日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

362 / 399
第百六話『悪人』 破

 八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)が嘗(かつ)て味わった破滅と絶望、その原因となった男は、後の世の歴史に於(お)いて「日本三悪人」の一人に数えられ、稀(き)代(たい)の怪僧として悪名を残したという。

 その評価それ自体について、彼には特に何ら異論は無い。

 あの男が権力者に取り入り、国を揺るがした大悪人であることは紛(まぎ)れもない事実なのだから。

 抑(そもそ)も彼が孤児となった争乱の片側にあの男が居たことも、唾棄するに充分過ぎる理由だ。

 

 ただ一つ、彼がこの千二百年という歳月でずっと違和感を覚え、胃液が溢(あふ)れんばかりに波打つ程の嫌(けん)悪(お)を抱き続けてきたのは、その男が悪人として論(あげつら)われる陰に隠れ、どこか批判に手心を加えられている女帝が居るということだ。

 第一、国の頂点で最も権力を激しく争い、下々の生活を暴風雨の渦に巻き込んだ一番の責任者は誰だったのか。

 

 悪が権力者の懐に入り込み、国を傾ける巨悪と化したとして、もしも権力者の側が「騙(だま)されていた」のであれば、まだ歴史の繕いようもあるだろう。

 己を謀った悪を最終的に見抜き、正しく裁いたのだとすれば、その過程に瑕(か)疵(し)はあれど、権力者そのものは悪ではなかろう。

 

 だが、事実はその何方(どちら)でもないではないか――八(や)社(おと)女(め)は氷の論理でそう看破し、炎の感情でそれを批難する。

 

 悪が悪を為(な)せるよう便宜を図り、国を挙げて取り計らい、配下の血を吐く様な諫(かん)言(げん)にも耳を貸さず、ただ私(あたくし)情のままに一人の男に入れ上げ続けたとしたら。

 況(ま)してや事もあろうに、その男に最高権力を譲ろうとすら計画したのだとしたら、その玉座に座る者こそが、最(も)早(はや)諸悪の根源ではないのか。

 

 八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)は嫌悪する。

 祀(まつ)り上げられる資格もない癖に、情に狂い、己の眼(め)を曇らせて弱者を踏(ふ)み躙(にじ)って憚(はばか)らない最高権力者の性を、心底から厭(えん)悪(お)する。

 

『何と憐(あわ)れなる童か……』

 

 脳(のう)裡(り)に、嘗て自分を救った女の声が過(よぎ)る。

 

『何と利発なる童か……』

 

 脳裡に、正しい国の形を求めて無道を除こうとして不興を買った、恩人の弟の声が過る。

 失われたあの、苟且(かりそめ)にも報われた日々の記憶。

 それを切り裂く様に、傲慢な響きが鼓膜を打つ。

 

『何と無礼なる輩(やから)か……』

 

 そしてそれら全ての過去を昏(くら)い歓喜で塗(ぬ)り潰(つぶ)す様に、彼女の声が甘く冷たく囁(ささや)くのだ。

 

『では征(せい)一(い)千(ち)君、貴方(あなた)の能力をこれからはこの私の為(ため)に使いなさぁい。潰(つい)えさせてしまいましょう、こんな不条理な血筋など。亡(ほろ)ぼしてしまいましょう、こんな醜い国など……』

 

 八(や)社(おと)女(め)は述懐する。

 そうだ、あの地獄で絶望していた僕(ぼく)の手を引いてくれたとき、彼女の傍らにはまだ誰も居なかった、筈だ。

 日本と皇統を滅ぼした先に築かれるべき真の樂(らく)園(えん)とは本来、僕(ぼく)と彼女が、二人切りで辿(たど)り着(つ)く筈だった静(せい)謐(ひつ)なる場所だ。

 僕(ぼく)こそが最初の同志であり、誰よりも彼女を知っている。

 誰よりもずっと、彼女を……。

 

 しかし、永遠にも思える闇を歩む中で、僕(ぼく)の見る光景は変わっていった。

 六百年程が経(た)ち、彼女は僕(ぼく)の働きだけでは不満だったのか、新しい同志を一人、その円卓に招き入れた。

 僕(ぼく)の持っていない勇壮な体(たい)躯(く)を持つ武人だった。

 真面目で忠実な男だったし、協調性もあって悪い奴(やつ)ではなかったが、二人の場所に異物が入り込んできた感覚はどうしても拭えなかった。

 

 更に五百年程が経ち、僕(ぼく)達の働きがまだ不満だったのか、もう一人妖しげな老翁を……。

 こいつは何処(どこ)までも胡(う)散(さん)臭(くさ)い男で、その癖僕(ぼく)達よりもずっと有能で、段々と彼女の歓心を買っていった。

 彼女は結局、僕(ぼく)の十分の一にも満たない僅(わず)かな歳月しか共に過ごしていない、あの新参の男に、今や一番の信を置くようになってしまった。

 

 これではまるであの男と同じだ。

 彼女は無道の人に入れ上げ、真に心を向けるべき僕(ぼく)を蔑(ないがし)ろにしている。

 

 掃(そう)除(じょ)しなくては。

 彼女を煩わせるもの、誑(たぶら)かすものを全て排除しなくては。

 そしてもう一度、彼女を僕(ぼく)の方へ振り向かせる。

 その為には、もうこれ以上彼女からの信頼を失うわけにはいかないのに。

 

 岬(さき)守(もり)航(わたる)、麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)、そしてこの男は……この男は殺す……!

