十桐綺葉――六摂家と呼ばれる皇國最大の貴族の一角を担う十桐公爵家の女当主で、岬守航を始めとした拉致被害者の帰国や日本国と皇國の間に起きた戦争を講和に持っていく為に尽力した人物である。
その彼女が今、電話口でとんでもないことを言い出していた。
閣議室の閣僚達は皆驚きを隠せない。
「ど、どういうことですか十桐卿?」
南川和之内閣総理大臣は椅子に置かれたスマートフォンに問い掛ける。
閣議中に突然始まった電話会談であるが、これは彼らにとって願っても居ないチャンスである。
『知ってのとおり、現在の皇國は畏れながら神皇陛下が御自ら政権を握られておりますが、斯様なことを可能にしたのは皇道保守黨という政治団体が選挙で勝利し衆議院で過半数を取ったからです。そして、この皇道保守黨の選挙活動には結果の根幹を揺るがす重大な不正が見られる』
「と、仰いますと?」
『暴力による選挙への介入です。即ち、現在の政権は不正な手段によって誕生したものだということになる。ならば、畏れ多くも我々は正さねばなりません。その為の手段が皇國正統政府の樹立なのです』
室内は閣僚達の響めきに包まれた。
しかしながら、八方に飛ぶ声色は何処か高めで明るい。
今まで、日本国は世界の危機に遭って一国のみで立ち向かうか服従か、自国の破滅か世界の延命かを選ばされる立場にあると思われていた。
だが頼もしい味方はあまりにも意外な所に存在したのだ。
「素晴らしい!」
南川は歓喜の声を上げた。
「まさか皇國の中からこの凶行にノーを突き付けて立ち上がる者達が現れるとは! 貴女方が神皇に立ち向かってくれるなら百人力だ! 世界は救われますぞ!」
『ふっ、お上手ですな首相閣下。しかし、繰り返しますがその為には貴国の助力がどうしても必要で御座います』
「どうぞどうぞ、何なりとお申し付けください」
「総理、十桐卿、少々お待ちを」
気を良くしていた南川だったが、彼と十桐の会話に根尾弓矢が割り込んだ。
「十桐卿、お話は大変有難く存じます。しかし、皇國臣民にとって神皇に手向かうというのはあまりにも重い決断の筈。実際のところ、賛同者はどれくらい集まっているのですか? 神皇と戦って勝算は有るのですか?」
『ふむ……』
根尾の問いに、十桐はすぐには答えない。
その時間が閣議室に不安を呼び戻し始めていた。
彼女が再び電話口から声を聞かせたのは、その決壊が水面から顔を出し始める頃合いだった。
『勝算の有無を問われれば、有ると考えているからこそこうして手を打とうとしておる。しかし、現状では非常に厳しいことも、正直に言って間違い無かろうな。しかし、我々はやらねばならんのじゃ。皇國は今まで誰一人として、先帝陛下も、そして今上陛下さえも、世界を滅ぼすことなど望んでこなかったのだから』
十桐の声色には極めて固い決意が脈打っていた。
この二日間の内に、皇國で彼女に何かがあったということか。
それこそ根尾が云う「あまりにも重い決断」に彼女を至らしめる何かが……。
⦿⦿⦿
時を遡り、前日の十一月二日。
日本国で閣議が行われていた頃、皇國でも四名の六摂家当主が緊急で集まっていた。
「久し振りですな、この空間にお邪魔するのも」
薄暗い闇の中、丹桐士糸が忌々し気に口を開いた。
此処は十桐綺葉が自身の能力によって造り上げた特殊な空間である。
十桐の能力は異空間を作り、そこに異なる宇宙の法則を適用することである。
宇宙は数多存在し、それぞれ物理法則が異なる為、自分にとって都合の良い法則の宇宙を適宜入れ替えることで、この空間の神が如く振る舞うことが出来る。
