日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第九十九話『神和』 急

 神(しん)聖(せい)大(だい)日(にっ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)の前身は安(あ)槌(づち)幕府から王政復古を果たした神(しん)和(わ)維新によって統治された日本であり、皇(こう)國(こく)はこの時代以前の日本を「神(しん)和(わ)日(ひの)本(もと)」と呼んでいる。

 その神(しん)和(わ)政府がヤシマ人民民主主義共和国に国を簒(さん)奪(だつ)されたのは、世界大戦での敗北が切掛であった。

 

「王政復古により神(しん)和(わ)政府が誕生したあの時代、俺(おれ)達の世界は帝国主義の駆引(ゲーム)に参加し資源を奪い合う列強国と、奪い合いの対象となる弱小国に二分されていた。そして列強国とは専(もつぱ)ら欧米諸国のことを指し、彼方(あちら)の国々の外側は概(おおむ)ね奪う対象となる弱小国と見(み)做(な)されていた。駆引(ゲーム)に参加する資格があるのは彼ら内輪の倶(ク)楽(ラ)部(ブ)に限られる、という世界が、文明力を背景として強固に完成されていたと云(い)うべきか……」

 

 皇(こう)國(こく)が元々在った世界に於(お)ける歴史は、此(こ)方(ちら)側の世界と類似している部分が大きいが、明確に異なっている部分もある。

 その典型例が、彼らの前身「神(しん)和(わ)日(ひの)本(もと)」が維新後に辿(たど)ってきた歩みである。

 

「神(しん)和(わ)日(ひの)本(もと)はそんな世界に対する挑戦者だった。列強国の脅威にさらされた日本人は維新と近代化を経て奇跡の様な成長を遂げる。それは欧米の内輪と比して日本が、延(ひ)いては外側の世界が決して劣ってなどいないという証明に他ならなかった」

 

 神(じん)皇(のう)の語っている歴史は、皇(こう)國(こく)で教えられている歴史観を大掴(づか)みしたものである。

 彼らの歴史観には一つの物語が通奏低音として存在している。

 

「翻って日本の歴史とは常に、巨大で傲慢な文明国・覇権国に対して、化(け)外(がい)の身から学び追い付き、一方で己の何たるかという問いを立てて独自性を打ち立てる、そしてそれが充分熟した頃に大国の傲慢を掣(せい)肘(ちゆう)する――そういった歩みであったと言えよう。時代が下(くだ)り、極東から世界へ飛び出してもそれは変わらなかった。神(しん)和(わ)政府は文明開化と富国強兵を掲げて列強国に比肩し得る国家を育て上げ、遂(つい)には相対する時を迎えたのだ」

 

 神(しん)和(わ)日(ひの)本(もと)は先(ま)ず、露西亜(ロシア)と衝突することになった。

 戦いは此(こ)方(ちら)の世界の歴史と比べて更に絶望的なものだった。

 神(しん)和(わ)日(ひの)本(もと)は同盟を組むことが出来なかったのだ。

 しかし近代化を歩み始めた時代が早かった分此(こ)方(ちら)の世界よりも発展度合いが高く、国力も大きかったが為(ため)、緒戦で快進撃を繰り広げた。

 

「日露の戦いは長きに亘(わた)った。情勢が此方側に傾くにつれ、味方となる国も増えていったが、同時に敵も増えていった。並行して欧州ではこれまでに無い大規模な戦争『世界大戦』が勃発。日本の戦線もそれに巻き込まれる形で勢力図へと組み込まれていく。そんな中で敵陣営から海路の封鎖を受けた日本は、起死回生の手段として亜細亜(アジア)に対列強の旋風を起こし生存圏を確保するという選択を採った。それまで奪い合いの対象物としてしか見られていなかった弱小国を率い、列強支配の時代に風穴を開ける偉大なる戦いに打って出ようとしたのだ」

 

 神(じん)皇(のう)は溜息を吐いた。

 結果、神(しん)和(わ)日(ひの)本(もと)に何が起きたかは、今まで散々語り尽くされたとおりである。

 

「しかし、志は叶(かな)わなかった。神(しん)和(わ)日(ひの)本(もと)は敗戦し、更には革命によって国家をヤシマ人民民主主義共和国に簒奪され、地獄の日々が始まった。皇(こう)國(こく)が再び栄光を取り戻すのは、父上の帰還を待たなければならなかった」

