十月十八日日曜日、皇國衆議院選挙投票日。
神皇・叡智は無所属で選挙区から立候補し、大方の予想通り他の追随を許さず得票数一位で当選を果たした。
皇國の選挙制度は中選挙区制で一地区に複数の議席が割り当てられている為、彼の他にも当選者は出たのだが、戦略投票の僅差で当落が分かれた。
これにより、首班指名は神皇が通ることがほぼ確定したといえるだろう。
では、議会の勢力図はどうなったのかというと、既存政党は軒並み大きく議席を減らした。
これは、どの勢力が与党になろうと結局は神皇親政同然の状態になるのだから、各政党の主張は寧ろ神皇の政治にとっての足枷、不純物になると捉えられたからだ。
そして、逆に神皇の政治に丸投げするという確固たる信頼を得ていた政治勢力が多くの議席を獲得した。
新興勢力の皇道保守黨が衆議院の過半数を上回ったのだ。
今回の選挙、本来はもう一週間後に行われる筈であった。
元々衆議院の任期自体は既に切れていたが、戦時中を理由に内閣総理大臣判断で先延ばしにされていた選挙である。
しかし、十月七日水曜日に日本国で武装戦隊・狼ノ牙最後の一人であった首領Дこと道成寺太が逮捕され、講和への懸案事項はほぼ無くなった。
これを受け、内閣総理大臣・都築廉太郎は解散機運と圧力を抑えきれなくなったのだ。
(愈々……神皇親政が現実の物になってしまう……。いや、まだ諦めるべきではない。まだ議会の招集権はこの手の中にある。陛下を説得するのだ。どうにか、どうにか思い止まっていただけるようにと、我が身命を賭して……)
都築にはまだ、最初の皇國議会招集を選挙から三十日までの期間遅らせることが出来る。
そうやって指名投票を遅らせる可能性については、臣民の間でも真しやかに囁かれていた。
今、彼は死を覚悟していた。
神皇の宸意に対して意見するからには、仮令通ったとしても腹を切らねばならない――その命懸けの上奏こそが、自らにとって真の最後の奉公になると、都築は拳に力を込めて歯を食い縛り、固唾を呑んでいた。
電子映視機には、悲惨さを増していく総選挙の開票速報が映し出されている。
そんな時、呼び鈴が都築に来客を報せた。
(誰だ、こんな時間、こんな状況で?)
都築は呆れながらも女中に「無下にせず客間に通すように」と伝えた。
そして会ってみると、不空人で押し掛けたその面子に彼はたじろいだ。
「き、君達は……!」
「都築総理、お初に御目に掛かります」
客間の下座に坐っていたのは、三十代の青年将校四人だった。
都築はその顔触れを知っている。
故に、訪問の理由も察しが付いた。
「皇道保守黨の青年将校がこの都築に何の用だね?」
この四人は、よく皇道保守黨総裁・荒木田将夫と連んでいたところを都築に目撃されていた。
荒木田は時折若い軍人を自宅に招いて酒盛りをしており、そうやって自分や皇道保守黨のシンパを増やしているのだという。
彼らはそんな青年達の中心的人物で、都築は荒木田と一纏めに彼らにも良い印象を持っていない。
四人はそんな都築の心情を見透かした様に勝ち誇ってみせる。
「もうただの青年将校ではありませんよ。この度、荒木田総裁より任命いただきました。幹事長の芹沢雁也です」
「政調会長の新見虹です」
「総務会長の山南知郎です」
「国対委員長の伊東陽之進です」
四人は軍人らしく厳めしい顔を並べ、不遜とも取れる笑みを浮かべつつ名乗った。
続きは落ち着き払った様子で彼らを上座へ移る用に促す。
しかし、リーダー格の芹沢雁也がこれを固辞した。
「いいえ、お構い無く。御時間は取らせませんので」
「ほう……」
都築はその言葉にムッとした。
「君達の要件は大方想像が付く。それが時間を取らせないとはどういうことなのか、少々目論見が甘くはないかね?」
芹沢は要するに、こう言っているのだ。
貴方を説得するのは容易い、と。
その侮りに対し、笑って受け流してやる程間抜けではない。
「折角のご訪問だ、上座でゆっくりしていきなさい」
「いいえ、その必要はありませんよ」
芹沢の態度は相変わらずだ。
都築の中で、抑えていた軍高官の矜持が久方振りに煮え滾る。
「尻の青い若造が、舐めるんじゃねえぞ? 俺は国防軍大将だ。貴様ら如きに軽く見られるような生き方はしちゃいねえんだよ……!」
都築は四人に凄んで見せた。
予備役になった彼だが、相手を威圧する迫力は現役のそれである。
大将にまで上り詰め、更に首相を任される男に相応しい眼力であった。
しかし、四人は全く動じていない。
まるで何か、これから先の展開に別の確信を持っているかの様だ。
それはあまりにも不穏な確信であった。