十桐はこの能力を使い、嘗ては航達拉致被害者を脅かした。
六摂家当主による、拉致被害者襲撃事件である。
おそらく丹桐は十桐と共に襲撃に参加した際、根尾を相手に不覚を取った苦い記憶を思い起こしたのだ。
十桐だけでなく、六摂家当主はそれぞれ絶大な神為に支えられた強力な能力を持っている。
負ける筈が無いと高を括っていた彼らだが、結果として一連の襲撃で十桐と丹桐を除く四人が死亡して代替わりを余儀無くされた。
丹桐にとっては拭えぬ屈辱であっただろう。
「椅子を用意しよう、皆、楽にしておくれ」
空間の主である十桐に促され、四人は背後に顕れた椅子に腰掛けた。
前回この場所で六摂家当主が集まった際は拉致被害者が壱級為動機神体を相手に奮闘する様子を高みの見物と洒落込んだものだが、今は逆に彼らの方が絶望的な力を前に選択を迫られている。
「十桐卿、この場所に某らを連れ込んだということは、万が一にも聞かれては拙い話をするつもりなのだな?」
最年長の公殿零鳴が鋭い視線を十桐に向けた。
姉の死を受けて当主となった彼は既に丹桐以上の風格を持ち、十桐とも引けを取らぬ存在感を持っていた。
「また無理難題を押し付けるつもりではあるまいな、十桐卿?」
最も若輩の甲烏黝も険しい表情を浮かべていた。
彼は以前、水徒端早辺子に屋敷へ侵入され、超級為動機神体を無断で持ち出されたのだが、その咎は結局有耶無耶にされてしまっている。
父・夢黝が謀叛の疑いを掛けられて自害に追い込まれた彼は、騒ぎが大きくなって甲公爵家への疑いが再び混ぜ返されることを嫌ったのだ。
この空間に招かれた三人はそれぞれ、十桐の意図を探っていた。
彼女がこれから話すことを考えると、最初から出方を選ばなければならない。
だが、彼女は腹を括った。
「単刀直入に問おう。昨日、神皇陛下が御出し遊ばされた勅を受け、皆はどう動くつもりなのじゃ?」
十桐は考えていた。
現神皇は、先代神皇が命を懸けて皇統を繋いだ忘れ形見である。
先帝を強く慕う彼女は現神皇にも可能な限り尽くしたいとは思っている。
講和に尽力したのは、現神皇の平和への願いを叶えたい一心だった。
しかしながら。流石に今回のこれを容認すること訳にはいかないとも思っている。
彼女は一方で先代への思慕と当代への忠誠心、一方で普通の人間としての倫理観の間で揺れていた。
ここで人類の粛清を選べる程狂信に徹することは出来ず、とはいえ自らの想いを棄てて神聖なる最高権威にして絶対強者に手向かう程骨太ではない、そんな凡庸な精神の持ち主が十桐綺葉である。
「我は……決めかねておる。あくまで神皇陛下への忠誠を貫き地獄の底へと沈むべきか、それとも自らの良心に従い叛逆者に身を堕としてしまうのか……」
「ふむ、そうですね……」
十桐の言葉を受け、丹桐がすぐに応える。
「吾人は神皇陛下に思い直していただく為にも、あの御方の周りに纏わり付く良からぬ輩を一掃すべきかと思いますよ。そして陛下には政から手を引いていただく。その為の準備を進めようと考えているのではないですかな、十桐卿は?」
「意外じゃの、丹桐卿。其方が己の立ち位置を鮮明にするとは」
丹桐士糸は悪い言い方をすれば風見鶏や蝙蝠の類だと認識されていた。
彼は六摂家当主の中でも二分されていた甲流と十桐流の派閥を行ったり来たりして甘い汁を吸おうとしたり、正解で様々な勢力に良い顔をして都合の良い政策を通させようとしたりするような腹黒い人物である。
その彼が、まるで良識と気骨を持った忠臣でありつつ帝の去就を恣にする理想的な門閥貴族の様な言葉を口にしている。
