い)何(か)に異常な連中と付き合ってきたのかを徹底的に教える必要がある。

 それは善意というよりは、自分の正しさを思い知らせる欲求から来る行動だった。

 

 しかしそんな彼女は、家を出てすぐに男達と遭遇した。

 最初に立(た)ち塞(ふさ)がったのは推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)である。

 

「ここまで堕(お)ちるとはな。見下げ果てた女よ」

 

 推(つき)城(しろ)の姿に、双(ふた)葉(ば)は後(あと)退(ずさ)った。

 二米(メートル)に迫る筋骨隆々の大男の威圧感は、双(ふた)葉(ば)に強い恐怖を与えたのだ。

 しかし、そんな彼女の背後から別の男が声を掛ける。

 

「僕(ぼく)は別に、あれ以上の情報を売ってくれとまでは頼んでないんだけどな……」

「大恩ある筈(はず)の者達を積極的に売る不(ふ)埒(らち)者(もの)めが」

 

 立往生を余儀無くされた双(ふた)葉(ば)は、推(つき)城(しろ)に首根っこを掴(つか)まれてしまった。

 偉丈夫に抑えられた双(ふた)葉(ば)は悲鳴を上げようとした。

 しかし、その口もすぐに八(や)社(おと)女(め)の掌(てのひら)に塞(ふさ)がれた。

 

「悪いが君(きみ)のことを利用させてもらう。麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)を呼び出し、彼女を一人にする為にね。悪いが電話を借りるよ」

 

 初めは恐れていた双(ふた)葉(ば)だったが、八(や)社(おと)女(め)にスマートフォンを取り上げられると、莫(ば)迦(か)莫(ば)迦(か)しさが上回って眉を顰(ひそ)めた。

 同時に口を塞いでいた手も離れたので、仰ぎ見つつ冷めた声で彼に告げる。

 

「私(わたし)、もう麗(うる)真(ま)さんの番号もアドレスも消しちゃったし、着信も拒否してるから連絡は取れないよ」

「御心配無く。此(こ)方(ちら)には電子機器を操る能力者が居る」

 

 八(や)社(おと)女(め)は自信の背後から一人の青年の手を掴んで差し出した。

 その顔は双(ふた)葉(ば)も見覚えがある。

 

「道(どう)成(じよう)寺(じ)陰(かげ)斗(と)……!」

 

 忘れる筈も無い、陽(よう)子(こ)の弟・陰(かげ)斗(と)の姿がそこに在った。

 双(ふた)葉(ば)は皇(こう)國(こく)で彼に助けられている。

 また、彼が自動車や飛行機を操縦する程に機械の扱いに長(た)けていることも覚えていた。

 陰(かげ)斗(と)の指から電流が双(ふた)葉(ば)のスマートフォンに注がれる。

 

「電子媒体の記録というのは表面上消したようでも内部にしぶとく残っているものさ。それに、着信拒否は解除すればいいだけの話だ」

 

 八(や)社(おと)女(め)はあっさりと双(ふた)葉(ば)のスマートフォンのロックを解除し、復活させたデータから魅(み)琴(こと)に電話を掛けた。

 そして何やら挑発を告げると、通話を切って双(ふた)葉(ば)にスマートフォンを返した。

 

「さ、終わったよ。では、僕(ぼく)達はこれで」

「え? 行かせてくれるの?」

 

 双(ふた)葉(ば)は意外に思った。

 てっきり自分を人質にするのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 

「だって、本当に預かってしまったんじゃ戦って奪い返されてしまうだろう? それじゃ駄目なんだよ」

「貴様には我々とは無関係に、自由行動してもらう方が却(かえ)って良いのだ。あの女は貴様を必死で探し回るだろうからな」

 

 推(つき)城(しろ)は険しい表情で見下ろしていた。

 まるでこれからの苦難を予想して覚悟を決めているようだ。

 しかし同時に、それは彼女に対する軽蔑の眼(まな)差(ざ)しでもあった。

 

「麗(うる)真(ま)の負担を少しでも減らすならば、このまま家に帰ることだ。そうすればあの女は早い段階で探しに来るだろうし、安(あん)堵(ど)させることが出来るだろう。記者には取材を断る連絡を入れるが良い」

 

 魅(み)琴(こと)の為、そう言われると今の双(ふた)葉(ば)は益(ます)々(ます)迷わなくなる。

 双(ふた)葉(ば)は彼女を見下ろす推(つき)城(しろ)に強い口調で要求した。

 

「用が無いならどいてくれない? 約束があるから」

「……そうか。それが貴様の答えか……」

 

