自衛隊に為動機神体による皇國への渡航命令が出たのは三日後の夜――根尾弓矢が切った期限ギリギリだった。
まず、首相・南川和之の発案によって閣内は賛成派と反対派の真っ二つに分かれた。
梅宮圭一防衛大臣・相野幸靖外務大臣を始めとした、与党内の大半を占めるハト派は反対派に回り強硬な態度を取った一方、柿原幣司農林水産大臣や来栖誠防衛副大臣を始めとした少数のタカ派は南川を支持。
根尾からの要請があった当日午後の議論は紛糾し、両者の溝は埋まらないまま十一月四日を終えてしまった。
翌日も変わらず、午前の議論は平行線だったが、午後に再び根尾を召喚したことで状況は一変した。
具体的には、根尾から恐ろしい状況が伝達されてしまったのだ。
「今、十桐卿は皇國正統政府内の強硬派を必死に抑えてくれています。しかし、どうやら彼らに参加した有力貴族の中に我が国へと私軍を派遣して我々を拉致しようという動きもあるようです」
この発言で、閣内は派遣賛成派が一気に優勢となった。
南川政権はその日のうちに自衛隊と特別警察特殊防衛課の皇國への派遣を決定。
命令はその日のうちに自衛隊へと伝達された。
しかし、それで即座に渡航の為の部隊が編成できたわけではない。
何せ皇國正統政府は現行皇國政府とは無関係の集団である。
彼らの要請があったとて、それは皇國からの正式なものではないのだ。
開戦待った無しであった七月や、停戦に向けた作戦を実行に移そうとした八月とは異なり、現在は皇國との停戦条件も纏まって正式な講和を待つばかりとなっている。
この状態で皇國正統政府の要請に従って自衛隊の為動機神体部隊を派遣することは、その合法性に疑いが生じるのも無理からぬことであった。
最終的に特殊防衛課の四名は、彼らを輸送しつついざという時に戦闘態勢に切り替えることが出来るギリギリの編成――一名ずつを副操縦席に載せる四機にて皇國へ送られることになった。
十一月七日土曜日、日本国横田飛行場。
四機の超級為動機神体・カムヌナカワミミ――通称「スイゼイ」が待機する中、豊中隊の自衛官達が特殊防衛課四名を出迎えていた。
「宜しくお願いします、豊中一尉!」
力強い声で挨拶をした根尾に、豊中隊の四名は揃って敬礼した。
「無理を言ってしまい申し訳ありません」
「根尾さん、覚えていますか?」
謝る根尾に対し、隊長の豊中大洋は唐突に切り出した。
「貴方方が帰国なさったあの日、自分は皇大臣と共にカムヤマトイワレヒコを此処に運搬してきました。あの時、皇國に取り残された邦人を日本まで輸送する任務は民間人の筈の岬守さんに一任された……。正直ね、悔しかったですよ」
根尾は当然覚えている。
あの時は皇奏手の判断に驚いたものだ。
後に岬守航が皇國と戦う上で無くてはならない主戦力になるとは誰が予想出来ただろうか。
豊中は続ける。
「あの時だけじゃない。我々は皇國の本土に上陸し、停戦を掴み取る任務を果たせなかった。皇國の地を見ることすら、自衛隊の誰も叶わなかった。此処に居る四名は私も含め、捲土重来の期だと思っていますよ」
三名の部下――恩田聡二尉・剣持或人二尉・求来里美乃三尉も、精悍ながらも何処か爽やかな表情で立っていた。
どうやら皆覚悟は決まっているらしい。
「これは……寧ろ命をお預けする我々の覚悟の方が心配ですね……」
根尾は後方へと目を遣った。
彼は総理の言質を取った当日に三名――虻球磨新兒・繭月百合菜・白檀揚羽と連絡し、昨日までに特殊防衛課として再契約を結んでいた。
根尾としては、最悪自分一人で皇國へ乗り込むことも覚悟していた。
既に日常へ戻っていた彼らが、再び因縁の地である皇國へと渡航するとなると、拒否されても寧ろ自然なくらいだ。
「何だよ根尾さん、此処に来た時点で覚悟ガンギマリだぜ。何度も言わせんなよ」
