魅琴は街道で、警察の聴取を受けていた。
久住双葉の遺体は既に警察に引き取られ、また曽良野千果は事故の重要参考人として任意同行を求められ、その場を後にしている。
魅琴に対しても、これから詳しい説明を警察署で改めて求められるところだ。
そんな時、魅琴のスマートフォンに根尾弓矢からの着信が入った。
彼女は警察から許可を得て、電話に出る。
「もしもし」
『たった今、繭月君から連絡が入った。道成寺太が逮捕されたよ』
「そうですか……」
魅琴は目を閉じた。
目蓋の裏には嘗ての日々が、高校時代に双葉も含めた三人でこの道を歩いた思い出が映し出される。
あの頃の日々は過ぎ去り、二度と戻っては来ないのだろう。
彼女に出来たことは、それを奪い去った者に落とし前を付けさせたことくらいである。
「お力添えありがとうございます」
『それは此方の台詞だ。これで武装戦隊・狼ノ牙は壊滅。唯一残された首領補佐・八社女征一千は、最早日本国で活動しないだろう。この後、道成寺父子の神為に処置を施せば、一旦我々の仕事は終わりだ』
「特別警察特殊防衛課の廃止に間に合って良かったです」
『ああ。椿陽子と道成寺陰斗は扶桑丸投与の後、それぞれ警察署と病院に搬送されている。道成寺太については、此方で一旦東瀛丸を投与した後、扶桑丸で神為を除去する。生まれながらの神為使いは一度東瀛丸を使えば今後は投薬無しに神為を得られなくなる。これを即座に扶桑丸で打ち消してしまえば、奴には二度と神為は戻らない』
「そうですね……」
皇國では、神為を使う犯罪者に対して扶桑丸を投与するが、その方法は三通りある。
一つは呼気による吸引、もう一つは血管注射であり、自発的に服用されることは稀だ。
日本国でも同じような方法が採用されているが、それも特殊防衛課の廃止と共に無くなるだろう。
「道成寺の件、後は宜しくお願いします。私は引き続き、警察の取り調べを受けます」
『解った。君の取り調べの件、手短に済ませるよう俺からも連絡を入れておく』
「ありがとうございます。では、失礼します」
魅琴は電話を切った。
(道成寺太、お前には革命家としての死など与えられない。一人の醜悪な犯罪者として、皇國とは無関係な外国の地で法に則って極刑に処される最期こそ相応しい)
魅琴は敢えて、道成寺太を一般の警察に逮捕させることを選んだ。
偏に、彼の思想と半生の全てを否定する為だ。
罪も無い人を殺めて愧じない程に歪み、道を踏み外してしまった男が、初心に殉じることなど許せなかった。
彼女の「邪悪な獣」としての本性が、道成寺という男の生き方を徹底して辱めることを望んだのだ。
「お待たせしました。では、行きましょうか」
魅琴は警察と同行すべく歩き出そうとする。
とその時、彼女は背後から声を掛けられた。
「魅琴」
「あ……」
振り向くと、彼女の方へ岬守航が駆け寄ってきていた。
何やら事件に巻き込まれたらしく、服がボロボロで傷も負っている。
戦いの中で神為が尽きる程に追い詰められたのだろう。
「航、どうしたの?」
「うん、ちょっとね……」
航は何があったかは皆まで言わない。
心配を掛けさせまいと、強がっているのだろう。
そういえば、昔にもこのような遣り取りをしたことがある。
高校が崇神會廻天派に襲撃されたときも、解放された航は自身に起きたことをこうやってはぐらかしていた。
熟々、今日はあの時のことを思い出させる。
魅琴はあの日と同じ秋の風を感じていた。
「君と根尾さんの電話を聞いたよ。居ても立ってもいられなくなったんだ。それで、根尾さんから例の喫茶店だって聞いてさ、すぐにバイクを飛ばしてきたんだ」
ふと、魅琴は自分が安堵していることに気が付いた。
