日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第九十八話『皇道保守黨』 急

 神(しん)聖(せい)大(だい)日(にっ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)は首都統(とう)京(きよう)、一台の高級大型自動車が街灯を反射させつつ走っていた。

 後部座席では、三人の新華族令嬢が草(くた)臥(び)れた顔を並べている。

 

「やっと……終わりました……」

「帰国した翌日に公(く)殿(でん)様に御挨拶、各省庁閣僚報告、投票……流(さ)石(すが)に過密日程……」

「まあ、このご時世で投票しない訳には行きませんからね……」

 

 和平交渉特使として日本国へ赴(おもむ)いていた「新華族令嬢三(さん)羽(ば)烏(がらす)」こと鬼(き)獄(ごく)東(あ)風(ゆ)美(み)・枚(ひら)辻(つじ)埜(の)愛(あ)瑠(る)・別(びゆ)府(う)幡(まん)黎(れい)子(こ)は、久々に祖国へと帰ってきた。

 現在は十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)の車で移動中なのだ。

 但し、彼女達の目的地はそれぞれの自宅ではない。

 

「そういえば私(わたし)、どうなってしまうんでしょう……。鬼(き)獄(ごく)家が長年仕えてきた持(じ)国(こく)天(てん)様が、実はとんでもない朝敵だったなんて……。それに、もう私(わたし)の家族は……」

「心配せんでもええぞ」

 

 彼女らの向かいに坐(すわ)る十(とお)桐(どう)は、大らかな笑みを浮かべて扇(せん)子(す)を仰いでいた。

 

「鬼(き)獄(ごく)、お前のことは当分我が十(とお)桐(どう)家の預かりとしておこう。態度によっては養女として迎え入れるのも吝(やぶさ)かではない。ま、以前のままではちと考え物じゃがな。別(びゆ)府(う)幡(まん)と枚(ひら)辻(つじ)は、引き続き公(く)殿(でん)卿(きよう)に仕えると良い」

「では、私(わたし)達はこれでお別れですか……」

「大丈夫ですよ、東(あ)風(ゆ)美(み)さん」

「私(わたし)達の友情は永遠」

 

 黎(れい)子(こ)と埜(の)愛(あ)瑠(る)が東(あ)風(ゆ)美(み)に言い聞かせる。

 

「御(お)二(ふた)人(り)には感謝していますわ。別(びゆ)府(う)幡(まん)家は皇(こう)國(こく)臣民に同胞と見られないことが多くて、私(わたし)も自分がこの国の中に居るべきではない異物の様に思えたこともあった。私(わたし)達は何代も前から皇(こう)國(こく)貴族として生まれているのに……。しかし、東(あ)風(ゆ)美(み)さんと埜(の)愛(あ)瑠(る)さんは何も気にせず接してくれました」

「私(わたし)にとって、東(あ)風(ゆ)美(み)は初めて出来た好敵手(ライバル)。埜(の)愛(あ)瑠(る)は最高の相棒。どちらも代わりは居ない」

 

 別(びゆ)府(う)幡(まん)家が米国人のボーマン家を祖としていることは先述のとおりで、そんな彼女達が新華族として子爵家に位置しているのは、民族意識の強い皇(こう)國(こく)に於(お)いてやっかみの対象である。

 欧米人そのものである彼女に付けられた「悪(デビ)魔(ル)人(・ド)形(ール)」の異名も、要するに差別意識に基づく蔑称であり、彼女にとって不本意なものであった。

 しかし、「殺(マー)戮(ダー)人(・ド)形(ール)」と呼ばれる埜(の)愛(あ)瑠(る)との出会いによって、「人形」同士の二人組となれたのは、彼女にとって忌まわしき認識の払(ふつ)拭(しよく)として作用した。

 

 また、意外にも東(あ)風(ゆ)美(み)は別(びゆ)府(う)幡(まん)家を「皇(こう)國(こく)臣民」として見た上で他者と変わらず接した。

 東(あ)風(ゆ)美(み)は確かに他者を全般的に見下しがちな傲慢さを備えていたが、子爵家の家格と確かな実力を持つ黎(れい)子(こ)は外見に拘(かか)わらずその対象外だった。

