午後の光が差し込んでいる。
目を覚ました道成寺太の目に初めて映ったのは、石造りの白い鳥居だった。
両脇には獅子狛犬が鎮座している。
秋の風が木々をざわめかせ、暗く分厚い雲が空を埋めていた。
(神社……だと……? 忌々しき日本風俗の象徴的施設……! 何故我輩が、よりにもよってこんな所に……)
道成寺は朧気な記憶を辿る。
首領補佐・八社女征一千の助言を受け、自らの魂を未来へ繋ぐ為の子を産ませる女として、久住双葉を手に入れようとした筈だった。
しかし、そこで邪魔が入った。
(そうだ! あの女、麗真魅琴……! 我輩はあの化物に……!)
全てを思い出した道成寺は、同時に全身の痛みを自覚した。
為す術も無く打ちのめされた体は、僅かに動かすだけで激痛に苛まれ、満足に起き上がることも出来ない。
寝返るだけでも苦痛で脂汗が滴り落ちる。
「はぁーっ……はぁーっ……」
道成寺は焦っていた。
つい先程まで気絶していたこと、大怪我が治り切っていないこと。
そこから一つ、自らが置かれた状況に対する確信が生まれる。
(拙い、拙いぞ。神為が失われておる。か、隠れなくては……! 神為が戻るまで、何処かに身を潜めて大人しくしていなくては……!)
道成寺太は生まれながらの神為の使い手である。
彼自身が言っていたとおり、このような人間は東瀛丸を必要としない代わりに、一度神為を失うとその回復に長期間を要する。
当分の間、彼は唯の人間として超人的な力の一切に頼らず逃げ続けなければならない。
(ぐぅぅぅあの女め、滅茶苦茶に暴行してくれおってぇ。這って動くだけで全身が悲鳴を上げておるではないか。だがしかし、しくじりおったな。遠くへ蹴り飛ばしてくれた御陰で、逃げられんこともなさそうだ……)
ずりずりと、身長一九〇糎の男が芋虫の様に這いずっている。
彼はどうにか狛犬の傍らまで辿り着いた。
(一先ず……このまま匍匐前進では日が暮れてしまう。何でも良いから支えにして立ち上がり、歩いて潜伏先を探さなくては……。まあ、この状態でも年寄りなら簡単に始末出来る。一人暮らしの老人の家を奪い取ってしまえば良い)
道成寺は狛犬の台座にしがみ付き、全身の苦痛に顔を歪めながら、ゆっくりと立ち上がろうとする。
「ぐぐぐっ……! はぁーっっ……! はぁぁーっっ……!」
台座に血と汗が滴り落ちる。
清浄なる神域を穢しているこの状況、普段の彼なら愉悦に夢心地であろうが、今はそれどころでは全く無い。
悲鳴を上げる四肢に無理矢理喝を入れ、生まれ立ての子鹿の様に震えながら、必死の思いで体を動かす。
道成寺は狛犬に体を預けながら、どうにか起き上がった。
(悔しいが、あの化物女を正面から斃すのは不可能と認めざるを得ん。だが我輩には無限に転生を繰り返す能力がある。あの女も今の神皇も寿命を終えるまで世代を経て、その時こそを革命成就の時とするのだ。今は臥薪嘗胆、我慢の時……!)
道成寺はゆっくりと足を擦り動かし、歩き出そうとする。
しかし、その時だった。
彼の背後に、猛然と駆けて来る小さな影があった。
そして、次の瞬間。
「うわぁっ!?」
突如、道成寺は犬に激しく吠えられた。
驚いた彼は足を滑らせ、辛うじて狛犬にしがみ付いた。
後を向くと、そこには大きな傷を負った黒い大型犬だった。
犬種はおそらくドーベルマンである。
「こらミッキー! 何やってるの!」
飼い主らしき中年の女が慌てて駆け寄ってくる。
どうやらリードを振り切られてしまったらしい。
愛犬が突然走り出し、見ず知らずの他人に激しく吠えだしたとあっては、嘸かし驚いていることだろう。
否、彼女にとって道成寺は決して「見ず知らず」ではなかった。
彼の顔を見た瞬間、彼女は愛犬が突如このような行動に出た理由を理解して瞠目した。
ボロボロになってはいるが、特徴的な髭面は誤魔化しようが無い。
「ど、道成寺……太……!」
「ぐっ、この婆!」
彼女の正体は二井原椛、道成寺が自ら拉致した少女・二井原雛火の母親である。
愛犬「ミッキー」は、その際道成寺に大怪我をさせられていた。
それで、ミッキーは道成寺のことを覚えていたのだ。
道成寺は焦っていた。
椛一人だけならどうにでもなるが、大型犬は厄介だ。
普段ならいざ知らず、神為を失って満身創痍の今では蹴散らすことなど出来ない。
「け、警察に! 一一〇番!」
「おいやめろ婆! ブチ殺すぞ!」
椛はスマートフォンを取り出した。
道成寺は焦る余り、紳士を装う鍍金が剥げて野卑な罵詈雑言を吐いてしまう。
今警察を呼ばれては一巻の終わりである。
「退け、この犬!」
道成寺は犬を蹴ろうと足を出す。
だが達人級の武術は見る影も無く、情けない蹴りが地面を打つばかりだった。
「ひぎぃっ!」
当然、足からは激痛が上ってくる。
道成寺は涙目で狛犬にしがみ付かざるを得なかった。
「あっちだ! 居たぞ!」
そして、通報するまでも無く数人の警察官が駆け寄ってきた。
麗真魅琴の要請で、この近辺には既に捜査官が配備されていたのだ。
(ま、拙いっ……! 拙いぞぉぉぉっっ!)
