日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第九十四話『感化の代償』 序

 麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)は道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)の手を振り払った。

 彼女が割って入った御(お)陰(かげ)で、曽(そ)良(ら)野(の)千(ち)果(か)は間一髪の所で助かった形だ。

 

「おい、もしかして麗(うる)真(ま)か? た、助けてくれたのか?」

「さっさと行きなさい。近くに居られると邪魔なのよ」

 

 魅(み)琴(こと)は千(ち)果(か)へ一(いち)瞥(べつ)もくれずに言い捨てた。

 冷たいのは当然だ。

 高校時代、久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)を虐(いじ)めていた主犯について、魅(み)琴(こと)は千(ち)果(か)に目星を付けていた。

 証拠こそ無かったものの、それは殆(ほとん)ど周知の事柄だった。

 

 千(ち)果(か)は千(ち)果(か)で、魅(み)琴(こと)と絡むようになった双(ふた)葉(ば)に手を出すのはやめた。

 誰もが一目置く上、美しい佇(たたず)まいの中に有無を言わせぬ迫力を持つ魅(み)琴(こと)のことは避けていた。

 高校時代の二人は互いに避け合っていた。

 千(ち)果(か)にとって、魅(み)琴(こと)が自分を助けたことは意外だったかも知れない。

 

「ひっ、ひぃぃーっっ!!」

 

 千(ち)果(か)は這(ほう)々(ほう)の体(てい)でその場から逃げ去った。

 道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)という凶悪犯の登場に、道行く人々もこの一角を離れている。

 辺りには魅(み)琴(こと)と道(どう)成(じよう)寺(じ)の二人だけが残された。

 

「道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)、久(く)住(ずみ)さんに、私(わたし)の友達に手を出そうとしたわね?」

「別に彼女でなければいかんということはないよ。ただ、都合が良かったのは確かだね。どうも娘の陽(よう)子(こ)はあの女に特別な思い入れがあるようだし、やりようによってはまた娘を手中に収められる」

「下衆が……」

「だがまあ、極論を言えば我輩が女に求めるのは転生の準備を仕込む孕(はら)み袋だ。ならば久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)でなくとも良い。さっきの女でも、麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)、君(きみ)でもね……」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は下卑た笑みを浮かべた。

 狂気と入り交じった、悍(おぞ)ましい表情だった。

 

「反(へ)吐(ど)が出るわね……」

 

 魅(み)琴(こと)は顔を顰(しか)め、道(どう)成(じよう)寺(じ)を睨(にら)み上げる。

 嘗(かつ)て無い程、心底からの嫌(けん)悪(お)感を表情の端々に浮き上がらせていた。

 この世で最も唾棄すべき存在と対(たい)峙(じ)している――そんな様相だった。

 

「どの道、叩(たた)きのめさせてもらうわ。さっさと久(く)住(ずみ)さんの安全を確保しないといけないから」

「グフフ、我輩を叩きのめすか、面白い。先日、皇(こう)國(こく)一の格闘少女と手合わせしたが、顔立ちだけでなく威勢の良さもそっくりだね。まあ、我輩の相手にはならなかったが……」

 

 魅(み)琴(こと)と道(どう)成(じよう)寺(じ)、相対する二人は互いに構えた。

 今まさに、二人の拳と拳が激突する――そんな待った無しの状況である。

 

 しかしその時、魅(み)琴(こと)の背後から絹を裂く様な金属音が響いた。

 なにか大型の車(しや)輌(りよう)が急ブレーキを掛けたかの様な音だ。

 そして、激しい激突音と悲鳴。

 

 不吉な不協和音。

 戦いがまさに起ころうというときに、魅(み)琴(こと)はあろうことか音の方へ振り向いてしまった。

 

「隙だらけだよ、莫(ば)迦(か)め!」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)の拳が魅(み)琴(こと)の後頭部に飛ぶ。

