敷島朱鷺緒――神皇のもう一人の近衛侍女で剣の達人、そしてその正体は水徒端早辺子の姉でもある。
過去に革命戦士として当時の皇太子と対峙するも、圧倒的な力を前に挫折、そして孰れは破滅しか無い叛逆者の道から救い出されたとして、現神皇に強い忠誠を誓っていた。
その長身の美女が今、相方の貴龍院皓雪の手で異空間の中に運び込まれ、血塗れの姿で六摂家当主達の前に投げ出された。
「ま、まだ息があるぞ!」
「だ、だが神為が尽きておる!」
甲と公殿が慌てて彼女に駆け寄った。
敷島は辛うじて命の灯火を繋いではいるものの、かなり危険な状態だ。
「甲卿・公殿卿、龍乃神殿下の処へ! 皇族に神為を貸し与えられねば助からん!」
十桐の指示を受け、甲と公殿は顔を見合わせて頷いた。
「承知した。行くぞ、甲卿」
「ああ。此度の会談はお開きだな」
二人の姿が敷島と共にこの空間から忽然と消えた。
その様子を貴龍院は冷ややかな眼で見届けた。
「敷島ちゃんを頼みましたわよぉ。まだ死なれては困りますものぉ……」
「貴龍院、これは一体どういうことじゃ?」
十桐は貴龍院の冷笑に厳しい視線を向ける。
「貴様と敷島は共に陛下の御側に仕える身であろう」
「どうもこうもありませんわぁ。敷島ちゃんったら私のことを突然佞臣呼ばわりして斬り掛かってきましたのよ。それで已む無く応戦を」
「佞臣……?」
貴龍院は不敵な笑みを浮かべ、底知れぬ眼光を湛えながら十桐に臆せず視線を返していた。
それは皇國最大の貴族に対して申し開きをする態度ではない。
十桐は彼女に底知れぬ不気味さを感じていた。
「それで、何故我らの許に彼女を連れて来た? 神皇陛下の臣ならば、二人の間に起きたことを包み隠さず申し上げるべきじゃろう。加えて、神為を貸し与えての治療が必要ならばそれこそ陛下に御聖断を仰ぐべきじゃ」
「簡単なことですわぁ。もう敷島ちゃんを陛下の御側に居させる訳にはいかないからよ」
「どういうことじゃ?」
十桐の全身から気迫が滲み出る。
彼女の能力ならば、この空間に入ってきた者を殺すことなど容易い。
しかし、どうにも違和感が拭えなかった。
(貴龍院、あの余裕は何じゃ? 皇族の侍従侍女という立場で六摂家当主たる我の能力を知らぬことはあるまいに、まるで我のことなどどうとでもなるとでも云う様な……)
相対する貴龍院からは、十桐に対抗するが如く闇が立ち込めている――そんな錯覚を覚える程に、貴龍院は異様な佇まいを見せていた。
「敷島ちゃんったら、陛下に此度の勅を撤回するよう上奏しようとしていたのよぉ。全く、信じられないわねぇ」
「敷島が?」
「陛下の近衛侍女たるもの、何処までも陛下と道を共にする覚悟が必要だと教えたばかりだったのに。挙げ句の果てに覚悟を決めた私を佞臣呼ばわりとは、そんな娘はもう要らないでしょう?」
貴龍院の言葉は十桐の胸を揺さぶった。
あの、誰よりも神皇に忠実な敷島朱鷺緒ですら、今回の神皇には異を唱えている。
それどころか、間違いを正すべく行動を起こそうとしていたという。
そうすべきだと解っていながら迷っていた自分に忸怩たる想いが湧き上がる。
「貴様はあくまで陛下に従うのか?」
「当然。事此処に至っては、陛下の御側には私一人が居れば良い。他に誰も要らないわぁ」
心做しか、貴龍院の声が弾んで聞こえた。
動もすると、貴龍院はこの時を待っていたのではないか。
神皇の近衛侍女の実態は、彼の愛人である。
貴龍院はずっと神皇の独占を願っており、敷島はずっと邪魔者だったのではないか。
(此奴、何を考えておる? 今、男を巡って争っている場合か?)
