十月十五日木曜日、元防衛大臣兼国家公安委員長・皇奏手の訃報は日本中に衝撃を与えた。
彼女の死因もまた瞬く間に伝わり、保守系の報道機関は彼女を「病を押して国を守った悲劇の英雄」として持ち上げ始めた。
「ああ、此方は大丈夫だ。良いから君は、今は麗真君の傍に居てやれ」
ホテルの一室で、根尾弓矢が岬守航と電話していた。
皇奏手の葬儀は十八日の日曜日に調整されている。
当日は魅琴や根尾といった身内、航を始めとした特別警察特殊防衛課の面々といった、直接関わりのあった者達の他、政界から多数の参列者が訪れることになっている。
根尾は出席者との調整に忙殺される中、航と魅琴を気に掛けて電話を掛けたのだ。
「ああ、それから皇國から派遣された和平交渉特使の貴族方は明日帰国の御予定だ。前日の今晩に送別の機会を設けるから顔を出してくれ。水徒端嬢や鬼獄嬢が最後に顔を見たがっている」
根尾はそう伝えると、航との電話を終えた。
「皇先生、どうにか講和は纏まりました。貴女の生様、大変お見事でした。政治家としての貴女の志は、自分が必ず継いで見せます……」
窓の外、澄んだ空に皇奏手の面影が浮かぶ。
彼もまた、彼女を師と仰ぎ大いなる薫陶を受けた。
直接的な親子関係ではないが、根尾弓矢もまた皇奏手を受け継ぐ者といえるだろう。
そんな彼が空を見上げて黄昏れていると、部屋の扉が叩かれた。
外から白檀揚羽が入室許可を求めている。
「今行く」
根尾は白檀を部屋へ迎え入れた。
「いやーやっと一段落付きましたよー」
「苦労を掛けるな、何かと」
「をやあ? 珍しく労ってくれますねえ?」
「そうだったか? そういう印象なら少し改めんとな。何か出そうか?」
「いえいえ、お構い無くー」
小卓の席に着く白檀に、根尾は水を出した。
「お冷やですかー」
「不服か? 一応、それなりのミネラルウォーターなのだが……」
「お酒とか無いんですかー?」
「……お前に気を遣ったのは間違いだったかな?」
二人の遣り取りは相変わらずだった。
「ところで白檀、雲野兄妹の様子はどうだ?」
「あー、なんか十桐様が凄く面倒を見てくれますねー。今も一緒に遊んでいますよー。なんだか、前の神皇陛下を思い出して放って置けないんでしょうかねー」
「そうか、有難い話だな。しかし、早い内に二人のこれからの事を決めねばならん。彼らは皇國に帰す訳にも行かんが、かと言って日本国にも身寄りが無い。早い内に何か考えてやらんと」
「私達と同じじゃ駄目ですかねー? ほら、皇先生の御母様がやっていた孤児院」
「俺も其処かなと思っている。ただ、本人達の希望も訊かんとな」
根尾はスマートフォンを弄りながら考え込んだ。
この間にも、彼は皇奏手の葬儀について色々と政界への根回しを進めなければならなかった。
そんな彼に、白檀は水を飲み干して事も無げに告げる。
「あ、そういえば双子、神為戻りましたよ」
「なっ!? お前そんな話をさらっと!」
根尾は慌ててスマートフォンを落としそうになった。
雲野幽鷹・雲野兎黄泉の兄妹は神皇の複製人間として強大な神為を備えている。
これは日本国にとって強力な手札だが、それだけに皇國としても無視し難く、扱いによっては次の火種になりかねない。
「十桐様には……もう知られてしまっているだろうな。講和の為だ、どうにか帰国後口外しないとの確約を得たい。彼女と話をせねばならんな」
根尾は白檀と共に十桐綺葉の客室へと向かった。
⦿⦿⦿
翌日・十月十六日金曜日、昼過ぎ。
警視庁の留置場に、虻球磨新兒が足を運んでいた。
椿陽子との面会の為である。
「変な気分だぜ、こっちの立場で此処に来るたぁよ……」
目的は差し入れと近況の報告である。
差し入れの品目は着替えと漫画本、それから僅かな現金であった。
