日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第九十九話『神和』 破

 夜を迎えた。

 皇宮宮殿は寝室に、窓から月の光が差し込んでいる。

 虫の音が秋の夜長に静けさを際立てていた。

 

 神(じん)皇(のう)・叡(えい)智(ち)は硝子杯(グラス)を片手に罷蘭地(ブランデー)を揺らして寛(くつろ)いでいる。

 宮殿は夏まで先代神(じん)皇(のう)・大(だい)智(ち)が居所としており、全ての家具は身長一四四糎(センチ)と小柄な彼に合わせて遇(あしら)われていた。

 しかし、代替わりした彼は打って変わって二一六糎(センチ)と大柄な体格をしていた為(ため)、それに合わせるべく日用品の殆(ほとん)どは旧獅(し)乃(の)神(かみ)邸と入れ替えられている。

 この部屋にある物は全て、数年来の長きに亘(わた)って彼に愛用されていたものである。

 

「明後日より明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)か。愈(いよ)々(いよ)だな……」

 

 神(じん)皇(のう)ははいに青い唇を付けて酒を注ぎ込んだ。

 物(もの)憂(う)げな横顔が月明かりに照らされて、紫色に彩(いろど)られている。

 

「陛下は戦争を終わらせ、日本民族に平和を齎(もたら)そうという御(お)方(かた)。そう御心配なさらずとも、屹(きつ)度(と)大歓迎の下で迎えられるに違いありませんわ」

 

 彼の傍らには相変わらず二人の近衛侍女が控えている。

 

「しかし陛下、この部屋は陛下がご緩(ゆる)りと過ごされるには些(いささ)か狭いですわねぇ。一層宮殿ごと立て替えられては如(いか)何(が)でしょうか?」

「貴(き)龍(りゆう)院(いん)、この宮は父上が皇(こう)國(こく)への御(ご)帰(き)還(かん)を記念して建てられたものだ。様式は神(しん)和(わ)政府以前、未(いま)だ皇(こう)國(こく)の都が皇(こう)都(と)府(ふ)にあった頃の伝統的建築を可能な限り再現されている。如(い)何(か)に神(じん)皇(のう)に即位したとて、俺(おれ)の一存で軽々に塗り替えるべきものではない」

「これは失礼致しました。開(かい)闢(びゃく)以(この)来(かた)の絶対的現(あら)人(ひと)神(がみ)たる御身でありながら連綿と受け継がれし歴史と伝統への敬意を失わぬその大いなる御(み)心(こころ)、私(あたくし)はまたしても感激に身震いを禁じ得ませんわ」

「ふむ……」

 

 いつもの通り、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は主君を過剰なまでに褒(ほ)め称(たた)える。

 しかし、相手の神(じん)皇(のう)は普段と異なり、反応に乏しい。

 ただ物思いに耽(ふけ)る様に酒を嗜(たしな)み続けていた。

 

「歴史と伝統、か……」

 

 空になった硝子杯(グラス)に、敷(しき)島(しま)が追加の罷蘭地(ブランデー)を注ぐ。

 神(じん)皇(のう)はそんな彼女をまじまじと見詰めていた。

 敷(しき)島(しま)はそんな彼の視線にすぐ気が付いた。

 

「如何なさいましたか、陛下?」

「敷(しき)島(しま)よ……」

 

 神(じん)皇(のう)は彼女に問い掛ける。

 

「汝(なれ)は俺(おれ)に仕えて何年になる?」

 

 突然の問いに、敷(しき)島(しま)は少し驚いた様に瞠(どう)目(もく)した。

 しかし、遅れたのは一瞬に留(とど)めてすぐに答える。

 

「六年目です。忘れようが御座いません」

「そうだな。無論、俺(おれ)も能(よ)く覚えている。あれは八月の革命動乱までは皇(こう)國(こく)で起きた最大の内乱であった」

「恥ずべき過去です。しかし、何故(なぜ)今その様なことを?」

 

 敷(しき)島(しま)の問いに、神(じん)皇(のう)は溜息を吐いた。

 

「先日、武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)が明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)で壊滅したことは聞いているな?」

「はい。道(どう)成(じよう)寺(じ)は遂(つい)に引導を渡された。一つの歴史が漸(ようや)く幕を下ろしたといったところでしょうか」

「うむ。そして先の動乱で自ら降(くだ)った地(ち)上(じよう)ノ(の)蠍(さそり)座(ざ)の二人だがな、俺(おれ)の即位の礼と時を同じくして拘置所内で急死したそうだ」

「日(くさ)下(か)部(べ)と月(つく)夜(よ)が?」

 