最早十桐には、貴龍院が敷島を排除する口実を見付けて意気揚々としている様にしか見えなかった。
心当たりはある。
和平交渉と叛逆者討伐の為に日本国を訪れた折、彼女は或る集団と遭遇した。
そして同時に、一つの疑惑が生じたのだ。
日本国での叛逆者討伐、その果てに出会った謎の集団「神瀛帯熾天王」。
彼らの目的は日本民族を根絶やしにすることだと云っていた。
そして、彼らを統括するのは「媛様」と呼ばれる者だ。
(先帝陛下に三種の神器に纏わる彼是を吹き込んだ妖しげな巫女、今上陛下降誕の際に顕れたこの女・貴龍院皓雪。此奴がその「媛様」だとすると……)
十桐は貴龍院に探りを入れるべく問い掛ける。
「貴龍院よ、今の状況は貴様の願い通りか?」
もし想像通りならば、神皇が日本人以外の鏖殺を宣言した状況は、必ずしも貴龍院の理想通りでは無い筈だ。
一方で、ここまで含めて想定通りという可能性もある。
明日伸びんが為に今日は縮む――そう考えているのならば、それはそれで着実に企みを進めているということになる。
(扨て、どう出る?)
貴龍院の薄ら笑いが消えた。
彼女の顔が少しずつ、少しずつ皺を刻んでいく。
徐々に苛立ちが目元、口元、その他表情に滲み出てきていた。
そして、彼女は恨めし気に吐き捨てる。
「まさか。これで良い訳がないわぁ……!」
十桐の背後で丹桐が体を震わせる。
丹桐は貴龍院に逆心を知られたと思い、すっかり怯えてしまっている。
その彼が思わずか細い悲鳴を漏らす程、貴龍院は普段の態度からは想像出来ない、荒々しい苛立ちを振り撒いていた。
「あんなことを言い出すなんて信じられない。陛下の力はもっと相応しい使い方があるのよ。あの御方は全く解っていない」
「ならば敷島と共にその旨を上奏すれば良かろう」
「だから言っているでしょう! それでも陛下に寄り添い、何処までも御一緒するのが私達の生き方であり、覚悟なのよ!」
怒りを打ち撒ける貴龍院。
その姿に、十桐は確信を深めた。
この女は神皇の忠実なる臣下などではない。
かといって、確固たる自己を持って神皇に相対している訳でもない。
何処までも身勝手に、都合良く、神皇を持ち上げては己の為に利用しようとしているに過ぎない。
彼女が口にする「生き方」だの「覚悟」だのという言葉の、なんと軽いことか。
これでは敷島に佞臣と断じられる訳だ。
十桐は今、貴龍院をこの場で始末しようと考え始めていた。
(殺した方が良い、殺した方が良いのだ)
十桐は揺れていた。
簡単には殺人に振り切れない、それが十桐綺葉の凡庸さであり、人の良さでもある。
しかしそんな彼女に、貴龍院は冷たく告げる。
「無駄よ。貴女に私は殺せないわぁ」
「何? どういうことじゃ?」
「通用しないと言っているのよ、私には貴女の能力など」
十桐は思い出した。
小宇宙空間を作り、その場に誘い込んで思うがままに法則を弄ぶ十桐の能力。
しかし、それが通じないと口にした男が少し前に居た。
(あの男、閏閒三入は云っていた! 穢詛禍終は宇宙の理の外側の力、我の能力は通用しないと! やはり此奴……!)
