夜の街は一瞬にして地獄絵図と化した。
四方八方に反射された弐級為動機神体の光線砲は周囲の建築物を容赦無く破壊し、夜景にしてはあまりにも眩い灯を通りに焼べてしまった。
寝静まっていた人々の阿鼻叫喚が谺し、立ち上がる黒煙が煌星を覆い尽くしている。
例えば周囲に何も無いような、無人の滑走路なら兎も角、この様な街中で幾重にも反射する光線砲を狙いも付けずに乱発すればこうなるのは当然だ。
撃った弐級は自身の光線砲に貫かれ、火花放電の後に爆発四散した。
通りに立っているのは、たった一人の少年の様な男だけだ。
「フフフ……」
男・八社女征一千は腕を拡げたまま立っている。
というより、両腕を力無くぶら下げていると表した方が正確か。
腱が切れた腕は骨と皮で繋がっており、両腿に右下腹部、左胸と、更に額にまで穴が開いている。
八社女もまた無数の光に貫かれたのだ。
「ハハハ……」
しかし、穢詛禍終によって不死身となった八社女は両目を見開いて狂気に笑っていた。
その異様な姿は、まさにこの世に有らざる存在そのものである。
「ハハハハハハハハァーッッ!!」
悍ましい哄笑が悲鳴を圧し潰す様に響き渡る。
周囲を無差別に傷付けた男は、自身の致命的な大傷をいとも容易く修復し、全てを見下して歪んだ笑みを浮かべていた。
「うぁぁ……」
八社女の背後を、幼い子供が一人で歩いていた。
おそらく、この大惨事に巻き込まれて親と逸れたのだろう。
「おいおい、部外者は入ってくるなよ」
八社女は興を殺がれて不快感を覚えたのか、露骨に舌打ちを鳴らした。
そして泣きながら歩く子供を振り向き様に睨み降ろす。
だが子供はそんな八社女の視線に気付かず、力無く呟いた。
「お父さん……お母さん……」
「五月蠅いんだよ……」
八社女は苛立ち紛れに吐き捨てると、一瞬のうちに大量の弓矢を射った。
子供だったものは蜂の巣にされ、血の塊と鳴って崩れ落ちた。
『武装神為・須彌削ノ弓・差魅魔ノ矢』
八社女の左手と背中には弓と矢筒が形成されていた。
子供に対して過剰な武装で殺害に踏み切ったのは、それほどに目障りだったのだろうか。
「感謝するんだね。どうせこれから先、碌な人生になりはしない」
八社女はそう言い捨てると、再び狙った三人の方へ向き直った。
全ては彼の計算通り、防ぎようのない光線砲の乱射と反射を前に、根尾も白檀も序でに求来里も為す術が無かった筈だ。
後は見るも無残な死体を確認するだけ。
嘗て不覚を取った借りが漸く返せて、晴れて溜飲も下がる――そう思っていた。
「ぐ……ぅ……う……」
其処に居たのは根尾一人だった。
他の二人はバラバラに消し飛んでしまったのか――そうではない。
地面に膝と片手を突いた彼は、何者かを庇って背中に一筋の火傷痕を刻まれていた。
その足下には、二つの泥の塊が拡がっている。
「根尾弓矢、貴様……!」
八社女は歯噛みした。
俯いた根尾の視線の先には泥の中に辛うじて顔が残されている。
彼は白檀と求来里には光線砲を躱せないと判断し、一瞬で二人を泥化していたのだ。
「ね、根尾さん……だ、大丈夫ですか……?」
「白檀、済まない。これしか手が無かった。求来里三尉には謝れなかったな……」
「そんなことより根尾さん……」
「心配するな。俺は死なんさ。二人共必ず元に戻してやるから……」
根尾弓矢の能力に因る石化・泥化は、彼自身の意思に因ってのみ解除されて元に戻ることが出来る。
つまりもし彼が死んでしまえば、白檀と求来里は永遠に元に戻れない。
仲間の泥化は汎ゆる攻撃から身を守る絶対防御として機能する一方で、可能な限り使わないに超した事は無い最後の手段なのだ。
「だから根尾さん、傷が治ってませんよ!」
白檀の見る前で、根尾の体から血が滴り落ちる。
先程の光線砲は彼の背中や胸、肩や腿を傷付けていた。
そして抉れた肉が恢復していないということは、彼の神為が枯渇しつつあるということを意味している。
「ああ、どうやら弐級相手に消耗し過ぎたらしい。だが大丈夫だ。戦える神為はまだ残されている。やることは変わらない。奴を石化させてしまえば俺の勝ちだ。だから安心しろ。必ず勝つ」
「誰に勝つんだってェ?」
根尾の背後から、八社女の射た無数の矢が襲い掛かる。
相変わらず目にも留まらぬ早撃ちだ。
だが、根尾は振り向き様の手刀で矢を打ち払い、そのまま八社女に向けて突っ込んだ。
八社女が目にも留まらぬ速射ならば、根尾は目にも留まらぬ速攻で一気に肉薄する。
「くっ!」
根尾の拳が、蹴りが八社女を襲う。
