麗真魅琴は道成寺太の手を振り払った。
彼女が割って入った御陰で、曽良野千果は間一髪の所で助かった形だ。
「おい、もしかして麗真か? た、助けてくれたのか?」
「さっさと行きなさい。近くに居られると邪魔なのよ」
魅琴は千果へ一瞥もくれずに言い捨てた。
冷たいのは当然だ。
高校時代、久住双葉を虐めていた主犯について、魅琴は千果に目星を付けていた。
証拠こそ無かったものの、それは殆ど周知の事柄だった。
千果は千果で、魅琴と絡むようになった双葉に手を出すのはやめた。
誰もが一目置く上、美しい佇まいの中に有無を言わせぬ迫力を持つ魅琴のことは避けていた。
高校時代の二人は互いに避け合っていた。
千果にとって、魅琴が自分を助けたことは意外だったかも知れない。
「ひっ、ひぃぃーっっ!!」
千果は這々の体でその場から逃げ去った。
道成寺太という凶悪犯の登場に、道行く人々もこの一角を離れている。
辺りには魅琴と道成寺の二人だけが残された。
「道成寺太、久住さんに、私の友達に手を出そうとしたわね?」
「別に彼女でなければいかんということはないよ。ただ、都合が良かったのは確かだね。どうも娘の陽子はあの女に特別な思い入れがあるようだし、やりようによってはまた娘を手中に収められる」
「下衆が……」
「だがまあ、極論を言えば我輩が女に求めるのは転生の準備を仕込む孕み袋だ。ならば久住双葉でなくとも良い。さっきの女でも、麗真魅琴、君でもね……」
道成寺は下卑た笑みを浮かべた。
狂気と入り交じった、悍ましい表情だった。
「反吐が出るわね……」
魅琴は顔を顰め、道成寺を睨み上げる。
嘗て無い程、心底からの嫌悪感を表情の端々に浮き上がらせていた。
この世で最も唾棄すべき存在と対峙している――そんな様相だった。
「どの道、叩きのめさせてもらうわ。さっさと久住さんの安全を確保しないといけないから」
「グフフ、我輩を叩きのめすか、面白い。先日、皇國一の格闘少女と手合わせしたが、顔立ちだけでなく威勢の良さもそっくりだね。まあ、我輩の相手にはならなかったが……」
魅琴と道成寺、相対する二人は互いに構えた。
今まさに、二人の拳と拳が激突する――そんな待った無しの状況である。
しかしその時、魅琴の背後から絹を裂く様な金属音が響いた。
なにか大型の車輌が急ブレーキを掛けたかの様な音だ。
そして、激しい激突音と悲鳴。
不吉な不協和音。
戦いがまさに起ころうというときに、魅琴はあろうことか音の方へ振り向いてしまった。
「隙だらけだよ、莫迦め!」
道成寺の拳が魅琴の後頭部に飛ぶ。
魅琴は紙一重で屈んで躱すと、道成寺に目もくれずに音の方へ、大通りの方へと飛び出した。
⦿⦿⦿
時を少しだけ戻す。
道成寺から逃げた双葉は、大通りに出たところで息を切らして足を止めた。
神為の強化を失った彼女は、元々体力のある方ではない。
少し走っただけで息切れしてしまうのが、五月までは当たり前だった。
(そうだよね。私、本当は鈍臭いから……)
双葉はもっと長く走れると思っていたが、近くの大通りに出るのが精一杯で、少し驚くと共に思い出した。
この四箇月余りの日々で、彼女は自分の体力不足をすっかり忘れていたのだ。
どうにもまだ日常には帰り切れていなかったらしい。
(痛っ……! 足、捻っちゃったかな……?)
双葉が痛みを感じたのは、道成寺から逃げる際に千果を踏ん付けた方の足首だった。
あの時、彼女は千果を自分の身代わりにすべく、わざと足を踏んで逃げた。
千果を差し出せば自分は助かると、咄嗟に判断した。
判断し、行動に移してしまった。
(最低じゃん、私……)
秋風が頬に染みる。
十月上旬、皇國が顕れてからはこの時期でも冷え込んでくる。
風は自分が助かる為に他人を犠牲にした双葉を責める様に冷たかった。
木々を鳴らす音色さえ、双葉にがなり立てている様だった。
「あ……」
ふと、双葉は見上げた。
街路樹が、銀杏が黄金色に染まっている。
今初めて気が付いた。
この大通りは高校時代、下校に使っていた大通りだ。
この銀杏並木の黄葉は、あの頃に双葉が岬守航と麗真魅琴、初めて出来た友達と三人で潜っていたものだ。
それは今も、変わらない鮮やかさで同じ景色を彩っている。
唯、同じ場所を通りかかった双葉だけが変わっていた。
何もかも、あの頃とは変わってしまっていた。
(どうして……?)
