日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第九十四話『感化の代償』 急

 魅(み)琴(こと)は現場に駆け付け、双(ふた)葉(ば)の姿を見るや否(いや)や、救命を試みた。

 

「久(く)住(ずみ)さん! 大人しくしてて! 今助ける!」

 

 先(ま)ず、目撃者に救急車を呼ぶ様に指示。

 次に根(ね)尾(お)弓(きゆう)矢(や)へメッセージを入れ、電話を掛ける。

 

『久(く)住(ずみ)さんが重体』

『東(とう)瀛(えい)丸(がん)を持って来てください』

『場所は金(かな)糸(り)雀(あ)という喫茶店の付近、以前来たことがある筈(はず)』

 

 メッセージにしたのは、電話の応答を待っていては間に合わないと判断したからだ。

 ワンコールだけ掛けて、メッセージへの気付きを促す。

 そうして次に、応急処置を試みる。

 しかし、状況は絶望的だった。

 

(肋(ろつ)骨(こつ)骨折・肺挫傷に因(よ)る気胸有り! 腰部から大(だい)腿(たい)部(ぶ)に掛けて裂傷・内臓損傷・粉砕骨折・出血多量! これは……無理だ……! 意識があることが信じられない……!)

 

 魅(み)琴(こと)は半ば解(わか)っていた。

 こと人間の身体を壊す才覚にかけては彼女の右に出る者など殆(ほとん)ど存在しない。

 その経験と知見がはっきりと告げていた。

 双(ふた)葉(ば)はもう助からない。

 

(いや諦めない! 助ける、助けるんだ!)

 

 魅(み)琴(こと)は怒声を飛ばし、周囲の人間からベルトを借りて双(ふた)葉(ば)の腰部や大腿部を圧迫、止血を試みる。

 出血が止まったのは偏(ひとえ)に彼女の人体を見る眼(め)の確かさ、天(てん)稟(ぴん)の賜(たま)物(もの)だろう。

 だがそれでも、双(ふた)葉(ば)は既に血を失い過ぎている。

 

 魅(み)琴(こと)は双(ふた)葉(ば)の胸の上部を指で突いた。

 どういう原理か、胸部に小さな穴が空いて空気が出ていく。

 

(早く来い救急車! 根(ね)尾(お)さん! 応急処置じゃ間に合わない!)

 

 そんな中、双(ふた)葉(ば)の手が動いた。

 鞄(かばん)から零(こぼ)れた持ち物を探ろうとしている。

 

「じっとしてて!」

 

 しかし双(ふた)葉(ば)は魅(み)琴(こと)の声が聞こえないのか、止まる様子も無くケースから眼鏡を取り出した。

 その動作に、魅(み)琴(こと)は思わず眼を奪われてしまう。

 死を察した双(ふた)葉(ば)の行動が、魅(み)琴(こと)から意志を脱力させてしまっていた。

 

 双(ふた)葉(ば)は最(さい)期(ご)の力を振り絞り、眼鏡を掛けて笑っていた。

 魅(み)琴(こと)にはその行動の意味が、双(ふた)葉(ば)の負った傷の如き強い痛みを伴って理解出来てしまった。

 彼女は最後に、自分と中が良かった頃の姿を見せてくれたのだ。

 言葉を発することが出来ない代わりに、それを以(もつ)て和解を申し出てくれたのだ。

 

 双(ふた)葉(ば)はそのまま動かなくなった。

 瞬間、身を引き裂く様な友の死が魅(み)琴(こと)を貫いた。

 魅(み)琴(こと)の才覚は、目の前の人間の終(しゆう)焉(えん)を刹那の遅れも無く察知してしまったのだ。

 何よりも重く、激しく、そして悲しく……。

 

「久(く)住(ずみ)……さん……」

 

 魅(み)琴(こと)はただ項(うな)垂(だ)れるしか無かった。

 この喪失感・無力感には覚えがある。

 嘗(かつ)て父親が病で死んだ時も、魅(み)琴(こと)にはどうすることも出来なかった。

 動(やや)もすれば、目の前で救命虚(むな)しく死なれてしまったというのはあの時以上の敗北かも知れない。

 

「助け……られなかった……」

 

 現実が徐々に重量を増していく。

 魅(み)琴(こと)はそれに抗(あらが)うかの様に力一杯拳を握り締めた。

 そして、絶叫。

 凄惨な悲しみと、行き場の無い激烈な怒りが事故現場の空気を強く揺さぶった。

 

 魅(み)琴(こと)は立ち上がって振り返る。

 その際、傍らで千(ち)果(か)が震えながら呟(つぶや)いていた。

 

「違(ちが)……私(あたし)、そんなつもりじゃ……」

 