八社女はこれを紙一重で躱し、距離を取って再び弓に矢を番える。
だが、間に合わない。
根尾は八社女を猛追し、追撃の拳を八社女の顔面に見舞った。
「ぐほぁっっ!?」
「光線砲を矢鱈目鱈に撃ったのは失敗だったな。一機ぐらいは味方を残しておくべきだった。それに俺は今、正直キレている」
根尾は八社女の胸を蹴り飛ばした。
白檀の心配を余所に、戦いの情勢は一気に根尾へと傾いて八社女を圧倒していた。
しかし、これは必ずしも喜ばしいことではない。
寧ろ「圧倒している」ことそのものが根尾の甚大な消耗を隠しようが無く露わにしているのだ。
「フフフ、どうした? 僕を石化させるんじゃなかったのか?」
八社女は口を拭いながら不敵に笑う。
この状況は彼の狙い通りだった。
「光線砲で全員纏めて殺せれば御の字だった。だが、耐えきられるのも想定の範囲内さ。抑も僕の本当の狙いは、貴様の神為を消耗させて石化の進行速度を大幅に下げることにあった。僕が石化していないのは、つまりそういうことだろう?」
根尾が神為を大きく消耗してしまったのは、先程自分でも言った通りだ。
今の彼には最早、相手に一瞬触れただけで石化させる程の力は残されていない。
石化させるには確実に、長時間相手に触れ続けなくてはならない。
「そして僕には遠距離攻撃がある! 掴まれる危険をなるべく少なく、遠巻きに貴様が力尽きるのを待つことが出来る! 何方が圧倒的に有利か、考えるまでも無いな!」
その瞬間、八社女の鼻に根尾の拳が叩き込まれた。
「ぐぶぁっ!!」
「お勉強が得意なら知っているだろう? そういうのを机上の空論という!」
根尾はそのまま拳の連打を叩き込み、蟀谷に蹴りを叩き込んで八社女を薙倒した。
「ぐはぁぁっ!! 莫迦な! まるで対応出来ない!」
驚愕しつつも起き上がろうとした八社女だったが、顔を上げた瞬間に拳を振り上げる根尾の姿が目に入った。
下段突き、そのまま手で地面に押さえ込まれたら、枯渇しかけた今の神為でも充分石化させられる。
「ヒッ!?」
八社女は辛うじて根尾の拳を躱した。
地面に突き刺さった拳は土瀝青を砕き、飛び散った破片が八社女の耳を切る。
「もう一発!」
根尾は追撃の下段突きを振り被る。
八社女は辛うじてその場から飛び退き、この窮地を脱した。
「はぁ……はぁ……」
八社女は呼吸を荒らげながら弓と矢で反撃を試みる、が、その時彼は、自分が素手であることに気が付いた。
「なっ! しまった! 『須彌削ノ弓』が……!」
八社女が武装神為で形成した弓は根尾の下段突きで砕かれていた。
彼の息が荒かったのは、武装神為の破壊によって神為を大きく失い、体力を削られてしまったからだ。
これは余りにも痛手だったが、泣き面に蜂の厄災が彼を襲う。
根尾は両脚で跳び蹴りを繰り出し、八社女の背中を蹴り飛ばした。
「ぐあああああっっ!!」
八社女は吹き飛ばされると共に、背負っていた矢筒を砕かれ、圧し折れた矢を其処ら中に打ち撒ける破目になった。
俯せに倒れる八社女は屈辱と怒りに震える他無かった。
「おのれ……! 根尾弓矢ァ……! おのれぇぇ……!」
最早、勝負は大方決しただろう。
武装神為を完全破壊された八社女には、根尾の猛攻をこれ以上躱し続ける力は残されていまい。
「消耗させた筈だ……。大傷を負わせた筈だ……。それなのに何故……何故未だに此程までに強い……!」
「そうだな……考えられるとしたら、自分以外に二人の命運を背負ったからというのと、後は貴様の所業にキレたからだろうな」
「キレた……だと……?」
「思い返せば貴様は最初から無辜の民を犠牲にし続けた。もういい加減に頭に来たよ。これでも一応、国の為に身命を捧げた麗真家の血族なんでな」
八社女は根尾を見上げていた。
言葉通り、彼の表情は静かな憤怒に燃えている。
それは宛ら、八社女自身がこの場に作り出した地獄絵図の劫火が燃え移ったかの様だった。
対する八社女もまた、行き場の無い激情に覆われつつあった。
「ふざけるなよ……! 貴様の怒りなど……僕に比べたら……!」
八社女の体をどす黒い靄が覆っていく。
それは彼の口から吐き出されていた。
「八社女、貴様まさか!」
「モウ……ドウナッテモ知ルモノカ……! 貴様ダケハ殺ス……! 貴様サエ居ナケレバ……!」
八社女にはもう一つ、最後の能力がある。
それは神為とは異なる「穢詛禍終」と呼ばれる力で、神為そのものを増幅させることが出来るのだ。
但し、器の成長を伴わない急激な増幅は精神に異常を来す。
『穢詛禍終・美地禍神』
八社女を覆う黒い靄が大きく膨れ上がった。