先代神皇の第一子である現神皇の姉・麒乃神聖花は、父親が九十歳の時に生まれた。
彼は幼い頃に革命によって受けた虐待の心的外傷があり、その影響で特定の相手と成婚することは出来なかった。
それでも何名かの相手との間に人工授精にて後継者を儲けようという試みは続けられたものの、そのどれもが期待した結果にならなかった。
しかし三十年前に或る女が自らの卵子を提供したことで問題は一先ずの解決を見る。
神皇は三男三女に恵まれ、残す問題は神為の安定した継承のみに搾られた。
その、卵子を提供した女――即ち現神皇の母親が臥龍飛鳥である。
神瀛帯熾天王の面々は、それが貴龍院の手引きによるものだとは承知していた。
しかし、その素性までは知らされていなかったのである。
「私が彼女を拾ったのは、まだ神瀛帯熾天王を集めようとし始める以前の話よぉ」
貴龍院は語り始めた。
「あの頃、私は今とは全く別のやり方で皇統を絶やそうとしていた。もっと直接的なやり方を試み続けていたと言うべきか、謀を巡らせ何人もの日嗣を亡き者にしてきたけれど、肝心の皇統を絶つには至らなかった」
蝋燭の炎が揺らめく。
揺れる光は貴龍院のつもりに積もった情念の色を厚塗りする様に、影を色濃く刻む。
彼女の背後に投影された黒い模様は宛ら巨大の鬼にも見える。
「そこで私はそれまでの様な近視眼的な策ではなく、より長期的な目線で日本に滅びの兆しを植え込むというやり方を考えた。その為には、これまでの様に一人でその時々の有力者を誑かすのではなく、永きに亘って私を支える協力者が必要だと思い至ったの」
「それが僕達を集めた動機って話でしょ? それは最初に説明してもらって承知しているよ」
「うむ。私と八社女が訊きたいのはそういうことではない。我々はその最初の一人が八社女だと思っていたが、今の話ではそうではないということになる」
「あらぁ、私はそんなこと、今まで一言も言っていないわよぉ」
貴龍院は八社女と推城の指摘を臆面も無く受け流し、口元を半月型に歪ませて笑った。
「私が真に最初に協力者として迎えたのは、乙巳の年に四天王寺で見付けた奴婢の女だったわぁ。私の目にあの娘が役立つ未来が見えてね、手元に置いておくことにしたの」
「いやはや、相変わらず凄まじい眼力ですな」
閏閒がわざとらしく貴龍院を褒め称える。
どうやら彼だけはこのことを承知していたらしく、一切動揺することなく彼女の話に相槌を打っていた。
驚愕に目を見開く八社女や、眉間に皺を寄せる推城とは大違いである。
「そういえば閏閒は知っていた風だったな。貴様はその女と会ったことがあるのか?」
「ええ。儂が盟に加わったことで、媛様は愈々彼女を役立てる時が来たと判断なさったようでしてな」
「そんな……。その間、僕達にはずっと隠し通してきたのに?」
「別に、貴方達にはあの娘を役立てる未来が見えなかったから、敢えて話す必要も無かっただけよぉ」
閏閒は八社女と推城に挟まれつつ、小さく口角を上げていた。
「抑も、媛様が長年に亘る悲願を成就させるべく動き出したのは、儂が皇國という世界を見つけ出してのことです。儂と媛様は一つの絵を描いた。神皇が孰れ後継者を求めた時、我々の目的に適う者を生ませ、差し出すという計略でございます」
「そう。その為にはあの娘の能力が打って付けだったのよ」
炎が大きく揺れた。
「あの娘、臥龍飛鳥に生じた『汎ゆる男との間に汎ゆる子を儲ける』能力がね。あの能力があれば、仮令神皇に子を生せない何らかの問題があったとしても、強引に受精することが出来る。更に、その子がどれだけ世の理から外れた存在であろうと関係無く、汎ゆる制約を無視して生を授ける。これにより、私達は神皇をも遙かに上回る傀儡を手に入れる。それが今回の計画だった……」
「しかし、傀儡に仕立て上げ損ねてしまったというのが今回の不始末という訳だな」
推城が再び貴龍院に詰め寄る。
また、八社女も今一度問い詰める。
「だったら、もう一度臥龍飛鳥の能力でやり直そうよ。まだ彼女の卵子は取ってあるんでしょう? 今の神皇は棄てて、次の世代こそ……」
「だから駄目なのよ! あの御方の次なんて無いの!」
貴龍院は声を荒らげた。
「あの娘の能力は制御出来ないのよ。父親をも上回る神為を持った不世出の逸材を生むこともあれば、話にならない雑魚になることもある。ただ、上も下も際限がないというだけ。屹度もうあれ程の御方は二度と生まれないわぁ」
「でも、別にあそこまでの力は要らないだろう? 日本人を殲滅するなら先代程度の力、或いはそれより劣る他の皇族程度でも充分だ。今の世代をやり過ごしてしまえば……」
