日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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幕間十五『破邪顕正の華傑刀(凍ノ巻)』 上

 黄(つ)柳(げ)野(の)早(そ)芙(う)子(こ)――本名・水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)。

 内縁の夫である黄(つ)柳(げ)野(の)文(ふみ)也(や)が捕えられたとの報を受けた彼女は、一人で戦いの中へと舞い戻って行った。

 ただ、武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)も地(ち)上(じよう)ノ(の)蠍(さそり)座(ざ)も既に撤退を決めており、今回敗走が確定していることは彼女もまた理解している。

 そこで、彼女は目的を革命の成功ではなく二つの成果に絞っていた。

 

 一つは黄(つ)柳(げ)野(の)文(ふみ)也(や)の救出。

 しかし彼の居場所を把握していない彼女は、もう一つの目的を先に遂げる必要があった。

 

 それは、皇族一人を最低限打倒すること。

 文(ふみ)也(や)も同じ目的の中で消息を絶っており、皇族の誰かと交戦になり捕らえられたと考えられるが、それが誰かは特定できていなかった。

 そこで彼女は、昔(せき)日(じつ)の記憶に決着を付ける意味でも、最も相(ふ)応(さわ)しい相手を選んだ。

 第一皇子・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)。

 早(そ)芙(う)子(こ)の青春時代を彩(いろど)るのは彼への仄(ほの)かで愚かな想(おも)いと、亡き友に纏(まつ)わる忘れたくとも忘れ難(がた)い悲劇である。

 

 自らの過去を断ち切り、新しい世界を創り出す為(ため)に、早(そ)芙(う)子(こ)は刃を取った。

 文(ふみ)也(や)の消息を訊(き)き出し、嘗(かつ)て憧れた男をこの手で斬る。

 深夜、早(そ)芙(う)子(こ)は紅(あか)坂(さか)御用地は獅(し)乃(の)神(かみ)の巨宮へと足を踏み入れた。

 手に握るは家宝の刀、名刀「有(あり)明(あけ)左(さ)文(もん)字(じ)」。

 彼女は侍従や侍女、衛兵に見つからないよう細心の注意を払ったが、それでも已(や)むを得(え)ない時は峰打ちにて悉(ことごと)く打ち倒していった。

 彼女が獅(し)乃(の)神(かみ)の寝室へと辿(たど)り着(つ)くのにそう時間は掛からなかった。

 

 深く深呼吸をすると、早(そ)芙(う)子(こ)は扉を蹴り開けた。

 開け放たれたその向こうには広々とした寝室、たった一人の人間の為にどこまで趣向を凝らせば気が済むのかという程に豪(ごう)奢(しや)で広大な部屋が拡(ひろ)がっている。

 その中央付近の小卓に置かれた葡萄酒(ワイン)の瓶(びん)が月明かりに照らされて淡く光る。

 そして椅子に腰かけるその男は硝子杯(グラス)を小卓(テーブル)に置くと、早(そ)芙(う)子(こ)の方へその色違いの双(そう)眸(ぼう)を向けた。

 

「行儀の悪いことだ。だが、悍(かん)馬(ば)も嫌いではない」

 

 その巨(おお)しき力強さの塊とも言える身体の持ち主、第一皇子・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)は早(そ)芙(う)子(こ)の登場に何ら動じることなく、実に落ち着いた様子で佇(たたず)んでいた。

 

「亡き許嫁(いいなずけ)を偲(しの)びつつ月を弄(もてあそ)ぶ余暇の一時に、思いも掛けぬ美女の来訪者……。だが酒席を共にするにしては些(いささ)か乱暴な趣向だな」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)は相変わらず暢(のん)気(き)に落ち着き払った様子で葡萄酒(ワイン)を注ぐ。

 

「まあそれは兎(と)も角(かく)、折(せつ)角(かく)の来客を無下にするつもりも無い。ここは一つ、汝(なれ)の美しさに乾杯と行こうではないか」

 

