神聖大日本皇國は首都統京、一台の高級大型自動車が街灯を反射させつつ走っていた。
後部座席では、三人の新華族令嬢が草臥れた顔を並べている。
「やっと……終わりました……」
「帰国した翌日に公殿様に御挨拶、各省庁閣僚報告、投票……流石に過密日程……」
「まあ、このご時世で投票しない訳には行きませんからね……」
和平交渉特使として日本国へ赴いていた「新華族令嬢三羽烏」こと鬼獄東風美・枚辻埜愛瑠・別府幡黎子は、久々に祖国へと帰ってきた。
現在は十桐綺葉の車で移動中なのだ。
但し、彼女達の目的地はそれぞれの自宅ではない。
「そういえば私、どうなってしまうんでしょう……。鬼獄家が長年仕えてきた持国天様が、実はとんでもない朝敵だったなんて……。それに、もう私の家族は……」
「心配せんでもええぞ」
彼女らの向かいに坐る十桐は、大らかな笑みを浮かべて扇子を仰いでいた。
「鬼獄、お前のことは当分我が十桐家の預かりとしておこう。態度によっては養女として迎え入れるのも吝かではない。ま、以前のままではちと考え物じゃがな。別府幡と枚辻は、引き続き公殿卿に仕えると良い」
「では、私達はこれでお別れですか……」
「大丈夫ですよ、東風美さん」
「私達の友情は永遠」
黎子と埜愛瑠が東風美に言い聞かせる。
「御二人には感謝していますわ。別府幡家は皇國臣民に同胞と見られないことが多くて、私も自分がこの国の中に居るべきではない異物の様に思えたこともあった。私達は何代も前から皇國貴族として生まれているのに……。しかし、東風美さんと埜愛瑠さんは何も気にせず接してくれました」
「私にとって、東風美は初めて出来た好敵手。埜愛瑠は最高の相棒。どちらも代わりは居ない」
別府幡家が米国人のボーマン家を祖としていることは先述のとおりで、そんな彼女達が新華族として子爵家に位置しているのは、民族意識の強い皇國に於いてやっかみの対象である。
欧米人そのものである彼女に付けられた「悪魔人形」の異名も、要するに差別意識に基づく蔑称であり、彼女にとって不本意なものであった。
しかし、「殺戮人形」と呼ばれる埜愛瑠との出会いによって、「人形」同士の二人組となれたのは、彼女にとって忌まわしき認識の払拭として作用した。
また、意外にも東風美は別府幡家を「皇國臣民」として見た上で他者と変わらず接した。
東風美は確かに他者を全般的に見下しがちな傲慢さを備えていたが、子爵家の家格と確かな実力を持つ黎子は外見に拘わらずその対象外だった。
今回の経験を経て鼻柱を圧し折られた彼女の態度は軟化するであろうし、黎子にとって東風美は決して見棄てる対象にはならないだろう。
一方で埜愛瑠は戦闘一族として名高い枚辻家の令嬢として、幼い頃から戦闘に関する様々な知や力を仕込まれてきた。
そんな彼女は同年代の他者と対話する話題は「戦い」しかなく、周囲からは孤立を余儀無くされていた。
故に、同じ水準で話が出来る東風美や黎子は貴重な話し相手なのだ。
「ありがとう……」
東風美は小さく微笑んだ。
その反応が意外だったのか、黎子と埜愛瑠は互いの顔を見合わせる。
「そういえば、十桐様」
「どうした、鬼獄?」
東風美は話を変え、十桐に一つ尋ねる。
「水徒端さんはどうしたんですか?」
この車には、共に帰国したもう一人の和平交渉特使である水徒端早辺子の姿が無い。
彼女は三人と投票所が別で、一人だけ別の場所で降ろされていたのだ。
しかし、その後早辺子が車に戻ってくることは無かった。
「あら、これも意外ですわね。東風美が彼女のことを気に掛けるなんて」
「明日は台風でも来るかも」
「なんですか、もー! 水徒端さんとはちゃんと和解したんですよ!」