「そして、嘗(かつ)ての偉大なる志を継ぐ新たな歴史が始まるのですね、陛下」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)はわざとらしく両眼を輝かせている。

 

「そんな素晴らしい歴史を、狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)はどのように捉えていたのかしら? ねえ、敷(しき)島(しま)ちゃん?」

「それは……」

 

 敷(しき)島(しま)は眼を伏せて躊(ため)躇(ら)っている。

 彼女は皇(こう)國(こく)の歴史観と真っ向から対立する狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の史観を語ることは出来るが、それが神(じん)皇(のう)の気分を害することを憂(うれ)いているのだ。

 しかし、そんな彼女を貴(き)龍(りゆう)院(いん)は追い詰める。

 

「まあ、言いたくないのも無理は無いかも知れませんわねぇ。しかし、そうなると彼らは皇(こう)國(こく)と同じ歴史観を共有しながらあの様な蛮行に及んだ、単に欲の深い不届き者共に過ぎなかったと解するしかなくなってしまいますわぁ。神(じん)皇(のう)陛下がその様なこと、望まれる筈(はず)が無いのに……」

「う……!」

 

 苦い表情を浮かべる敷(しき)島(しま)、冷笑する貴(き)龍(りゆう)院(いん)。

 そんな二人の様子を、神(じん)皇(のう)は横目で一(いち)瞥(べつ)した。

 

「良い、二人共、良いのだ」

 

 神(じん)皇(のう)の言葉に敷(しき)島(しま)は胸を撫(な)で下(お)ろし、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は口角を下げる。

 彼は硝子杯(グラス)に映る自分の眼を見詰めていた。

 

「俺(おれ)が求めるのは日本民族の心靖(やす)らかなること、これに尽きる。その中には敷(しき)島(しま)も当然に含まれる。態(わざ)々(わざ)己を苦しめ、苦い記憶を呼び起こす必要など無い。もう済んだことだ、全てはな」

「それで宜(よろ)しいのですか、陛下?」

「構わん。これ以上の苦しみはもう沢山だ」

 

 神(じん)皇(のう)は卓上に硝子杯を置いた。

 

「二人共、外してくれ。今(こ)宵(よい)は一人で過ごしたい」

「あら、暫(しばら)く国を離れる前に一晩お供出来るかと思いましたのに……」

「そういう気分ではなくなった。その望みは帰国後に叶えるとしよう」

「畏(かしこ)まりました。ではお下げしましょう」

 

 敷(しき)島(しま)は盆の上に瓶と杯を載せ、片付けようとする。

 そんな彼女の振る舞いを見て、貴(き)龍(りゆう)院(いん)が慌てた様子で制止する。

 

「敷(しき)島(しま)ちゃん、待ちなさぁい。貴女(あなた)にさせてまた落とされては大変だわぁ。私(あたくし)がやるから敷(しき)島(しま)ちゃんは部屋に戻ってなさぁい」

 

 敷(しき)島(しま)は近衛侍女として仕える身ではあるが、戦闘面は兎(と)も角(かく)家事や事務といった身の回りの世話に関してはポンコツという他無い。

 普段はよく失敗をしては貴(き)龍(りゆう)院(いん)から叱責を受けているが、今回は神(じん)皇(のう)の雰囲気が只(ただ)事(ごと)でないと貴(き)龍(りゆう)院(いん)が気を遣ったらしい。

 しかし、敷(しき)島(しま)はそんな気遣いも腑(ふ)に落ちない様子だ。

 

「そういう訳には。貴(き)龍(りゆう)院(いん)殿と違い、私(わたくし)はあくまで過去の罪をこの場で濯(すす)ぐ身の上なのだから」

「だったらその硝子杯(グラス)だけ持ってきて頂戴。それ以上は任せられないわぁ」

「私(わたくし)とて陛下のお役に立ちたいのだが……」

「人間には得手不得手というものがあってよぉ」

「敷(しき)島(しま)、良い。あまり貴(き)龍(りゆう)院(いん)を困らせるな」

 