 魅(み)琴(こと)は紙一重で屈(かが)んで躱(かわ)すと、道(どう)成(じよう)寺(じ)に目もくれずに音の方へ、大通りの方へと飛び出した。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 時を少しだけ戻す。

 道(どう)成(じよう)寺(じ)から逃げた双(ふた)葉(ば)は、大通りに出たところで息を切らして足を止めた。

 神(しん)為(い)の強化を失った彼女は、元々体力のある方ではない。

 少し走っただけで息切れしてしまうのが、五月までは当たり前だった。

 

(そうだよね。私(わたし)、本当は鈍臭いから……)

 

 双(ふた)葉(ば)はもっと長く走れると思っていたが、近くの大通りに出るのが精一杯で、少し驚くと共に思い出した。

 この四箇月余りの日々で、彼女は自分の体力不足をすっかり忘れていたのだ。

 どうにもまだ日常には帰り切れていなかったらしい。

 

(痛っ……! 足、捻(ひね)っちゃったかな……?)

 

 双(ふた)葉(ば)が痛みを感じたのは、道(どう)成(じよう)寺(じ)から逃げる際に千(ち)果(か)を踏ん付けた方の足首だった。

 あの時、彼女は千(ち)果(か)を自分の身代わりにすべく、わざと足を踏んで逃げた。

 千(ち)果(か)を差し出せば自分は助かると、咄(とつ)嗟(さ)に判断した。

 判断し、行動に移してしまった。

 

(最低じゃん、私(わたし)……)

 

 秋風が頬(ほお)に染みる。

 十月上旬、皇(こう)國(こく)が顕(あらわ)れてからはこの時期でも冷え込んでくる。

 風は自分が助かる為(ため)に他人を犠牲にした双(ふた)葉(ば)を責める様に冷たかった。

 木々を鳴らす音色さえ、双(ふた)葉(ば)にがなり立てている様だった。

 

「あ……」

 

 ふと、双(ふた)葉(ば)は見上げた。

 街路樹が、銀杏(いちよう)が黄金色に染まっている。

 今初めて気が付いた。

 この大通りは高校時代、下校に使っていた大通りだ。

 

 この銀杏並木の黄葉は、あの頃に双(ふた)葉(ば)が岬(さき)守(もり)航(わたる)と麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)、初めて出来た友達と三人で潜(くぐ)っていたものだ。

 それは今も、変わらない鮮やかさで同じ景色を彩(いろど)っている。

 唯(ただ)、同じ場所を通りかかった双(ふた)葉(ば)だけが変わっていた。

 何もかも、あの頃とは変わってしまっていた。

 

(どうして……?)

 

 目の前に三人の男女が、高校生が歩いている。

 双(ふた)葉(ば)はすぐに、それが過去の自分達の幻覚だと気が付いた。

 楽しかった日々の幻、もう存在しない過去の思い出。

 ただ、周りを彩る銀杏並木の黄葉は、残酷な程に鮮やかなまま過去と現在が重なっていた。

 

「どうして……?」

 

 双(ふた)葉(ば)は頭を抱えた。

 歳月の残酷さに四方八方から責め立てられ、耐えられない。

 自分は夢を失い、友達を失い、そして人間性すら失ってしまった。

 友達だった二人の仲は進展し、置(おい)行(てけ)堀(ぼり)を喰(く)らった自分だけが独り、醜く変わり果てた。

 

「どうしてなの!?」

 

 双(ふた)葉(ば)は叫んだ。

 叫ばずにはいられなかった。

 何故(なぜ)こうなってしまったのか、どうして自分だけが、と。

 しかしそんな彼女は、突如後から首根っこを掴(つか)まれた。

 

「おい久(く)住(ずみ)ィ……」

 

 怒りに満ちた女の声だった。

 双(ふた)葉(ば)は恐怖を振り払う様に振り向く。

 目に入ったのは、物(もの)凄(すご)い形相で自分を睨(にら)み付(つ)ける千(ち)果(か)の姿だった。

 

「お前……お前……お前……!」

 