新兒は不服と言った様子で根尾に意見した。
真先に根尾との待ち合わせ場所に来て、即座に契約書へサインしたのが彼だった。
「やっとキャリアに戻れた矢先だったけれど、こうも世界中が混乱しちゃ仕事にならないのよね」
驚かされたのは繭月の行動で、彼女は会社に休職を申請してまで参加を決めていた。
この事態を受けて既に会社に尋常では無い損失が出ていること、拉致や戦争への参加、武装戦隊・狼ノ牙の討伐活動を行う中で、重要な仕事は既にある程度同僚に任せていた為、会社も了承してくれたらしい。
「二人共、済まない。それに……」
根尾は白檀の方へと目を遣った。
「まさかお前まで来てくれるとはな。正直驚いたぞ」
「普通ならもう懲り懲りですけどねー。でも、今回はちょっと話が違うんですよー」
「どういうことだ?」
「だって、関わってるでしょ? 『例の奴ら』が……」
白檀の言葉には根尾も同意だった。
日本と皇國の争いの裏で暗躍する謎の集団「神瀛帯熾天王」――彼らの一人であり、麗真家にとっての仇敵である閏閒三入はこう言い残している。
『愚かな新神皇は、孰れ日本人への愛を反転させて避け得ぬ滅びを齎すじゃろう!』
つまりこの事態の背後にも神瀛帯熾天王が居ると考えるのは自然なことである。
そして、白檀には彼らと因縁がある。
彼らに殺された仁志旗蓮は、白檀にとって孤児院時代からの旧い付き合いなのだ。
「成程な……」
ここまで来れば、最早根尾の胸の内に疑いは無い。
「根尾さん、宜しいですか?」
「はい豊中一尉、お願いします」
「では各自、それぞれの退院の指示に従い、機体に乗り込んでください」
斯くして、彼らは再び皇國の地を目指すことになった。
⦿⦿⦿
無窮為動機神体・アメノミナカヌシは、直径八一二八米という巨大な球体の中に層の構造を持っている。
最外殻である装甲の下、二段階の外層を抜けて中央付近に至ると、核部と呼ばれる直径四九六米の球体が内蔵されている。
そしてその内部、さらに奥には中央制御室「高御座の間」が広がっており、最奥には神皇の為の「操縦席」が設置されているのだ。
高御座の間の外壁には、歴史の映像資料の様なものが絶えず映し出されている。
これらは全て、日本国と皇國を含む、彼らがこれまで渡り歩いてきた各世界の「日本」が歩んできた歴史である。
神皇は独り、この直径一四四米の雄大な広間の中央で玉座に腰掛け、流れる映像を眺めながら佇んでいた。
「もうすぐだ。もうすぐ全てが報われる……」
神皇の真紅と柳緑の双眸は光を帯び、目紛るしく変化する色彩に艶めいていた。
彼にとって、それは何にも増して美しいも愛おしい映像芸術作品なのだろう。
「神皇陛下、只今戻りました」
そんな彼の一時に水を差すかの如く、一人の美女が玉座の脇に跪いた。
「貴龍院か。皇國の様子はどうか」
「はい。残念ながら、陛下に謀叛を企てる者達が徒党を組み始めた様子です。折角、叛逆者が一掃されたというのに、嘆かわしいことですわ」
「そうか……」
神皇は頬杖を突いて眼を伏せた。
「致し方あるまい。だがそれよりも俺が気に掛けているのは臣民のことだ。差し当たって彼らの生活に生じた支障は如何程か、汝の見てきた範囲ではどうだった?」
「御心配には及びませんわ、陛下。全て恙無く……」
「貴龍院よ、気を遣わずとも良い」
貴龍院皓雪は一瞬息を呑んだ。
神皇の視線に射竦められたかの様だった。
彼は決して彼女を責めてはおらず、寧ろその意図を最大限慮っている。
だがそれでも、貴龍院は神皇から多大な圧を感じていた。
(違う、これまでの陛下とは……。寛大な御言葉、御心遣いの中に有無を言わせぬ威厳がある……。最早嘗ての様に甘くは無いということか、手強い……!)