 そう言って差し出された硝子杯(グラス)を一(いつ)閃(せん)、早(そ)芙(う)子(こ)の刃が目にも留(とど)まらぬ速さで通り抜けた。

 両断された杯がゆっくりと崩れ落ち、中の葡萄酒(ワイン)が溢(あふ)れて零(こぼ)れた。

 

「随分な挨拶だな。嗚呼(ああ)、染みに成らなければ良いのだが……」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)は葡萄酒(ワイン)の零れた上着を脱ぎ椅子に掛けた。

 凄(すさ)まじいまでの筋肉美に溢れた上半身が露(あら)わとなり、それだけで早(そ)芙(う)子(こ)は凄まじい威圧感に面食らった。

 だが、戦士としての覚悟は揺るがず、怯(ひる)むことなど無い。

 

「今(こ)宵(よい)私(わたくし)が取りに来たのは民の血税を絞りし高級酒ではない。貴様の首だ。皇太子・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)、その命(いのち)貰(もら)い受ける」

 

 早(そ)芙(う)子(こ)は上半身裸となった獅(し)乃(の)神(かみ)に刃を向ける。

 対して彼は怪(け)訝(げん)そうな表情を浮かべている。

 

「命とは随分無意味に欲張りな奴(やつ)だな。それで汝(なれ)に何の得があるのだ? そのようなものを望む意味が全く解(わか)らん。まさか叛(はん)逆(ぎやく)者でもあるまいに……」

「私(わたくし)は地(ち)上(じよう)ノ(の)蠍(さそり)座(ざ)の黄(つ)柳(げ)野(の)早(そ)芙(う)子(こ)だ」

 

 早(そ)芙(う)子(こ)の名(な)告(のり)に獅(し)乃(の)神(かみ)の動きが止まる。

 そしてじっと顔を覗(のぞ)き込(こ)んで来た。

 

「思い出したぞ。汝(なれ)は水(み)徒(と)端(はた)……水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)だ。嘗て同窓に麗(うるわ)しの女流剣士がいた。全国高等學校武術大会剣術の部で優勝した汝(なれ)は、夜空に浮かぶ月を彷(ほう)彿(ふつ)とさせる美しい女だったと記憶している。俺(おれ)と共に全校生徒(あだ)の前で顕彰されたことがあったな。黄(つ)柳(げ)野(の)ということは結婚したのか。汝(なれ)のような妻を娶(めと)った男は果報者だな」

 

 思い出を語る獅(し)乃(の)神(かみ)は夢を見るような表情をしていた。

 そして現状に話を変えると、彼は打って変わってあからさまに沈痛な面持ちに変貌する。

 

「だが『地(ち)上(じよう)ノ(の)蠍(さそり)座(ざ)』といえば、正真正銘の叛逆者集団ではないか。栄えある水(み)徒(と)端(はた)男爵家の令嬢がなぜそのようなものに身を堕(お)としたのだ。何か事情があるならば話してみよ。同じ学(まな)び舎(や)に通った好(よしみ)だ、叶(かな)う限りの力添えをしようではないか」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)は自身の胸板を叩(たた)いた。

 瞬間、大きく空気が震える。

 身長二一六糎(センチ)にもなる筋骨隆々の巨(きよ)躯(く)は、味方になると言われれば嘸(さぞ)かし頼もしいのだろう。

 

 だが敵対する早(そ)芙(う)子(こ)にとっては強い威圧感を受ける。

 元より油断など微(み)塵(じん)も無い彼女だが、改めて気を引き締めざるを得ない。

 

