神皇が来日日程を終えて二日後の、十月二九日木曜日。
週刊誌に神皇の醜聞記事が掲載された。
曰く、フリーの記者から靖国神社参拝に関して鋭い質問を投げ掛けられて、追及の厳しさに耐えかねて激昂したといった内容である。
実態は質問ではなく、突撃取材と称して持論をぶつけた上で、SPに連行される去り際に胡麻を擦って逆鱗に触れたのだが、記者の綿貫の中では都合良くすり替っていた。
『新神皇の乱心~秘められた危うい軍国主義~』
週刊誌はそんな題目で、神皇が綿貫の質問に答えた内容を批判した。
唯、左派は紛糾したものの右派からは喝采を浴び、結果として日本国内の融和に向けた空気を後押しすることとなった。
そんな情勢の中、日本政府は航達を防衛省に呼び出していた。
新政府は特別警察特殊防衛課の廃止を既に決めており、その説明をする為だという。
会議室に岬守航・麗真魅琴・虻球磨新兒・繭月百合菜・雲野幽鷹・雲野兎黄泉・白檀揚羽・根尾弓矢の計八名が集められている。
「えー、皆さんは先日二六日を以て特別警察特殊防衛課としての契約を終了しているわけですが、おそらく今後の扱いについて不安に思われているかと存じます。今日お集まりいただいたのは、その説明の場を設けさせていただく為、御時間を取らせていただきました」
壇上では防衛省の職員が防衛大臣政務官に見守られながら、プロジェクターで映し出された資料を基に説明を始める。
「俺達は政府が言うから命懸けで協力したんだぜ。後悔させてくれることはねえよな?」
新兒が腕を組んで踏ん反り返る。
彼は政治のことを能く解っていないが、現政権が特別警察特殊防衛課を廃止したことは知っている。
そして、自分達が目の敵にされているのではないかと疑いを抱いているのは彼だけではない。
彼に続き、繭月百合菜も声を上げる。
「今の与党が前政権、特に皇元防衛大臣兼国家公安委員長を日夜追及していたことは知っています。その中で、私達は彼女とグルになって不正をしているかの如く敵視されていた。先程、私達が不安を抱いているのかと仰いましたが、その原因を能く考えていただきたく存じます」
「ちょっと待ってください」
彼女の発言に政務官が反応した。
彼もまた、当時の野党として皇奏手を追求した一人である。
「まるで私達が前政権の不正を追及したことを間違いだったと言っている様に聞こえる。しかし、貴女方こそ野党の役割というものを能く考えていただきたい」
彼は繭月の言葉が心外だったのか、彼女に厳しい眼を向けた。
宛ら、野党時代に皇を追求していたときの眼と同じである。
それを見かねてか、根尾が繭月を咎めた。
「繭月君、話が脱線してしまった。先ずは説明を聞いてから意見した方が良いだろう」
「すみません、根尾さん」
「しかし、先生。虻球磨君が申し上げたとおり、彼らの活動はあくまで政府が要請したもので、当時の法を根拠に行われているということをどうか忘れないでいただきたい。これからお聞かせいただく扱いが、その働きに見合った正当なものであることを願っています」
根尾の言葉を受け、政務官のむすっとした眼が今度は彼に向いた。
「根尾元課長、貴方は確か皇元大臣の元秘書でしたね」
「それが何か?」
「いや、まあ良いでしょう。おい君、話を続けて差し上げ給え」
「はい……」
政務官は防衛省職員に再び説明を促した。
「先ずは皆さん、七月より四箇月間の御協力感謝いたします。報酬に関しましては、これまでも振り込ませていただいておりますが、最終月も当然、契約書の額面通りにお支払いいたします。ただ、十月は二六日で契約満了となっておりますので、残り五日分を除いた金額となりますことを御承知置きください。加えまして、社会人として働いておられました方につきましては任務の都合上本業を欠勤されたり時短勤務とされた場合もあるかと存じます。其方に関しましては、給与の控除分を補償させていただきます。ですから、年次有給休暇を消費なさっていた場合、会社の方に払い戻しを交渉なさってください」
「多分私一人だと思いますが、それは有休を使わないように指示されていたので大丈夫ですよ」
