日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百五話『名前』 急

 夜の街は一瞬にして地獄絵図と化した。

 四方八方に反射された弐(に)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)の光線砲は周囲の建築物を容赦無く破壊し、夜景にしてはあまりにも眩(まばゆ)い灯を通りに焼(く)べてしまった。

 寝静まっていた人々の阿(あ)鼻(び)叫(きよう)喚(かん)が谺(こだま)し、立ち上がる黒煙が煌(きら)星(ぼし)を覆い尽くしている。

 例えば周囲に何も無いような、無人の滑走路なら兎も角、この様な街中で幾重にも反射する光線砲を狙いも付けずに乱発すればこうなるのは当然だ。

 

 撃った弐(に)級(きゆう)は自身の光線砲に貫かれ、火花放電の後に爆発四散した。

 通りに立っているのは、たった一人の少年の様な男だけだ。

 

「フフフ……」

 

 男・八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)は腕を拡(ひろ)げたまま立っている。

 というより、両腕を力無くぶら下げていると表した方が正確か。

 腱(けん)が切れた腕は骨と皮で繋(つな)がっており、両腿(もも)に右下腹部、左胸と、更に額にまで穴が開いている。

 八(や)社(おと)女(め)もまた無数の光に貫かれたのだ。

 

「ハハハ……」

 

 しかし、穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)によって不死身となった八(や)社(おと)女(め)は両目を見開いて狂気に笑っていた。

 その異様な姿は、まさにこの世に有らざる存在そのものである。

 

「ハハハハハハハハァーッッ!!」

 

 悍(おぞ)ましい哄(こう)笑(しよう)が悲鳴を圧し潰(つぶ)す様に響き渡る。

 周囲を無差別に傷付けた男は、自身の致命的な大傷をいとも容(た)易(やす)く修復し、全てを見下して歪(ゆが)んだ笑みを浮かべていた。

 

「うぁぁ……」

 

 八(や)社(おと)女(め)の背後を、幼い子供が一人で歩いていた。

 おそらく、この大惨事に巻き込まれて親と逸(はぐ)れたのだろう。

 

「おいおい、部外者は入ってくるなよ」

 

 八(や)社(おと)女(め)は興を殺(そ)がれて不快感を覚えたのか、露骨に舌打ちを鳴らした。

 そして泣きながら歩く子供を振り向き様に睨(にら)み降ろす。

 だが子供はそんな八(や)社(おと)女(め)の視線に気付かず、力無く呟(つぶや)いた。

 

「お父さん……お母さん……」

「五(う)月(る)蠅(さ)いんだよ……」

 

 八(や)社(おと)女(め)は苛(いら)立(だ)ち紛(まぐ)れに吐き捨てると、一瞬のうちに大量の弓矢を射(い)った。

 子供だったものは蜂の巣にされ、血の塊と鳴って崩れ落ちた。

 

『武(ぶ)装(そう)神(しん)為(い)・須(す)彌(み)削(けずり)ノ(の)弓(ゆみ)・差(ざ)魅(み)魔(ま)ノ(の)矢(や)』

 

 八(や)社(おと)女(め)の左手と背中には弓と矢筒が形成されていた。

 子供に対して過剰な武装で殺害に踏み切ったのは、それほどに目障りだったのだろうか。

 

「感謝するんだね。どうせこれから先、碌(ろく)な人生になりはしない」

 

 八(や)社(おと)女(め)はそう言い捨てると、再び狙った三人の方へ向き直った。

 全ては彼の計算通り、防ぎようのない光線砲の乱射と反射を前に、根(ね)尾(お)も白(びやく)檀(だん)も序(つい)でに求(く)来(く)里(り)も為(な)す術(すべ)が無かった筈(はず)だ。

 後は見るも無残な死体を確認するだけ。

 嘗(かつ)て不覚を取った借りが漸(ようや)く返せて、晴れて溜(りゆう)飲(いん)も下がる――そう思っていた。

 

「ぐ……ぅ……う……」

 

 其(そ)処(こ)に居たのは根(ね)尾(お)一人だった。

 他の二人はバラバラに消し飛んでしまったのか――そうではない。

 地面に膝と片手を突いた彼は、何者かを庇(かば)って背中に一筋の火傷(やけど)痕を刻まれていた。

 その足下には、二つの泥の塊が拡がっている。

 

「根(ね)尾(お)弓(きゆう)矢(や)、貴様……!」

 

 八(や)社(おと)女(め)は歯(は)噛(が)みした。

 俯(うつむ)いた根(ね)尾(お)の視線の先には泥の中に辛うじて顔が残されている。

 彼は白(びやく)檀(だん)と求(く)来(く)里(り)には光線砲を躱(かわ)せないと判断し、一瞬で二人を泥化していたのだ。

 