 敷(しき)島(しま)は怪(け)訝(げん)そうに眉根を寄せた。

 神(じん)皇(のう)は黙って頷(うなず)く。

 そして貴(き)龍(りゆう)院(いん)はそんな二人を横目に窓の外の月を眺めていた。

 

 日(くさ)下(か)部(べ)光(みつ)郎(ろう)と月(つく)夜(よ)萌(も)以(え)は、地(ち)上(じよう)ノ(の)蠍(さそり)座(ざ)の七(しち)曜(よう)衆(しゅう)でも良識派として水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)と比較的話の合った者達だった。

 そんな二人はこの宮殿に攻め込んで先代神(じん)皇(のう)を皇(こう)國(こく)議会の議場へと連行したが、その際に先帝の人柄に触れて感化され、一足先に革命を放棄していた。

 

 その二人が謎の急死を遂げた。

 しかし、皇(こう)國(こく)に於(お)いてこの様な不審死はそれ程珍しいことではなかった。

 敷(しき)島(しま)も多少驚きはしたものの、大きな衝撃は受けずにただ事実を呑(の)み込(こ)んでいた。

 

「然(さ)様(よう)で……御座いますか」

「敷(しき)島(しま)にとっては因(いん)縁(ねん)浅からぬ者達だ。手放しに喜ぶことは出来まいな」

「あの二人は……そうですね……。道(どう)成(じよう)寺(じ)は如何なさるおつもりですか?」

「どうもこうも、明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)に任せる他あるまい。引き渡し要求の根拠は無いからな」

 

 日本と皇(こう)國(こく)は犯罪人引渡の条約を締結していない。

 また、講和の条件に入れることも、両国とも望んでいなかった。

 

「犯罪人引渡条約を結んでしまうと、皇(こう)國(こく)としては父上に狼(ろう)藉(ぜき)を働いた麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)やその逃亡を手引きした岬(さき)守(もり)航(わたる)の引き渡しを要求せねばならん。だが、俺(おれ)はそれを避けたいと思っている。向こうの立場に立てば、あの二人は英雄に他ならん。此(こ)方(ちら)としては憎むべき者でも、彼岸では讃(たた)えられて然(しか)るべき者も存在する。互いが互いの立場で誇りを胸に抱き、尊重し合い解り合うことこそ、平和への第一歩ではないかと、俺(おれ)はそう思う」

「相変わらず、陛下の御心は遠大無窮に御座いますねぇ」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)が、彼女の方こそ相変わらずの調子で主君に媚(こ)びを売った。

 だが神(じん)皇(のう)は敷(しき)島(しま)から目を離さない。

 

「敷(しき)島(しま)よ、俺(おれ)と汝(なれ)はあの時、確かに解(わか)り合ったよな?」

「……はい」

 

 実際には戦いにもならない程の圧倒的な力に因(よ)って屈服させたのだが、神(じん)皇(のう)にはその自覚が無い。

 そして敷(しき)島(しま)も、その認識を否定する訳には行かなかった。

 主君の機嫌を損ねない為でもあるし、自分の納得を守る為でもある。

 

 敷(しき)島(しま)は今、一人の男の言葉を思い出している。

 獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)に仕えるに当たって、彼女は今は亡き侍従長から厳命されていたことがある。

 

『絶対強者・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)殿下にお仕えする者は心せよ。其(そ)方(なた)の主となる御方のお怒りは、三千世界を畢(おわ)らせる』

 

 敷(しき)島(しま)は主の力を骨の髄まで思い知っていた。

 そして、彼が夢の中に生きていることも。

 ならば彼女の使命とは、この男の怒りが世界に向かうことが無いように、夢を見せ続けることに他ならなかった。

 

「勿(もち)論(ろん)で御座います、陛下」

 

 敷(しき)島(しま)は念を押す様に言葉を重ねた。

 神(じん)皇(のう)はそんな彼女の瞳をじっと覗(のぞ)き込(こ)む。

 敷(しき)島(しま)の言葉は完全な出任せではない。

 実際、圧倒的な力に屈服することで救われた面も確かにあったのだ。

 

 敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)の忠誠心は本物である。

 そして神(じん)皇(のう)もまた、そんな彼女を疑っているという訳ではなかった。

 

