予期せぬ乱入に、閣議室は静まり返ってしまった。
この場の殆どの者は、まさか神皇が即時に接触してくるとは思ってもいなかっただろう。
「どのような……御用件で……?」
首相の南川は辛うじて言葉を絞り出した。
努めて平静を装い、動揺を表に出さないように振る舞っている。
対して、神皇の立体映像は答える。
『突然のことで驚かせてしまったのでな。汝らを安心させる為にも説明をしておかなければと思ったのだ』
「説明……?」
『うむ。現に、勘違いして早まった考えを起こそうという者も見られるようだからな』
神皇の視線が一点に向いた。
白羽の矢を立てられた柿原は、気不味そうに目を逸らす。
「私は……あくまで日本国が従来守ってきた価値観を確かめようとしただけで、必ずしも停戦に反対では……」
柿原はすっかり気圧されて歯切れが悪くなっていた。
先程までの威勢の良さはまるで嘘の様に消え去っている。
『先ず、無窮為動機神体・アメノミナカヌシ及び展開された為動機神体が汝らに危害を加えることはあり得ないから案じる必要は無い』
「し、しかし現に在外邦人が次々と捕えられて……」
『それは汝らも推察していたとおり、あくまで日本人を最終攻撃の前に対象地域より隔離して被害が及ばぬ様にする為だ』
「さ、最終攻撃?」
『うむ。先日下した勅命の通り、無窮為動機神体・アメノミナカヌシは年明けと同時に森羅万象を対象に最終攻撃を行い、日本以外の全てを三千世界より鏖殺する。それは日本人を除外した殲滅対象のみに確実に限定して発動するが、化外の地へ出ている日本人は事が終わった後に無人の荒野で取り残されてしまう。これでは彼らに生きて祖国へ帰る術が無い。そこで、最終攻撃が発動する前に彼らを祖国へ帰す為に確保しているのだ。年明けという期限は、彼らを一人も取り零さぬよう保護する為の猶予期間なのだ』
神皇は滔々と自分の意図を説明する。
その平然とした口調が閣僚達を戦慄させていた。
彼らは今、先程は是が述べた神皇の尋常ならざる精神性を思い知っているに違い無い。
『そしてもう一つ。この最終攻撃は間違い無く日本人以外の者達に対象を限定するが、それでも汝らが海外に確保している権益や資源に甚大な被害を齎すだろう。無論織り込んでいる。故に、生じた損害は皇國で責任を持って補償すると約束しよう』
「それはっ……!」
波瀬が奥歯を噛み締めた。
彼は解っている。
神皇は然も日本国に損をさせないという様な理屈を並べ立てているが、要するにそれは日本国を皇國に依存させると言っているに他ならない。
当たり前だが、日本国は一国のみで維持出来ない国家であり、もし神皇の言葉が実行されれば、日本国に残された道は皇國への隷属のみである。
「神皇陛下、貴方はやはり我が国を滅ぼそうとなさっている……!」
『それは違う。寧ろ汝らが汝らである為に、これは必要なことなのだ。日本民族が存続する為には、その精神・美意識を毀損する化外の思想から完全に隔離する必要がある。日本が、日本人が永遠なる為に下した勅命なのだ』
波瀬は険しい表情で神皇を睨み上げていた。
そんな視線を受け、神皇は何かに気が付いたらしい。
『そうか、汝は不安なのだな。汝は先程、皇國が如何にして十二億の臣民を飢えさせずにいるか疑問を呈していた。折角だからそれも解説してやろう』
「は……?」
神皇の余りに的外れな解釈に、波瀬は思わず声を漏らした。
そんな彼に構わず、神皇は続ける。
『通常、国家の領土・領海・領空というものは三次元の空間で構成されている。嘗て、世界はそれが全てであった国土も、そして化外の地も三次元の方向に拡がり、内乱も戦役も全てが三次元内で完結していた。しかし、皇國はそこにもう一つの空間次元を加え、国土の概念を四次元的に拡張することに成功した。異なる世界の日本同士が接触したのもその結果の一つだ。つまり皇國は三次元に留まらぬ巨大な空間の中に広大な農牧地を持っているのだ。また一次産業は専用の為動機神体に依って体系化されており、莫大な収穫を安定して得られるようになっている』
平たく言えば、時空を超えて異なる世界線を移動出来る皇國が領有する国土は目に見えるよりも遙かに広大であり、その農牧地の管理も為動機神体に依って自動化されているということである。
『だから、仮にこの世界が日本のみとなったとしても汝らを食わせるには充分な食料が確保出来る。そこは安心して良い』