 今回の経験を経て鼻柱を圧(へ)し折(お)られた彼女の態度は軟化するであろうし、黎(れい)子(こ)にとって東(あ)風(ゆ)美(み)は決して見(み)棄(す)てる対象にはならないだろう。

 

 一方で埜(の)愛(あ)瑠(る)は戦闘一族として名高い枚(ひら)辻(つじ)家の令嬢として、幼い頃から戦闘に関する様々な知や力を仕込まれてきた。

 そんな彼女は同年代の他者と対話する話題は「戦い」しかなく、周囲からは孤立を余儀無くされていた。

 故に、同じ水準で話が出来る東(あ)風(ゆ)美(み)や黎(れい)子(こ)は貴重な話し相手なのだ。

 

「ありがとう……」

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)は小さく微(ほほ)笑(え)んだ。

 その反応が意外だったのか、黎(れい)子(こ)と埜(の)愛(あ)瑠(る)は互いの顔を見合わせる。

 

「そういえば、十(とお)桐(どう)様」

「どうした、鬼(き)獄(ごく)?」

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)は話を変え、十(とお)桐(どう)に一つ尋ねる。

 

「水(み)徒(と)端(はた)さんはどうしたんですか?」

 

 この車には、共に帰国したもう一人の和平交渉特使である水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)の姿が無い。

 彼女は三人と投票所が別で、一人だけ別の場所で降ろされていたのだ。

 しかし、その後早(さ)辺(え)子(こ)が車に戻ってくることは無かった。

 

「あら、これも意外ですわね。東(あ)風(ゆ)美(み)が彼女のことを気に掛けるなんて」

「明日は台風でも来るかも」

「なんですか、もー! 水(み)徒(と)端(はた)さんとはちゃんと和解したんですよ!」

「益(ます)々(ます)意外ですわ。あの東(あ)風(ゆ)美(み)が男爵家の水(み)徒(と)端(はた)さんに頭を下げたのですか?」

「地震も来るかも」

「さっきから失礼ですね! 『永遠の友情』の姿ですか、これが?」

 

 そんな三人のやりとりを見詰め、十(とお)桐(どう)は小さく微笑みつつ答える。

 

「水(み)徒(と)端(はた)は別件で行くところがあるからの。それが済んだら、彼女も十(とお)桐(どう)家の預かりとなる。全く、鬼(き)獄(ごく)と和解してくれて良かったわ」

「成程、今後は水(み)徒(と)端(はた)さんが東(あ)風(ゆ)美(み)さんに人に仕える先輩として、淑女の振る舞いを教えることになりますわね」

「え!? そうなっちゃうんですか!?」

「東(あ)風(ゆ)美(み)、水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)と和解したのは嘘(うそ)?」

「嘘じゃないですけど! 抑(そもそ)も『淑女の振る舞い』ってのが私(わたし)には合わないんです!」

「鬼(き)獄(ごく)、我は公(く)殿(でん)卿の様に甘くはないぞ。水(み)徒(と)端(はた)にも能(よ)く言っておくから、みっちりと仕込んで貰(もら)うが良い」

「ひーん!」

 

 自動車は街を走り続ける。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 統(とう)京(きよう)のとある墓地。

 背の高い二人の女が抱き合っていた。

 二人は互いにそれぞれ、異なる様式のメイド服を身に着けている。

 

「済まない、早(さ)辺(え)子(こ)。本当に済まなかった……」

「姉さん、無事で良かった……」

 

 水(み)徒(と)端(はた)姉妹はこの日、漸(ようや)く再会の時を迎えた。

 妹・早(さ)辺(え)子(こ)にとって悲願の成(じよう)就(じゆ)である。

 

 姉・早(そ)芙(う)子(こ)はこれまで、幾多の変遷を遂げてきた。

 高校卒業後は家族と距離を取り、庶民の通う私立大(だい)學(がく)へと入學した。

 その後、黄(つ)柳(げ)野(の)文(ふみ)也(や)という男に引っ掛かってしまい、道(どう)成(じょう)寺(じ)太(ふとし)の言葉でこれまでの価値観・正義感を大きく崩されることになる。

