日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第九十六話『無様』 序

 午後の光が差し込んでいる。

 目を覚ました道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)の目に初めて映ったのは、石造りの白い鳥居だった。

 両脇には獅(し)子(し)狛(こま)犬(いぬ)が鎮座している。

 秋の風が木々をざわめかせ、暗く分厚い雲が空を埋めていた。

 

(神社……だと……? 忌々しき日本風俗の象徴的施設……! 何故(なぜ)我輩が、よりにもよってこんな所に……)

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は朧(おぼろ)気(げ)な記憶を辿(たど)る。

 首領補佐・八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)の助言を受け、自らの魂を未来へ繋(つな)ぐ為(ため)の子を産ませる女として、久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)を手に入れようとした筈(はず)だった。

 しかし、そこで邪魔が入った。

 

(そうだ! あの女、麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)……! 我輩はあの化物に……!)

 

 全てを思い出した道(どう)成(じよう)寺(じ)は、同時に全身の痛みを自覚した。

 為(な)す術(すべ)も無く打ちのめされた体は、僅(わず)かに動かすだけで激痛に苛(さいな)まれ、満足に起き上がることも出来ない。

 寝返るだけでも苦痛で脂汗が滴り落ちる。

 

「はぁーっ……はぁーっ……」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は焦っていた。

 つい先程まで気絶していたこと、大(おお)怪(け)我(が)が治り切っていないこと。

 そこから一つ、自らが置かれた状況に対する確信が生まれる。

 

(拙(まず)い、拙(まず)いぞ。神(しん)為(い)が失われておる。か、隠れなくては……! 神(しん)為(い)が戻るまで、何(ど)処(こ)かに身を潜めて大人しくしていなくては……!)

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)は生まれながらの神(しん)為(い)の使い手である。

 彼自身が言っていたとおり、このような人間は東(とう)瀛(えい)丸(がん)を必要としない代わりに、一度神(しん)為(い)を失うとその回復に長期間を要する。

 当分の間、彼は唯(ただ)の人間として超人的な力の一切に頼らず逃げ続けなければならない。

 

(ぐぅぅぅあの女め、滅(め)茶(ちや)苦(く)茶(ちや)に暴行してくれおってぇ。這(は)って動くだけで全身が悲鳴を上げておるではないか。だがしかし、しくじりおったな。遠くへ蹴り飛ばしてくれた御(お)陰(かげ)で、逃げられんこともなさそうだ……)

 

 ずりずりと、身長一九〇糎(センチ)の男が芋虫の様に這いずっている。

 彼はどうにか狛犬の傍らまで辿(たど)り着(つ)いた。

 

(一(ひと)先(ま)ず……このまま匍(ほ)匐(ふく)前(ぜん)進(しん)では日が暮れてしまう。何でも良いから支えにして立ち上がり、歩いて潜伏先を探さなくては……。まあ、この状態でも年寄りなら簡単に始末出来る。一人暮らしの老人の家を奪い取ってしまえば良い)

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は狛犬の台座にしがみ付き、全身の苦痛に顔を歪(ゆが)めながら、ゆっくりと立ち上がろうとする。

 

「ぐぐぐっ……! はぁーっっ……! はぁぁーっっ……!」

 

 台座に血と汗が滴り落ちる。

 清浄なる神域を穢(けが)しているこの状況、普段の彼なら愉悦に夢心地であろうが、今はそれどころでは全く無い。

 悲鳴を上げる四肢に無(む)理(り)矢(や)理(り)喝(かつ)を入れ、生まれ立ての子鹿の様に震えながら、必死の思いで体を動かす。

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は狛犬に体を預けながら、どうにか起き上がった。

 

(悔しいが、あの化物女を正面から斃(たお)すのは不可能と認めざるを得ん。だが我輩には無限に転生を繰り返す能力がある。あの女も今の神(じん)皇(のう)も寿命を終えるまで世代を経て、その時こそを革命成(じよう)就(じゆ)の時とするのだ。今は臥(が)薪(しん)嘗(しょう)胆(たん)、我慢の時……!)