「ね、根(ね)尾(お)さん……だ、大丈夫ですか……?」

「白(びやく)檀(だん)、済まない。これしか手が無かった。求(く)来(く)里(り)三尉には謝れなかったな……」

「そんなことより根(ね)尾(お)さん……」

「心配するな。俺(おれ)は死なんさ。二人共必ず元に戻してやるから……」

 

 根(ね)尾(お)弓(きゆう)矢(や)の能力に因(よ)る石化・泥化は、彼自身の意思に因ってのみ解除されて元に戻ることが出来る。

 つまりもし彼が死んでしまえば、白(びやく)檀(だん)と求(く)来(く)里(り)は永遠に元に戻れない。

 仲間の泥化は汎(あら)ゆる攻撃から身を守る絶対防御として機能する一方で、可能な限り使わないに超した事は無い最後の手段なのだ。

 

「だから根(ね)尾(お)さん、傷が治ってませんよ!」

 

 白(びやく)檀(だん)の見る前で、根(ね)尾(お)の体から血が滴り落ちる。

 先程の光線砲は彼の背中や胸、肩や腿を傷付けていた。

 そして抉(えぐ)れた肉が恢(かい)復(ふく)していないということは、彼の神(しん)為(い)が枯渇しつつあるということを意味している。

 

「ああ、どうやら弐(に)級(きゆう)相手に消耗し過ぎたらしい。だが大丈夫だ。戦える神(しん)為(い)はまだ残されている。やることは変わらない。奴(やつ)を石化させてしまえば俺(おれ)の勝ちだ。だから安心しろ。必ず勝つ」

「誰に勝つんだってェ?」

 

 根(ね)尾(お)の背後から、八(や)社(おと)女(め)の射た無数の矢が襲い掛かる。

 相変わらず目にも留(とど)まらぬ早撃ちだ。

 だが、根(ね)尾(お)は振り向き様の手刀で矢を打ち払い、そのまま八(や)社(おと)女(め)に向けて突っ込んだ。

 八(や)社(おと)女(め)が目にも留まらぬ速射ならば、根(ね)尾(お)は目にも留まらぬ速攻で一気に肉薄する。

 

「くっ!」

 

 根(ね)尾(お)の拳が、蹴りが八(や)社(おと)女(め)を襲う。

 八(や)社(おと)女(め)はこれを紙一重で躱し、距離を取って再び弓に矢を番(つが)える。

 だが、間に合わない。

 根(ね)尾(お)は八(や)社(おと)女(め)を猛追し、追撃の拳を八(や)社(おと)女(め)の顔面に見舞った。

 

「ぐほぁっっ!?」

「光線砲を矢(や)鱈(たら)目(め)鱈(たら)に撃ったのは失敗だったな。一機ぐらいは味方を残しておくべきだった。それに俺(おれ)は今、正直キレている」

 

 根(ね)尾(お)は八(や)社(おと)女(め)の胸を蹴り飛ばした。

 白(びやく)檀(だん)の心配を余(よ)所(そ)に、戦いの情勢は一気に根(ね)尾(お)へと傾いて八(や)社(おと)女(め)を圧倒していた。

 しかし、これは必ずしも喜ばしいことではない。

 寧(むし)ろ「圧倒している」ことそのものが根(ね)尾(お)の甚大な消耗を隠しようが無く露(あら)わにしているのだ。

 

「フフフ、どうした? 僕(ぼく)を石化させるんじゃなかったのか?」

 

 八(や)社(おと)女(め)は口を拭いながら不敵に笑う。

 この状況は彼の狙い通りだった。

 

「光線砲で全員纏(まと)めて殺せれば御の字だった。だが、耐えきられるのも想定の範囲内さ。抑(そもそ)も僕(ぼく)の本当の狙いは、貴様の神(しん)為(い)を消耗させて石化の進行速度を大幅に下げることにあった。僕(ぼく)が石化していないのは、つまりそういうことだろう?」

 

 根(ね)尾(お)が神(しん)為(い)を大きく消耗してしまったのは、先程自分でも言った通りだ。

 今の彼には最(も)早(はや)、相手に一瞬触れただけで石化させる程の力は残されていない。

 石化させるには確実に、長時間相手に触れ続けなくてはならない。

 

「そして僕(ぼく)には遠距離攻撃がある! 掴(つか)まれる危険をなるべく少なく、遠巻きに貴様が力尽きるのを待つことが出来る! 何方(どちら)が圧倒的に有利か、考えるまでも無いな!」

 

 その瞬間、八(や)社(おと)女(め)の鼻に根(ね)尾(お)の拳が叩(たた)き込(こ)まれた。

 

「ぐぶぁっ!!」

「お勉強が得意なら知っているだろう? そういうのを机上の空論という!」

 

