日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百四話『分裂』 破

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸(てい)の庭園、敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)はその一角で一人、刀を振るっていた。

 近衛侍女の相方・貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)に斬り掛かり、返り討ちに遭ってしまった彼女だが、その傷はすっかり癒えたようだ。

 その様を、二人の男女が遠巻きに窺(うかが)っていた。

 

「姉さん、良かった……」

 

 敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)の名は今の神(じん)皇(のう)の近衛侍女となる際に主君から与えられたものである。

 彼女の本来の身分は水(み)徒(と)端(はた)男爵家の令嬢・早(そ)芙(う)子(こ)――岬(さき)守(もり)航(わたる)ら拉致被害者を助けた水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)の姉である。

 その妹・早(さ)辺(え)子(こ)とはつい先日、数年ぶりの再会と今生の別れを果たした筈(はず)であった。

 それが今、何の因果か再び一つ屋根の下に居る。

 

「あの女(ひと)が……早(さ)辺(え)子(こ)さんのお姉さん……」

 

 早(さ)辺(え)子(こ)の隣でその演舞を見守る航(わたる)は、一度だけ敷(しき)島(しま)と会ったことがある。

 麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)を当時の皇太子――現神(じん)皇(のう)に会わせるべくこの邸(やしき)から連れて行かれたあの時は、世界が闇に染まったかの様だった。

 そういえば、甲(きのえ)公爵邸(てい)で早(さ)辺(え)子(こ)は姉との面会を約束されていた。

 あれから随分と経(た)ってしまったが、早(さ)辺(え)子(こ)の当初からの悲願が達成されたことを考えると、喩(たと)えようのない感慨が込み上げて来る。

 

「再会……出来たんですね、早(さ)辺(え)子(こ)さん」

「ええ、漸(ようや)く……」

 

 思えば、二人の運命を結びつけたものこそが敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)こと水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)であった。

 姉を巡る早(さ)辺(え)子(こ)の願いが無ければ、航(わたる)は今頃こうしてはいなかっただろう。

 だが愁(うれ)いを帯びた早(さ)辺(え)子(こ)の眼(め)は、姉妹の再会が彼女の望みを叶(かな)えるものではなかったことを十二分に物語っていた。

 

 出来れば、早(さ)辺(え)子(こ)にとって幸せな再会であって欲しかった。

 しかしそれでも、早(さ)辺(え)子(こ)は航(わたる)に頭を下げる。

 

「御(お)陰(かげ)様(さま)で、誠に有難う御座いました」

「いえいえ、そんな……」

「大丈夫ですよ、御心配には及びません」

「え?」

「生きて再び会えた姉は、紛(まぐ)れも無く姉だった。今はそれがはっきりと解(わか)っているのですよ。だから屹(きつ)度(と)、私(わたくし)達の未来は明るい……」

「貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)と……袂(たもと)を分かったことですか?」

 

 嘗(かつ)て、早(さ)辺(え)子(こ)は姉を「正義感が強い才女」と評していた。

 ここで神(じん)皇(のう)の許(もと)に残るようならば、彼女の評価は覆っていただろう。

 だが今、姉妹はこうして一つ屋根の下に居る。

 

「ん……?」

 

 その時、敷(しき)島(しま)の眼が航(わたる)を捉えた。

 何やらただならぬ視線だ。

 無理も無い、航(わたる)が皇(こう)國(こく)と敵対していたことは確かなのだ。

 敷(しき)島(しま)も皇(こう)國(こく)への帰属心まで失った訳ではあるまい。

 

 だが、手を取り合わなければならない。

 その為(ため)に航(わたる)は此(こ)処(こ)に居るのだ。

 

 根(ね)尾(お)弓(きゅう)矢(や)達が皇(こう)國(こく)を訪れるまで、今暫(しばら)く時間が掛かる。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)が訪れたのは、勿(もち)論(ろん)龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸ではなく、何(ど)処(こ)かの闇の中だった。

 この空間は神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)の一人・閏閒(うるま)三(みつ)入(なり)の能力によって生み出されたものである。

 彼らは皇(こう)國(こく)に纏(まつ)わる一連の事件の裏で陰謀を巡らせるに当たり、時折この場所密会していた。

 そういう意味では、皇(こう)國(こく)正統政府が十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)の異空間という密室で対応策を巡らせている姿は四人の鏡写しとも言える。

 

 しかし、いつもと様子が違うのは、円卓を囲む同志達の視線が彼女に鋭く突き刺さっていることだ。

 特に、閏閒(うるま)よりも他の二人の纏(まと)う空気が刺(とげ)々(とげ)しい。

 

「なぁに、突然私(あたくし)を呼び出して? ま、敷(しき)島(しま)ちゃんを呼び戻すなんて真(まっ)平(ぴら)だからいい時間稼ぎにはなるけれどぉ」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は席に着くなり悪態を吐いた。

 