 殺す殺す殺す殺ス殺す殺ス殺スコロスコロス!――八(や)社(おと)女(め)は血走った目で男を凝視して叫んだ。

 

「根(ね)尾(お)弓(きゆう)矢(や)アアアアッッ!!」

 

 八(や)社(おと)女(め)の絶叫、怒声が大気を震わす。

 自身の器を超えて膨張した神(しん)為(い)は凄(すさ)まじい速度で内面の思考を巡らせるも、蝕(むしば)まれた精神がそれに付いて行かない。

 

「オアアアアアアッッ!!」

 

 それ故、出力されるのは覚(おぼ)束(つか)無(な)い発語と、言葉にもならない絶叫ばかりである。

 しかしそれは、彼が思考能力を失ったことを意味しない。

 まだ八(や)社(おと)女(め)は破(は)綻(たん)の一歩手前で踏(ふ)み止(とど)まっていた。

 この段階の道(どう)成(じょう)寺(じ)陰(かげ)斗(と)が技術を失わなかった様に、八(や)社(おと)女(め)もまた策謀を残している。

 

「貴様の叫び声は聞き飽きた。さっさと来い」

 

 対する根(ね)尾(お)は傷だらけの体で尚(なお)も不敵に手招く。

 こちらは既に神(しん)為(い)が底を突きかけている。

 この状態で今の八(や)社(おと)女(め)の相手をするのはかなり厳しいだろう。

 しかし、根(ね)尾(お)は揺るがない。

 

「お前もいい加減恨み飽きただろう? 此(こ)処(こ)で終わりにしてやろうというのだ」

 

 根(ね)尾(お)の言葉が八(や)社(おと)女(め)の神経を、感覚が暴走する神経系を逆(さか)撫(な)でる。

 無数の思考の果てに、彼は激(げき)昂(こう)した。

 

「フザケルナ! 僕(ボク)ハ……僕(ボク)ハマダ……! アノ女(ヒト)ニ何モ出来チャイナインダアアアァァアッッ!!」

 

 八(や)社(おと)女(め)の体からどす黒い靄(もや)が一気に噴き出した。

 その奔流が辺りを駆け巡り、崩壊した景色を塗り潰していく。

 

「くっ、マジかこいつ……!」

 

 根(ね)尾(お)は焦燥からか額に冷や汗を滲(にじ)ませ目を眇(すが)めた。

 それもその筈、彼の目には今、恐るべき光景が映っている。

 

 紫色の闇は彼らの周辺から恐るべき兵士を蘇(よみがえ)らせた。

 もう動く筈の無い弐(に)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)の機体が、申し訳程度に繋(つな)がった関節を闇で支えつつ立ち上がっていたのだ。

 その数、二十七機。

 但し、それだけのことであれば根(ね)尾(お)にとって然(さ)したる脅威にはならない。

 

 通常、複数の為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)を同時に操るのは至難の業である。

 手動で制御すれば一機一機の操縦は粗雑になって戦力にならないし、自動操縦では決められた単純な動きしか出来ない。

 また、最大の武器である光線砲は著(いちじる)しい神(しん)為(い)を消耗する上に前述の操縦難度の問題がある為、通常は一機ずつ撃つことしか出来ない。

 

 その上、直(なお)靈(ひ)彌(み)玉(だま)を持たない弐(に)級(きゆう)以下の為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)は再生能力を殆(ほとん)ど持たない。

 今、八(や)社(おと)女(め)はその限られた再生能力を増幅された膨大な神(しん)為(い)に物を言わせ無(む)理(り)矢(や)理(り)発揮させ、辛うじて機体の体(てい)裁(さい)を保たせている状態だ。

 故に回路を接続出来なかったようで、これらの機体には頭部が無かった。

 つまり、最大の脅威である光線砲は一切使えない。

 

 だがその代わり、形だけ復活した弐(に)級(きゆう)は恐るべき武器を携えていた。

 金属質な機体に似つかわしくない、大型の弓に数本の矢を番(つが)えている。

 そう、八(や)社(おと)女(め)が巨大化した神(しん)為(い)に物を言わせたのは機体の再利用だけではない。

 彼は自らの武装神(しん)為(い)を、通常では不可能な程に多重発動させ、二十七の「須(す)彌(み)削(けずり)ノ(の)弓(ゆみ)」と「差(ざ)魅(み)魔(ま)ノ(の)矢(や)」を弐(に)級(きゆう)に持たせたのだ。

 

