日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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 邊(ほとり)土(のくに)未(いま)だ淸(しづま)らず、餘(のこりの)妖(わざはひ)尚(な)ほ梗(あれ)たりと雖(いへど)も、中(う)州(ち)之(つ)地(くに)復(また)風(さわ)塵(ぎ)無(な)し。誠(まこと)に宜(よろ)しく皇(みや)都(こ)を恢(ひろめ)廓(ひら)き、大(みあ)壯(らか)を規(はかり)摹(つく)るべし。而(しか)るに、今(いま)運(とき)此(こ)の屯(わかく)蒙(くらき)に屬(あ)ひ、民(おほみたから)の心(こころ)朴(すな)素(ほ)なり。巢(す)に棲(す)み穴(あな)に住(す)む習(し)俗(わざ)惟(こ)れ常(つね)となれり。夫(そ)れ大(ひじ)人(り)の制(のり)を立(た)つる、義(ことわり)必(かなら)ず時(とき)に隨(したが)ふ。
 苟(いやしく)も民(たみ)に利(さち)有(あ)らば、何(いか)にぞ聖(ひじり)造(のわざ)に妨(たが)はむ。且(また)當(まさ)に山(やま)林(はやし)を披(ひらき)拂(はら)ひ、宮(おほ)室(みや)を經(をさめ)營(つく)りて、恭(つつし)みて寶(たかみ)位(くらゐ)に臨(のぞ)み、以(もち)て元(おほみ)元(たから)を鎭(しず)め、上(かみ)は則(すなは)ち乾(あまつ)靈(かみ)の國(くに)を授(さず)けたまひし德(うつくしび)に答(こた)へ、下(しも)は則(すなは)ち皇(すめ)孫(みま)の正(ただしきみち)を養(やしな)ひたまひし心(みこころ)を弘(ひろ)むべし。然(さ)て後(のち)に、六(くにの)合(うち)を兼(か)ねて都(みやこ)を開(ひら)き、八(あめの)紘(した)を掩(おほ)ひて宇(いへ)と爲(せ)むこと、亦(また)可(よ)からずや。

『日本書紀』


第五章『正閏篇』
第百一話『天御中主』 序


 二〇二六年十一月一日、神(しん)聖(せい)大(だい)日(につ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)は世界最高峰「巫(ふ)璽(じ)山(さん)」にて、巨大球体型兵器「無(む)窮(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)・アメノミナカヌシ」が起動。

 アメノミナカヌシは瞬時に世界中の地理座標情報を整合し、各地に為(い)動(どう)機(き)神(しん)艦(かん)を大量展開した。

 その数、実に一万艦以上。

 世界は皇(こう)國(こく)のこれまでと次元の違う圧倒的戦力に慄(おのの)く暇すら与えられず、一瞬にして占領下に落ちてしまった。

 

 占領には全高十二米(メートル)の壱(いつ)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)、三米(メートル)の弐(に)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)、四十糎(センチ)の参(さん)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)、数糎(センチ)の小(しよう)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)が動員され、各国の国土を人型機械の殺(さつ)戮(りく)兵器が跳(ちよう)梁(りよう)跋(ばつ)扈(こ)していた。

 

 それはまさに終末を思わせる地獄絵図。

 だが、奇妙なことにこれらの兵器は自ら率先して現地人を虐殺するようなことはしていない。

 為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)徘(はい)徊(かい)の目的は別にあった。

 

「金(かな)村(むら)駐米大使他、各地の在外邦人から連絡が入っています」

 

 翌日の十一月二日、緊急召集された臨時閣議にて、日本国外務大臣・相(あい)野(の)幸(ゆき)靖(やす)が発言する。

 この情勢下に於(お)いて、日本国だけには皇(こう)國(こく)の魔の手が伸びていなかった。

 アメノミナカヌシ起動の際に神(じん)皇(のう)が言い放った「日本以外全部死ね」という言葉通り、日本国だけは今回の蛮行の対象外なのだろうか。

 

「在外邦人は……無事なのですか?」

 

 内閣総理大臣・南(みな)川(がわ)和(かず)之(ゆき)は恐る恐る尋ねる。

 