「悪いな虻球磨、我儘を聞いてもらって」
「いや、こっちとしてももう少し良い服を持って来てやりてえんだがよ、相変わらず規則が厳しくてなあ……」
新兒には不良時代、喧嘩が元で留置所に入った経験がある。
それで、差し入れ可能な品目は大体把握していた。
陽子に渡された着替えは、簡単な上下のスウェットと地味な下着くらいだった。
「しかし意外だよな、椿。お前が漫画なんか読みたがるなんて……」
「あいつが、双葉が好きだったって聞いたからさ。今からでももっと知りたいんだ、あいつのことを」
双葉の死は取り調べの中で陽子に伝わっていた。
それから、父親の逮捕も。
彼女は留置所の中で、自分を縛り続けた柵が終わりを迎えたことを報されたのだ。
「双葉は……やっぱり私のせいで死んだのかな……?」
「流石にこじつけじゃねえか、それは? 関係あるっちゃあるかも知れねえけどよ」
「無関係とは……言えないか」
「いや、そういう意味じゃ……」
陽子は顔を青くして俯いた。
「前に親父から言われたことがあるんだ。『お前は本当に陰斗を探したかったのか』ってさ」
「どういうことだ?」
「心理学であるらしいんだ。人間は単に現状を変える為に行動するのであって、過去の記憶は実は動機にならない、ただそれっぽく理由付けをしているだけなんだってさ。私は家を飛び出した理由を『生き別れになった陰斗の行方がどうしても気になったから』だと思っていた。でも、本当は違うだろうってことらしい。そんな過去のことに動かされたのではなく、ただ『椿家での生活に嫌気が差したから、新しい環境から刺激を得たかった』だけだろうって……」
「それがどうしたんだよ?」
「私は……陰斗の為だと言って親父に協力してきた。でも、本当は違うんじゃないかって。私はお爺ちゃんに武術を教わった。それを存分に試せる環境が欲しくて、ただ暴れたくて親父と行動を共にしたんじゃないかって。現に私はお前が言ったとおり、この国に入国してすぐに逃亡した。出頭して終わらせることを選ばなかった。私は自分の欲のままに人を傷付け続けただけじゃないかって、最近思うんだ。そんな最低の活動に双葉を巻き込んで、挙げ句殺してしまったんじゃないかって……」
陽子は声と身体を震わせていた。
自分のしてきたこと、隠された本心に恐れ戦いている様な、そんな姿だった。
新兒は彼女の言葉を黙って聞いていたが、一区切りが付くと首を傾げた。
「悪い、椿。俺、お前が何言ってるのか全然解らねえわ」
「なっ……!」
「だって、なんでお前の行動目的や本心をお前じゃなくて親父が決め付けてるんだよ?」
新兒の疑問に、陽子は目を瞠って息を呑んだ。
「そりゃ、実際にやったことや結果は褒められたもんじゃねえと思うぜ。前に折野の奴が言ってたが、人間の本質は言葉で話す綺麗事じゃなくて実際にやらかした行動だって話、そりゃある程度真実だろうさ。弟の為とはいえ、やったことは償ってくれって思う」
「だよな……」
「けど、そりゃあくまで他人から見ての話だ」
新兒は身を乗り出して強調する。
「お前が何を願ったか、何の為に行動を起こしたかっていうのは、お前が善か悪かにゃ関係ねえ話だと思う。それは自分で決めるべきだ。自分の思いを、本心を、願いを、やりたかったことを、他人の言葉に惑わされて否定する必要はねえよ。お前は弟を助けたかった、お前がそう思うんならそれで良いじゃねえか」
椿の表情が僅かに崩れた。
新兒の言葉で心が解れたのかも知れない。
「扨てっと、時間も限られてるんで、話の流れをぶった切って伝えることを伝えるわ。単刀直入に言うとな、陰斗の奴、目覚める見込みはあるぜ」
「本当か?」
