八社女征一千は嫌悪する。
権力を巡る争いの全てを唾棄して憎む。
自分が権力を握りたい人間の吐く有りと汎ゆる大義、綺麗事、言い訳を蛇蝎の如く嫌い、切り捨てる。
権力を志向する者が口先で美辞麗句を並べつつ、その足元で興味関心の向かぬ弱者を踏み付けにする様を、彼はこの千二百年余りの歳月で嫌という程見てきた。
権力者が恣に動かす歴史の大河の中には、声も上げられず激流に呑まれて水底に墜ちていった数多の雑魚の無念が白骨となって沈んでいる。
彼から見れば、現代の道成寺公郎も先代神皇も、その前の神和政府も輪田将軍家も同じ穴の狢だ。
御大層な名分を掲げながら、結局は自分達の都合で世界を回そうとしているに過ぎない。
勿論、日本国側が辿った歴史の中で、血を流して権力を争い掴んできた者達も何一つ変わらなかった。
唯一人だけ例外が居るとすれば、自らの地位や命を失うことすら厭わず、権力者に都合の悪い真実を伝えた「恩人の弟」が思い当たるくらいだ。
だがその人物との出会いも、聖人に等しい恩人に引き取られる切掛となった出来事もまた、権力者たちの身勝手な都合から始まったものだった。
彼の一番古い記憶、それは八世紀半ばに起きた大きな叛乱によって両親を失い、冷たい汚泥の中に投げ出されたことだ。
大人達は互いの権力を奪い合う為に血で血を洗い世を乱し、多くの弱い子供達が素寒貧で孤独と飢疫の中に放り出され、親の名前を虚空に吐き出しながら震えて死んでいった。
当時、彼が幸運にも生き残ることが出来たのは、朝廷に近い一人の慈悲深き女性がその叛乱で生じた戦災孤児達を引き取り育てていた恩恵に与ることが出来たからだ。
そこには確かな救いがあった。
強者の都合に踏み潰されない平穏な世界がそこにはあったのだ。
彼は葛木首姓を賜り、その聡明さを恩人の弟に見出され、若くして重用されるようになっていった。
彼にとって、姉弟は第二の両親のような存在であった。
しかし、そんな全てを喪った後に得られた幸福すら、頂点に立つ者達の猜疑心と権力欲は容易く踏み躙っていく。
『千代……。千代麻呂……』
八社女は幽かな記憶の中で、清廉な男の呼び声を聞いていた。
よく見る夢、何十万回と反芻したあの日の夢だ。
神の託宣を巡る大いなる政変の大災。
姉弟揃って罪科を賜り、信じていたものが崩壊していく足音が聞こえる。
続いて、暗雲の隙間から見下ろす様な女の呼び声が響いてくる。
これもいつものことだ。
彼女もまた恩人の一人ではあったが、基より信を置く相手を決定的に誤っていた。
『お前は一代麻呂、否、卑代麻呂だ……』
正しさを貫いただけで名すら奪われ、配流される理不尽。
その絶望の淵にいた彼の手を引いたのが、あの妖しくも美しい女だった。
闇の中で差し伸べられた白磁の手は雪を思わせたが、泥に塗れた彼の眼には光を帯びて見えた。
『可哀想に。憎むべき女、これから呪う大地に通じた名は過去と共に捨ててしまいなさぁい。私が貴方に見合う、ぴったりの名前を付け直してあげるわぁ……』
そうだ、そうしよう。
僕は千代麻呂でも、況してや朝廷から押し付けられた一代麻呂でも卑代麻呂でもない。
この国への、朝廷への、神々への憎しみを片時も忘れぬよう、僕達の楽園を壊した「八幡の社」と「女帝」を姓に刻み、「一千の代を征する者」……。
『そう、今から貴方は私の同志』
僕の名は、あの女から頂いた大切な名は、八社女征一千……――彼は両目を薄らと開け、眼前の敵へと右手を振り下ろした。
⦿⦿⦿
夜の闇の中、大量の弐級為動機神体が一人の男と二人の女に襲い掛かる。
根尾・白檀・求来里の三名に対して、弐級は少なくとも二十機以上、多勢に無勢とはこのことだ。
「舐めるなよ、人形共!」
