日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第九十九話『神和』 序

 十月二十日火曜日、獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)、新神(じん)皇(のう)の即位礼が執り行われた。

 その様子は皇(こう)國(こく)だけでなく海外からも大々的に取り上げられ、その威風堂々たる姿が世界各国で報じられた。

 とはいえ、皇(こう)國(こく)には三(さん)種(しゆ)の神(じん)器(ぎ)だけでなく神宮も焼き払われており、加えて先代神(じん)皇(のう)・大(だい)智(ち)による建国以来初めての践(せん)祚(そ)であったこともあり、その様子は日本国とは細かな相違点が様々見受けられた。

 

 皇(こう)國(こく)にとって、それは新しい時代の到来を予感させる晴れの日となる筈(はず)であった。

 一方で、自らが皇(こう)國(こく)議会での首班指名を受けて政(まつりごと)を受け持つことになったことには懸念の声も上げられていた。

 そしてそれは、翌日の勅(みことのり)を以(もつ)て大きな波紋に変わることになる。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 翌日・十月二十一日の夕刻、皇妹・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)は血相を変えて皇宮宮殿へと駆け込んだ。

 即位の後、神(じん)皇(のう)・叡(えい)智(ち)は正式に居所を此(こ)方(ちら)に移している。

 本格的に神(じん)皇(のう)として、執政者として、皇(こう)國(こく)を導く覚悟の表れだ本人はと云(い)う。

 しかし、それにしても最初の勅(みことのり)は龍(たつ)乃(の)神(かみ)や多くの政治家、貴族達にとって承服しかねた。

 

 荘(そう)厳(ごん)なる回廊を進む龍(たつ)乃(の)神(かみ)は、二人の近衛侍女に加えて一人の軍人を伴って歩く兄の背中に声を掛ける。

 

「兄様! お待ちください、兄様!」

 

 神(じん)皇(のう)・叡(えい)智(ち)は妹の声に気が付いて振り向く。

 それに続いて、付き従っていた三人も龍(たつ)乃(の)神(かみ)の方へ身体を向けて頭を下げた。

 

「どうした、深(み)花(か)? その様なこの世の終わりの様な顔をして」

「この様な顔にもなります!」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は兄に食って掛かる。

 

「兄様、憲法をあのような形に改正しようとは、一体どういうおつもりなのですか!」

 

 この日の昼、神(じん)皇(のう)は為(い)政(せい)者(しゃ)として驚くべき方針を打ち出した。

 ヤシマ人民民主主義共和国時代の法制を下敷きに制定され、建国以来一度として手を加えられなかった憲法の改正である。

 改正自体は憲法上に要件が定められており、騒ぎ立てられる程異常な事態ではないが、問題はその内容であった。

 彼は次の様な記述を盛り込もうとしていた。

 

 一、神(しん)聖(せい)大(だい)日(にっ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)は萬(ばん)世(せい)一系の神(じん)皇(のう)によって統治される君主制国家である。

 一、神(じん)皇(のう)は国の元首であって、統治権を総(そう)攬(らん)する。

 一、神(じん)皇(のう)は必要に応じ、国権の一部または全部を委任することが出来る。

 一、憲法の改正は神(じん)皇(のう)の勅命または議員三分の二以上が出席する両院議会に於(お)ける三分の二以上の賛意によって可決される。

 

「どういうつもり、と云われても、そう大した事ではないのだがな……」

 

 神(じん)皇(のう)は困り果てた様子で首を傾(かし)げる。

 

「俺(おれ)はただ、現状の規定では俺(おれ)が帝(みかど)でありながら大臣であるという奇妙な状態になってしまうから、この際『神(じん)皇(のう)』というものを憲法に定めてしまおうと考えたまでなのだが……」

「へ、陛下……そ、それだけの理由で……?」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)の侍従・灰(かい)祇(ぎ)院(いん)在(あり)清(きよ)は驚(きよう)愕(がく)に目を瞠(みは)った。

 

「あれらの条文が何を意味するか、お解(わか)りにならない陛下ではないでしょう?」

「灰(かい)祇(ぎ)院(いん)、汝(なれ)の言うことも解る。あくまでこれは初案に過ぎぬ。不完全な部分は運用しながら補完していくつもりだから、そう心配することは無い」