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)はゆっくりと足を擦り動かし、歩き出そうとする。

 しかし、その時だった。

 彼の背後に、猛然と駆けて来る小さな影があった。

 そして、次の瞬間。

 

「うわぁっ!?」

 

 突如、道(どう)成(じよう)寺(じ)は犬に激しく吠(ほ)えられた。

 驚いた彼は足を滑らせ、辛うじて狛犬にしがみ付いた。

 後を向くと、そこには大きな傷を負った黒い大型犬だった。

 犬種はおそらくドーベルマンである。

 

「こらミッキー! 何やってるの!」

 

 飼い主らしき中年の女が慌てて駆け寄ってくる。

 どうやらリードを振り切られてしまったらしい。

 愛犬が突然走り出し、見ず知らずの他人に激しく吠えだしたとあっては、嘸(さぞ)かし驚いていることだろう。

 

 否(いや)、彼女にとって道(どう)成(じよう)寺(じ)は決して「見ず知らず」ではなかった。

 彼の顔を見た瞬間、彼女は愛犬が突如このような行動に出た理由を理解して瞠(どう)目(もく)した。

 ボロボロになってはいるが、特徴的な髭(ひげ)面(づら)は誤(ご)魔(ま)化(か)しようが無い。

 

「ど、道(どう)成(じよう)寺(じ)……太(ふとし)……!」

「ぐっ、この婆(ばばあ)!」

 

 彼女の正体は二(に)井(い)原(はら)椛(もみじ)、道(どう)成(じよう)寺(じ)が自ら拉致した少女・二(に)井(い)原(はら)雛(ひな)火(び)の母親である。

 愛犬「ミッキー」は、その際道(どう)成(じよう)寺(じ)に大怪我をさせられていた。

 それで、ミッキーは道(どう)成(じよう)寺(じ)のことを覚えていたのだ。

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は焦っていた。

 椛(もみじ)一人だけならどうにでもなるが、大型犬は厄介だ。

 普段ならいざ知らず、神(しん)為(い)を失って満(まん)身(しん)創(そう)痍(い)の今では蹴散らすことなど出来ない。

 

「け、警察に! 一一〇番!」

「おいやめろ婆(ばばあ)! ブチ殺すぞ!」

 

 椛(もみじ)はスマートフォンを取り出した。

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は焦る余り、紳士を装う鍍金(めっき)が剥(は)げて野卑な罵(ば)詈(り)雑(ぞう)言(ごん)を吐いてしまう。

 今警察を呼ばれては一巻の終わりである。

 

「退(ど)け、この犬!」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は犬を蹴ろうと足を出す。

 だが達人級の武術は見る影も無く、情けない蹴りが地面を打つばかりだった。

 

「ひぎぃっ!」

 

 当然、足からは激痛が上ってくる。

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は涙目で狛犬にしがみ付かざるを得なかった。

 

「あっちだ! 居たぞ!」

 

 そして、通報するまでも無く数人の警察官が駆け寄ってきた。

 麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)の要請で、この近辺には既に捜査官が配備されていたのだ。

 

(ま、拙(まず)いっ……! 拙(まず)いぞぉぉぉっっ!)

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は焦燥から心臓を激しく動(どう)悸(き)させ、体中から汗を噴き出させた。

 神(しん)為(い)を失ったばかりか大怪我を負っている今の彼では、警官を制することなど到底不可能だ。

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は狛犬にしがみ付きながら、どうにか裏側に回り込もうとする。

 何の意味も無いが、最(も)早(はや)彼にはそれが精一杯だった。

 

「お巡りさん、こっち! こっちです!」

「御婦人、危ないですから離れてください!」

 

 数人の警官が道(どう)成(じよう)寺(じ)の許(もと)へ駆け寄って取り囲む。

 その際、椛(もみじ)は退避の指示に従ってその場を離れた。

 彼女の愛犬も、大柄な警官に抱えられて椛(もみじ)に引き渡される。

 

「道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)、大人しくしろ!」

「我輩に近寄るな!」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は半狂乱となり、口角泡を飛ばして喚(わめ)き散らしていた。

 