 経緯には大方見当が付いた。

 しかし、魅(み)琴(こと)にとって千(ち)果(か)などどうでも良かった。

 自分が無力だったから、双(ふた)葉(ば)は死んだのだ。

 もっと早く駆け付けていれば、こうはならなかったのだ。

 

 更に言えば、双(ふた)葉(ば)に寄り添えなかったことも不覚であった。

 

 高校卒業から拉致の一件まで、魅(み)琴(こと)は双(ふた)葉(ば)と疎遠になっていた。

 それで良いと思っていた。

 何(な)故(ぜ)なら、自分は神(じん)皇(のう)と戦って死ぬつもりだったからだ。

 それまでに、周囲の関係者との縁を意図的に薄めようとしてしまっていた。

 

 結果、双(ふた)葉(ば)に対する理解を遠ざけ、不信を買ってしまった。

 双(ふた)葉(ば)を決定的に怒らせてしまったのは、自らの不徳の致すところだろう。

 

(不(ふ)甲(が)斐(い)無(な)い友達でごめんなさい、久(く)住(ずみ)さん……)

 

 双(ふた)葉(ば)は何も間違っていない。

 自分や航(わたる)、根(ね)尾(お)に言ったことは言葉が強かっただけで概(おおむ)ね正しい。

 母親も、ただ公益の為(ため)に悪事を暴(ばく)露(ろ)されただけだ。

 

(ただ私(わたし)が、貴女(あなた)の心を守れなかった。それでも貴女(あなた)は、こんな私(わたし)を最期に許してくれた……)

 

 今、魅(み)琴(こと)の目に涙は無い。

 その視線の先には別の男が居た。

 男もまた、魅(み)琴(こと)を追って事故現場へとのこのこやって来たのだ。

 

「みっともなく取り乱して何事かと思えば、死んだのかね、久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)が……」

 

 武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の首(しゅ)領(りょう)Д(デー)こと道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)――双(ふた)葉(ば)と千(ち)果(か)を襲った男である。

 

「我輩の愚かな娘に感化された代償、莫(ば)迦(か)の末路と言ったところだね」

「何……?」

 

 魅(み)琴(こと)は道(どう)成(じょう)寺(じ)の下卑た笑みを睨(にら)み付(つ)けた。

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は構わず続ける。

 

「身の程知らずにも余計なことに首を突っ込まなければ、我輩から陽(よう)子(こ)を引(ひ)き剥(は)がそうとしなければ、平穏な日々に戻れたものを。しかし、御(お)陰(かげ)で陽(よう)子(こ)は我輩の下から離れてしまった。その責で我輩の孕(はら)み袋にしてやろうとしたのに、この様(ざま)かね。見たところ、さっきの女と揉(も)めたんだろうね。何せ、久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)はその女を犠牲にして逃げたのだからね」

「何だと……?」

 

 魅(み)琴(こと)の腹の中から沸々と厭(えん)悪(お)が込み上げてきた。

 目の前の男は、間接的に双(ふた)葉(ば)を死へ追(お)い遣(や)った男だ。

 無論、因果関係は希釈されている。

 だがそれでも、この男は双(ふた)葉(ば)に悲惨な運命を運んできた人間の一人に違い無い。

 

 その男が、双(ふた)葉(ば)を侮辱している。

 何よりもそれが許せない。

 そんな魅(み)琴(こと)の胸中など露知らぬといった調子で、道(どう)成(じよう)寺(じ)は更に暴言を並べる。

 

「まあ良い。彼女はあまり元気な子を産むのに適した体ではなかった、女としての価値に乏しい、妥協の選択肢に過ぎなかった。特段惜しくもないね」

「黙れ……」

「その点、君(きみ)は実に素晴らしい! その美貌・肉体、まさに芸術品と言って良いだろう! 完璧なまでに美しい! 我輩の子を産み、革命の意志を未来へ繋(つな)ぐに相(ふ)応(さわ)しい器だ!」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は臆面も無く魅(み)琴(こと)に問い掛ける。

 

「どうするね、麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)? 我輩の子を産むというなら、狗(いぬ)の民族としての罪(ざい)業(ごう)を免責してやっても良いが?」

 

 魅(み)琴(こと)は答えない。

 ただただ、厭悪に満ちた視線を道(どう)成(じょう)寺(じ)に向け続けている。

 答えとしてはそれで充分だ。

 

 今、魅(み)琴(こと)は逆に冷静さを取り戻していた。

 氷の様な冷徹さ、冷酷さが彼女の脳を思考させる。

 目の前の男をどうやって痛め付け、破壊するのが相応しいだろうか。

 

 無反応の魅(み)琴(こと)を前に、道(どう)成(じよう)寺(じ)は下卑た笑みに顔を歪(ゆが)めた。

 

「同意無し、か……。それは拒絶かね? それとも、力尽くで従わされるのがお好みなのかね?」

「力尽く……?」

 

