十月十六日金曜日、夕刻――南川政権は今後の政権運営方針を閣僚懇談会にて意見し合っていた。
水曜日の遅くに漸く纏まった皇國との講和条件はこの日の午前に閣議決定され、両国は愈々終戦への足並みを揃えた。
しかし一方で、まだまだ油断ならないこともある。
というのも、今回結ばれたのは停戦協定に過ぎず、正式な講和への調印は年明けになる見込みなのだ。
これは、皇國側の政情が未だに安定していないという事情と、日本国側の政争にとって政権交代から日が浅過ぎると都合が悪いという思惑が関係していた。
皇國側にはまだ戦争継続を主張する主戦派の政治家や軍人が僅かながら存在し、政変によっては彼らが講和をぶち壊しかねない。
また、日本国側としては南川政権が講和を自分達の手柄と印象付けたく、特に皇奏手の急死から日が浅い講和は彼女の印象が強い為避けたいと考えていた。
そんな情勢下で一つ、次の日曜に大きな出来事が控えている。
皇國の衆議院総選挙だ。
「皆さん、愈々明後日ですね」
内閣総理大臣・南川和之が切り出した。
日本国の政界は今まで皇國との交渉の窓口を皇奏手やその周辺の政治家に依存していた為、政権交代した彼らは情報源に乏しかった。
皇國の内情も、軍事力の実態も、政権が交代して説明を受けてから漸く把握したという為体である。
この準備不足もまた、交渉の遅れに影響したことは言うまでも無い。
「皇國は我が国と同じく二院制で、衆議院総選挙が政権選択選挙となっています。日本と比べて政党以外の出身がかなり大きな影響力があるようですね」
「学閥と軍閥、それから貴族閥ですね。能條内閣から今の都築内閣は全て軍閥の影響が強い。しかしその軍閥の中でも大まかに国防軍出身と遠征軍出身で穏健派と強硬派に分かれていたとか……」
一応、彼らもある程度勉強して理解を深めつつはある。
防衛大臣・梅宮圭一と外務大臣・相野幸靖は政権与党の中でも数少ない知見の持ち主であり、彼らが主体となって何度も勉強会を開き、どうにかこの辺りまでは漕ぎ着けた。
まだ皇國政界の知識としては初歩の初歩である。
それでも、今何が起きているか全く判らないよりは遥かに良い。
「軍閥は大人しくなりつつあります。しかし、貴族院では未だに隠れ主戦派がそれなりの勢力を持っていて厄介です。革命動乱で亡くなられた皇族議員・麒乃神聖花の影響は根強く、鎮圧後に自衛隊と小競り合いを起こしていたのは彼ら貴族の私兵のようですな」
「皇國の厄介なところですね。中央権力による暴力の独占という近代国家の条件を成立させていない。世界にとっての厄災は、あれだけ圧倒的な国力を持ちながら肝心の国家制度がこのレベルだということですよ、全く」
閣僚懇談会は、閣議とは別に開催される非公式の話し合いで、閣僚達は自由闊達な意見を述べる。
皇國に対する侮りとも取れる彼らの言葉は、率直な感想に他ならないのだろう。
どうにも彼らは、自分達の考える先進的な国家制度以外を無意識のうちに見下してしまう悪癖があった。
「しかし、それでも皇國の軍事力は圧倒的です。我が国の自衛隊が戦えたのは、かなり特殊な情勢下にあったからに過ぎない」
そんな閣内の空気を、皇國の脅威を能く知る梅宮防衛相が引き締めようとする。
「万全の皇國には世界中の軍隊が束になっても敵わないでしょう。先ず、為動機神体が一機でも本土に上陸したが最後、座標情報が皇國の司令部に送られてしまい、人工知能による分析が行われる。そうなってしまったら、最早打つ手はありません。彼らの母艦である『為動機神艦』が本土上空に大量展開され、為す術無く全土が占領されてしまうでしょう。彼らにはそれで米国をも占領する国力がある。真面にやり合っては我が国など一溜まりもありません」
「そして、革命動乱を収束させた皇國は新しい神皇の下、万全の国家体制を再建しつつある。今回の講和が決裂すれば、我が国は一巻の終わりだったと言えるでしょう」
相野外相も梅宮に続いた。
そんな二人の発言が悪い想像を思い起こさせたのか、懇談会の場は固唾をのむ音が聞こえる程の静寂に包まれる。
「しかし、結局は講和が成立する運びとなった訳です」