「はい、『為(い)動(どう)機(き)神(しん)艦(かん)』と呼ばれる空中要塞に監禁されているようですが、それ以外に危害は加えられたという情報は今のところありません。どうやら世界中で日本人が狙われているようで、弐(に)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)に捕えられては為(い)動(どう)機(き)神(しん)艦(かん)内に連れ去られています」

 

 そう、これが為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)徘徊の目的であった。

 為(い)動(どう)機(き)神(しん)艦(かん)から展開された為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)の大軍は、海外に滞在する日本人を探し出しては確保しているのだ。

 

「金(かな)村(むら)大使に拠(よ)ると、現地の状況はかなり酷(ひど)いようですね……」

 

 防衛大臣・梅(うめ)宮(みや)圭(けい)一(いち)は眉(み)間(けん)に皺(しわ)を寄せ、厳しい表情で口を開いた。

 

「まず、羽虫型の小(しよう)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)がそこら中を飛び回って現地人を監視しているようです。少しでも抵抗の意思を見せれば、殺傷能力を持った禽(きん)獣(じゆう)型の参(さん)級(きゆう)や人型の弐(に)級(きゆう)がやって来て殺害されてしまう。暴徒となった現地人があっという間に殲(せん)滅(めつ)される様が各地で目撃されています。また、参(さん)級(きゆう)や弐(に)級(きゆう)は在外邦人を探し出し、そして為(い)動(どう)機(き)神(しん)艦(かん)に収容し保護している……」

「収容し保護?」

「はい……」

 

 驚(きよう)愕(がく)する南(みな)川(がわ)に、梅(うめ)宮(みや)はそのまま続ける。

 

「これまでの情報を総合すると、そうとしか思えないのです。先程現地人が暴徒となっていると言いましたが、実は暴徒は日本人も襲撃しているんです。彼らからすれば、自分達を抑圧して殺そうとしている連中とグルにも思えますからね。そんな状況下で、為(い)動(どう)機(き)神(しん)艦(かん)に連行された日本人は危害を加えられておらず、寧(むし)ろ守られていると言えます」

「神(じん)皇(のう)は日本人を守っている、と?」

「彼の言葉通りでしょう。神(じん)皇(のう)は昨日、『日本以外全部死ね』と発言している。言い換えれば、日本人だけは殲滅の対象外となっている。その殲滅の期限は年明け。つまり、今回の占領は支配と虐殺ではなく、来たる時に向けて在外邦人を選別し収容、保護することが目的だと思われます」

 

 南(みな)川(がわ)は固(かた)唾(ず)を呑(の)んだ。

 手足は目に見えて判(わか)る程震えている。

 無理からぬ話だった。

 

「狂っている……!」

 

 南(みな)川(がわ)は憔(しよう)悴(すい)しきった顔を上げた。

 

「誰ですか、新しい神(じん)皇(のう)を友好的な平和主義者と言ったのは! 私(わたし)はあんな狂人を相手に友好関係を結ぼうと……天皇陛下にまで会わせてしまった……!」

「しかし総理」

 

 相(あい)野(の)が南(みな)川(がわ)の話を遮った。

 

「我が国としては停戦交渉の他に選択はあり得なかった、それもまた動かし難(がた)い現実でしょう。あのまま戦争を続けたとして、万に一つも勝ち目が無かったと此(こ)度(たび)の占領で証明されたではありませんか」

「勿(もち)論(ろん)、それはそうですよ! 第一、憲法九条を持つ我が国が戦争をするなど、況(ま)してや相手に継戦の意思が無いのに停戦を拒否するなどあり得ないことです! しかしそれはそれとして、どうして私(わたし)が友好をアピールするのを誰も止めなかったのですか、と言っているんですよ!」

「御(お)言(こと)葉(ば)ですが、総理……」

 

 ここで、閣外から招かれた一人の有識者が声を上げた。

 自衛隊の統合幕僚長・波(は)瀬(ぜ)京(きよう)太(た)郎(ろう)である。

 

「神(じん)皇(のう)の精神性が尋常ではないことなど明らかだったではありませんか」

「どういうことですか、波(は)瀬(ぜ)統合幕僚長」

「彼は革命暴動の折に、議会を占拠した連合革命軍を事も無げに虐殺しています。お忘れですか? 無論、あれは国家存亡に関わる非常事態であり、相手も議員を何名も殺害しているテロリストですので、行為そのものを単純に人殺しと批難するのは憚(はばか)られるでしょう。しかし、私(わたし)から見るとあの時の彼はあまりにも平然としていた。あれは異常ですよ。そんな彼と進んで手を結ぼうとしたのは貴方(あなた)だ。友好アピールはいくらなんでもやり過ぎだ、という世論を無視してね」