「敷(しき)島(しま)よ、俺(おれ)はな、出来れば道(どう)成(じよう)寺(じ)とも解り合いたかった。だがそれはどうやら叶(かな)わぬ願いらしい。奴(やつ)だけではない。日(くさ)下(か)部(べ)と月(つく)夜(よ)もこの世を去った。革命動乱の中で対(たい)峙(じ)した戦士とも、何(い)時(つ)ぞや街中で汝(なれ)らが斬り伏せた単独の叛(はん)逆(ぎやく)者とも、誠に遺憾ながら解り合うことが出来なかった。何故なのだろうな……」

 

 神(じん)皇(のう)は注がれた酒を一気に飲み干した。

 いつもよりも青い顔は冷ややかな悲しみの色に見える。

 彼の中で世界が揺らめいている。

 それは敷(しき)島(しま)にとって、凄(すさ)まじく恐ろしい予兆であった。

 

「そういえば陛下は狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の大義を知りたいと、あの議場で仰(おつしや)っていましたわね」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)が思い出した様に言った。

 彼女が無遠慮に吐いた言葉に、敷(しき)島(しま)は眉を顰(しか)める。

 しかし、貴(き)龍(りゆう)院(いん)はそんな彼女の憂(うれ)いを踏(ふ)み躙(にじ)る様に続ける。

 

「そういうことでしたら、陛下、あの者達の理念を語ることが出来る者がまさに居るではありませんか。今この場、貴方(あなた)様の隣に……」

「貴(き)龍(りゆう)院(いん)殿っ……!」

 

 敷(しき)島(しま)の顔から血の気が引いた。

 確かに、元々地(ち)上(じよう)ノ(の)蠍(さそり)座(ざ)に最高幹部として所属していた彼女なら、狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)や地(ち)上(じよう)ノ(の)蠍(さそり)座(ざ)が何を掲げていたのか十全に語ることが出来る。

 しかし、敷(しき)島(しま)の口からそれを語ることはかなりの危険を伴う。

 

 神(じん)皇(のう)は自分が助けたいと思ったものに対して何処(どこ)までも甘い。

 敷(しき)島(しま)が今、名を変えて彼に仕えていられるのも、彼の個人的な温情によって生かされたからだ。

 そしてそれ程思い入れのある彼女語られた言葉なら、万に一つの可能性として真に受けてしまうこともあり得る。

 

「貴(き)龍(りゆう)院(いん)、それは俺(おれ)も考えた。しかし、敷(しき)島(しま)に訊(き)くのは酷な気がする」

「そうですか? 敷(しき)島(しま)ちゃんなら何よりも陛下の為に言葉を尽くしてくれると思いますけれど……」

「っ……!」

 

 敷(しき)島(しま)は躊(ため)躇(ら)う。

 何より恐ろしいのは、神(じん)皇(のう)が狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)に理解を示してしまうことだ。

 日本人を罪深き狗(いぬ)の民族と蔑(さげす)む上で、道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)はかなりの理論武装をしている。

 もし、神(じん)皇(のう)がその論理に腹落ちしてしまったら……?

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は脳天気に笑っている。

 どこか作り笑いに思える表情だ。

 

「敷(しき)島(しま)ちゃん、陛下をどうか助けてあげて」

「貴(き)龍(りゆう)院(いん)殿……!」

 

 敷(しき)島(しま)は迷っていた。

 語れば大惨事の危険があり、逆に語らねば彼の不興を買ってしまう。

 敷(しき)島(しま)にとって、進むも地獄退くも地獄を思わせる状況だ。

 そんな彼女に、神(じん)皇(のう)は穏やかな口調で言い聞かせる。

 

「心配することは無い。生前の日(くさ)下(か)部(べ)と月(つく)夜(よ)が獄中で語った言葉から、概論だけは察している。何故彼らが皇(こう)國(こく)と相(あい)容(い)れないか、その理由が何処にあるのか……」

「陛下……。二人から何を聞かされたのですか……?」

「うむ……」

 

 少しの間を置き、神(じん)皇(のう)は敷(しき)島(しま)に一つのことを確かめてきた。

 

「道(どう)成(じよう)寺(じ)がヤシマ人民民主主義共和国を建国したのは何故か? それは皇(こう)國(こく)の前身たる神(しん)和(わ)政府が倒れたあの世界大戦、その評価に対する俺(おれ)達と相容れない断絶があったからだ。敷(しき)島(しま)よ、俺(おれ)が知りたいのは、奴らが神(しん)和(わ)政府の歴史と戦争に何を見たかだ。そこに俺(おれ)が抱える汎(あら)ゆる疑問の答えに繋(つな)がる何かがあるのではないか?」

 

 敷(しき)島(しま)は息を呑(の)んだ。

 秋の夜長、寝室のただならぬ空気が漏れたのか、虫達すら歌を忘れて静寂を深めていた。

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