 推(つき)城(しろ)は心底汚らわしいものを見る目を向け、道を譲った。

 彼女はそんなことを気にも留(とど)めず、わざとらしく足を踏み鳴らして推(つき)城(しろ)の目の前を通り、待ち合わせの喫茶店へと向かった。

 

「莫(ば)迦(か)な女だ」

「全くね」

 

 八(や)社(おと)女(め)は双(ふた)葉(ば)の後ろ姿を見ながらケラケラと笑った。

 そんな彼に、陰(かげ)斗(と)は珍しく抑揚のある声で尋ねる。

 

「ウウウ……言ワレタ通リニシタ。姉サンハ何処(どこ)?」

「君(きみ)の姉なら一人で出頭するつもりだよ。嘗て苟且(かりそめ)の仲間だった情に訴えて、自分だけ助かるつもりなのさ。僕(ぼく)らの棲(す)み処(ところ)も手土産にするだろう。お前は姉に裏切られたのだ!」

 

 斯(か)くして、陰(かげ)斗(と)は八(や)社(おと)女(め)によって岬(さき)守(もり)航(わたる)及び根(ね)尾(お)弓(きゆう)矢(や)を襲撃する為の刺客に仕立て上げられた。

 そして推(つき)城(しろ)はこの後魅(み)琴(こと)と相対し、戦いを挑むのだ。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 時を戻す。

 久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)は先月末に続き、取材を受ける為に待ち合わせの喫茶店へと向かっていた。

 スマートフォンで地図アプリを開き、現在地と目的地の場所を確認する。

 

(この辺、高校の近所だ……)

 

 フリーの記者・綿(わた)貫(ぬき)千(ち)紗(さ)に指定された喫茶店は、嘗て双(ふた)葉(ば)が通っていた高校の近辺に位置している。

 嘗て、麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)と根(ね)尾(お)弓(きゆう)矢(や)が相席し、崇(す)神(じん)會(かい)廻(かい)天(てん)派(は)が襲ったあの喫茶店だ。

 双(ふた)葉(ば)は入ったことが無かったが、偶(たま)に級友が話題にしていたことを思い出した。

 そう、嘗て仲が良かった航(わたる)や魅(み)琴(こと)の記憶と共に。

 

(麗(うる)真(ま)さん……岬(さき)守(もり)君……。初めての友達だったな……)

 

 秋の昼には、食堂のテラスで一緒に昼食を摂(と)ったものだった。

 弁当を持参していた双(ふた)葉(ば)、日替わり定食を頼んでいた航(わたる)、そしてあんぱんばかり食べていた魅(み)琴(こと)――取留めも無い話題に花を咲かせて日々が、昨日のことの様に思い出される。

 思えばあの頃が一番楽しかったかも知れない。

 

(今頃になってこんなこと……もう絶交しちゃったのに……)

 

 双(ふた)葉(ば)は輝石の様な記憶を振り切る様に早足で歩いた。

 出来るなら、今日の取材は手短に済ませてしまいたい。

 この街に長居すると、押し寄せる懐かしい記憶に溺れてしまいそうだ。

 

(えと……此(こ)処(こ)は真(まつ)直(す)ぐ行って、次の角を曲がれば良いんだよね)

 

 双(ふた)葉(ば)は画面を見ながら、前も見ずに急いでいた。

 なるべく景色に眼(め)を向けたくなかった。

 しかし、やはり道を歩くときには周囲へ気を配るべきだろう。

 前を確(しつか)り見ていれば、避けられる危険は沢山在るのだ。

 

「痛っ!」

 

 突然、誰かが双(ふた)葉(ば)と正面からぶつかった。

 余りの勢いに、双(ふた)葉(ば)はその場に尻餅を搗(つ)く。

 よくあることだった。

 小柄な双(ふた)葉(ば)は頻繁に衝突されて吹き飛ばされ、そんな日常に少し嫌気が差していた。

 

「おい、歩きスマホしてんじゃねーよ」

 

 双(ふた)葉(ば)は声に驚いて顔を上げた。

 今までぶつかってきた相手とは少し様子が違う。

 聞き覚えのある女の声、見覚えのある女の顔。

 相手は明確に双(ふた)葉(ば)を見下し、批難していた。

 

「曽(そ)良(ら)野(の)……さん……?」

 

 嘗て双(ふた)葉(ば)を虐(いじ)めていたと思われる同窓生・曽(そ)良(ら)野(の)千(ち)果(か)もその場に坐(すわ)り込(こ)んでいた。

 双(ふた)葉(ば)とぶつかったのは、よりにもよって一番嫌な相手だった。

 

「足挫(くじ)いたじゃん、ふざけんなよお前さー」

「ご、ごめん……!」

 