「じ、自衛隊が政治に口を出すものではありません……!」

 

 歯(は)噛(が)みする南(みな)川(がわ)が言い捨てた言葉に、波(は)瀬(ぜ)は溜息を吐いた。

 

「確かに、私(わたし)が呼ばれた理由は政策に口を出す為ではない。あくまで防衛についての見解を述べる為です。差し出がましい言葉でした」

 

 南(みな)川(がわ)はフンと鼻を鳴らして椅子に深く坐(すわ)り直した。

 

「それで、どうするつもりですか、総理?」

「柿(かき)原(はら)農林水産大臣……」

 

 柿(かき)原(はら)幣(へい)司(じ)、左派を中心とした与党の中では珍しくタカ派の閣僚である。

 

「今ならまだ講和は成立していません。我が国としてはこんなことを容認する訳にはいかないでしょう。神(じん)皇(のう)が各国に差し向けた武力を撤退させるまでは、講和の締結を延期するべきではないですか?」

「しかし、もう既に交渉は終了して合意されているんですよ?」

「前提となる状況が変わり過ぎでしょう」

 

 柿(かき)原(はら)は徐(おもむろ)に立ち上がった。

 

「良いですか、総理。日本国憲法の前文にも謳(うた)われているとおり、我が国は自国さえ良ければそれで良いという利己的な態度を容認していません。であるならば、憲法の精神に則(のつと)り神(じん)皇(のう)に断固抗議すべきです。このままでは停戦合意の白紙撤回も考えなければならないと伝えてでもね」

「は、白紙撤回って……あんなに時間を掛けて苦労したのに……」

「譬(たと)え話ですよ、総理。しかし、やっと停戦合意に漕(こ)ぎ着(つ)けたというのは相手としても同じ事。ならば充分、交渉の手札になり得ます」

 

 柿(かき)原(はら)は周囲を見渡し、他閣僚達の様子を窺(うかが)う。

 

「如(いか)何(が)でしょう、皆さん」

「それは賛同しかねる」

 

 異を唱えたのは波(は)瀬(ぜ)だった。

 

「波(は)瀬(ぜ)統合幕僚長、政治には口を出さないのでは?」

「あくまで防衛の立場として見解を述べただけですよ。その為に呼ばれた訳ですから」

 

 波(は)瀬(ぜ)は鋭い視線で垣原を見上げ、対する垣原は波(は)瀬(ぜ)を睨(にら)み返(かえ)す。

 

「では、その見解を伺いましょう」

「簡単な話です。先程述べた神(じん)皇(のう)の尋常ならざる精神性、それを考慮すると、停戦合意の撤回をチラつかせるのは余りに危険だからです」

「そうでしょうか?」

「本来、我が国では皇(こう)國(こく)相手に戦争をしたとして、万に一つも勝ち目は無いのです。それは先程相(あい)野(の)大臣も仰(おつしや)ったとおり。というより、戦争をすること自体が不可能だと言って良い。我が国と皇(こう)國(こく)では軍事力以前に国力、文明力が全く違う」

「そうは言っても波(は)瀬(ぜ)さん、我が国は開戦以降よく戦えているではないですか」

「それは先代神(じん)皇(のう)の伏せった皇(こう)國(こく)が真(まと)面(も)に戦える状態ではなかったからですよ。本来の皇(こう)國(こく)の力は今まさに見せられている姿です。はっきり言って、皇(こう)國(こく)は米国をあっという間に捻じ伏せた時でさえ全く本気ではなかったのです」

 

 波(は)瀬(ぜ)は一つ咳(せき)払(ばら)いをし、表情を強(こわ)張(ば)らせる。

 

「柿(かき)原(はら)大臣、農林水産大臣としての見解をお伺いしたい。私(わたし)は常々、皇(こう)國(こく)の食糧事情を疑問に思っていたのですよ」

「と、言いますと?」

「皇(こう)國(こく)の人口は日本国の十倍、約十二億人です。一方で国土面積も十倍。つまり、人口密度は我が国と然(さ)程(ほど)変わらないということ。奇妙だと思いませんか?」