道成寺は焦燥から心臓を激しく動悸させ、体中から汗を噴き出させた。
神為を失ったばかりか大怪我を負っている今の彼では、警官を制することなど到底不可能だ。
道成寺は狛犬にしがみ付きながら、どうにか裏側に回り込もうとする。
何の意味も無いが、最早彼にはそれが精一杯だった。
「お巡りさん、こっち! こっちです!」
「御婦人、危ないですから離れてください!」
数人の警官が道成寺の許へ駆け寄って取り囲む。
その際、椛は退避の指示に従ってその場を離れた。
彼女の愛犬も、大柄な警官に抱えられて椛に引き渡される。
「道成寺太、大人しくしろ!」
「我輩に近寄るな!」
道成寺は半狂乱となり、口角泡を飛ばして喚き散らしていた。
「貴様らに我輩に手を出す権限は無い! 逮捕には令状が必要な筈だ!」
「逮捕状なら既にあるわよ」
警官達の後から、一人の女が歩み寄ってきた。
「き、貴様は……!」
「久し振りね、道成寺太」
繭月百合菜が道場寺に向けて逮捕状を突き付けた。
「貴方が監禁していた別府幡黎子さんの証言に拠り、雑居ビル乗取りに際して多数の人間を殺害していることが判っているわ。その他、不法入国から邦人拉致監禁まで多くの容疑が掛かっている。裁判所も迅速に逮捕を認めてくれたという訳よ」
「なっ……! くっ……!」
道成寺は何も言い返せなかった。
彼は雑居ビルを棄てる際、殺害した遺体を放置して逃走している。
つまり、現場には彼が大量殺人を犯した証拠がそのまま残っているに違いなかった。
「そういう訳だ。道成寺、お前を連行する」
「ふざけるな! こんなことが……こんなことが許される訳が無い! 日本民族の浄化と真の革命に八十年も心血を注いできた我輩が! 悪を正すことだけを考え生きてきた我輩が! こんな目に遭って良い筈が無い!」
「話は署で聞く」
「喧しい! 我輩は行かんぞ! 此処から梃子でも動かんぞぉっ!」
道成寺は狛犬の後に隠れた。
騒ぎに顔を出した宮司が怪訝そうな顔でこの滑稽な様子を見ている。
神域を穢れと喧噪に侵され、嘸かし迷惑に違い無い。
「どうします、繭月特別警察官」
「確保しましょう。見てのとおり、今の彼は無力化されています。通常の対処で問題ありません」
繭月の言葉を受け、警官達は互いに顔を見合わせて頷いた。
「良し、容疑者確保!」
警官達が道成寺の体を掴み、狛犬から引き離そうと引張る。
道成寺は首を振り、駄々を捏ねる幼児の様に喚き散らす。
「やめろぉぉぉっ! 我輩に触れるなぁぁぁっっ! やめろぉぉぉっっ!! あああああああっっ! ああああああああああっっ!!」
全力を振り絞って狛犬にしがみ付く道成寺だったが、抵抗虚しくその腕は引き剥がされた。
血塗られた長い両腕が娑婆を名残惜しむ様に空を切る。
そして、警官の一人が手錠を掲げた。
鳥居から降り注ぐ陽光が金属に反射し、ある種の神々しさすら感じさせる。
「あああぁぁやめろぉぉおおおぉっっ!! このっっ……狗共があああああああっっ!!」
道成寺の腕に手錠が掛かった。
皇國を革命しようとした彼は、この異国の地で単なる凶悪犯罪者として逮捕された。
「十四時三十分、容疑者確保」
そしてそのまま通常の法に則って裁かれ、二度と皇國の地を踏むことは無いだろう。
今此処に、武装戦隊・狼ノ牙は完全なる崩壊を喫した。
嘗て皇國の地にヤシマ人民民主主義共和国を建国した男・道成寺公郎。
その孫にして転生者・道成寺太は長年に亘って再度の革命を目指し、武装戦隊・狼ノ牙を率いて数々の狼藉を働いてきた。
しかしその末路は、斯くも惨めで無様なものとなった。