 根(ね)尾(お)はそのまま拳の連打を叩き込み、蟀谷(こめかみ)に蹴りを叩き込んで八(や)社(おと)女(め)を薙(なぎ)倒(たお)した。

 

「ぐはぁぁっ!! 莫(ば)迦(か)な! まるで対応出来ない!」

 

 驚(きよう)愕(がく)しつつも起き上がろうとした八(や)社(おと)女(め)だったが、顔を上げた瞬間に拳を振り上げる根(ね)尾(お)の姿が目に入った。

 下段突き、そのまま手で地面に押さえ込まれたら、枯渇しかけた今の神(しん)為(い)でも充分石化させられる。

 

「ヒッ!?」

 

 八(や)社(おと)女(め)は辛うじて根(ね)尾(お)の拳を躱した。

 地面に突き刺さった拳は土瀝青(アスファルト)を砕き、飛び散った破片が八(や)社(おと)女(め)の耳を切る。

 

「もう一発!」

 

 根(ね)尾(お)は追撃の下段突きを振り被る。

 八(や)社(おと)女(め)は辛うじてその場から飛(と)び退(の)き、この窮地を脱した。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 八(や)社(おと)女(め)は呼吸を荒(あら)らげながら弓と矢で反撃を試みる、が、その時彼は、自分が素手であることに気が付いた。

 

「なっ! しまった! 『須(す)彌(み)削(けずり)ノ(の)弓(ゆみ)』が……!」

 

 八(や)社(おと)女(め)が武(ぶ)装(そう)神(しん)為(い)で形成した弓は根(ね)尾(お)の下段突きで砕かれていた。

 彼の息が荒かったのは、武(ぶ)装(そう)神(しん)為(い)の破壊によって神(しん)為(い)を大きく失い、体力を削られてしまったからだ。

 これは余りにも痛手だったが、泣き面に蜂の厄災が彼を襲う。

 根(ね)尾(お)は両脚で跳び蹴りを繰り出し、八(や)社(おと)女(め)の背中を蹴り飛ばした。

 

「ぐあああああっっ!!」

 

 八(や)社(おと)女(め)は吹き飛ばされると共に、背負っていた矢筒を砕かれ、圧(へ)し折(お)れた矢を其処ら中に打(ぶ)ち撒(ま)ける破目になった。

 俯(うつぶ)せに倒れる八(や)社(おと)女(め)は屈辱と怒りに震える他無かった。

 

「おのれ……! 根(ね)尾(お)弓(きゆう)矢(や)ァ……! おのれぇぇ……!」

 

 最早、勝負は大方決しただろう。

 武(ぶ)装(そう)神(しん)為(い)を完全破壊された八(や)社(おと)女(め)には、根(ね)尾(お)の猛攻をこれ以上躱し続ける力は残されていまい。

 

「消耗させた筈だ……。大傷を負わせた筈だ……。それなのに何故(なぜ)……何故未(いま)だに此(これ)程(ほど)までに強い……!」

「そうだな……考えられるとしたら、自分以外に二人の命運を背負ったからというのと、後は貴様の所業にキレたからだろうな」

「キレた……だと……?」

「思い返せば貴様は最初から無(む)辜(こ)の民を犠牲にし続けた。もういい加減に頭に来たよ。これでも一応、国の為(ため)に身命を捧(ささ)げた麗(うる)真(ま)家の血族なんでな」

 

 八(や)社(おと)女(め)は根(ね)尾(お)を見上げていた。

 言葉通り、彼の表情は静かな憤怒に燃えている。

 それは宛(さなが)ら、八(や)社(おと)女(め)自身がこの場に作り出した地獄絵図の劫(ごう)火(か)が燃え移ったかの様だった。

 対する八(や)社(おと)女(め)もまた、行き場の無い激情に覆われつつあった。

 

「ふざけるなよ……! 貴様の怒りなど……僕(ぼく)に比べたら……!」

 

 八(や)社(おと)女(め)の体をどす黒い靄(もや)が覆っていく。

 それは彼の口から吐き出されていた。

 

「八(や)社(おと)女(め)、貴様まさか!」

「モウ……ドウナッテモ知ルモノカ……! 貴様ダケハ殺ス……! 貴様サエ居ナケレバ……!」

 

 八(や)社(おと)女(め)にはもう一つ、最後の能力がある。

 それは神(しん)為(い)とは異なる「穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)」と呼ばれる力で、神(しん)為(い)そのものを増幅させることが出来るのだ。

 但し、器の成長を伴わない急激な増幅は精神に異常を来す。

 

『穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)・美(み)地(ち)禍(か)神(がみ)』

 

 八(や)社(おと)女(め)を覆う黒い靄が大きく膨れ上がった。

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