傷付いた航が何故か大きな存在感を持って、確りと立っているように見える。
(そうか……私は弱っていた……)
思えば今、魅琴は非常に感傷的になっている。
それこそ、皇國で航と別れた時に似ている。
自覚していなかったが、彼女は双葉の死によって余りにも大きな傷を負っていたのだ。
道成寺を執拗に痛め付けたのは、その傷に見合うように釣り合いを取ろうとしたのかも知れない。
「あの、すみません」
航も何かを察したのか、警察に声を掛ける。
「この事情聴取って任意ですよね? 出来れば少し時間を置いてもらえませんか? 今は色々と大変だと思うので……」
警察官は航の言葉を受け、無線で連絡を取った。
連絡を終えた警察官は二人に答える。
「解りました。後日またお話し願います」
「ありがとうございます。あの、此処で言うのも難ですが、彼女の行動は特殊防衛課としての活動の一環で、担当案件の犯人無力化の為に必要な措置だったことは承知しておいてください。損害も特殊防衛課向けの予算で補填される筈なので……」
「解っていますよ。その件は先程本人から説明されていますので」
魅琴は航の対応が、というよりも一連の行動が有難かった。
己が無事ではないにも拘らず、魅琴自身も気付いていなかった精神の摩耗を案じて駆け付けてくれたのだ。
「ありがとう、航」
魅琴は心から航に感謝を伝えた。
そんな彼女の様子に驚いたのか、航は目を見開いて傍に寄って来る。
「魅琴、大丈夫か?」
「大丈夫じゃない様に見えるのね……」
航の推察は当たっている。
喪失の虚無感が魅琴を蝕み、心が体を離れてしまいそうだ。
航の存在が、彼女をこの場所に押し止めていた。
「ごめんなさい航、ほんの少しだけ胸を貸して……」
魅琴は航の胸に体を預けた。
彼の鼓動、それと抱き返してきた腕が、物悲しい秋風に冷えた体を温める。
今、魅琴は航の存在を頼りに心を支えている。
恋人になって以来、彼のことを心強く感じることが増えたように思える。
裸の街路樹と道路に散り積もった銀杏の黄葉が、喪失の侘しさを彩っている。
二人はそんな中、失ってしまった大切な者を想いながら身を寄せ合う。
双葉はこんな二人を許してくれただろうか。
いつかまた、彼女の魂と友人として巡り会えるのだろうか。
「帰ろう、魅琴。此処はちょっと冷えるよ」
「ええ、そうね。ありがとう……」
暫し、二人は互いに寄り添った。
来年にはまた季節が巡り、美しい黄葉が新たな人々の青春を包むように願いながら……。
⦿⦿⦿
椿陽子はソファの上で目を覚ました。
食器や書物、書類が山積みになっている薄暗い居間――彼女の他には唯一人、虻球磨新兒だけが椅子に座っている。
彼はスマートフォンを片手に陽子の方を窺っており、彼女の目覚めに気付いた彼は食卓の上にそれを置くと、敷かれたティッシュを畳んで摘まみ上げた。
「漸くお目覚めか、椿。心配させやがって」
「心配? 電話端末を弄って、暇そうに見えたけど?」
「莫迦、全然起きないんで大丈夫かどうか調べてたんだよ」
陽子は周囲を窺う。
間違い無く新兒一人、他には誰も居ない。
これならば上手く隙を突いて逃げることも不可能ではない――今までの陽子ならそう考えていた。
「陰斗は?」
「ああ、お前が寝ている間に連絡があったぜ。なんとか扶桑丸を飲ませられたみたいだ。同時に眠っちまったから病院に送ったらしいけどな。だが命に別状はねえんだと」
「そうか……良かった……」
「いや、どうだろうな……」
新兒はばつが悪そうに呟いた。
「隠しても後で知ったら余計に辛いだろうからな、先に言っとくよ。命に別状は無いが、その代わり心のダメージが酷いらしい。さっきは眠っちまったって言ったけど、意識を失っちまっていつ目を覚ますか判らないんだと」