丹桐のことだからのらりくらりと断言を避けるだろうと予想していただけに、十桐にとって予想外の言葉だった。
「陛下が政権を取って以来、吾人は密かに皇道保守黨に接近しましてな。上手く取り入れば利益になるだろうと踏んでいたのですが、あれは皆が考えている以上にどうしようもない連中ですよ。一刻も早く政界から去っていただかなければ、ただでさえ革命で大きく損耗した我々の地位を致命的に破壊しかねません。寧ろ彼らはそれを推進する素振りすら見せている。皇道保守黨は我々の様な大貴族にとって極めて有害な存在なのです」
「成程、だから神皇陛下というよりは皇道保守黨に手向かうのだ、と。相変わらずの風見鶏振りじゃが、それが功を奏したといったところかの」
十桐は呆れたが、ある意味今後の身の振り方を考える上で大いに助かるとも思った。
そういう理屈なら、揺れる二つの思いに折り合いを付けられるかも知れない。
「公殿卿、甲卿、御二人はどうじゃ?」
「某は陛下の御叡慮に付き従いたい思いが強い。しかし、問題はあまりにも大それているということだ。あの様な勅を前にすると、どうしても躊躇を棄て切れん。しかし、公殿家は神和日本の時代に革命に協力するという日本人へ重大な裏切りを犯している。その汚名を返上するまたとない機会ではないかという気もしている」
「儂も公殿卿の考えに近い。何より、儂は父が謀叛など考えていなかったと今でも信じておるし、だからこそ神皇陛下に手向かいたくなどない。しかし、ことの大きさを考えると……」
丹桐以外の二人は十桐と同じ様に迷っているらしかった。
差があるとすれば、十桐は自身の倫理観を取りたいと思いながら神皇への忠誠心がそれを邪魔しているのに対し、二人は逆の思いに悩んでいるといったところか。
(上手くないの。我の考えでは公殿卿と甲卿は味方になってくれるものと思っておった。しかし、言われてみれば甲家と公殿家の立場として納得も出来る)
十桐の目算では、甲と公殿を味方に付けることで風見鶏の丹桐も引き込むつもりであった。
味方が増えれば腹も括れると打算していた。
しかし、実際には丹桐だけが味方で甲と公殿はどうにか此方に引き込まなければならない状況だ。
(扨て、どうしたものやら……)
だがその時、十桐にとって思いも掛けないことが起きた。
『六摂家当主ともあろう方々が、この様な所で一体何をコソコソ御相談ですかぁ?』
知った女の声が何処からともなく響いてきた。
十桐は驚愕を禁じ得なかった。
「な、何じゃと!? 莫迦な、何故我の許可も無くこの空間に干渉出来る?」
驚愕する彼女の目の前に、長身の美女が姿を顕した。
貴龍院皓雪――ゴシックロリータ服を身に纏った神皇の近衛侍女である。
驚きの余り、四人の六摂家当主は一斉に立ち上がった。
万事休す、神皇の手の者にこの集まりが知られてしまったのだ。
「御機嫌良う、皆様。突然の訪問、失礼致しますわぁ」
「うぁ、あ……!」
丹桐は顔面蒼白、絶望の表情で貴龍院を凝視していた。
彼はこの中で唯一態度を鮮明にしてしまっている。
しかしどうやら、彼が驚愕と恐怖を覚えているのはそれだけが原因ではなかった。
丹桐の視線の先、貴龍院はもう一人の女を引き摺っている。
「お気付きのようですわね、丹桐様ぁ。本日は皆様にお土産を持参しましたのぉ」
貴龍院はそう嘯くと、長身の女の体を無造作に投げ出した。
十桐は驚愕に驚愕を重ね、思わず声を上げた。
「し、敷島!!」
四人の足下にはもう一人の近衛侍女・敷島朱鷺緒がメイド服を血塗れにして倒れ伏していた。