そんな一堂の空気を南川総理が和ませる。
「我が国の総選挙以来、山積みだった問題も解決に向かいつつある。武装戦隊・狼ノ牙の首領も逮捕された今、特別警察特殊防衛課も漸く解散出来る」
内閣は午前の閣議で、特別警察特殊防衛課の解散と根拠法の凍結もまた閣議決定していた。
講和の為に皇國から訪れた和平交渉特使との送別が特殊防衛火災後の任務ということになる。
「組閣早々大きな成果が上げられたこの政権は、前回の政権交代とは違うと国民に示せるでしょう。戦争を終結させた後は愈々内政です。この十数年の長期政権で生じた歪みを漸く正すことが出来る。いや、実に前途洋々ではありませんか」
南川は脳天気に笑って見せた。
この大らかな人柄は支持者からは親しみ易さとして、批判者からは危なっかしさとして見られている。
今は支持が上回っているが、いつ評価が反転してもおかしくない危うさを持ってもいた。
そんな空気を引き締めるのが梅宮・相野両名の役回りでもあった。
「兎に角、厄介な貴族院を抑える上でも今回の衆議院選挙は我々にとっても重要です。なんとしても講和に積極的な内閣を成立させていただき、平和に向けた協力体制を築いていかねば」
「どの政党が勝つのが望ましいですかね」
南川が尋ねた。
つまり彼は、皇國の選挙で各勢力がどのような主張しているか把握していないのだ。
この辺り、彼らの準備不足を端的に示していた。
答えるのは外務大臣の相野だ。
「今回、神皇が自ら選挙に出ているのがポイントですね。神皇は言うまでも無く最大最強の講和派です。とはいえ、彼は政党に所属していませんから、選挙で多数派になった政党が与党として支えねばなりません」
「無所属の総理大臣ですか……面白そうですが、可能なんですか?」
「神皇は国民からの支持が厚い。ほぼ確実に当選するでしょうし、過半数を取る政党や連立が出れば彼が担ぎ上げられるでしょう。逆に、そう言った枠組みが出来ず混沌とすれば講和にも影響が出る」
「それは……困りましたね」
「読めないのが『皇道保守黨』と呼ばれる泡沫勢力です」
防衛大臣の梅宮が割って入った。
皇道保守黨は神皇親政を主張する、軍人と愛国主義新華族から構成される新興極右政治団体である。
彼らは毎度選挙に立候補しているが、国政の議員は未だ輩出出来ていない。
「今回、彼らは神皇自らの立候補を受けて大量の候補を立てています。政権を取れた場合、神皇の政策を丸呑みするとまで言っている。皇國臣民が神皇による直接的な統治を望む場合、彼らに委ねるのが最も安易な選択です。彼らが神皇親政を主張していることは知れ渡っていますからね」
「しかし所詮泡沫政党でしょう? 我が国だって、選挙区という選挙区に候補を立てたって通る訳じゃない。同じことでは? 期待出来るとは思えませんね。軍人の政治団体ですから、梅宮さんの関心事だというのは解りますが……」
「いいえ、そうでもありません。皇道保守黨は地方ではかなり議員を輩出し、地盤を着実に固めています。地元に齷齪通い、地道な政治活動を続けている。こういう団体は意外と厄介ですよ、我が国でも」
梅宮の言葉に、南川も流石に言葉を詰まらせた。
ここ日本でも似た様な現象に心当たりはある。
現に直近の政権選択選挙でも、既存の大政党はかなりの議席を新興政党に持って行かれて取り溢した。
今回の政権交代はそうやって国会内の勢力図が書き換えられたことによって齎されたという側面もある。
「し、しかしですよ……」
南川は暫しの沈黙の後、自分に言い聞かせる様に語り始める。
「如何に軍人からなる勢力とはいえ、神皇への丸投げが党是の勢力でしょう? だったら逆に、どの政党が勝っても与党に組み込める。そういう意味では、逆に我々の望む講和にとって強力な追い風となるのでは?」
「だと良いですが……」
「一応、今日特使団が帰られる前に一度念を押しておきましょう。今回の講和が確実に為せますように、と……」
南川は場の纏めに入った。
閣僚達は概ね安堵した様子で、楽にしながら雑談をしている。
そんな中、梅宮と相野だけは不安に顔を強張らせたまま溜息を吐いていた。