「拙(まず)い……なんとか狙いを外させないと……。頼む、どうにか俺(おれ)への狙いを外してくれ……!」

「ハハハハハ! 随分弱気ダナ! 神頼ミカ! 下ラン!」

 

 八(や)社(おと)女(め)は勢い良く腕を突き出した。

 それに合わせ、二十七機の弐(に)級(きゆう)は矢を番えた弓を引く。

 

「頼む、奴が俺(おれ)の姿を見失ってくれれば良い……! どうにかなってくれ……!」

「無駄ダ! 貴様如キ、神ガ託宣ヲ下スカヨ! 受ケロ! 弐(ニ)級(キュウ)ノ馬力ト強化サレタ神(シン)為(イ)デ放ツ『差(ザ)魅(ミ)魔(マ)ノ(の)矢(ヤ)』ノ雨(アメ)霰(アラレ)ヲ!」

「くおおおおおっっ!!」

 

 矢が放たれる直前、根(ね)尾(お)は自(や)棄(け)糞(くそ)になった様に跳び上がり、八(や)社(おと)女(め)目掛けて飛び掛かってきた。

 高々と舞い上がった根(ね)尾(お)に、機体が一斉に矢の照準を合わせる。

 

「血迷ッタカ! 死ネ!」

 

 空中に飛び出して身を躱(かわ)せなくなった根(ね)尾(お)に、矢が一斉に放たれた。

 根(ね)尾(お)は為(な)す術(すべ)無く無数の矢に突き刺され、鮮血を撒(ま)き散(ち)らしながら地面に叩(たた)き付(つ)けられた。

 

「ぐあああああっっ!!」

「ハハハハハ!! 貴様ラシクナイ、トンダ間抜ケナ最(サイ)期(ゴ)ダッタナ! ハハハハハ!! アーッハッハッハッハッハァーッッ!!」

 

 勝利を確信した八(や)社(おと)女(め)は壊れた様な高笑いを挙げ続ける。

 だがその時、彼は背後から迫る気配に気が付いていなかった。

 

「どうした八(や)社(おと)女(め)? 俺(おれ)が死(くたば)る『幻覚』でも見えたか?」

 

 突如背後に顕(あら)われた根(ね)尾(お)は、八(や)社(おと)女(め)が事態を理解する前に彼を羽交い締めにした。

 八(や)社(おと)女(め)は背中全面に密着された形だ。

 この状態で石化能力を使われたら、いくら神(しん)為(い)を強化した八(や)社(おと)女(め)でも逃れようが無いだろう。

 

「幻覚……ダト……!? マサカ……!」

 

 思考能力が強化されている八(や)社(おと)女(め)はすぐに気が付いた。

 先程まで根(ね)尾(お)が立っていた場所に視線を移すと、そこには二つの泥溜(だ)まりが横たわっている。

 その内一つには、相変わらず白(びやく)檀(だん)揚(あげ)羽(は)の顔だけが残されていた。

 

「種明かしだ、八(や)社(おと)女(め)。今あいつらの泥化を解く。言っておくが今更逃れようととは思わんことだ。解(わか)ったな?」

 

 根(ね)尾(お)は抜け目なく彼の能力――石化相手への「命令」の条件を満たした。

 そして一方で白(びやく)檀(だん)揚(あげ)羽(は)と求(く)来(く)里(り)美(よし)乃(の)に掛けられた泥化が解除され、二人は元の姿に戻る。

 

「上(う)手(ま)く行きましたねー、根(ね)尾(お)さん」

「あの状態からあれだけの指示で能(よ)く理解してくれた。本当に能くやったぞ、白(びやく)檀(だん)」

「ずっと狙ってましたからねー。元々チャンスがあれば幻覚でサポートするつもりだったんですよー」

 

 もう説明は不要だろう。

 先程無謀に飛び出した根(ね)尾(お)の姿は、白(びやく)檀(だん)が能力で作り出した幻覚である。

 八(や)社(おと)女(め)には「取るに足らない」と判断した相手を軽く見て足下を掬(すく)われる悪癖がある。

 今回、そうやって白(びやく)檀(だん)を警戒対象から外してしまったことが致命傷になったということだ。

 

「糞(クソ)! 糞! 糞オオオオオオッッ!!」

 

 最早八(や)社(おと)女(め)はどうにもならず、ただ狂った様に喚(わめ)き叫ぶことしか出来ない。

 如(い)何(か)に抵抗の手段が残されていようと、つい先程根(ね)尾(お)の能力で「逃れようと思う」ことすら封じられている。

 全ての状況が八(や)社(おと)女(め)に完全なる「詰み」を宣告していた。

 

「終わりだ、八(や)社(おと)女(め)!」

 

 根(ね)尾(お)は最後の神(しん)為(い)を振り絞り、密着状態で石化能力を発動させる。

 八(や)社(おと)女(め)の体を、背面から腕にかけての広範囲を起点として石化させる。

 戦いはこれで終わり――誰もが、八(や)社(おと)女(め)さえもそう信じて疑わなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。