目の前に三人の男女が、高校生が歩いている。
双葉はすぐに、それが過去の自分達の幻覚だと気が付いた。
楽しかった日々の幻、もう存在しない過去の思い出。
ただ、周りを彩る銀杏並木の黄葉は、残酷な程に鮮やかなまま過去と現在が重なっていた。
「どうして……?」
双葉は頭を抱えた。
歳月の残酷さに四方八方から責め立てられ、耐えられない。
自分は夢を失い、友達を失い、そして人間性すら失ってしまった。
友達だった二人の仲は進展し、置行堀を喰らった自分だけが独り、醜く変わり果てた。
「どうしてなの!?」
双葉は叫んだ。
叫ばずにはいられなかった。
何故こうなってしまったのか、どうして自分だけが、と。
しかしそんな彼女は、突如後から首根っこを掴まれた。
「おい久住ィ……」
怒りに満ちた女の声だった。
双葉は恐怖を振り払う様に振り向く。
目に入ったのは、物凄い形相で自分を睨み付ける千果の姿だった。
「お前……お前……お前……!」
千果は足を引き摺りながら双葉に再び近寄る。
後退る双葉だったが、彼女もまた足を傷めていて上手く逃げられない。
怒りに任せて掴み掛かる千果、双葉は再び振り払おうと藻掻く。
「お前私を犠牲にしたな! もう少しであいつに捕まるとこだった! 足まで踏みやがって! 今度はマジで傷めたじゃんかよ! ふざけんなよお前マジでよ!」
「やめて! 曽良野さん離して!」
「復讐のつもりかよ! いつまでも昔のこと根に持ちやがってよ!」
「やめてってば!」
大通りの歩道で、足を傷めた二人の女が取っ組み合いになっている。
不安定に蹌踉めく二人を、通行人が迷惑がって避ける。
(どうして曽良野さんが? なんで助かってるの?)
双葉は混乱しつつ、どうにか逃れようとする。
二人は通行人にぶつかりながら、ぐるぐると回っている。
正確には、双葉が千果を振り回していた。
曲がりなりにも戦闘訓練を経験した双葉と、痩せ細っている上にヒールを履いている千果では、取っ組み合いでどちらが有利かは明らかだ。
「こいつっ、こいつっ、糞、久住の癖に、久住の癖によぉっ!」
双葉に突き飛ばされた千果の身体が銀杏の木に衝突した。
「曽良野さん、落ち着いて、お願い」
「久住ィ……!」
「こんな所で、危ないから、ね?」
「お前、自分がしたこと棚に上げて……」
千果は怒りで完全に我を忘れている。
双葉はどうにか千果を宥めたかったが、怒りの原因である彼女には不可能だった。
見下していた双葉に陥れられかけたこと、力で叶わず振り回されたこと、それらの屈辱が千果を冷静にさせない。
「許さねえ、久住ィィィッッ!!」
千果は再び双葉に飛び掛かってきた。
が、双葉に踏まれた足を踏み外し、前のめりに倒れる。
千果の予期せぬ動きに、双葉はそのまま押し飛ばされた。
そして背後に蹌踉めいたとき、双葉もまた傷めていた足を踏み外してしまった。
「え……?」
双葉の身体はそのまま車道に投げ出されて転がった。
そして間の悪いことに、丁度大型トラックが走ってきていた。
「あ……!」
突き飛ばした千果も、思わぬ事態に瞠目して固まっている。
そしてトラックは減速することも叶わず、双葉の身体をタイヤで踏んでしまった。
計四回、十トンの重さを支えるタイヤが双葉を執拗に潰す。
急ブレーキは双葉を轢いた後に掛かり始めた。
またタイヤが突然人間の身体に乗り上げてしまった為、トラックはハンドル制御しきれずに車線を飛び出し、後続車に追突されていた。
「キャアアアアアッッ!!」
突然の凄惨な人身事故に、銀杏並木の通りを絹を裂く様な悲鳴が覆い尽くした。