 千(ち)果(か)は足を引(ひ)き摺(ず)りながら双(ふた)葉(ば)に再び近寄る。

 後退る双(ふた)葉(ば)だったが、彼女もまた足を傷めていて上(う)手(ま)く逃げられない。

 怒りに任せて掴(つか)み掛(か)かる千(ち)果(か)、双(ふた)葉(ば)は再び振り払おうと藻(も)掻(が)く。

 

「お前私(あたし)を犠牲にしたな! もう少しであいつに捕まるとこだった! 足まで踏みやがって! 今度はマジで傷めたじゃんかよ! ふざけんなよお前マジでよ!」

「やめて! 曽(そ)良(ら)野(の)さん離して!」

「復(ふく)讐(しゆう)のつもりかよ! いつまでも昔のこと根に持ちやがってよ!」

「やめてってば!」

 

 大通りの歩道で、足を傷めた二人の女が取っ組み合いになっている。

 不安定に蹌(よ)踉(ろ)めく二人を、通行人が迷惑がって避ける。

 

(どうして曽(そ)良(ら)野(の)さんが? なんで助かってるの?)

 

 双(ふた)葉(ば)は混乱しつつ、どうにか逃れようとする。

 二人は通行人にぶつかりながら、ぐるぐると回っている。

 正確には、双(ふた)葉(ば)が千(ち)果(か)を振り回していた。

 曲がりなりにも戦闘訓練を経験した双(ふた)葉(ば)と、痩せ細っている上にヒールを履いている千(ち)果(か)では、取っ組み合いでどちらが有利かは明らかだ。

 

「こいつっ、こいつっ、糞(くそ)、久(く)住(ずみ)の癖に、久(く)住(ずみ)の癖によぉっ!」

 

 双(ふた)葉(ば)に突き飛ばされた千(ち)果(か)の身体が銀杏の木に衝突した。

 

「曽(そ)良(ら)野(の)さん、落ち着いて、お願い」

「久(く)住(ずみ)ィ……!」

「こんな所で、危ないから、ね?」

「お前、自分がしたこと棚に上げて……」

 

 千(ち)果(か)は怒りで完全に我を忘れている。

 双(ふた)葉(ば)はどうにか千(ち)果(か)を宥(なだ)めたかったが、怒りの原因である彼女には不可能だった。

 見下していた双(ふた)葉(ば)に陥れられかけたこと、力で叶(かな)わず振り回されたこと、それらの屈辱が千(ち)果(か)を冷静にさせない。

 

「許さねえ、久(く)住(ずみ)ィィィッッ!!」

 

 千(ち)果(か)は再び双(ふた)葉(ば)に飛び掛かってきた。

 が、双(ふた)葉(ば)に踏まれた足を踏み外し、前のめりに倒れる。

 千(ち)果(か)の予期せぬ動きに、双(ふた)葉(ば)はそのまま押し飛ばされた。

 そして背後に蹌踉めいたとき、双(ふた)葉(ば)もまた傷めていた足を踏み外してしまった。

 

「え……?」

 

 双(ふた)葉(ば)の身体はそのまま車道に投げ出されて転がった。

 そして間の悪いことに、丁度大型トラックが走ってきていた。

 

「あ……!」

 

 突き飛ばした千(ち)果(か)も、思わぬ事態に瞠(どう)目(もく)して固まっている。

 そしてトラックは減速することも叶わず、双(ふた)葉(ば)の身体をタイヤで踏んでしまった。

 

 計四回、十トンの重さを支えるタイヤが双(ふた)葉(ば)を執(しつ)拗(よう)に潰(つぶ)す。

 急ブレーキは双(ふた)葉(ば)を轢(ひ)いた後に掛かり始めた。

 またタイヤが突然人間の身体に乗り上げてしまった為、トラックはハンドル制御しきれずに車線を飛び出し、後続車に追突されていた。

 

「キャアアアアアッッ!!」

 

 突然の凄惨な人身事故に、銀杏並木の通りを絹を裂く様な悲鳴が覆い尽くした。

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