 彼女が叛(はん)逆(ぎやく)組織「武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)」の別働隊「地(ち)上(じょう)ノ(の)蠍(さそり)座(ざ)」に参加したのは、失われた自分の正義感を再構築しようとしたが故の過(あやま)ちだった。

 

 彼女は獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)に敗北し、敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)という新たな名を賜って、以後はずっと彼の近衛侍女として生きてきた。

 その間、姉を捜し求めていた妹は様々な組織や環境に身を置き、塗炭の苦しみを味わってきた。

 

「早(さ)辺(え)子(こ)……私(わたくし)はお前に合わせる顔が無かった。ずっと向き合うことが出来なかったんだ。そのせいもあって、苦労の上に更なる苦労を重ねさせてしまったと聞いている」

「良いんです、姉さん、もう良いんです。こうしてまた会えた、それだけで私(わたくし)は……」

 

 長い長い抱擁だった。

 早(さ)辺(え)子(こ)は恋い焦がれた姉の温(ぬく)もりを確かめる様に、全身に力を込める。

 腕だけでなく、胸で、頭で、腰で、そして心で、自らの全てで再会を感じていたかった。

 

 しかし、それも終わりが来てしまった。

 二人の身体が離れた。

 その時、姉妹としての関係も断絶してしまう様に思えた。

 

「早(さ)辺(え)子(こ)、済まない。私(わたくし)はもう水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)には戻れないんだ」

「姉さん……」

 

 早(さ)辺(え)子(こ)は理解していた。

 一度叛逆者に堕(お)ちてしまった以上、姉には別人として生きるより道は無い。

 踏み外してしまった本来の途には、もう二度と戻れないのだ。

 しかし、姉の言葉はそれだけを意味してはいなかった。

 

「嘗(かつ)ての私(わたくし)は……自(うぬ)惚(ぼ)れていたのだと思う。自分は強く、清く正しい道を歩んでいる、と。けれどもそれは、栞(しおり)の死によって脆(もろ)く崩れ去った……」

「栞(しおり)姉様……姉さんと仲が良かった、あの……」

 

 鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)栞(しおり)――新家族伯爵家の令嬢で、嘗て水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)の親友だった。

 水(み)徒(と)端(はた)家と鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)家は古くから付き合いがあり、その縁での仲だった。

 しかし、栞(しおり)は鷹(たか)番(つがい)公爵家に嫁ぎ、当主鷹(たか)番(つがい)夜(よる)朗(あき)からの屈辱的な扱いの末、不審な死を遂げるに至った。

 

「あの時、私(わたくし)は親友を死に追(お)い遣(や)った歪(ゆが)んだ貴族社会を正す道から逃げてしまった。心に抱いた正義の剣が燻(くす)んでしまったんだ。抱いていた『在るべき自分の理想』が……。それを道(どう)成(じょう)寺(じ)に突き付けられた私(わたくし)は、革命の刃となることで新たな正義を捏(でつ)ち上(あ)げようとした。しかし、それは贋(まやかし)に過ぎない。革命に殉じると自分に言い聞かせても『在るべき姿』は黒ずんでいくばかり……。私(わたくし)は理想に添えない、在るべき姿で居られない自分を罰し続ける様に、革命に没頭した。自分で自分を穢(けが)し続けるしかなかったんだ」

「姉さん……」

「もう私(わたくし)は自分では止まれなかった。自分で自分を否定する、確固たる信念が植え付けられてしまっていた。その頑迷な偽りの誇りを誰かに粉々に打ち砕いてもらわなければ、誉れの欠(かけ)片(ら)も無い破滅に向かって盲目に突き進むしか無かった」

 

 姉の告白を聞かされ、早(さ)辺(え)子(こ)は表情を曇らせる。

 姉が言う「もう水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)としては生きられない」という言葉には、別の意味も含まれているのだと悟った。

 