全高三米の鐵の自動人形に対し、根尾弓矢は跳び蹴りで迎え撃つ。
弐級為動機神体は強靱な装甲と操縦者の神為に依って守られており、その頑強さは鋼鉄をも遙かに凌ぐ。
しかしそれは裏を返せば、操縦者次第で耐久力すら大きく変動するということだ。
「フンッ!!」
根尾の蹴りが弐級の胴部に炸裂した。
斬り掛からんとしていた鎌状の腕は衝撃で動きを止め、同時に亀裂と火花が奔る。
瞬間、根尾の足は瞬く間に泥化。
装甲の亀裂から侵入し、機体を内側から破砕した。
「やはりな。八社女、貴様の神為では銀座のあいつ程の性能は発揮出来ん」
皇國最強の為動機神体操縦士、将軍家嫡男・輪田衛士少佐が操縦していた弐級為動機神体は極めて強固な力で守られており、根尾の力では装甲を傷付けることは出来なかった。
あの時は機体関節の隙間から侵入し、回路を切断するに留めざるを得なかった。
八社女の神為は公爵令息である輪田より遙かに劣る。
彼に操られる弐級の装甲は、流石に一撃で粉砕するには至らないものの、あの時とは比べるべくもなく脆かった。
「ククク、知っているさ。僕の出自は決して高貴ではないからね。でもたかが一機破壊しただけで図に乗るのは早くないかな?」
八社女は余裕を崩さず、遠巻きに悠々と様子を窺っている。
六機の弐級が根尾一人を取り囲み、一斉に襲ってくる。
だが根尾は一切怯まない。
「逆だ八社女。寄せ集めの傀儡集団を引き連れただけで勝ち誇る貴様がどうしようもなく甘いのだ!」
根尾は拳で、蹴りで、流れ作業の様に弐級を撃破していく。
しかし、弐級が狙っていたのは彼一人だけではなかった。
二十機の内、最初に破壊された一機を除いても七機。
つまり残りは別の相手に向かっている。
「そっちは任せたぞ、白檀!」
「アイアイ!」
大声で叫び呼び掛ける根尾に応え、白檀は右手を前に突き出した。
彼女は通常の神為使いとは異なり、人間離れした身体能力は持たない。
神為が覚醒して最初に耐久力や生命力が大幅に向上する通常の深化段階とは逆に、彼女の場合は特殊な異能「術識神為」を最初に発現している。
稀に見られる事例で、早くから能力を鍛えられる利点とは裏腹に戦闘能力の発達が大幅に遅れてしまうという欠点がある。
加えて白檀の術識神為は、空気を振動して幻惑効果を持つ催眠音を発生させるという、通常は直接的な攻撃に向かない能力である。
しかし応用次第では非常に有用な戦闘手段になり得るのだ。
「求来里さん、耳塞いで伏せてください!」
白檀の手から凄まじい轟音の塊が解放され、二人の女に襲い掛かっていた弐級に叩き付けられる。
極限まで高められた音圧はある程度の指向性を与えられた範囲攻撃となり、複数の敵を纏めて破壊するには覿面の効果を発揮するのだ。
返り討ちに遭った弐級は破壊こそ免れたものの大きく損傷し、足腰の安定性を失ってふらついていた。
そこへ、自分に向かってきた敵を全て片付けた根尾が情報から宙返りで舞い降りた。
「上出来だ!」
根尾は着地様に掌を地に着けて両脚で回し蹴りを繰り出す。
相手は既に装甲が破れかけた機体である。
根尾の格闘能力ならば、術識神為に頼らない蹴りの威力だけで充分粉砕出来た。
「ちぃっ、思ったよりも見事な連係じゃないか。だが……!」
八社女は再び右腕を振り上げた。
上空から、更に五機の弐級が殺意を纏って降ってくる。
「まだ在庫が残っていたか。随分奮発するじゃないか」
「閉店出血大特価、というやつだよ」
五機の弐級は三人を取り囲み、高速で周回し始める。
「小賢しい真似を……。白檀、やれ!」
「アイアイ!」
再び、白檀は右腕を前へ出して弐級への攻撃態勢を取った。