 しかし、ふと早(そ)芙(う)子(こ)は相対する獅(し)乃(の)神(かみ)に対して奇妙な違和感を覚えた。

 確かに途(と)轍(てつ)もなく鍛え上げられた肉体だ。

 だがその表情、立ち振る舞いはとても戦いに臨む者のそれではなかった。

 月明りを纏(まと)う茶金色の肌、白金色の長い髪、真紅と柳(りゅう)緑(りょく)に左右異色なる虹(こう)彩(さい)、青い唇、長い眉、端正な顔立ち。

 あの頃惹(ひ)かれた、神(こう)々(ごう)しさすら感じられる姿は、諍(いさか)い事とはまるで無縁というような穏やかさを醸し出している。

 更に不可解だったのは、獅(し)乃(の)神(かみ)からは神(しん)為(い)の発動が全く感じられないということだ。

 

(どういうことだ? 皇族は極めて絶大な神(しん)為(い)を持つと聞いていたのだが……)

 

 早(そ)芙(う)子(こ)は訝(いぶか)しんだ。

 そんな彼女に、痺(しび)れを切らしたように獅(し)乃(の)神(かみ)は改めて問い直す。

 

「黙っていては何も解らんぞ。己一人で抱え込むしかないと思える問題でも、話してみれば案外助け合う術(すべ)は見つかるものだ。さあさあ申してみよ。幸い俺(おれ)は皇族だ。出来ることは必ずある」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)は相変わらず恍(とぼ)けた言葉を繰り返す。

 早(そ)芙(う)子(こ)は一旦深呼吸をし、いざ斬りかからんと刀を構えた。

 

「自分の力で得た地位でもない癖に、何を偉そうにほざく。貴様だけでなくこの国の連中は皆そうだ。私(わたくし)はそんな腐り切った国を変えるべく、諸悪の根源たる皇(こう)國(こく)政府を打ち滅ぼす為に自ら刃を取ったのだ!」

 

 早(そ)芙(う)子(こ)の力強い怒声が獅(し)乃(の)神(かみ)の表情を曇らせた。

 

「莫(ば)迦(か)な……。汝(なれ)は屹(きつ)度(と)何か誤解しているぞ。悪いことは言わん、見なかったこと聞かなかったことにしてやるから斯(か)様(よう)な愚行は辞めて直(す)ぐ家に帰れ。大逆罪はそれ即(すなわ)ち極刑の重罪だと分かっているのか? 家族が泣くぞ」

「問答無用! 覚悟っ!」

 

 名刀「有(あり)明(あけ)左(さ)文(もん)字(じ)」が翻った。

 稀(き)代(たい)の女流剣士、最強の革命戦士である黄(つ)柳(げ)野(の)早(そ)芙(う)子(こ)、本名・水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)の、華麗にして英傑なる一刀が遂(つい)に真価を発揮する。

 

『術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)・羅(ら)刹(せつ)刻(こく)』

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)の腰から肩口に掛けて、袈(け)裟(さ)懸(が)けに一筋の光が奔(はし)る。

 これは早(そ)芙(う)子(こ)が想像によって作り出した未来の切断面である。

 

 術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)・羅(ら)刹(せつ)刻(こく)の能力原理とは、この光に合わせて刃を走らせると対象の強度に関わらず確実に切断されるというものだ。

 この光が走った時点で、既に斬ったという結果が作られている。

 後は其(そ)処(こ)に刀筋の帳尻を合わせれば良い。

 

 反面、太刀筋が少しでもずれる、もしくは斬撃を止められると不発に終わってしまう。

 また、この一筋には術者の腕前や刃の出来映えに反比例して膨大な神(しん)為(い)を消費する。

 早(そ)芙(う)子(こ)はこの一太刀を確実に決める為に剣速と剣線を磨きに磨き抜いてきた。

 その洗練の極みの様な剣技がまさに、絶対強者と謳(うた)われし獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)に襲い掛かった。

 

 しかし、確実に相手を斬る筈(はず)だった彼女の刀は、獅(し)乃(の)神(かみ)の体に刃が入ったかと思った瞬間、粉々に砕け散ってしまった。

 

(莫迦な……⁉)

 