神皇は朗らかに微笑む。
あまりにも無邪気な表情が日本国の閣僚達を戦慄させていた。
そして、一つの予感が閣議室を包み込もうとしていた。
『汝らは何も心配する必要など無いのだ。不幸にも敵対することになってしまいはしたが、皇國は本来、全ての日本人の味方なのだから。勿論、汝らの立場、明治日本の辿ってきた歴史の価値観も十全に尊重しよう』
神皇の視線が再び波瀬から柿原へと移った。
『何も、汝らの従来守ってきた価値観を否定するつもりは無いのだ。それどころか、汝らは誇って良いとすら思う。己の価値観に、信念に、国是に従い、圧倒的に強大な皇國にすら立ち向かってきた汝らの姿は気高いものであったと認めよう。だからこそ、汝らのことを守りたいと切に願うのだ』
「でしたら……」
南川が膝の上で拳を握り締める。
神皇もその様子に気が付いたのか、彼の方に顔を向けた。
「でしたらどうか、このようなことはおやめください。我が国の立場上、このようなことはどうしても容認出来ないのです。我が国のことを思ってくださるなら、どうかお考え直しください」
『駄目だ』
意を決した南川の言葉に対して、神皇は取りつく島もない答えを返した。
『勅命を変えるつもりはない。繰り返すがこれは汝らの為なのだからな。どうしても受け容れられないというのなら、仕方が無いが再び対立するより他にあるまい。其方の者が言っていたとおり、停戦合意が白紙となるのも已むを得んだろう。悲しいことであるがな』
「ち、違う! 私はそんなつもりでは……!」
柿原は焦りを見せ、顔を引き攣らせる。
そんな彼を南川が叱責する。
「柿原さん、貴方が変に勇ましいことを言うからこんなことに! どう責任を取ってくれるんですか!」
「だから私は……!」
神皇はそんな様子を見て、首を傾げた。
『解らんな。勇ましくて何が悪いというのだ。何度も言うが、汝らの価値観を、立場を否定するつもりは毛頭無い。汝らが望むならば存分に立ち向かってくれば良い。仮令その結果国が滅ぶことになろうとも、日本人が滅びる訳ではない。皆、臣民として受け容れてやる。そして日本人の新しい世界に汝らの名誉は未来永劫語り継がれるだろう』
「そ、そういう問題では……!」
『ではどういう問題だというのだ? 困ったな、どう言えば解ってもらえる? 後は何を約束すれば良い? ああ、そうか』
神皇は何かを思い付いた様子で手を叩いた。
『汝らは皇國が心変わりすることを心配しているのか? 今この場で約束して見せたとしても、百年二百年後は、千年二千年後は解らない。此度の約束が千代に八千代に変わらず受け継がれる訳ではないと思っているのだな? ならばその心配も無用だ。何故ならば……』
あまりにも的外れな神皇の言葉に、閣僚達は愈々確信した。
絶望的に納得せざるを得なかった。
この男には、話が通じない。
つらつらと述べられる神皇の言葉が右耳から左耳へと抜けていく。
意味不明な内容が全く頭に入ってこないのだ。
神皇は自分の世界に生きている。
何もかもが自分にとって都合が良い、他者の都合が存在しない世界に。
言葉を交わせば交わす程、それを痛切に思い知らされてしまう。
『まあ兎に角、じっくりと考えるが良い。皇國と共に新しい世界で永遠の繁栄と幸福を得るも良し、国是に従って断固として戦うも良し、何れの選択を採るにせよ、汝らの意思を最大限に尊重しよう。考える時間はまだ二箇月程有る。後悔の無い様にじっくり検討するが良い』
神皇の立体映像はそう言い残すと閣議室から消えてしまった。
そして、羽虫の様な為動機神体も空調の通気口から室外に出て行った。
部屋は暫く、沈黙に包まれた。
沈痛な静寂である。
「どうすれば良いんだ……」
南川の嘆きが沈黙を破った。
「総理、現状では判断材料が足りません」
続いて、梅宮防衛大臣が口を開く。
「一度日を改めて、更なる有識者を招いてヒヤリングを行った上で方針を決めましょう」
「更なる有識者……ですか?」
「ええ。皇國の戦力を、神皇の神為を誰よりも能く知る有識者達です……」
梅宮は眉間に皺を寄せ、苦渋に満ちた表情で切り出した。
「明日、岬守航氏と麗真魅琴氏を官邸に招きましょう。防衛省から根尾弓矢氏を経由して二人に連絡を取ります」
一先ず、閣議は何も決まらないまま流れた。
明日、十一月三日文化の日、岬守航と麗真魅琴は首相官邸を訪れる。