二〇二六年十一月一日、神聖大日本皇國は世界最高峰「巫璽山」にて、巨大球体型兵器「無窮為動機神体・アメノミナカヌシ」が起動。
アメノミナカヌシは瞬時に世界中の地理座標情報を整合し、各地に為動機神艦を大量展開した。
その数、実に一万艦以上。
世界は皇國のこれまでと次元の違う圧倒的戦力に慄く暇すら与えられず、一瞬にして占領下に落ちてしまった。
占領には全高十二米の壱級為動機神体、三米の弐級為動機神体、四十糎の参級為動機神体、数糎の小級為動機神体が動員され、各国の国土を人型機械の殺戮兵器が跳梁跋扈していた。
それはまさに終末を思わせる地獄絵図。
だが、奇妙なことにこれらの兵器は自ら率先して現地人を虐殺するようなことはしていない。
為動機神体徘徊の目的は別にあった。
「金村駐米大使他、各地の在外邦人から連絡が入っています」
翌日の十一月二日、緊急召集された臨時閣議にて、日本国外務大臣・相野幸靖が発言する。
この情勢下に於いて、日本国だけには皇國の魔の手が伸びていなかった。
アメノミナカヌシ起動の際に神皇が言い放った「日本以外全部死ね」という言葉通り、日本国だけは今回の蛮行の対象外なのだろうか。
「在外邦人は……無事なのですか?」
内閣総理大臣・南川和之は恐る恐る尋ねる。
「はい、『為動機神艦』と呼ばれる空中要塞に監禁されているようですが、それ以外に危害は加えられたという情報は今のところありません。どうやら世界中で日本人が狙われているようで、弐級為動機神体に捕えられては為動機神艦内に連れ去られています」
そう、これが為動機神体徘徊の目的であった。
為動機神艦から展開された為動機神体の大軍は、海外に滞在する日本人を探し出しては確保しているのだ。
「金村大使に拠ると、現地の状況はかなり酷いようですね……」
防衛大臣・梅宮圭一は眉間に皺を寄せ、厳しい表情で口を開いた。
「まず、羽虫型の小級為動機神体がそこら中を飛び回って現地人を監視しているようです。少しでも抵抗の意思を見せれば、殺傷能力を持った禽獣型の参級や人型の弐級がやって来て殺害されてしまう。暴徒となった現地人があっという間に殲滅される様が各地で目撃されています。また、参級や弐級は在外邦人を探し出し、そして為動機神艦に収容し保護している……」
「収容し保護?」
「はい……」
驚愕する南川に、梅宮はそのまま続ける。
「これまでの情報を総合すると、そうとしか思えないのです。先程現地人が暴徒となっていると言いましたが、実は暴徒は日本人も襲撃しているんです。彼らからすれば、自分達を抑圧して殺そうとしている連中とグルにも思えますからね。そんな状況下で、為動機神艦に連行された日本人は危害を加えられておらず、寧ろ守られていると言えます」
「神皇は日本人を守っている、と?」
「彼の言葉通りでしょう。神皇は昨日、『日本以外全部死ね』と発言している。言い換えれば、日本人だけは殲滅の対象外となっている。その殲滅の期限は年明け。つまり、今回の占領は支配と虐殺ではなく、来たる時に向けて在外邦人を選別し収容、保護することが目的だと思われます」
南川は固唾を呑んだ。
手足は目に見えて判る程震えている。
無理からぬ話だった。
「狂っている……!」
南川は憔悴しきった顔を上げた。
「誰ですか、新しい神皇を友好的な平和主義者と言ったのは! 私はあんな狂人を相手に友好関係を結ぼうと……天皇陛下にまで会わせてしまった……!」
「しかし総理」
相野が南川の話を遮った。
「我が国としては停戦交渉の他に選択はあり得なかった、それもまた動かし難い現実でしょう。あのまま戦争を続けたとして、万に一つも勝ち目が無かったと此度の占領で証明されたではありませんか」
「勿論、それはそうですよ! 第一、憲法九条を持つ我が国が戦争をするなど、況してや相手に継戦の意思が無いのに停戦を拒否するなどあり得ないことです! しかしそれはそれとして、どうして私が友好をアピールするのを誰も止めなかったのですか、と言っているんですよ!」
「御言葉ですが、総理……」
ここで、閣外から招かれた一人の有識者が声を上げた。
自衛隊の統合幕僚長・波瀬京太郎である。
「神皇の精神性が尋常ではないことなど明らかだったではありませんか」
「どういうことですか、波瀬統合幕僚長」
「彼は革命暴動の折に、議会を占拠した連合革命軍を事も無げに虐殺しています。お忘れですか? 無論、あれは国家存亡に関わる非常事態であり、相手も議員を何名も殺害しているテロリストですので、行為そのものを単純に人殺しと批難するのは憚られるでしょう。しかし、私から見るとあの時の彼はあまりにも平然としていた。あれは異常ですよ。そんな彼と進んで手を結ぼうとしたのは貴方だ。友好アピールはいくらなんでもやり過ぎだ、という世論を無視してね」
「じ、自衛隊が政治に口を出すものではありません……!」
歯噛みする南川が言い捨てた言葉に、波瀬は溜息を吐いた。
「確かに、私が呼ばれた理由は政策に口を出す為ではない。あくまで防衛についての見解を述べる為です。差し出がましい言葉でした」
南川はフンと鼻を鳴らして椅子に深く坐り直した。
「それで、どうするつもりですか、総理?」
「柿原農林水産大臣……」
柿原幣司、左派を中心とした与党の中では珍しくタカ派の閣僚である。