 主に諫(いさ)められ、敷(しき)島(しま)は消沈した様子で立ち上がった。

 その手には硝子杯(グラス)が一つ、貴重品を預かるように胸の前で両手に収まっている。

 

「では陛下、失礼致しますわ。おやすみなさいませ」

「失礼致します、どうか良い夢を」

「うむ、おやすみ」

 

 二人の近衛侍女は深々と頭を下げ、寝室を後にした。

 一人残された神(じん)皇(のう)は、夜空に浮かぶ月を眺めていた。

 

「歴史……。過去の罪、か……」

 

 虫達が静まり返った夜に、月を取り巻く雲が闇空の深さを醸し出していた。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 寝室を去った敷(しき)島(しま)と貴(き)龍(りゆう)院(いん)は夜の回廊を歩いている。

 

「それにしても、敷(しき)島(しま)ちゃんはあの御(お)方(かた)のこととなると過剰なほど臆病ねぇ……」

「私(わたくし)には貴女(あなた)が軽(けい)率(そつ)に過ぎるように思えるが、貴(き)龍(りゆう)院(いん)殿?」

 

 敷(しき)島(しま)は先程の貴(き)龍(りゆう)院(いん)の態度に強い不信感を覚えていた。

 そして今一度、侍従長の言葉を思い出す。

 

『絶対強者・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)殿下にお仕えする者は心せよ。其(そ)方(なた)の主となる御方のお怒りは、三千世界を畢(おわ)らせる』

『大(だい)覚(かく)寺(じ)殿、どういうことでしょう?』

 

 当時の彼女は、獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)の力に捻(ね)じ伏(ふ)せられ、その凄(すさ)まじさを充分思い知らされていた。

 だがそれでも侍従長・大(だい)覚(かく)寺(じ)常(つね)定(さだ)のこの表現は大仰に聞こえた。

 

『どうもこうも、言葉のままだ。三千世界、森(しん)羅(ら)万(ばん)象(しよう)、その全てを容(た)易(やす)く滅せる力をあの御方は御(お)持(も)ちだ。今は神(じん)皇(のう)陛下がその力を抑えるために神(しん)為(い)を封じ、獅(し)乃(の)神(かみ)殿下御自身もまたそれを快く受(う)け容(い)れてくださっている。しかし全てはあの御方の気分次第、いつ封を解かれてもおかしくは無いということを忘れてはならぬ』

『神(じん)皇(のう)陛下の……封印……』

 

 他ならぬ皇(こう)國(こく)の大帝、神(しん)為(い)の大師父(グランドマスター)、神(じん)皇(のう)がそう考え対策を施しているのであればその見立ては正しいのだろう。

 だが、一つこの時の敷(しき)島(しま)には疑問が浮かんだ。

 

『しかし大(だい)覚(かく)寺(じ)殿、陛下が戒(いまし)めておられるのであれば、殿下も態々御父上の御(ご)意(い)志(し)に背いてまで力を解放なさらぬのでは?』

『うむ、確かにお前の言うことも一理ある。だが私(わたくし)には一つ気になることがあるのだ』

『気になること……?』

『いや、陛下が目を光らせておるのだからそんなことは不可能だとは思うのだが……』

 

 大(だい)覚(かく)寺(じ)には何か大きな懸念があるらしかった。

 しかし、同時にそれを確信できず言(い)い淀(よど)んでいた。

 そんな大(だい)覚(かく)寺(じ)に対し、敷(しき)島(しま)は一つだけ問い掛けた。

 

『私(わたくし)はどうすれば宜しいのでしょうか?』

『うむ……』

 

 少し考え込む様子を見せた後、大(だい)覚(かく)寺(じ)はこう言った。

 

『貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)の動きに気を付けよ。あの女を第一皇子殿下の近衛としたのは他ならぬ陛下の采配。故に間違いは無いと思いたい。だが、もし陛下の御(ご)聖(せい)体(たい)に万に一つ御(ご)不(ふ)予(よ)ありしとき、あの女が佞(ねい)臣(しん)の動きを見せたならば……』

『私(わたくし)に貴(き)龍(りゆう)院(いん)殿を斬れ、と?』

 

 大(だい)覚(かく)寺(じ)はそれ以上何も言わなかった。

 だがその無言を敷(しき)島(しま)は肯定と捉え、大(だい)覚(かく)寺(じ)の忠告を心の片隅に留(とど)めていた。

 