貴龍院は緊張と共に神皇を見上げる。
「申し訳御座いません陛下。大事な偉業の最中、陛下の御心を煩わせるのは憚られましたもので……」
「偉業、か……。汝の言うことも解る。だが、政権樹立早々にアメノミナカヌシに籠ったのだ、世情が穏やかではいられぬことも承知している。汝は皇道保守黨と連携し、憂い事が生じた際には迷わず俺に裁可を仰ぐのだ。良いな?」
「はい……」
貴龍院は頭を下げる振りをして顔を伏せ、小さく北叟笑んだ。
彼女は神皇に上奏する窓口を一手に引き受けることになる。
それが巨大な権力の源泉になるということは論を俟つまい。
「しかし貴龍院よ、汝も体を思い遣れよ」
「勿体無き御言葉ですわ」
「ふむ、本来ならば二人で担う役目を一人で負うのは何かと不都合もあろう。だが無理はするな」
「ありがとうございます……」
貴龍院は下を向いたまま顔を顰めた。
主の言葉の中にもう一人の近衛侍女・敷島朱鷺緒への未練を感じ取ったのだ。
二人の近衛侍女は実質的に神皇の愛人であり、しかも貴龍院の方が遥かに早くからその立場に居る。
漸く離れた後輩は明らかに自分よりも神皇からの覚えが良く、立場とは裏腹に目の上の瘤に他ならなかった。
「やはり敷島の様子も気になるところだな。出来ればもう一度戻ってきて欲しいところだが……」
「申し訳御座いません、私が加減を誤ってしまいましたばかりに……」
「汝を責めてはおらん。事情が事情だからな、刃を向けられては仕方があるまい。しかし、敷島も今更再び叛逆者に堕するでもあるまい。何か故あってのことであろう。俺としては誤解と蟠りが解けることを願っているのだがな」
神皇の愁いを帯びた溜息に、貴龍院の嫉妬は更に募る。
(やはり……一思いに殺してやれば良かったかしららぁ……?)
敷島は現在、龍乃神邸での預かりとなっている。
である以上、流石の貴龍院も迂闊には手が出せない。
彼女はこの状況に歯噛みする他無かった。
「貴龍院よ、今一度敷島の様子を見て参れ」
「妹君の御邸宅へ、で御座いますか?」
「無理にとは言わん。面会を断られるようならば深入りせずとも良い。ただ、俺が気に掛けていたと伝えてくれ」
「……承知いたしました。ですが陛下、一つ宜しいでしょうか」
貴龍院は神皇に三枚の写真を差し出した。
「この者達は?」
「陛下、御存知の様に敷島ちゃんは強い信念の持ち主ですわ」
「うむ、そこが気に入っている」
「ならば彼女を戻すのは容易ではないでしょう。その間、私一人では陛下にお尽くしする上で不足があるやも知れません。そこで、私が信を置くこれらの三名を新たに陛下の近衛とすることを御許し願えませんか?」
神皇は写真をめくり、順々に目を通す。
写されているのは神瀛帯熾天王の三人――八社女征一千・推城朔馬・閏閒三入である。
神皇はこの三人と面識が無く、その正体を一切知らない。
「汝が信を置くというなら俺は構わんぞ。しかし、本人達に必ず了承を得た上で連れてくるのだ、良いな?」
「畏まりました、陛下。では、行って参ります」
貴龍院は立ち上がって踵を返し、玉座を頂点とする階段を下っていった。
神皇に背を向けたその表情に、怒りの色を湛えたまま……。