「益々意外ですわ。あの東風美が男爵家の水徒端さんに頭を下げたのですか?」
「地震も来るかも」
「さっきから失礼ですね! 『永遠の友情』の姿ですか、これが?」
そんな三人のやりとりを見詰め、十桐は小さく微笑みつつ答える。
「水徒端は別件で行くところがあるからの。それが済んだら、彼女も十桐家の預かりとなる。全く、鬼獄と和解してくれて良かったわ」
「成程、今後は水徒端さんが東風美さんに人に仕える先輩として、淑女の振る舞いを教えることになりますわね」
「え!? そうなっちゃうんですか!?」
「東風美、水徒端早辺子と和解したのは嘘?」
「嘘じゃないですけど! 抑も『淑女の振る舞い』ってのが私には合わないんです!」
「鬼獄、我は公殿卿の様に甘くはないぞ。水徒端にも能く言っておくから、みっちりと仕込んで貰うが良い」
「ひーん!」
自動車は街を走り続ける。
⦿⦿⦿
統京のとある墓地。
背の高い二人の女が抱き合っていた。
二人は互いにそれぞれ、異なる様式のメイド服を身に着けている。
「済まない、早辺子。本当に済まなかった……」
「姉さん、無事で良かった……」
水徒端姉妹はこの日、漸く再会の時を迎えた。
妹・早辺子にとって悲願の成就である。
姉・早芙子はこれまで、幾多の変遷を遂げてきた。
高校卒業後は家族と距離を取り、庶民の通う私立大學へと入學した。
その後、黄柳野文也という男に引っ掛かってしまい、道成寺太の言葉でこれまでの価値観・正義感を大きく崩されることになる。
彼女が叛逆組織「武装戦隊・狼ノ牙」の別働隊「地上ノ蠍座」に参加したのは、失われた自分の正義感を再構築しようとしたが故の過ちだった。
彼女は獅乃神叡智に敗北し、敷島朱鷺緒という新たな名を賜って、以後はずっと彼の近衛侍女として生きてきた。
その間、姉を捜し求めていた妹は様々な組織や環境に身を置き、塗炭の苦しみを味わってきた。
「早辺子……私はお前に合わせる顔が無かった。ずっと向き合うことが出来なかったんだ。そのせいもあって、苦労の上に更なる苦労を重ねさせてしまったと聞いている」
「良いんです、姉さん、もう良いんです。こうしてまた会えた、それだけで私は……」
長い長い抱擁だった。
早辺子は恋い焦がれた姉の温もりを確かめる様に、全身に力を込める。
腕だけでなく、胸で、頭で、腰で、そして心で、自らの全てで再会を感じていたかった。
しかし、それも終わりが来てしまった。
二人の身体が離れた。
その時、姉妹としての関係も断絶してしまう様に思えた。
「早辺子、済まない。私はもう水徒端早芙子には戻れないんだ」
「姉さん……」
早辺子は理解していた。
一度叛逆者に堕ちてしまった以上、姉には別人として生きるより道は無い。
踏み外してしまった本来の途には、もう二度と戻れないのだ。
しかし、姉の言葉はそれだけを意味してはいなかった。
「嘗ての私は……自惚れていたのだと思う。自分は強く、清く正しい道を歩んでいる、と。けれどもそれは、栞の死によって脆く崩れ去った……」
「栞姉様……姉さんと仲が良かった、あの……」
鸙屋敷栞――新家族伯爵家の令嬢で、嘗て水徒端早芙子の親友だった。
水徒端家と鸙屋敷家は古くから付き合いがあり、その縁での仲だった。
しかし、栞は鷹番公爵家に嫁ぎ、当主鷹番夜朗からの屈辱的な扱いの末、不審な死を遂げるに至った。
「あの時、私は親友を死に追い遣った歪んだ貴族社会を正す道から逃げてしまった。心に抱いた正義の剣が燻んでしまったんだ。抱いていた『在るべき自分の理想』が……。それを道成寺に突き付けられた私は、革命の刃となることで新たな正義を捏ち上げようとした。しかし、それは贋に過ぎない。革命に殉じると自分に言い聞かせても『在るべき姿』は黒ずんでいくばかり……。私は理想に添えない、在るべき姿で居られない自分を罰し続ける様に、革命に没頭した。自分で自分を穢し続けるしかなかったんだ」
