魅琴は現場に駆け付け、双葉の姿を見るや否や、救命を試みた。
「久住さん! 大人しくしてて! 今助ける!」
先ず、目撃者に救急車を呼ぶ様に指示。
次に根尾弓矢へメッセージを入れ、電話を掛ける。
『久住さんが重体』
『東瀛丸を持って来てください』
『場所は金糸雀という喫茶店の付近、以前来たことがある筈』
メッセージにしたのは、電話の応答を待っていては間に合わないと判断したからだ。
ワンコールだけ掛けて、メッセージへの気付きを促す。
そうして次に、応急処置を試みる。
しかし、状況は絶望的だった。
(肋骨骨折・肺挫傷に因る気胸有り! 腰部から大腿部に掛けて裂傷・内臓損傷・粉砕骨折・出血多量! これは……無理だ……! 意識があることが信じられない……!)
魅琴は半ば解っていた。
こと人間の身体を壊す才覚にかけては彼女の右に出る者など殆ど存在しない。
その経験と知見がはっきりと告げていた。
双葉はもう助からない。
(いや諦めない! 助ける、助けるんだ!)
魅琴は怒声を飛ばし、周囲の人間からベルトを借りて双葉の腰部や大腿部を圧迫、止血を試みる。
出血が止まったのは偏に彼女の人体を見る眼の確かさ、天稟の賜物だろう。
だがそれでも、双葉は既に血を失い過ぎている。
魅琴は双葉の胸の上部を指で突いた。
どういう原理か、胸部に小さな穴が空いて空気が出ていく。
(早く来い救急車! 根尾さん! 応急処置じゃ間に合わない!)
そんな中、双葉の手が動いた。
鞄から零れた持ち物を探ろうとしている。
「じっとしてて!」
しかし双葉は魅琴の声が聞こえないのか、止まる様子も無くケースから眼鏡を取り出した。
その動作に、魅琴は思わず眼を奪われてしまう。
死を察した双葉の行動が、魅琴から意志を脱力させてしまっていた。
双葉は最期の力を振り絞り、眼鏡を掛けて笑っていた。
魅琴にはその行動の意味が、双葉の負った傷の如き強い痛みを伴って理解出来てしまった。
彼女は最後に、自分と中が良かった頃の姿を見せてくれたのだ。
言葉を発することが出来ない代わりに、それを以て和解を申し出てくれたのだ。
双葉はそのまま動かなくなった。
瞬間、身を引き裂く様な友の死が魅琴を貫いた。
魅琴の才覚は、目の前の人間の終焉を刹那の遅れも無く察知してしまったのだ。
何よりも重く、激しく、そして悲しく……。
「久住……さん……」
魅琴はただ項垂れるしか無かった。
この喪失感・無力感には覚えがある。
嘗て父親が病で死んだ時も、魅琴にはどうすることも出来なかった。
動もすれば、目の前で救命虚しく死なれてしまったというのはあの時以上の敗北かも知れない。
「助け……られなかった……」
現実が徐々に重量を増していく。
魅琴はそれに抗うかの様に力一杯拳を握り締めた。
そして、絶叫。
凄惨な悲しみと、行き場の無い激烈な怒りが事故現場の空気を強く揺さぶった。
魅琴は立ち上がって振り返る。
その際、傍らで千果が震えながら呟いていた。
「違……私、そんなつもりじゃ……」
経緯には大方見当が付いた。
しかし、魅琴にとって千果などどうでも良かった。
自分が無力だったから、双葉は死んだのだ。
もっと早く駆け付けていれば、こうはならなかったのだ。
更に言えば、双葉に寄り添えなかったことも不覚であった。
高校卒業から拉致の一件まで、魅琴は双葉と疎遠になっていた。
それで良いと思っていた。
何故なら、自分は神皇と戦って死ぬつもりだったからだ。
それまでに、周囲の関係者との縁を意図的に薄めようとしてしまっていた。
結果、双葉に対する理解を遠ざけ、不信を買ってしまった。
双葉を決定的に怒らせてしまったのは、自らの不徳の致すところだろう。
(不甲斐無い友達でごめんなさい、久住さん……)
双葉は何も間違っていない。
自分や航、根尾に言ったことは言葉が強かっただけで概ね正しい。
母親も、ただ公益の為に悪事を暴露されただけだ。
(ただ私が、貴女の心を守れなかった。それでも貴女は、こんな私を最期に許してくれた……)
今、魅琴の目に涙は無い。
その視線の先には別の男が居た。
男もまた、魅琴を追って事故現場へとのこのこやって来たのだ。
「みっともなく取り乱して何事かと思えば、死んだのかね、久住双葉が……」
武装戦隊・狼ノ牙の首領Дこと道成寺太――双葉と千果を襲った男である。
「我輩の愚かな娘に感化された代償、莫迦の末路と言ったところだね」
「何……?」
魅琴は道成寺の下卑た笑みを睨み付けた。
道成寺は構わず続ける。
「身の程知らずにも余計なことに首を突っ込まなければ、我輩から陽子を引き剥がそうとしなければ、平穏な日々に戻れたものを。しかし、御陰で陽子は我輩の下から離れてしまった。その責で我輩の孕み袋にしてやろうとしたのに、この様かね。見たところ、さっきの女と揉めたんだろうね。何せ、久住双葉はその女を犠牲にして逃げたのだからね」