「貴様らに我輩に手を出す権限は無い! 逮捕には令状が必要な筈だ!」

「逮捕状なら既にあるわよ」

 

 警官達の後から、一人の女が歩み寄ってきた。

 

「き、貴様は……!」

「久し振りね、道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)」

 

 繭(まゆ)月(づき)百(ゆ)合(り)菜(な)が道場寺に向けて逮捕状を突き付けた。

 

「貴方(あなた)が監禁していた別(びゅ)府(う)幡(まん)黎(れい)子(こ)さんの証言に拠(よ)り、雑居ビル乗取りに際して多数の人間を殺害していることが判(わか)っているわ。その他、不法入国から邦人拉致監禁まで多くの容疑が掛かっている。裁判所も迅速に逮捕を認めてくれたという訳よ」

「なっ……! くっ……!」

 

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は何も言い返せなかった。

 彼は雑居ビルを棄(す)てる際、殺害した遺体を放置して逃走している。

 つまり、現場には彼が大量殺人を犯した証拠がそのまま残っているに違いなかった。

 

「そういう訳だ。道(どう)成(じょう)寺(じ)、お前を連行する」

「ふざけるな! こんなことが……こんなことが許される訳が無い! 日本民族の浄化と真の革命に八十年も心血を注いできた我輩が! 悪を正すことだけを考え生きてきた我輩が! こんな目に遭って良い筈が無い!」

「話は署で聞く」

「喧(やかま)しい! 我輩は行かんぞ! 此(こ)処(こ)から梃(て)子(こ)でも動かんぞぉっ!」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は狛犬の後に隠れた。

 騒ぎに顔を出した宮(ぐう)司(じ)が怪(け)訝(げん)そうな顔でこの滑稽な様子を見ている。

 神域を穢れと喧(けん)噪(そう)に侵され、嘸かし迷惑に違い無い。

 

「どうします、繭(まゆ)月(づき)特別警察官?」

「確保しましょう。見てのとおり、今の彼は無力化されています。通常の対処で問題ありません」

 

 繭(まゆ)月(づき)の言葉を受け、警官達は互いに顔を見合わせて頷(うなず)いた。

 

「良し、容疑者確保!」

 

 警官達が道(どう)成(じよう)寺(じ)の体を掴(つか)み、狛犬から引き離そうと引張る。

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は首を振り、駄(だ)々(だ)を捏(こ)ねる幼児の様に喚き散らす。

 

「やめろぉぉぉっ! 我輩に触れるなぁぁぁっっ! やめろぉぉぉっっ!! あああああああっっ! ああああああああああっっ!!」

 

 全力を振り絞って狛犬にしがみ付く道(どう)成(じよう)寺(じ)だったが、抵抗虚(むな)しくその腕は引(ひ)き剥(は)がされた。

 血塗られた長い両腕が娑(しや)婆(ば)を名(な)残(ごり)惜しむ様に空を切る。

 

 そして、警官の一人が手錠を掲げた。

 鳥居から降り注ぐ陽光が金属に反射し、ある種の神(こう)々(ごう)しさすら感じさせる。

 

「あああぁぁやめろぉぉおおおぉっっ!! このっっ……狗(いぬ)共があああああああっっ!!」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)の腕に手錠が掛かった。

 皇(こう)國(こく)を革命しようとした彼は、この異国の地で単なる凶悪犯罪者として逮捕された。

 

「十四時三十分、容疑者確保」

 

 そしてそのまま通常の法に則(のつと)って裁かれ、二度と皇(こう)國(こく)の地を踏むことは無いだろう。

 今此(こ)処(こ)に、武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)は完全なる崩壊を喫した。

 

 嘗(かつ)て皇(こう)國(こく)の地にヤシマ人民民主主義共和国を建国した男・道(どう)成(じよう)寺(じ)公(きみ)郎(お)。

 その孫にして転生者・道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)は長年に亘(わた)って再度の革命を目指し、武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)を率いて数々の狼(ろう)藉(ぜき)を働いてきた。

 しかしその末路は、斯(か)くも惨めで無(ぶ)様(ざま)なものとなった。

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