「今ならまだ講和は成立していません。我が国としてはこんなことを容認する訳にはいかないでしょう。神皇が各国に差し向けた武力を撤退させるまでは、講和の締結を延期するべきではないですか?」
「しかし、もう既に交渉は終了して合意されているんですよ?」
「前提となる状況が変わり過ぎでしょう」
柿原は徐に立ち上がった。
「良いですか、総理。日本国憲法の前文にも謳われているとおり、我が国は自国さえ良ければそれで良いという利己的な態度を容認していません。であるならば、憲法の精神に則り神皇に断固抗議すべきです。このままでは停戦合意の白紙撤回も考えなければならないと伝えてでもね」
「は、白紙撤回って……あんなに時間を掛けて苦労したのに……」
「譬え話ですよ、総理。しかし、やっと停戦合意に漕ぎ着けたというのは相手としても同じ事。ならば充分、交渉の手札になり得ます」
柿原は周囲を見渡し、他閣僚達の様子を窺う。
「如何でしょう、皆さん」
「それは賛同しかねる」
異を唱えたのは波瀬だった。
「波瀬統合幕僚長、政治には口を出さないのでは?」
「あくまで防衛の立場として見解を述べただけですよ。その為に呼ばれた訳ですから」
波瀬は鋭い視線で垣原を見上げ、対する垣原は波瀬を睨み返す。
「では、その見解を伺いましょう」
「簡単な話です。先程述べた神皇の尋常ならざる精神性、それを考慮すると、停戦合意の撤回をチラつかせるのは余りに危険だからです」
「そうでしょうか?」
「本来、我が国では皇國相手に戦争をしたとして、万に一つも勝ち目は無いのです。それは先程相野大臣も仰ったとおり。というより、戦争をすること自体が不可能だと言って良い。我が国と皇國では軍事力以前に国力、文明力が全く違う」
「そうは言っても波瀬さん、我が国は開戦以降よく戦えているではないですか」
「それは先代神皇の伏せった皇國が真面に戦える状態ではなかったからですよ。本来の皇國の力は今まさに見せられている姿です。はっきり言って、皇國は米国をあっという間に捻じ伏せた時でさえ全く本気ではなかったのです」
波瀬は一つ咳払いをし、表情を強張らせる。
「柿原大臣、農林水産大臣としての見解をお伺いしたい。私は常々、皇國の食糧事情を疑問に思っていたのですよ」
「と、言いますと?」
「皇國の人口は日本国の十倍、約十二億人です。一方で国土面積も十倍。つまり、人口密度は我が国と然程変わらないということ。奇妙だと思いませんか?」
「どういうことです?」
「皇國は様々な世界を渡り歩いています。つまり、その度に外交関係をリセットしており、貿易相手が存在しない。にも拘わらず、どうやってあの規模の国を維持しているのでしょう?」
「どうって、皇國は神皇の神為によって無尽蔵のエネルギーを賄っているのでは?」
「エネルギーはそれで良いかも知れません。しかし、食糧はどうするのです? 皇國は日本国と比べて縮尺が三倍強。面積は十倍でも、標高が異なり可住域はそれよりも少ない筈です。つまり、農牧地が圧倒的に足りないではないですか? 参考までに、我が国の場合鎖国状態で維持出来る人口は三千万人程度だと聞いたことがあります。如何ですか、柿原農林水産大臣」
「……何が言いたいのです?」
柿原は椅子に坐った。
それはまるで、波瀬の言葉に圧されて引っ込んだかの様だ。
「皇國にはまだ我々の想像を絶する技術がある。第一、世界中に為動機神艦を隈無く展開したあの軍事力もおかしい。あんな大量の兵器が一体あの国土の何処に隠されていたのか……」
重く、緊迫した空気が流れる。
日本国の政界で皇國について能く知っている人物は前政権与党に集中している。
今の閣内で波瀬の問いに推論が建てられる人物は殆ど居ない。
そんな中、柿原は小さく呟く。
「皇奏手なら……答えを知っていたかも知れません」
皇奏手――前防衛大臣兼国家公安委員長――日本国の政界で誰よりも皇國の事情に明るかった彼女の早すぎる死は余りに惜しかった。
皇奏手が主導した、戦時下で政府が強権を振るえる法制度を否定する現政権ですら、それをひしひしと感じざるを得ない状況に追い詰められていた。
しかしそんな中、波瀬の目が何かを追う様に泳いだ。
眼球の動きは蚊を追い掛けるそれに似ていた。
「皆さん、どうやら既に我が国にも皇國の魔の手が伸びていたようです」
波瀬が突然に口にした言葉は会議室を衝撃の渦に包む。
「どういうことですか!」
「波瀬さん、冗談が過ぎますよ!」
「冗談ではありませんよ。お気付きになりませんか? 先程からこの閣議室に何匹か羽虫が飛び回っています」
波瀬の言葉で気付いたのは梅宮防衛大臣だった。
「まさか……為動機神体……!」
「ええ、そのまさかです。生前の皇先生が仰っていました。緒戦にも同じ様なことがあったと……」
羽虫は閣議参加者の席から、彼らの目の前に集まっていく。
そしてその場に、一人の偉丈夫の映像を形作る。
『揃い踏みだな、明治日本の閣僚達よ……』
現れた鮮明な立体映像、その人物の姿に、参加者達は息を呑んだ。
「じ、神皇……!」
彼らが目の当たりにしたのは渦中の人――二米を超える体躯、黄櫨染色の肌、白金色の長い髪、真紅と柳緑の双眸、身震いする程美しい顔立ち――世界を一瞬にして絶望のどん底に沈めた神聖大日本皇國の絶対君主・神皇であった。