 今、敷(しき)島(しま)は大(だい)覚(かく)寺(じ)との遣(や)り取(と)りを強く思い起こしていた。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)――敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)にとって彼女は相棒であると同時に監視対象であった。

 

 先代神(じん)皇(のう)が健在の時は鳴りを潜めていたが、どうにも今、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は不気味に思えるほど現神(じん)皇(のう)に阿(おもね)っている。

 例えば、本来は止めなければならない首相への立候補宣言を持ち上げた時などは、諫めようとする当時の都(つ)築(づき)廉(れん)太(た)郎(ろう)首相を寧(むし)ろ妨害したようにも見えた。

 

 もし、貴(き)龍(りゆう)院(いん)が神(じん)皇(のう)に媚(こ)びを売る振りをして都合の良い方向に誘導して操ろうとしているのなら、これはとんでもなく恐ろしいことだ。

 敷(しき)島(しま)は鋭い眼で貴(き)龍(りゆう)院(いん)を睨(ね)め付(つ)ける。

 

 しかし一方で、迂(う)闊(かつ)に貴(き)龍(りゆう)院(いん)に手を出すわけにもいかない。

 神(じん)皇(のう)は貴(き)龍(りゆう)院(いん)のことも信用しているので、その世界観をぶち壊しにすることも又あってはならないのだ。

 そんな敷(しき)島(しま)の葛藤を見透かすように、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は不敵に妖艶な笑みを浮かべている。

 

「あのねえ敷(しき)島(しま)ちゃん、考えてもみなさい。あの御方が教わらなければ何も知らないままでいるとでも思うかしら」

「そ、それは……」

 

 神(じん)皇(のう)は並外れて高い知能の持ち主である。

 とすれば、狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の主張などその気になれば自分で探り当ててしまえるだろう。

 敷(しき)島(しま)は貴(き)龍(りゆう)院(いん)の言葉に反論出来ず、青(あお)褪(ざ)めていた。

 

「寧ろ親しい貴女(あなた)の口から言って差し上げるべきだったのではないかしら? それならばあの御方が良からぬ思想に惑わされる心配は低くなる。逆に自分で探し当ててしまった方が、納得してしまったあの御方を軌道修正するのは困難だわぁ……」

「た、確かに……」

 

 敷(しき)島(しま)は自分の胸に過去を問い掛ける。

 武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)が、道(どう)成(じょう)寺(じ)太(ふとし)が嘗て唱えたのは、神(しん)和(わ)政府が敗戦までに歩んだ歴史を欲望による周辺国からの収奪と、狂気による周辺国の侵略と見做す思想だ。

 それは嘗ての敷(しき)島(しま)を腹落ちさせ、一人の革命戦士へと変えるだけの説得力を持っていた。

 もし神(じん)皇(のう)が同じ思想に染まってしまったとしたら、それは日本人に対する死刑宣告にも等しいかも知れない。

 

「今から戻って説明する訳にも行かないわねぇ。どうするつもり?」

「ぐ……」

 

 敷(しき)島(しま)は己の失敗に眉根を寄せた。

 そんな彼女の手から、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は硝子杯(グラス)を取り上げる。

 

「部屋へ戻って反省していなさぁい。私(あたくし)はこれを洗って来るから」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)はそう言い残すと、敷(しき)島(しま)を置いてさっさと歩いて行った。

 

⦿

 

 回廊を曲がった貴(き)龍(りゆう)院(いん)は、敷(しき)島(しま)から死角になったところで小さく呼び来かける。

 

「征(せい)一(い)千(ち)君、朔(さく)馬(ま)君、三(みつ)入(なり)君、誰でも良いわ。これ、お願いするわね」

 

 彼女の呼び掛けに応える様に、黒い靄(もや)が彼女の手に持たれた盆を覆う。

 そして靄は消える際に貴(き)龍(りゆう)院(いん)から食器を全て持ち去った。

 

「よく出来ました。扨(さ)て、ここからが正念場よ。三人とも、沢山手伝ってねぇ……」

 

 神(じん)皇(のう)の訪日を前に、皇(こう)國(こく)では不穏な思惑が錯(さく)綜(そう)していた。

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