「媛(ひめ)様(さま)、態(わざ)々(わざ)御足労頂き申し訳御座いません。御(お)二(ふた)人(り)が説明を求めております」

 

 正面の軍服を着た老翁・閏閒(うるま)は平静に今回の集まりの趣旨を告げる。

 彼の両脇から、古代の朝服に似たを着た少年・八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)と、中世の裃(かみしも)に似た装いの偉丈夫・推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)が貴(き)龍(りゆう)院(いん)を厳しい表情で、半ば睨(にら)み付(つ)けていた。

 

「御(お)媛(ひめ)様(さま)、今の状況について、貴女(あなた)はどう考えているんだい?」

「我々の夢見た樂(らく)園(えん)とは、朝廷を滅ぼし、日本人をも跡形も無く消し去った世界を意味していた筈だ。今起きていることは、それとはまるで正反対ではないか」

 

 八(や)社(おと)女(め)と推(つき)城(しろ)の問い掛けに対し、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は煩わしそうに顔を顰(しか)める。

 

「ああ、そういうこと……」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)の視線が八(や)社(おと)女(め)、推(つき)城(しろ)、そして閏閒(うるま)へと順に移る。

 一周、二周、三人を巡る彼女の目付きは次第に鋭くなり、最後には舌打ちして溜息を吐いた。

 

「解っているわよ、そんなこと。私(あたくし)だってこのままで良いとは思っていないわぁ」

「当然だろう」

 

 特に、推(つき)城(しろ)が納得していない様で、更に貴(き)龍(りゆう)院(いん)を問い詰める。

 

「貴様は言ったな。あの男を上(う)手(ま)く誘導し、日本人への愛を憎しみに反転させてみせる、と。その結果がこれか。貴様、今まで何をしていたのだ? 私(わたし)や八(や)社(おと)女(め)、閏閒(うるま)が必死で御(お)膳(ぜん)立(だ)てをしてきた意味は何だったのだ? 要するに貴様はしくじった。このままでは全てが台無しではないか。この落とし前、どう付けるつもりか答えてみろ」

「ち、ちょっと推(つき)城(しろ)……」

 

 逆に、八(や)社(おと)女(め)は少し日(ひ)和(よ)ったのか推(つき)城(しろ)を宥(なだ)めに掛かる。

 

「何もそこまで言うことはないじゃないか。確かに反省は重要だけど、それよりもこの状況をどうするのか考える方が大事だ、そうだろう? 僕(ぼく)はその策を御(お)媛(ひめ)様(さま)に訊(き)きたい。何か次の手は考えてあるのかい?」

 

 どうやら神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)の間にも今回の事態についての考えには微妙な差異があるらしい。

 彼らは皆、日本国の皇統に恨みを抱いてその断絶と日本人の殲(せん)滅(めつ)を目(もく)論(ろ)んでいるが、それぞれ生まれた時代も立場も異なり、その思いも同一ではない。

 

 奈良時代に生まれた孤児の出である八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)は、貴(き)龍(りゆう)院(いん)に対して急ぎの対応を訴えている。

 彼女が神(じん)皇(のう)の誘導と制御に失敗したとは思っているようだが、今まで通りに失態を同志として補い合い、団結して此(こ)度(たび)の難局に臨もうとしている、といったところか。

 これは、彼が唯一「社会共同体の福祉」の恩恵を受けて育ったことも影響しているのかも知れない。

 彼はこれまでも、主に推(つき)城(しろ)と助け合いながら暗躍を続けてきた。

 

 その推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)は南北朝時代末期に生きた武将であるが、最も貴(き)龍(りゆう)院(いん)の失敗を強く追求している。

 それは宛(さなが)ら、此度の決定的な不始末の責任を取って自決せよと迫っているかの様だ。

 

 昭和初期に生まれたという閏閒(うるま)三(みつ)入(なり)は本心が見えない。

 というより、八(や)社(おと)女(め)や推(つき)城(しろ)からは一歩引いて様子を窺っている様に見える。

 そんな彼は、軍帽の庇(かば)の奥で双(そう)眸(ぼう)に鋭い光を纏わせて、静かに口を開いた。

 

「ふむ、御二人が仰(おつしや)ることはそれぞれ道理でしょうな」

 

 閏閒(うるま)と貴(き)龍(りゆう)院(いん)の視線が交錯する。

 

「媛(ひめ)様(さま)、我らは貴女(あなた)様の『尋常ならざる眼』を一心に信じてここまで歩んで参りました。貴女(あなた)様の見通す未来、展望こそが我らの道標であったのです。謂(い)わば貴女(あなた)は我らの総司令官であります。そして、神(じん)皇(のう)の操縦は我らの計画の根幹。御(お)二(ふた)方(かた)が狼(ろう)狽(ばい)なさるのも無理からぬ話」

「三(みつ)入(なり)君、貴方(あなた)までこの二人の肩を持って私(あたくし)を責めるわけぇ?」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は眉根を痙(けい)攣(れん)させ、口角から吐き出す呪(じゆ)詛(そ)の様に閏閒(うるま)へ問い返した。