最早疑う余地はあるまい。
だとすると、神皇の側近としてそんな人間が仕えているのは由々しき事態である。
「覚えておきなさぁい、貴女達」
貴龍院は白い歯を見せ、邪悪に微笑む。
「私はあくまで陛下にお仕えする。何処までも、只管に。けれども必ず、必ずや陛下には正しい形になってもらうわぁ」
「貴龍院、貴様……!」
「最後に笑うのはこの私よ。思い知ることになるわぁ……」
貴龍院はそう捨て台詞を残し、十桐の小宇宙空間から忽然と姿を消した。
後には言い知れぬ嫌悪感を残して。
「ああああああ! 終わった! 陛下の近衛侍女に見られた! 吾人は逆賊になってしまううううう!」
丹桐は絶望の悲鳴を上げて嘆く。
立場は十桐も同じだろう。
だが、今の彼女は覚悟で迷いを完全に吹っ切っていた。
貴龍院の言う口先だけの覚悟とは違う、本物の決意が彼女の小さな体に滾っていた。
「腹を括れ、丹桐卿! 我らの道は最早一本!」
「嫌だ! 嫌だ! どうしてこんなことに!」
そんな状況下、敷島を連れて行った甲と公殿が戻ってきた。
「やるのか、十桐卿?」
「ああ、やる。陛下が悪しき者に誑かされていると確信を深めた。決定的にの。最早これを除かねば、日本民族は永遠に呪われてしまう。戦わねば、我らは救いようのない佞臣として未来永劫語られるじゃろう」
「儂らにも己の側に付け、と……」
丹桐とは逆に、甲と公殿は精悍な顔付きをしていた。
どうやら心変わりしてくれたらしい。
「良いだろう。それが日本人の為ならば」
「逆賊か佞臣か、二つに一つならば一層毒を食らわば皿まで。その先にある真の忠義を信じる他あるまい」
「し、正気ですか御二人とも!?」
丹桐は縋る様に三人の顔を順々に見た。
そしてどうやら彼らの決意が固いと知ると、自棄糞に叫んだ。
「解りましたよ! こうなったらやるしか無いんでしょう? 突き進んでやろうじゃないですか、逆賊街道を!」
「よう言うた、御三方とも!」
今、四人の心は一つになった。
「甲卿・丹桐卿、旧都築政権の元閣僚を可能な限り集めてくれ! 公殿卿は我と共に龍乃神殿下・蛟乃神殿下に申し上げるのじゃ!」
「成程な」
「やってやりますよ!」
「両殿下には御迷惑を掛ける……」
四人はそれぞれ、一つの目的の為に動き始めた。
「これより、我らは皇國正統政府を樹立する!」
斯くして、皇國内に神皇への対抗勢力が生まれることとなったのだ。
⦿⦿⦿
時を一日後に戻す。
今、日本国の閣議室は根尾の電話を通して皇國の十桐と繋がっていた。
「何か……あったのですか?」
根尾は電話の向こうの十桐に尋ねた。
十桐が皇族への忠誠心に篤いことは能く知っている。
その彼女が神皇に弓を引くとなると、余程のことがあったに違い無かった。
『根尾殿、我々は陛下の目を覚まさせねばならぬのだ。今、陛下の側には不届きなる者が仕え、清らかなる御心に邪心を交わらせておる』
「それは……皇道保守黨のこと……でしょうか?」
根尾は嫌な予感を覚えた。
先日、神瀛帯熾天王に襲撃された際、彼らは去り際に不穏な予言を残している。
彼らが現神皇を操り、日本国に災いをもたらそうとしていることは確かだ。
ならば十桐の云う「不届きなる者」の正体とは……。
『判ったのじゃ。例の写真に捉えられた神瀛帯熾天王最後の一人、背中のみが写されていた女の正体が』
「神瀛帯熾天王の……? 最後の女、例の『媛様』ですか! 誰なんです?」
『神皇陛下の近衛侍女が一人・貴龍院皓雪』
根尾は、そして航と魅琴も目を瞠った。
十桐が出した肩書きと名前、それだけで状況の恐ろしさは察するに余りある。
「そういう……ことですか……」
『申し訳無かった。実はあのホテル襲撃事件の時に閏閒三入が言い残した言葉から大方の察しは付いておったのじゃ。しかしあ奴の立場が立場故、軽々に言い触らす訳にも行かなかったのじゃ』
「だが今は我々にその名を告げることが出来る程に確信していると、そういうことですか。なんということだ……」
根尾は頭を抱えた。
十桐の言葉で全てが繋がった様な気がする。
彼女が重い決断に至ったのも当然だろう。
「あの、話が見えませんが……」
一方で、南川を始めとした閣僚達は完全に置行堀を喰らっていた。
皇國に纏わる日本国の危機、その裏で暗躍していた神瀛帯熾天王の存在は、皇奏手周辺の極一部にしか知られていない。
南川政権はこのことを全く把握していないのだ。
「先程から一体何の話をしているのですか、十桐さん?」
『南川閣下、申し訳無いが詳細は話の後で根尾殿から聴いていただきたい。あまりのんびりと電話してはおれん事情がありますのでな。今は一刻も早く我々の要望をお伝えしたく存じます』
南川は怪訝そうに首を傾げる。
そんな彼に代わり、根尾が話に割って入る。
「何を御所望でしょう、十桐卿」
『ズバリ、貴国より四名の人材を皇國へ送っていただきたい』
「四名とは?」
『岬守航・麗真魅琴、そして雲野兄妹』
十桐の指名を受けた航と魅琴は互いの顔を見合わせた。
閣僚達の視線が一斉に二人へ集まった。