「例の双子、居るだろ? 雲野幽鷹と雲野兎黄泉、最近目を覚ましたあいつらが教えてくれたんだ。陰斗の状態は、眠っていた自分達と似ているってな。つまり、いつかは目を覚ますっていう前例があるってことだろ? 双子も同じことを言っていたよ。いつになるかは判らねえが、待ってみる価値はあるぜ」
「そうか……! 良かった、本当に……!」
椿の目が潤んでいた。
自分が人生を犠牲にし、罪に手を汚してまで足掻いた結果が、助けたかった弟の永遠の眠りでは余りにも報われない。
だが、ほんの僅かな光ではあるが希望は在るということだ。
陽子も少しは救われたかも知れないし、双葉も少しは浮かばれるかも知れない。
「それでさ、これはお前の裁判次第なんだが、今根尾さん達が全て終わった後でも日本に残れるように手を尽くしてくれてる。勿論、姉弟揃ってだ。ただ、お前らってぶっちゃけこの国に敵も多いと思う。味方が必要なんじゃないかって、御節介だが思うんだよな。それで、もし良かったらなんだが……」
新兒は頭を掻きながら若干言い淀む。
これから伝える言葉に、少し照れがあった。
「俺と結婚しねえか?」
「……は?」
余りにも唐突に告げられた申し出に、陽子は口を開けて驚いていた。
「何を言っているんだ、お前? 私は狼ノ牙に手を貸してきた女だぞ? お前の家族の仇にだ。親戚も居るだろうに、どう紹介するつもりなんだ?」
「どうって、狼ノ牙に酷い目に遭わされた被害者だろ、お前も。それを解らねえ奴らじゃねえよ。俺の親戚も、家族もな」
新兒は顔を赤くして陽子から目を背けた。
「あ、ほら。ぶっちゃけ岬守の奴が羨ましくってさ。なんか俺も、将来結婚する彼女が欲しいなって思ったんだ。それで、考えているとなんかお前の顔が浮かんでさ……」
「おいおい、なんだよそれ。私はその場の間に合わせか?」
「いや、そういう訳じゃねえよ。正直、気になってはいたんだ、公転館に居た頃からさ。お前、結構強えじゃん。最初は鼻に付いたけど、なんか眼が離せなくて……。岬守の影響かな、俺も強い女が好きらしい……」
「悪い、何言ってるのか解らないな。お前全然そんな感じじゃなかっただろ」
「なんだ当て付けか? さっき俺が言ったことに対してよ」
いつの間にか、二人は口論を始める雰囲気になってきていた。
ので、立合いの職員が咳払いをして二人を諫める。
「そろそろお時間ですよ」
「ちっ、まあ今日のところは返事は良いや」
新兒は席を立った。
「じゃあな、時間取らせて悪かったな」
「いや、来てくれてありがとうよ。返事は今度のお楽しみにしておいてくれ」
「ああ、また来る」
こうして、二人の面会時間は終了した。
その後、椿陽子は取り調べを受ける中で武装戦隊・狼ノ牙について自分の知り得る全てを話した。
その中には、父親である道成寺太が犯した数々の罪状も含まれている。
一通り話し終えた後、彼女は検察に書類送検される。
結果、椿陽子に対して検察が下した最終判断は、不起訴処分であった。
父親である道成寺太による、弟を人質に取られての強要が考慮され、有罪判決が勝ち取れるという確証がどうしても得られなかった為――一般にはその様に解釈される判断である。
ただ、中には皇國との関係や講和への影響を考慮した政界からの圧力があったと考える陰謀論者も存在した。
道成寺陰斗の処遇は、彼が目覚めた後に取り調べを行い、判断が下されるだろう。
そして二人の父親である道成寺太は、嘘の様に気力を失って腑抜けとなった状態で取り調べを受けているらしい。
取り調べにはかなりの時間を要するだろうが、検察は最終的に死刑を求刑するだろうと言われている。
武装戦隊・狼ノ牙との戦いは、ここで完全に決着を迎えることになった。
皇國との講和も決まった。
だがそれは嵐の前の静けさに似ていた。
恐るべき混沌が不穏の影を纏って迫っていることを、日本国の殆どの者は全く感じることが出来ないでいた。