「どういうことです?」

「皇(こう)國(こく)は様々な世界を渡り歩いています。つまり、その度に外交関係をリセットしており、貿易相手が存在しない。にも拘(かか)わらず、どうやってあの規模の国を維持しているのでしょう?」

「どうって、皇(こう)國(こく)は神(じん)皇(のう)の神(しん)為(い)によって無尽蔵のエネルギーを賄っているのでは?」

「エネルギーはそれで良いかも知れません。しかし、食糧はどうするのです? 皇(こう)國(こく)は日本国と比べて縮尺が三倍強。面積は十倍でも、標高が異なり可住域(エクメーネ)はそれよりも少ない筈(はず)です。つまり、農牧地が圧倒的に足りないではないですか? 参考までに、我が国の場合鎖国状態で維持出来る人口は三千万人程度だと聞いたことがあります。如何ですか、柿(かき)原(はら)農林水産大臣」

「……何が言いたいのです?」

 

 柿(かき)原(はら)は椅子に坐った。

 それはまるで、波(は)瀬(ぜ)の言葉に圧(お)されて引っ込んだかの様だ。

 

「皇(こう)國(こく)にはまだ我々の想像を絶する技術がある。第一、世界中に為(い)動(どう)機(き)神(しん)艦(かん)を隈(くま)無(な)く展開したあの軍事力もおかしい。あんな大量の兵器が一体あの国土の何処(どこ)に隠されていたのか……」

 

 重く、緊迫した空気が流れる。

 日本国の政界で皇(こう)國(こく)について能(よ)く知っている人物は前政権与党に集中している。

 今の閣内で波(は)瀬(ぜ)の問いに推論が建てられる人物は殆(ほとん)ど居ない。

 そんな中、柿(かき)原(はら)は小さく呟(つぶや)く。

 

「皇(すめらぎ)奏(かな)手(で)なら……答えを知っていたかも知れません」

 

 皇(すめらぎ)奏(かな)手(で)――前防衛大臣兼国家公安委員長――日本国の政界で誰よりも皇(こう)國(こく)の事情に明るかった彼女の早すぎる死は余りに惜しかった。

 皇(すめらぎ)奏(かな)手(で)が主導した、戦時下で政府が強権を振るえる法制度を否定する現政権ですら、それをひしひしと感じざるを得ない状況に追い詰められていた。

 

 しかしそんな中、波(は)瀬(ぜ)の目が何かを追う様に泳いだ。

 眼球の動きは蚊を追い掛けるそれに似ていた。

 

「皆さん、どうやら既に我が国にも皇(こう)國(こく)の魔の手が伸びていたようです」

 

 波(は)瀬(ぜ)が突然に口にした言葉は会議室を衝撃の渦に包む。

 

「どういうことですか!」

「波(は)瀬(ぜ)さん、冗談が過ぎますよ!」

「冗談ではありませんよ。お気付きになりませんか? 先程からこの閣議室に何匹か羽虫が飛び回っています」

 

 波(は)瀬(ぜ)の言葉で気付いたのは梅(うめ)宮(みや)防衛大臣だった。

 

「まさか……為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)……!」

「ええ、そのまさかです。生前の皇(すめらぎ)先生が仰っていました。緒戦にも同じ様なことがあったと……」

 

 羽虫は閣議参加者の席から、彼らの目の前に集まっていく。

 そしてその場に、一人の偉丈夫の映像を形作る。

 

『揃(そろ)い踏(ぶ)みだな、明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)の閣僚達よ……』

 

 現れた鮮明な立体映像、その人物の姿に、参加者達は息を呑んだ。

 

「じ、神(じん)皇(のう)……!」

 

 彼らが目の当たりにしたのは渦中の人――二米(メートル)を超える体(たい)躯(く)、黄(こう)櫨(ろ)染(ぜん)色(しょく)の肌、白(はっ)金(きん)色(しょく)の長い髪、真(しん)紅(く)と柳(りゅう)緑(りょく)の双(そう)眸(ぼう)、身震いする程美しい顔立ち――世界を一瞬にして絶望のどん底に沈めた神(しん)聖(せい)大(だい)日(につ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)の絶対君主・神(じん)皇(のう)であった。

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