「無理よぉ……」
重い溜息が円卓に行き渡った。
「先刻も言ったけれど、あの娘の能力で生まれる子の力には際限が無いの。どれ程この世の理から外れた存在であろうと生まれ得てしまう。ただ百年千年はおろか那由他の彼方の歳月に一人の希少さでしょうけど、それでも確率的には、どれ程に理外の存在であろうと生れ坐す可能性は零ではない。仮令、遠い昔に瓊瓊杵尊が被った『定命』という制約すらも克服する程の御方であろうと……」
「ば、莫迦な……!」
今度は推城が瞠目した。
「ならばあの神皇は、生まれながらにして不滅の存在であるとでも云うのか……!」
「誰一人として、本人すら知らないことだけれどね。だから、次の世代は無いの。これから先の未来永劫、皇國はあの御方の治世が続くことになるわぁ」
「ふざけるな貴様!」
推城は激しく机を叩いて立ち上がった。
「ならば何としてもあの男を我々の計画に、日本の滅亡に向けなければならなかったではないか! 貴様はそれをしくじったのだ! その重大性を解っているのか!」
「推城、落ち着いて!」
八社女が必死に推城を宥める。
そんな中、貴龍院は不快気に舌打ちを鳴らした。
「しくじってなんかいないわ。要は、最終的にあの御方の方向性が私達と同じになれば良いのよ」
「だがその為に世界すら滅ぼすとでもいうのか……!」
「何よ、問題でもあるのぉ?」
貴龍院の表情が歪んだ笑みを浮かべる。
悪意と狂気、憎悪と冷笑を含んだ、実に悪辣な笑みである。
「一人殺せば何人殺そうが同じ、一国滅ぼせば何国滅ぼそうが同じだわぁ。朔馬君貴方、樂園を築く為なら冥府魔道を行く覚悟だって何度も言っていたわよねぇ?」
「ぐっ……!」
推城は激しく顔を顰めて貴龍院を見下ろしていた。
承服しかねるが、かといって反論も出来ない、そんな風情である。
そんな中、彼の向かいでもう一人の男が徐に立ち上がった。
「もう良いよ、みんな」
八社女は円卓に背を向けた。
「御媛様の云うとおりだ。僕らはとうの昔に人の道を棄てたじゃないか。御媛様はまだ神皇に日本人を滅ぼさせることを断念しちゃいない。だったら、引き続き彼女の為に力を尽くすのが僕達神瀛帯熾天王の役割だろう」
「流石は征一千君。一番付き合いが旧いだけあって、物分かりが良くて助かるわぁ」
貴龍院の表情が朗らかな笑顔に変化した。
八社女の態度に機嫌が直ったのだろうか。
それを気取ってか知らずか、八社女は何かを押さえ込む様に小さく震えると、自分に言い聞かせる様に話す。
「そうさ。僕は誰よりも長く御媛様をお助けしてきた男なんだ」
「そうねぇ。今まで随分力になってくれたわぁ」
八社女は声を震わせながら続ける。
「だから……何でも言っておくれよ。僕はどうすれば良い? 貴女の為ならなんだってするよ」
「良い心懸けねぇ。じゃあ御言葉に甘えて、鬱陶しい蠅共を叩き潰してもらえないかしらぁ?」
四人の頭上、八社女から見ると斜め前方に映像が映し出された。
そこには海の上空、猛然と突き進む四機の超級為動機神体が映し出されている。
「貴方と朔馬君が始末し損ねた連中が、性懲りも無く私達の邪魔をしようとしているのよねぇ……」
「解った。あいつらを始末すれば良いんだね?」
「ええ。貴方だけの不始末じゃないから、朔馬君にも手伝ってもらいなさい。しくじった仕事には責任を取って貰わないと、ねぇ?」
貴龍院の視線が推城を冷ややかに一瞥した。
意趣返し、ということなのだろう。
「成程、尤もだ。あいわかった」
「いや、推城は良いよ。僕一人でやる」
「何?」
推城の申し出を尻目に、八社女は一人で歩き出した。
「僕は御媛様の同志だ。推城とも、閏閒とも違う。良い機会だから証明してあげるよ。僕が一番役に立つんだってね……」
「八社女……」
「頼もしいことねぇ。頑張ってね、征一千君。期待しているわぁ」
八社女は一人、闇の奥へと消えていった。
「扨て、じゃあ一先ずこの場の話は付いたことだし、後のことは征一千君に任せて、お開きということで良いかしらぁ?」
「その様ですな……」
貴龍院と閏閒もまた同時に席を立った。
「朔馬君、貴方も私の同志で間違い無いわよねぇ?」
「多聞天様、貴方様も腹を括りなさるのが宜しいかと、僭越ながら……」
二人はそう言い残すと、別々の方向へと消えていった。
一人取り残された推城は歯噛みしながらも、行き場の無い感情を発散する様に長槍を素振りして蝋燭の火を掻き消した。
空間は真の闇に包まれ、息遣いの音も次第に掻き消えていった。