 

 灰(かい)祇(ぎ)院(いん)は絶句した。

 今まで、彼は何度か皇太子時代の獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)に意見したことがある。

 その時はここまで危うさを感じさせはしなかった。

 だが今は、どこか話が通じない異質さを感じさせるものがある。

 

「灰(かい)祇(ぎ)院(いん)様……」

 

 神(じん)皇(のう)に伴っていた軍人が口を開いた。

 

「神(じん)皇(のう)陛下の御(ご)聖(せい)断(だん)に対して度が過ぎますぞ。これまで第一皇子であった御(お)方(かた)であれば御本人様の寛大なる御(み)心(こころ)により許されもしましょう。しかし、皇位を正式に御(お)嗣(つ)ぎ遊ばされた今では最(も)早(はや)是(これ)迄(まで)とは違う。如(い)何(か)に旧皇族の御方であれど、僭(せん)越(えつ)は厳かに慎むべきでは御座いませんかな?」

「皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)総裁・荒(あら)木(き)田(だ)将(まさ)夫(お)……!」

 

 荒(あら)木(き)田(だ)将(まさ)夫(お)――この男の表情を見た龍(たつ)乃(の)神(かみ)と灰(かい)祇(ぎ)院(いん)は、神(じん)皇(のう)がこの様なことを言い出した原因を察して彼を睨(にら)んだ。

 皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)は予(かね)てより神(じん)皇(のう)親政を主張してきた集団である。

 そして神(じん)皇(のう)は革命動乱以降、この男と頻繁に会っている。

 

「荒(あら)木(き)田(だ)……お前が兄様に要らぬことを吹き込んだのか……!」

「これはこれは龍(たつ)乃(の)神(かみ)殿下、麗(うるわ)しの殿下にその様に誤解されるのは非常に心苦しく存じます。我々はただ、陛下にお力添えしたい一心で……」

「白々しい。動乱の後、皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)が良からぬ動きをしていると、方々から妾(わらわ)の耳に入ってきている。お前達、皇(こう)國(こく)をどうするつもりだ」

「まさか……私(わたし)にその様な大それた力などあろう筈も御座いません。皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)は先の選挙で衆議院の過半数を取ったに過ぎません。憲法改正には両院の三分の二以上が出席した上で三分の二の賛意が必要。我々のみの力では無理で御座います」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は表情を緩めない。

 荒(あら)木(き)田(だ)の言葉が詭(き)弁(べん)であることは明らかだった。

 神(じん)皇(のう)の権威を前に異を唱えられるものなど居よう筈も無く、改正案が議会に提出された時点で可決されることは目に見えている。

 

「お前達はどうなんだ、敷(しき)島(しま)、貴(き)龍(りゆう)院(いん)。お前達はこんな男を陛下に近付けるのか。近衛侍女としての心構えはどうなっている」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)の矛先は二人の近衛侍女、敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)と貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)に向いた。

 彼女の問いに、先(ま)ずは貴(き)龍(りゆう)院(いん)が冷笑を浮かべる。

 

「荒(あら)木(き)田(だ)の謁(えつ)見(けん)は他ならぬ陛下の御(お)許(ゆる)し以て執り行われておりますのよ、殿下。それに、私(あたくし)達はこの世の誰よりも陛下の御(お)力(ちから)を信じて已(や)まぬ者。その陛下が直接政(まつりごと)に腕を振るわれること、畏れ多くも邪魔立てする理由など有りませんわ。ねえ、敷(しき)島(しま)ちゃん……」

「御意……」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は歯(は)噛(が)みした。

 最早兄の周囲には取入って利用する者と囃(はや)し立(た)てる太鼓持ちしか居ないのか。

 そんな妹を、兄は諫(いさ)める。

 

「深(み)花(か)よ、それくらいにしておけ。俺(おれ)は此(こ)処(こ)に居る者は皆皇(こう)國(こく)を真に憂(うれ)う者と信じている。それを恰(あたか)も佞(ねい)臣(しん)の如く誹(そし)るものではない」