 双(ふた)葉(ば)は青(あお)褪(ざ)めた。

 ただでさえ苦手な相手に弱みを作ってしまった。

 これからどんな嫌がらせを受けるかと思うと、吐き気が込み上げてくる。

 どうしてこんな所で出くわしたのかと、自分の運命を呪わずにはいられなかった。

 

 尤(もつと)も、二人の出会いは全くの偶然という訳ではない。

 千(ち)果(か)はつい先程まで、まさに双(ふた)葉(ば)が向かっている喫茶店「金(かな)糸(り)雀(あ)」に姉と居たのだ。

 その姉というのが、双(ふた)葉(ば)が取材を受ける記者・綿(わた)貫(ぬき)千(ち)紗(さ)である。

 千(ち)果(か)はもうすぐ姉の取材相手が来るということで、一足先に帰路に就いたところだった。

 

「あーあ、こりゃ治療費と慰謝料たっぷり貰(もら)わないとなー」

「うぅ……」

 

 双(ふた)葉(ば)は目の前が真っ暗になる思いだった。

 しかし、彼女にとって真に最悪の運命はこれではない。

 もっと別の、次元の違う厄災がひたひたと彼女に忍び寄っていた。

 

「グフフフフ、まさかおまけでもう一人女が付いてくるとは、運が我輩に向いてきたね」

 

 背後からの声に、双(ふた)葉(ば)は背筋が凍り付いた。

 紳士を装っているが、邪悪さが滲(にじ)み出(で)ている声――双(ふた)葉(ば)はどこかで聞いたことがあった。

 千(ち)果(か)は双(ふた)葉(ば)の頭上に視線を釘(くぎ)付(づ)けにし、目を見開いて怯(おび)えている。

 

「こいつ知ってる……! 指名手配犯の道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)……!」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)――その千(ち)果(か)が漏らしたその名に、双(ふた)葉(ば)は恐る恐る振り向いた。

 加特力(カトリック)の正装を思わせる黒服を着た、胡(う)散(さん)臭(くさ)い髭(ひげ)の壮年男が、狂気を湛(たた)えた邪悪な笑みを浮かべて立っている。

 双(ふた)葉(ば)はこの男を見たことがある。

 間違い無く、皇(こう)國(こく)で狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の訓練場を見学に来ていた首(しゆ)領(りよう)Д(デー)・道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)その人だ。

 

「八(や)社(おと)女(め)には感謝せねばなるまい。我輩の子を産む孕み袋を二つも差し出してくれるとは……」

 

 双(ふた)葉(ば)は状況を察した。

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は自分を攫(さら)い、性奴隷として飼う為に此処へ来たのだ。

 しかし、双(ふた)葉(ば)は自分でも恐ろしい程冷静に、この場を切り抜ける為の手立てを瞬間的に導き出した。

 

「え、何? 私(あたし)達、どうなっちゃうの?」

 

 千(ち)果(か)は突然現れた凶悪犯への恐怖に動揺し切っていた。

 自然な仕草で立ち上がった双(ふた)葉(ば)の行動に気付いていない程取り乱している。

 双(ふた)葉(ば)にとっては好都合だった。

 

「曽(そ)良(ら)野(の)さん、ごめんね」

 

 双(ふた)葉(ば)はそう言い残すと、千(ち)果(か)の足首を踏み付けてその場から走り出した。

 

「いぎっ!? ちょっと嘘(うそ)でしょ!? 久(く)住(ずみ)! 置いてくな! ふざけんなよお前!」

「おやおや、身代わりを残して逃げたか。まあ、我輩としては女が居れば誰でも良い訳だがね」

「嫌! やめて! 来ないで!」

 

 千(ち)果(か)は尻餅を搗いたまま後退る。

 しかし、腰を抜かしたままで逃げられる訳が無かった。

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は狂気と欲望に顔を歪(ゆが)め、節(ふし)榑(くれ)立(だ)った手を振り上げる。

 穢(けが)らわしい手が千(ち)果(か)に掴(つか)み掛(か)かろうとした、その時だった。

 

「ヌゥッ!?」

 

 突如、黒い影が道(どう)成(じよう)寺(じ)と千(ち)果(か)の間に割って入った。

 一人の女が長い髪を靡(なび)かせ、道(どう)成(じよう)寺(じ)の手を腕で止めていた。

 

「麗(うる)真(ま)……魅(み)琴(こと)……!」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)の腕を振り払った魅(み)琴(こと)は、彼の狂気に満ちた眼に対して冷厳な視線を返し、毅(き)然(ぜん)と立ちはだかっていた。

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