「何だと……?」
魅琴の腹の中から沸々と厭悪が込み上げてきた。
目の前の男は、間接的に双葉を死へ追い遣った男だ。
無論、因果関係は希釈されている。
だがそれでも、この男は双葉に悲惨な運命を運んできた人間の一人に違い無い。
その男が、双葉を侮辱している。
何よりもそれが許せない。
そんな魅琴の胸中など露知らぬといった調子で、道成寺は更に暴言を並べる。
「まあ良い。彼女はあまり元気な子を産むのに適した体ではなかった、女としての価値に乏しい、妥協の選択肢に過ぎなかった。特段惜しくもないね」
「黙れ……」
「その点、君は実に素晴らしい! その美貌・肉体、まさに芸術品と言って良いだろう! 完璧なまでに美しい! 我輩の子を産み、革命の意志を未来へ繋ぐに相応しい器だ!」
道成寺は臆面も無く魅琴に問い掛ける。
「どうするね、麗真魅琴? 我輩の子を産むというなら、狗の民族としての罪業を免責してやっても良いが?」
魅琴は答えない。
ただただ、厭悪に満ちた視線を道成寺に向け続けている。
答えとしてはそれで充分だ。
今、魅琴は逆に冷静さを取り戻していた。
氷の様な冷徹さ、冷酷さが彼女の脳を思考させる。
目の前の男をどうやって痛め付け、破壊するのが相応しいだろうか。
無反応の魅琴を前に、道成寺は下卑た笑みに顔を歪めた。
「同意無し、か……。それは拒絶かね? それとも、力尽くで従わされるのがお好みなのかね?」
「力尽く……?」
今度は魅琴が笑った。
相手の言葉が余りに滑稽に聞こえて思わず、と言ったところか。
その怒りに満ちた攻撃性は、どちらかというと「嗤った」の方が適切だろうか。
「この私を力尽くで従わせるって? お前が? やってみろよ。出来るものならな」
「グフフフフ……」
その時、道成寺の体からどす黒い放射物が立ち上がった。
風が慟哭し、冥雲が天に渦巻く。
凄まじいまでの神為が道成寺から溢れ出ていた。
「君は我輩がどれ程の力を得たか知らんだろう。穢詛禍終を手にしてから、我輩の神為は指数関数的に膨張しているのだよ。最早、八月の頃とは全くの別次元! 否、つい先日と比較しても、遙かな高みに上り詰めている!」
道成寺は手に「くの字」型の大剣を形成し、その鋒を魅琴に向けた。
「対する君は神皇との戦いで瀕死の重傷を負い、神為を失っている! 生まれついての神為持ちは、一度神為を喪失すると恢復にはかなりの時を要する! 知っているのだよ、我輩も君と同類だからね! 要するに、今の君が全く神為を使えんことなどお見通しという訳だ!」
彼の言うことは正しい。
魅琴は今、神為が全く使えないのだ。
しかも、彼女にとって悪条件はそれだけではなかった。
「もう一つ教えておこう。これは八社女首領補佐から聞いた話だが、君は先程まで誰か別の相手と戦っていて、二連戦だそうだね。八社女は最初からその男の後に我輩を君にぶつける算段だったということだ。そして君は、先程の相手がただやられるだけで、我輩の為に何ら策を残していないとでも思っているのかね?」
魅琴は言われるまでもなく実感していた。
今、魅琴の力は大きく削ぎ落とされている。
おそらく、推城朔馬との戦いで何らかの弱体化策を講じられたのだろう。
彼女は本領を発揮するには余りにも程遠い状態に置かれていた。
「笑みが消えたね。不安なのかね? まあ、仕方の無い話だ。我輩が相手なのだからね」
道成寺は大剣を振り上げ、肩に担いだ。
魅琴の艶やかな黒髪が僅かに切れて宙を舞う。
「良いかね、我輩は嘗て一国をも力尽くで手に入れた男だ! 異なる世界とはいえ、君が必死扱いて守ろうとした日本をだ! そしてついこの間も、皇族達を力尽くで死へと追い遣った! 神皇でさえもね! 我輩の力尽くとは、そういう確固たる実績があるのだよ! そして君が守ろうとしたこの国で、我輩は再び力を蓄える! 穢詛禍終に依って圧倒的に神為を増し、今度こそ皇國を、日本という国家を亡き者としてくれる! 神皇よりも我輩が、道成寺公郎の方が上等だと証明するのだ! 血筋の権威に胡坐を掻く連中よりも、我輩の方が圧倒的に傑物で、歴史に名を残すに相応しいとね! 穢らわしい狗の民族性、劣等文化精神を浄化し、真の革命国家を築き上げてなァ!」
最後の一人にまで追い詰められた今なお、道成寺の中には狂気の野望が燃え続けている。
それは寿命を迎えた星が最後に見せる激しい輝きだろうか。
その爆発によって魅琴をも呑み込んでしまおういうのか。
「言い残す言葉はそれだけで良い?」
魅琴は構えた。
何にせよ、魅琴には道成寺を許せない理由がある。
如何に自分にも非があるとはいえ、掛け替えのない友であった久住双葉の死はこの男が齎したも同然である。
銀杏並木がざわついている。
嘗て航と魅琴、そして双葉の三人が談笑しながら下校した街道で、二人の戦いの火蓋が切られようとしていた。