ここに集まった元特殊防衛課の面々の中で、航と魅琴は学生、新兒は高校生、根尾は皇の秘書としての失職により無職、白檀は皇の諜報員だったが正式に雇われていた訳ではないので無職、雲野兄妹は元々日本国での生活が無かった為これまた無職である。
確かに本人の言うとおり、繭月だけが社会人として働いていた。
「承知いたしました。一応、証明文書が必要になりましたら後日お申し付けください。次に、任務の危険性に応じて支払われることになっております特別手当についてです。此方、七・八月の皇國有事対処に対して既にお支払い済みでして、九月分が通常の報酬と共に今月末振り込まます。しかし、十月分は申し訳ありませんが全額控除となります」
「え!? それはどうしてですか?」
航は職員を問い詰めた。
「狼ノ牙を最終的に全員確保したのは十月に入ってからですよ? 僕や根尾さん、白檀さん、それに魅琴もその際に敵と交戦になって危険な目に遭っている。この手当が全額無しというのはいくらなんでもおかしいでしょう」
「それについては捕捉させていただきます」
政務官が割って入った。
「まず、十月の任務は七日で完了しており、以降の活動は凍結となっています。加えて、九月分の手当に関しても実態として敵と交戦していない期間が長く、働きに見合ったものになっていません。そこで、九月分として払い過ぎた分を十月分と相殺する形で全額控除となっています。ですから正確には、十月分は九月分と纏めてお支払いします、ということになります」
「いや、普通に九月分と十月分に分ければ良くないですか?」
「それが出来ない事情があるんでしょう」
今度は魅琴が割って入った。
「例えば、実態としては先程防衛省の方から説明していただいたとおり、十月分は全額カットしろという指示があった。しかし、今貴方からツッコまれた様にそれでは契約に反する。その言い訳として用意したのが先程の補足説明、だったりとか」
「人聞きが悪いですね。抑も何故我々がそのような指示を出すと言うんですか?」
「それは、あくまで譬え話なのでなんとも言えませんが、貴方達が野党時代に追求していたように、特別手当をキックバック前提の裏金だと考えているから、とか。だとするとこの金額を仕分けして削減すれば、前政権の不正を糺したと宣伝することが出来る。強いて挙げるとすれば、こんなストーリーが取り敢えず浮かびましたね」
魅琴の言葉に政務官は眉を顰めた。
「そういえば貴女は皇元大臣の娘さんでしたか」
「別に、母は関係ありませんよ。ただ、国の為に体を張ったからといって都合良く扱われればそれなりに物を言わせてもらうというだけです。私の大切な友人が教えてくれたことですけれどね」
政務官は黙って魅琴を睨み付けていた。
それに対し、魅琴は続ける。
「貴方は先程、『野党の役割について考えてほしい』と仰いました。しかし、今の貴方達は与党です。その役割は貴方達の対抗勢力が今は担っている。その時、私達が貴方達を擁護するのか、それとも彼らを応援するのか……。何方の味方になるべきか決める上で、貴方達が私達に親和的か敵対的か、大いに参考にさせてもらうことになるでしょう」
「そうですか。我々としては、貴女達の出方によってはそれなりの対応をさせてもらうというだけですね」
会議室に険悪な空気が流れた。
しかし何はともあれ、これで航達の役割に一つの区切りが付くことは確かである。
彼らはこれで漸く、日常に戻ることになるだろう。
⦿⦿⦿
何処かの闇の中で、四人の男女が円卓を囲んでいる。
中央の歪んだ蝋燭の火が揺らめき、彼らの顔を照らしていた。
「計画は愈々大詰めだわぁ」
広目天・貴龍院皓雪が白い歯を見せて北叟笑んだ。
そんな彼女を、他の三人の男は静かに見守っている。
「全ての布石は打った。一方的に与えられた愛国教育、婚約への裏切りと父親の暗殺未遂、安寧への純粋な願いを無視して殺し合う両国、弟の戦死、父と姉と妹を奪った革命、武装戦隊・狼ノ牙の理念、そして駄目押しの突撃取材と記者の無礼な発言……。それらはやがてあの御方の中で一つの答えに結び付く。日本民族への偏った愛情、空虚な幻想は反転し、裏切りと失望への強い怒りに変わる。あとは私がその想いを優しく肯定してあげれば良い。それで、絶対強者の力は絶対的な厄災として日本民族を襲い、彼らを絶滅へと導くでしょう……」