音波の奔流が二機に炸裂し、装甲の損傷と共によろめいて敵の陣形が乱れる。
同時に根尾も正面の敵に拳を叩き付け、泥を亀裂から内部に侵入させ、破壊。
形勢は変わらず、八社女は手駒を立て続けに失っていく。
「ククク……」
しかし、八社女は相変わらず余裕を崩さず不敵に佇んでいる。
恰も全てが狙い通りに運んでいるとでも言いた気だ。
そんな八社女の佇まいなど知りもせず、根尾と白檀は残る敵を全て始末した。
粉々になった鋼鉄の残骸が彼らの周囲を埋め尽くしている。
「そろそろか……」
八社女の両眼が鋭い光を帯びた。
何かを狙っている。
積み重なった機体の瓦礫が不気味に蠢く。
「みんな、伏せろ!」
真先に予感して叫んだのは根尾だった。
瞬間、破壊された機体の瓦礫が激しく飛び散った。
その破片は炸裂団の様に凄まじい速度で襲い掛かる。
回避が間に合わなかった白檀が、背中から血を流して倒れた。
根尾は腕で防御を試みたが、防ぎきれずに腿に破片が突き刺さった。
「くっ!」
根尾は焦る。
機体の瓦礫が飛散したのは、積み上がった山に潜んでいた伏兵が飛び出してきたからだ。
混乱の隙に、一機の弐級が根尾の背後を取った。
「チィッ!!」
根尾は腿から素早く破片を抜いて傷の恢復を図るが、それが対応の遅れに繋がった。
弐級が振るう鎌の様な腕が根尾を襲い、間に合わない――しかしその時だった。
「ハアアアッッ!!」
突如、激しい打撃が弐級の横面を弾いた。
更に一発、二発と、連撃が頭部に叩き込まれる。
「何!?」
「求来里三尉!」
求来里美乃が徒手空拳を弐級にぶつけた。
抑も彼らは為動機神体の操縦技術を身に付ける上で東瀛丸を飲んで神為を第二段階まで覚醒させている。
そして、そこまでの力があれば弐級相手には充分通用するのだ。
「自衛官舐めんなSF!」
「これは……確かに予想外だ……」
求来里が生んだ大きな隙に、根尾は体勢を立て直し、蹴りを繰り出す。
既に傷んでいた敵機は根尾の一撃で破砕された。
「白檀、大丈夫か?」
「まあ、なんとか……」
白檀の傷は浅くないものの、命に別状は無いらしい。
息を荒らげながら立ち上がり、再び八社女と向き合う。
彼の後にはまだ一機の弐級が控えているが、数の上では逆転してしまっていた。
「いつまで高みの見物を決め込む気だ、八社女。さっさと貴様自身で掛かってこい」
「フン……」
だが、八社女は邪悪に顔を歪めて笑った。
この状況に至るまで、全ては彼の計算通り。
そしてここからこそ、彼の本当の狙いである。
「わかっていたさ、最初から弐級じゃ何匹揃えようが君を殺し切れないであろうことくらい。けれども使えるものを使わないのも賢くない。だから利用することにしたのさ。結果、良い塩梅になったよ」
弐級の頭部が光を放ち始めた。
そう、弐級為動機神体は接近戦一辺倒ではなく、兵装に確りと光線砲を備えている。
「はわわ根尾さん、光線砲ですよ!」
「慌てるな。発射の瞬間、砲口の向きを見て躱せば回避は難しくない」
「果たしてそうかな?」
八社女は得意気に両腕を拡げた。
それは宛ら、この一帯の様子を見渡すように忠告しているかの様だ。
瞬間、根尾は気付く。
「しまった……!」
「気付いたか。随分散らかしてくれたもんな、二十六機もの弐級を粉砕して、金属の破片を其処彼処に!」
八社女の口角が悪意に歪み上がる。
白檀と求来里も状況を察して戦慄する。
「ひいいいっ!」
「そんな! この状況で撃ったら何処に反射するかわからない! あいつだって巻き添えになりますよ!」
「関係無いんだ、あいつには! みんな伏せろ! 撃ってくるぞ!」
「じゃあね、御三方!」
弐級の頭部から光線砲が放たれ、白い光の筋が辺りを縦横無尽に埋め尽くした。