 今度は魅(み)琴(こと)が笑った。

 相手の言葉が余りに滑稽に聞こえて思わず、と言ったところか。

 その怒りに満ちた攻撃性は、どちらかというと「嗤(わら)った」の方が適切だろうか。

 

「この私(わたし)を力尽くで従わせるって? お前が? やってみろよ。出来るものならな」

「グフフフフ……」

 

 その時、道(どう)成(じよう)寺(じ)の体からどす黒い放射物が立ち上がった。

 風が慟(どう)哭(こく)し、冥(くら)雲(くも)が天に渦巻く。

 凄(すさ)まじいまでの神(しん)為(い)が道(どう)成(じよう)寺(じ)から溢(あふ)れ出(で)ていた。

 

「君(きみ)は我輩がどれ程の力を得たか知らんだろう。穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)を手にしてから、我輩の神(しん)為(い)は指数関数的に膨張しているのだよ。最(も)早(はや)、八月の頃とは全くの別次元! 否、つい先日と比較しても、遙(はる)かな高みに上り詰めている!」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は手に「くの字」型の大剣を形成し、その鋒(きつさき)を魅(み)琴(こと)に向けた。

 

「対する君(きみ)は神(じん)皇(のう)との戦いで瀕(ひん)死(し)の重傷を負い、神(しん)為(い)を失っている! 生まれついての神(しん)為(い)持ちは、一度神(しん)為(い)を喪失すると恢(かい)復(ふく)にはかなりの時を要する! 知っているのだよ、我輩も君(きみ)と同類だからね! 要するに、今の君(きみ)が全く神(しん)為(い)を使えんことなどお見通しという訳だ!」

 

 彼の言うことは正しい。

 魅(み)琴(こと)は今、神(しん)為(い)が全く使えないのだ。

 しかも、彼女にとって悪条件はそれだけではなかった。

 

「もう一つ教えておこう。これは八(や)社(おと)女(め)首領補佐から聞いた話だが、君(きみ)は先程まで誰か別の相手と戦っていて、二連戦だそうだね。八(や)社(おと)女(め)は最初からその男の後に我輩を君(きみ)にぶつける算段だったということだ。そして君(きみ)は、先程の相手がただやられるだけで、我輩の為に何ら策を残していないとでも思っているのかね?」

 

 魅(み)琴(こと)は言われるまでもなく実感していた。

 今、魅(み)琴(こと)の力は大きく削(そ)ぎ落(お)とされている。

 おそらく、推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)との戦いで何らかの弱体化策を講じられたのだろう。

 彼女は本領を発揮するには余りにも程遠い状態に置かれていた。

 

「笑みが消えたね。不安なのかね? まあ、仕方の無い話だ。我輩が相手なのだからね」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は大剣を振り上げ、肩に担いだ。

 魅(み)琴(こと)の艶(つや)やかな黒髪が僅(わず)かに切れて宙を舞う。

 

「良いかね、我輩は嘗て一国をも力尽くで手に入れた男だ! 異なる世界とはいえ、君(きみ)が必死扱(こ)いて守ろうとした日本をだ! そしてついこの間も、皇族達を力尽くで死へと追い遣った! 神(じん)皇(のう)でさえもね! 我輩の力尽くとは、そういう確固たる実績があるのだよ! そして君(きみ)が守ろうとしたこの国で、我輩は再び力を蓄える! 穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)に依(よ)って圧倒的に神(しん)為(い)を増し、今度こそ皇(こう)國(こく)を、日本という国家を亡き者としてくれる! 神(じん)皇(のう)よりも我輩が、道(どう)成(じよう)寺(じ)公(きみ)郎(お)の方が上等だと証明するのだ! 血筋の権威に胡坐(あぐら)を掻(か)く連中よりも、我輩の方が圧倒的に傑物で、歴史に名を残すに相応しいとね! 穢(けが)らわしい狗の民族性、劣等文化精神を浄化し、真の革命国家を築き上げてなァ!」

 

 最後の一人にまで追い詰められた今なお、道(どう)成(じよう)寺(じ)の中には狂気の野望が燃え続けている。

 それは寿命を迎えた星が最後に見せる激しい輝きだろうか。

 その爆発によって魅(み)琴(こと)をも呑(の)み込(こ)んでしまおういうのか。

 

「言い残す言葉はそれだけで良い?」

 

 魅(み)琴(こと)は構えた。

 何にせよ、魅(み)琴(こと)には道(どう)成(じよう)寺(じ)を許せない理由がある。

 如(い)何(か)に自分にも非があるとはいえ、掛け替えのない友であった久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)の死はこの男が齎(もたら)したも同然である。

 

 銀杏(いちよう)並木がざわついている。

 嘗て航(わたる)と魅(み)琴(こと)、そして双(ふた)葉(ば)の三人が談笑しながら下校した街道で、二人の戦いの火蓋が切られようとしていた。

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