「私(わたくし)は獅(し)乃(の)神(かみ)様に完膚無きまでに敗北した。敗北というのも烏(お)滸(こ)がましい。挑むことすら許されず滑稽な醜態を演じた。だがその時、今までの自分の、間違いに歪んだ誇りと信念を粉々に打ち砕かれ、漸く解放されたんだ……」

「そうですか……。貴女(あなた)はもう……」

「そうなんだ、早(さ)辺(え)子(こ)。私(わたくし)はもう水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)としては生きていけない。水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)としての自分は穢れ歪み捩(ね)じ曲(ま)がり、果てに粉砕された。代わりに賜った『敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)』としての私(わたくし)なら、理想の自分を新たに打ち立てることが出来る。獅(し)乃(の)神(かみ)様に、陛下に忠誠を誓った誉れ高き剣士としての『理想の自分』を……」

 

 早(さ)辺(え)子(こ)は姉の目から、隠しようのない後ろめたさを読み取った。

 今までの自分を無かったことにして、違う自分として生きる――それは姉が苦渋の末に選んだ道ではなく、自尊心を守る為(ため)に喜んで飛び付いた選択肢だというのか。

 

「だから……私(わたくし)と会いたくなかったのですか? 私(わたくし)と会う時だけは……昔の自分に戻らなくてはいけないから……」

「軽蔑されても仕方が無いと思っている」

「それは……『水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)を』ですか……」

 

 早(さ)辺(え)子(こ)は眉(み)間(けん)に皺(しわ)を寄せる。

 目の前の姉に告白された「弱さ」「情けなさ」「卑(ひ)怯(きよう)さ」は受(う)け容(い)れ難(がた)い。

 だがふと、そんな自分の憧れが姉を苦しめ続けたのかと思い至りもした。

 

「早(さ)辺(え)子(こ)、どちらにしても私(わたくし)は本来叛逆者なんだ。水(み)徒(と)端(はた)男爵家の為にも、もう私(わたくし)と関わらない方が良い。私(わたくし)のことは忘れてくれ」

「姉さん……」

「これから御(お)父(とう)様(さま)と御(お)母(かあ)様(さま)の墓前で懺(ざん)悔(げ)しに行く。水(み)徒(と)端(はた)家のことは頼んだぞ」

 

 敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)は早(さ)辺(え)子(こ)を振り切る様に踵(きびす)を返した。

 一刻も早く「水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)」を、早(さ)辺(え)子(こ)の姉を辞めたかったのだろうか。

 これからは何の気兼ねも無く理想の女剣士「敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)」として生きていこうというのか。

 

 しかし、早(さ)辺(え)子(こ)は姉の言動から別の感情を読み取った。

 終始彼女が見せていた、後ろめたさに満ちた表情――おそらく、姉は生涯自嘲し続けるのだろう。

 この場所を、両親が眠る墓地を再会の場所に指定したのは姉の方だ。

 

 嘗ての姉は正義の人であった。

 弱きを助け、強きを挫(くじ)く、そんな誇り高い女傑であった。

 そんな姉が、今の自分の欺(ぎ)瞞(まん)に気付かない訳が無い。

 

 自尊心の強い姉は、本音では穢れを知らなかった昔の自分に戻りたいのではないか。

 敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)を名乗るのは、そんな自分を今でも変わらず罰し続けているのではないか。

 姉は重い足取りで歩き始める。

 その背中にも、罪悪感と未練を感じずにはいられない。

 

「姉さん!」

 

 早(さ)辺(え)子(こ)は堪(たま)らず呼び掛けた。

 

「忘れません! 仮令(たとえ)貴女(あなた)が何者になろうと、貴女(あなた)は私(わたくし)の姉さんです! 今までも、これからも、ずっと変わらず、尊敬し続けます!! 何(な)故(ぜ)なら、何故なら私(わたくし)は貴女(あなた)を……!!」

 

 敷(しき)島(しま)は一瞬震えたが、立ち止まることなく歩き続ける。

 夜空に浮かぶ上弦の半月が、麗(うるわ)しの女剣士たる近衛侍女・敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)の後ろ姿を、皮肉な程に美しく模(かたど)っていた。

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