「姉さん……」
「もう私は自分では止まれなかった。自分で自分を否定する、確固たる信念が植え付けられてしまっていた。その頑迷な偽りの誇りを誰かに粉々に打ち砕いてもらわなければ、誉れの欠片も無い破滅に向かって盲目に突き進むしか無かった」
姉の告白を聞かされ、早辺子は表情を曇らせる。
姉が言う「もう水徒端早芙子としては生きられない」という言葉には、別の意味も含まれているのだと悟った。
「私は獅乃神様に完膚無きまでに敗北した。敗北というのも烏滸がましい。挑むことすら許されず滑稽な醜態を演じた。だがその時、今までの自分の、間違いに歪んだ誇りと信念を粉々に打ち砕かれ、漸く解放されたんだ……」
「そうですか……。貴女はもう……」
「そうなんだ、早辺子。私はもう水徒端早芙子としては生きていけない。水徒端早芙子としての自分は穢れ歪み捩じ曲がり、果てに粉砕された。代わりに賜った『敷島朱鷺緒』としての私なら、理想の自分を新たに打ち立てることが出来る。獅乃神様に、陛下に忠誠を誓った誉れ高き剣士としての『理想の自分』を……」
早辺子は姉の目から、隠しようのない後ろめたさを読み取った。
今までの自分を無かったことにして、違う自分として生きる――それは姉が苦渋の末に選んだ道ではなく、自尊心を守る為に喜んで飛び付いた選択肢だというのか。
「だから……私と会いたくなかったのですか? 私と会う時だけは……昔の自分に戻らなくてはいけないから……」
「軽蔑されても仕方が無いと思っている」
「それは……『水徒端早芙子を』ですか……」
早辺子は眉間に皺を寄せる。
目の前の姉に告白された「弱さ」「情けなさ」「卑怯さ」は受け容れ難い。
だがふと、そんな自分の憧れが姉を苦しめ続けたのかと思い至りもした。
「早辺子、どちらにしても私は本来叛逆者なんだ。水徒端男爵家の為にも、もう私と関わらない方が良い。私のことは忘れてくれ」
「姉さん……」
「これから御父様と御母様の墓前で懺悔しに行く。水徒端家のことは頼んだぞ」
敷島朱鷺緒は早辺子を振り切る様に踵を返した。
一刻も早く「水徒端早芙子」を、早辺子の姉を辞めたかったのだろうか。
これからは何の気兼ねも無く理想の女剣士「敷島朱鷺緒」として生きていこうというのか。
しかし、早辺子は姉の言動から別の感情を読み取った。
終始彼女が見せていた、後ろめたさに満ちた表情――おそらく、姉は生涯自嘲し続けるのだろう。
この場所を、両親が眠る墓地を再会の場所に指定したのは姉の方だ。
嘗ての姉は正義の人であった。
弱きを助け、強きを挫く、そんな誇り高い女傑であった。
そんな姉が、今の自分の欺瞞に気付かない訳が無い。
自尊心の強い姉は、本音では穢れを知らなかった昔の自分に戻りたいのではないか。
敷島朱鷺緒を名乗るのは、そんな自分を今でも変わらず罰し続けているのではないか。
姉は重い足取りで歩き始める。
その背中にも、罪悪感と未練を感じずにはいられない。
「姉さん!」
早辺子は堪らず呼び掛けた。
「忘れません! 仮令貴女が何者になろうと、貴女は私の姉さんです! 今までも、これからも、ずっと変わらず、尊敬し続けます!! 何故なら、何故なら私は貴女を……!!」
敷島は一瞬震えたが、立ち止まることなく歩き続ける。
夜空に浮かぶ上弦の半月が、麗しの女剣士たる近衛侍女・敷島朱鷺緒の後ろ姿を、皮肉な程に美しく模っていた。