 あり得ない結果に早(そ)芙(う)子(こ)は困惑を禁じ得ない。

 そんな彼女を余(よ)所(そ)に、獅(し)乃(の)神(かみ)の興味は砕けた刀に移っていた。

 

「その鍔(つば)拵(ごしらえ)、先程砕けた刃紋、見覚えがあるぞ。嘗て父上が水(み)徒(と)端(はた)家に贈賜され給(たも)うたという名刀・有(あり)明(あけ)左(さ)文(もん)字(じ)であろう。家宝を持ち出した上に壊してしまうとは、誠に怪(け)しからんことだとは思わんか? どう埋め合わせるつもりなのだ」

「だ、黙れ!」

 

 家を出た際に持ち出し、共に戦ってきた愛刀を失ったことは痛恨である。

 しかしそれ以上に、対象物を確実に両断する筈の能力が通用しなかったことの方が問題であった。

 

 状況への対応に思考を巡らせる早(そ)芙(う)子(こ)。

 獅(し)乃(の)神(かみ)はそんな彼女の右手首を軽く掴(つか)む。

 

「なっ……。くっ、放せ!」

「見よ、この鍔(つば)の意匠、文様。素晴らしき仕事だとは思わんか? 鍔とは、元々は刀を鍛える際に余った鉄で拵(こしら)えたものに過ぎなかった。だが時代が下るとともに高まった武将の美意識に応えるべく、職人達(たち)は技術を研(けん)鑽(さん)し、妥協無く拘(こだわ)り抜かれ仕上げられた芸術性の高い鍔形が作られるようになった。これこそはその中でも正に珠玉の逸品。神(しん)韻(いん)縹(ひょう)渺(びょう)たる大(おお)日(やま)本(と)の伝統工芸。そしてその偉大なる民族の歴史は数(あま)多(た)の苦難を経て幾星霜の果てに世界一の国家となって実を結んだのだ。これは誠に誉れ高きことだぞ。なのに汝(なれ)らは一体何が不満なのだ。自らに流れる崇高な民族の血と、その誇りを思い出してくれ」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)は優しく諭すように早(そ)芙(う)子(こ)に問い掛けた。

 だが今の早(そ)芙(う)子(こ)には響かない。

 何(な)故(ぜ)なら、その様な考えは既に道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)によって論破され、粉砕されているからだ。

 

「黙れ! 積み上げた屍(しかばね)を省みぬ帝国主義の亡霊が! 血塗られた手で私(わたくし)に触るな!!」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)の蟀谷(こめかみ)に早(そ)芙(う)子(こ)の上段蹴りが炸(さく)裂(れつ)した。

 剣術だけでなく、徒手空拳も確(しつか)りと鍛錬済みである。

 しかし、異変を起こしたのは攻撃した早(そ)芙(う)子(こ)の方だった。

 

「っああぁーっ!」

 

 早(そ)芙(う)子(こ)は蹴りを繰り出した右脚を抱え悶(もん)絶(ぜつ)した。

 

「あ、脚が……、折れ……たぁっ……!」

「おい大丈夫か? 寝台(ベツド)を貸してやるから安静にしろ。直(す)ぐ侍医を呼んでやるからな」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)は転げ回る早(そ)芙(う)子(こ)に慌てて声を掛けた。

 しかし、彼女の脚からは腫れが引いていく。

 強力な神(しん)為(い)の持ち主である彼女の場合、骨折程度の怪(け)我(が)ならばすぐに修復されるのだ。

 

(負けるか……! 私(わたくし)は革命戦士……! あの頃の……理不尽な権力に対して何も出来ず、体制に迎合することしか出来なかった脆(ぜい)弱(じやく)な御(お)嬢(じよう)様(さま)とは違うんだ……!)

 

 早(そ)芙(う)子(こ)は脚の修復を待つ。

 彼女は諦めるつもりなど毛頭無かった。

 まだ手段は残されているのだ。

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