貴龍院の歪んだ瞳に揺れる焔が映り込む。
共に円卓を囲む同志達の憎悪が溶け込み、色濃い闇を模っていた。
「永かった、本当に永かったわぁ。あの男があの女を娶って橿原に都を開いてから、幾度その血脈を絶やそうとしたことか。幾度忌まわしき赤子共に阻まれてきたことか。間も無く私の二千七百年にも亘る宿願は果たされる。無数の試みに因りて撒かれた種が漸く芽吹き、歴史の大木を自己間引きに追い込むに足る強い個体が育った……」
「儂ら三名、苦労した甲斐がありました」
持国天・閏閒三入が口角を歪み上げた。
何を隠そう、皇國を見つけたのは彼の功績である。
三人は今の日本国と潰し合わせることの出来る「もう一つの日本」を無数に枝分かれした平行宇宙、世界線から探し続けていた。
そして今、至高の厄災を差し向けたという訳だ。
「新しい神皇は御媛様を信用し切っているからね。それに、立て続けに多くのものを失った直後だ。貴女の思いのままに操ることは容易いだろう。いつの時代も、頂点に立つ者は信じてはならぬ者も解らぬ程に孤独の闇に苛まれるらしい」
「人の主義主張など容易く移ろうものよ。忠誠を誓った筈の臣下が裏切り敵方に付くことなど、乱世では珍しくもない。人とは所詮、最も付き従いて心地良い者に靡くのだ」
増長天・八社女征一千と多聞天・推城朔馬も同調する。
「君側の奸に蝕まれた君主にはどれ程の誠も届かぬよ。日本の神々は熟々愚かじゃ」
この世を憎む三人は憎悪の焔そのものだった。
彼らもまた貴龍院に共鳴し、日本人を根絶やしにすべく悠久の時を暗躍してきたのだ。
「愚かな天皇の赤子が死に絶えた後は、私があの御方と共に真の東瀛を築きましょう。二千七百年前に神々が犯した過ちを私が正すの。己の百分の一程度しか生きていない嬰児を操るなど容易い。その時こそ、この私が八紘の女帝となりて永遠に君臨する!」
貴龍院は立ち上がって両腕を拡げ、己の野望を高らかに謳い上げた。
この女、間違い無く開闢以来空前絶後の朝敵であろう。
その邪悪極まり無い意志が、今まさに日本に襲い掛かろうとしていた。
「では、行って来るわぁ。ここまでは大方全部計画通り。後ほんの少し、あの御方の背中を優しく一押ししてあげなければならないから……」
貴龍院はそう言い残すと踵を返し、闇の中へと消えていった。
⦿⦿⦿
十月三一日土曜日、神皇・叡智は旧自邸の書斎に閉じ籠もっていた。
予てより都築政権に手配させていた歴史資料を読み耽っているのだ。
「なんということだ……! 俺は……俺は間違っていた……!」
資料は都築により厳選されていたが、貴龍院がそれを咎めて省かれた資料も軒並み用意されている。
ただその内容はあまりに膨大な為、ある程度は貴龍院の手によって抜粋されている。
神皇は最初、興味深げに目を通していたが、次第に資料の送りを加速させていった。
そして今では、血走って爛々と輝く眼が震える手に握られた資料の紙面上を目紛るしく動き回っている。
額に浮き出る青筋は、今にも爆発しそうな感情をこの上無く表していた。
綿貫の突撃取材の時と同様、怒りという怒りが彼の全身を強張らせていた。
しかし、軈て彼は落ち着く。
そして徐に立ち上がると、書斎から旧自邸の寝室へと出て来た。
扉の前には相変わらず、敷島朱鷺緒と貴龍院皓雪が控えている。
「如何なさいましたか、陛下?」
敷島は恐る恐る尋ねた。
「解ったのだ、全てが……」
「全て、とは……?」
「ずっと疑問に思っていた全ての答えだ」
神皇は二人の近衛侍女と擦れ違い、足早に寝室の扉へと向かう。
「神皇陛下」
「なんだ、貴龍院?」
「どうか陛下の御心のままになさってください。陛下はいつの時も正しいのですから。仮令世界が貴方様の行く手を阻もうとも、私は永久に貴方様とお供いたしますわ」
「ありがとう、貴龍院」
神皇は貴龍院に礼を言うと、寝室の扉を開いた。
「ずっと疑問だった。俺は何故この至尊なる血統に此程の力を持って生まれたのか。やるべきことがあるからだ。俺は今、自分が何の為に生まれてきたのか全部理解した」
神皇の色違いの双眸に決意の光が宿る。
「敷島・貴龍院、片付けておけ。俺にも片付けるものが出来た。皆を救わねばならん」
神皇はそう言い残し、寝室を後にした。