「兄様っ……!」

「殿下」

 

 灰(かい)祇(ぎ)院(いん)が今にも兄に迫らんとする龍(たつ)乃(の)神(かみ)の前に立(た)ち塞(ふさ)がった。

 

「陛下、龍(たつ)乃(の)神(かみ)殿下もまた皇(こう)國(こく)を真に憂いているのです」

「それは百も承知だ」

「でしょうね。そして勿(もち)論(ろん)、この場の誰よりも皇(こう)國(こく)を深く想(おも)われているのは陛下御自身であると、これもまた言うまでも無いことでしょう。ですから、殿下も私(わたくし)も是非貴方(あなた)様に考えていただきたいのです」

 

 灰(かい)祇(ぎ)院(いん)を見下ろす神(じん)皇(のう)は切れ長の目を細めた。

 対する灰(かい)祇(ぎ)院(いん)は物(もの)怖(お)じせず続ける。

 

「陛下、陛下こそはこの世の誰よりも栄達なる御方。ですからどうか、他の者よりも先ず貴方(あなた)様御自身がどうすべきか能(よ)く考えて事を運んでいただきたく存じます。皇(こう)國(こく)の為に何をすべきで、何をすべきでないか、他ならぬ貴方(あなた)様に考えていただきたい。その結果、貴方(あなた)様の深謀遠慮なる大御心のままに政(まつりごと)を動かされることが、何よりも皇(こう)國(こく)の為になると、心より信じます」

 

 神(じん)皇(のう)と灰(かい)祇(ぎ)院(いん)は暫(しば)し視線を交わし合った。

 神(じん)皇(のう)の双(そう)眸(ぼう)は、龍(たつ)乃(の)神(かみ)の方へも動く。

 そして、彼は暫しの後に口を開いた。

 

「あいわかった。憲法改正案についてはもう少し熟慮すると発表しよう」

「なっ、陛下……!」

 

 荒(あら)木(き)田(だ)は驚き慌てている。

 今度はそんな彼を神(じん)皇(のう)が宥(なだ)める。

 

「荒(あら)木(き)田(だ)よ、深(み)花(か)と灰(かい)祇(ぎ)院(いん)の懸念は尤(もつと)もだ。ここは一度持ち帰り、手直しを加えた上で改めて議会に問うのが得策。俺(おれ)は両院の議員達に真に納得してもらった上で、政を執り行いたいと思っているのだ」

「は、はい……」

 

 荒(あら)木(き)田(だ)は意気消沈した様に項(うな)垂(だ)れた。

 そんな彼を横目に、彼は妹へと顔を向ける。

 

「では、俺(おれ)はもう行くぞ。これから明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)への訪問へ向けて準備をせねばならんからな」

「兄様、では最後に一つだけお聞かせ願えますか」

「うむ、申せ」

「明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)との停戦と講和、これを翻されることは万に一つもありませんね?」

「無論だ。皇(こう)國(こく)に明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)とこれ以上戦う意思など無い。そうだな、荒(あら)木(き)田(だ)よ」

「え、ええ、はい……。然(さ)様(よう)で御座います……」

 

 神(じん)皇(のう)は兎(と)も角(かく)、荒(あら)木(き)田(だ)の歯切れは悪かった。

 彼は政治家というよりも軍人である。

 皇(こう)國(こく)の戦い振りに良いところが無いまま戦争を終えるのは本意でないのだろう。

 そんな彼を横目に、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は初めて口角を上げた。

 

「安心しました、兄様。その揺るぎ無い御(ご)叡(えい)慮(りょ)で是非両の日本を恒久の平和へとお導きください」

「勿論だ、安心せよ」

 

 神(じん)皇(のう)は踵(きびす)を返し、付き従う者達を引き連れて歩きだす。

 そんな中、一人の女が小さく呟(つぶや)いた。

 

「灰(かい)祇(ぎ)院(いん)君、やってくれたわねぇ……」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)と灰(かい)祇(ぎ)院(いん)は互いに視線を合わせた後、神(じん)皇(のう)の後ろ姿に一礼してその場を立ち去った。

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