「なっ……!?」
衝撃的だった。
陽子はずっと、弟を父親から自由にしたう一心で不本意ながら狼ノ牙に協力してきた。
その結果、弟は醒めない眠りに落ちてしまったというのだ、落胆は凄まじいものがあるだろう。
「そんな……嘘だ……」
「俺だって嘘だと思いてえよ!」
新兒は食卓を拳で叩いた。
「なんであいつらはいつも誰かの大切な家族を、幸福な人生を奪うんだよ! 何が革命だ! 世の中を変えたいなら目の前に居る不幸な誰かに手を差し伸べて救ってやれよ! 不幸ばっかりばら撒きやがってよ!」
陽子は今、新兒の怒りに胸を締め付けられる想いだった。
自分の為に、弟の為に怒ってくれているのは解る。
しかしそこには、自身の家族を奪われた怒りも重なっている。
狼ノ牙に加担してきた彼女にとって、自責の念に堪えるのは困難だった。
「これは……私への罰かもな。貴方の言うとおりだよ。弟が全てだと言って、平気な顔をして悪事に荷担してきたんだ。その私達に対して、当然の結末なのかも知れない……」
「何言ってんだよ、お前」
新兒は陽子の方を向いた。
その眼は怒りでも憎しみでもなく、強い決意の光りが宿っている。
「いつ目を覚ますか判らないってだけで、永遠に眠っちまったって訳じゃねえんだ。俺は諦めねえぞ」
「え?」
「俺はお前の弟がいつか目を覚ますと、ずっと信じて待ち続ける。だからお前も諦めるんじゃねえ」
陽子は驚きを禁じ得なかった。
一体何が新兒にそこまで言わせるのか、単なる同情と感傷にしては重過ぎる言葉だ。
それでいて、新兒の眼は決して事を軽く見てはいない。
自分が何を言っているか、確りと認識した上で強い決意に燃えている。
「貴方、どうしてそこまで……」
「取り戻してえんだよ、あいつらから。奪われっ放しなんか胸糞悪いじゃねえか。何か一つくらい、あいつらに奪えなかったものがあっても良い筈だ。じゃなきゃ神も仏も無いにも程がある。俺は信じてえんだよ、この世の救いって奴を……」
救い――陽子の胸にその言葉が強く響いた。
以前ならば、そんな概念になど見向きもしなかっただろう。
所詮この世は地獄、全ては自分でなんとかしなければならないのだと、そう信じていた。
しかし、大き過ぎる絶望を経た新兒は、それでも尚この世に希望を抱き続けようとしている。
「莫迦には敵わないな、全く……」
「莫迦とはなんだよ、莫迦とは」
「いや、『ありがとう』ってことだよ」
今、陽子の心には絶望の暗雲が立ち込めながら、それでもほんの少しだけ晴れ間が差していた。
新兒が作ってくれたそれを、陽子もまた信じたいと思った。
アラン曰く、悲観主義は気分に依るものだが、楽観主義は意志に因るものだとのことだ。
凄まじく打ちのめされて尚、この世に救いを信じる姿――それが「意志」の具現化であることは間違い無かった。
「ところでさ、虻球磨」
陽子は新兒に手を差し出した。
「何だよ、その手は?」
「いや、そのティッシュに包んだのは扶桑丸だろ? 早くそれをくれよ。飲ませるんだろ、私に?」
「あ、そうか……」
新兒はティッシュを陽子に差し出した。
陽子は苦笑しながらそれを受け取る。
「貴方って本当抜けてるよね」
「な、なんだよ」
「いや、良い奴だなって……」
陽子はティッシュの中の扶桑丸を躊躇わずに飲み込んだ。
「さ、飲んだよ。で、私を連行するんだろ?」
「あ、ああ。付いて来いよ」
「ふっ、『付いて来い』か……」
陽子は小さく微笑んで立ち上がった。
「良いよ。付いて行くとするよ、貴方に」
時刻は一四:四五、椿陽子は虻球磨新兒に任意同行し、出頭した。