「内閣総理大臣閣下は何か勘違いをなさっているようだ。なあ、新見大尉」
「そうだな。それに、我々はあまり歓迎されていないと見える」
「新見大尉もそう思うか。全く、心外ですな。伊東大尉はどう思う?」
「私も山南大尉と同感だ。さっさと済ませよう、芹沢大尉」
芹沢はそれに答える用に立ち上がった。
そして、あろうことか腰から軍刀を抜いた。
これには流石の都築も冷や汗を滲ませる。
「なっ……! 正気か、貴様ら!」
「総理がお亡くなりになれば、代行者は皇國議会を招集せざるを得ない」
「君側の奸を除く為ならば、我々は喜んで狂気に堕ちる所存」
「閣下こそ、我々の忠義を舐めないでいただきたい」
「閣下、御覚悟を」
都築は額に青筋を立て、血走った目で芹沢を睨む。
死を前にして一歩も怯まない姿は確かに誉れ高き軍人のそれである。
しかしその時、何処からともなく声が響いた。
『待て、この莫迦者共が』
その嗄れた声の主は突如として客間の扉を開けた。
一体何処から屋敷に入ったのかと問質す間もなく、軍服姿の老翁は彼らの許へと歩み寄る。
その服装は、四人の装いとどこか似ていた。
「御老人、貴方は?」
「閏閒三入、貴様らの仲間であった推城朔馬の旧い友人じゃ」
「推城元青年部長か。あの時代を読み違えた愚か者の知己が何の用だ?」
閏閒三入と同じ神瀛帯熾天王の推城朔馬は、嘗て皇道保守黨に所属していた。
しかし、水徒端早辺子と同じ時期に離党している。
四人が閏閒を訝しむのも当然であった。
「まあ、儂のことはどうでも良い。しかし貴様ら、ここで都築を殺しては下手人は誰か明らかであろう。そうなると、皇道保守黨の議会運営にも影響が出るぞ。もう貴様らには立場があるのだから、少しは考えて行動しろ」
「何だと?」
芹沢を除く三人は閏閒を睨む。
このまま都築の序でに彼のことも殺すとでも言いたげな風情だ。
そんな彼らを、芹沢は目で制す。
「閏閒翁とやら、御忠告痛み入る。しかし、我々にとっては神皇陛下の御親政が叶わねば何の意味も無いのだ。この男がそれを阻もうというなら、我々は誅さねばならん」
「そう慌てるな、と言っておる。貴様らの懸念は杞憂に終わるという確信があるのじゃ」
閏閒は歪んだ笑みを浮かべた。
「今、荒木田総裁が神皇陛下に例の上奏を行っておる。此処で騒ぎを起こすのは無益だ」
「例のお話を!?」
「では愈々……!」
「素晴らしい……!」
青年将校達は打って変わって歓喜に表情を綻ばせた。
反対に、都築は青褪める。
両者の立場で、くっきりと明暗が分かれたと言ったところか。
閏閒は胸を撫で下ろす用に溜息を吐く。
「解ったら今日のところは帰れ、貴様ら。皇國の新たなる夜明け、新しい政の始まりに血腥い死という穢れで水を差すものではない。貴様らの企み通り、神皇は断固たる意志で親政を始める、それで充分ではないか」
ふむ、と芹沢が頷き、刀を納めた。
「閏閒翁とやら、貴方の言うことも一理ある。ここは貴方に免じて、一旦退いてやるとしよう。命拾いしましたな、都築国防軍予備役大将閣下」
「だが、もし懲りずに神皇陛下の邪魔立てをするのなら、その時は容赦しない」
四人の青年将校はずかずかと客間を後にした。
その場には続きと閏閒だけが取り残されている。
「一先ずは……貴方の御陰で助かったといったところか、閏閒殿」
「いや、そうとも限らん」
閏閒は都築を冷笑し、指で作った輪を通して彼を覗き見る。
「何の真似ですかな?」
「どうということは無い。儂は別に、彼らの考えを全否定するものではない。邪魔者には消えてもらった方が良い、それは確かじゃ」
二人だけになった客間が異様な空気に包まれる。
何か恐ろしい力が行使されようとしているような、そんな雰囲気である。
閏閒はおどろおどろしい声で何者かに伺いを立てる。
「媛様、貴女様に儂の眼を貸しまする。どうか力の御行使を願いたく……」
『宜しい。唯、今すぐでは拙いのでしょう?』
「然様。明日辺りにでも……」
『成程、解ったわぁ……』
都築はこの時、閏閒の眼から自分の体内に何かが埋め込まれるような奇妙な感覚を覚えた。
そしてそれが、彼にとって致命的であるとも感じた。
閏閒は腕を下ろすと、両目でにんまりと笑い、都築を不気味に見詰めている。
「い、今何を……? 誰かと話していたのかね?」
「儂は別に、何もしやせんよ。唯お伺いを立てただけじゃ。そして、さらばじゃ都築。最後の奉仕、ご苦労じゃった喃……」
閏閒は黒い靄に包まれ、客間から忽然と姿を消した。
都築は、何故か解らないが、特に違和感もない胸の辺りを摩らずにはいられなかった。
翌日、都築は血を吐いて倒れる。
そしてそのまま当日中に息を引き取った。