 しかし、閏閒(うるま)は揺れない。

 ただ淡々と、どこか不敵に言葉を続ける。

 

「滅相も無い。ただ、見方を変えればこれは我らにとって一大闘争で御座います。謂わば我らは大望が為に戦う闇の軍隊。ならば予定調和の勝利など稀(まれ)であり、予期せぬ敗退の先にこそ、天を揺るがす真の成果を得ることもある。あの男が想定通りに動かなかった、考えようによってはそれもまた一興。寧(むし)ろこうなってこそ、貴女(あなた)様の妙手が更なる圧倒的な勝利へと我らを導くやも知れませぬ。そう考えた方が面白いではありませんか?」

 

 閏閒(うるま)の言葉は、一見すると貴(き)龍(りゆう)院(いん)を信頼している様に思える。

 しかしその眼には同志への気遣いは見られず、ただただ冷たい光が帯びている。

 それは宛ら、大きな物語を特等席で鑑賞するかの様な……。

 或(ある)いはその流れの中に居る状況に陶酔しているかの様な……。

 

「フン、お目(め)出(で)度(た)いことだな。これが戦なら貴様の討(うち)死(じに)は必至だろう。あまりにも戦を舐(な)めている」

「多聞天様、これは手厳しい。肝に銘じておきましょう」

 

 推(つき)城(しろ)は鋭い目付きで閏閒(うるま)を横目に睨み付けていた。

 三人の連帯には明らかに亀裂が生じていた。

 そんな状況に耐えかねてか、八(や)社(おと)女(め)は徐(おもむろ)に口を開いた。

 

「あの、一層のことさ……」

 

 この場の視線が八(や)社(おと)女(め)に集まる。

 

「神(じん)皇(のう)はもう放っておこうよ。あいつが世界中の人間を鏖(みなごろし)にするって云(い)うならさせてやれば良い。僕(ぼく)らの目的はあくまで『皇統の断絶』と『日本人の絶滅』でしょ? だったら全部終わってから僕(ぼく)らは僕(ぼく)らで大望を果たせば良いじゃないか。僕(ぼく)らは不老不死なんだから、神(じん)皇(のう)が寿命でくたばった後でまた動けば良いんだよ」

「何だと? 八(や)社(おと)女(め)、貴様本気で言っているのか?」

 

 推(つき)城(しろ)は、今度は八(や)社(おと)女(め)に詰め寄った。

 どうやら彼は神(じん)皇(のう)が日本人を滅ぼさないことだけでなく、他の国の民に矛先を向けたことも問題視しているらしい。

 

「それは出来ないわ」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)が鮸(にべ)も無く答える。

 

「今の神(じん)皇(のう)陛下は私(あたくし)が悠久の時に求めて已(や)まなかった『絶対強者』なる男よぉ。私(あたくし)が隣に坐(すわ)るに相(ふ)応(さわ)しき男。不死なる私(あたくし)が漸く手に入れた永遠の伴(はん)侶(りよ)」

「そんなことを言ったって、これじゃ目的を果たせないよ。彼を穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)の力で不老不死にするのは諦めようよ」

「違うわ、違うのよ!」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)の声が荒くなる。

 八(や)社(おと)女(め)は思わずたじろいだ。

 

「それで済むような相手を私(あたくし)が二千七百年も求めたと思う? 千四百年前に『あの娘(こ)』を拾って、途方も無い歳月の果てにやっと芽吹いた種なのよぉ! 棄(す)てられる訳が無い! 精神的にも、そして物理的にもねぇ!」

「え?」

「何だと?」

 

 八(や)社(おと)女(め)と推(つき)城(しろ)は驚きの声を上げた。

 目を瞠(みは)る八(や)社(おと)女(め)と眉根を寄せる推(つき)城(しろ)は、目付きこそ対照的だが、彼女の言葉に動揺しているのは共通している。

 そんな中、閏閒(うるま)だけは冷静だった。

 

「臥(が)龍(りゅう)飛(あ)鳥(すか)、今の神(じん)皇(のう)の母親ですか。懐かしいですな……」

 

 八(や)社(おと)女(め)と推(つき)城(しろ)の視線が閏閒(うるま)の方へと移った。

 

「知っているのか、持国天」

「千四百年前ってことは僕(ぼく)が生まれるよりも前だ。御(お)媛(ひめ)様(さま)、どういうことだい?」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は大きく溜息を吐く。

 

「しょうがないわねぇ、この際だから教えてあげるわぁ。あの御(お)方(かた)の出生の秘密、私(あたくし)が求めた究極の神秘をねぇ……」

 

 闇の中、蝋(ろう)燭(そく)の炎が揺らめく。

 しかしその勢いは不自然に強く、何処か嵐に激しく靡(なび)く旗を彷(ほう)彿(ふつ)とさせた。

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