日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百六話『悪人』 急

 根(ね)尾(お)の石化能力は相手に触れた場所を起点として進行していく。

 それは宛(さなが)ら、色付きの水に浸した脱脂綿が水を吸い上げ染まっていく過程に似ている。

 一つの角に浸せばその角から徐々に染色は進行するだろう。

 両端を浸せば両端から色が付き、その進行速度は片端よりも倍は速いだろう。

 そして、脱脂綿の全面を色水に浸した場合は……。

 

 今、根(ね)尾(お)は八(や)社(おと)女(め)を羽交い締めにし、体を密着させて石化能力を発動させた。

 当然、石化は彼が触れていた部位、即(すなわ)ち背中全面から一気に進行する。

 声を発する暇も無い程、八(や)社(おと)女(め)の体はあっという間に石と化した。

 

「なんだと……?」

 

 しかし、根(ね)尾(お)は驚(きよう)愕(がく)していた。

 傍らに提灯(ちようちん)大の物体が、悍(おぞ)ましい死の気配を漂わせて落下している。

 白(びやく)檀(だん)と求(く)来(く)里(り)も瞠(どう)目(もく)を禁じ得なかった。

 

「そんな……勝っていたのに……! 根(ね)尾(お)さんは八(や)社(おと)女(め)を、完全に石化出来ていたのに……!」

 

 目の前で、一本の長(なが)槍(やり)が土瀝青(アスファルト)に突き刺さっている。

 根(ね)尾(お)が捉えている石の体には首が無い。

 そして、地面で提灯大の生首がごろりと転がり、狂気の笑みを根(ね)尾(お)に向けた。

 

「ヒャハハハハハハハハ!!」

 

 石化した八(や)社(おと)女(め)の体が砕け、無数の赤い蜘蛛(くも)となって散らばる。

 蜘蛛は八(や)社(おと)女(め)の首元に集まっていき、彼の新たな体を模(かたど)っていく。

 軈(やが)て蜘蛛は肉に変わり、八(や)社(おと)女(め)は新たな肉体を得て完全復活した。

 

「やれやれ、完全に終わったと思ったよ」

 

 死から復活したせいか、八(や)社(おと)女(め)は正気に戻っていた。

 神(しん)為(い)の増幅が元の状態に戻ったのだろう。

 だがそれでも、根(ね)尾(お)は絶体絶命の危機に追い込まれている。

 先程の石化発動で、根(ね)尾(お)の神(しん)為(い)は完全に尽き果ててしまったのだ。

 

「くっ……!」

 

 万(ばん)事(じ)休(きゆう)す、為(な)す術(すべ)の無くなった根(ね)尾(お)は後(あと)退(ずさ)る。

 この事態は完全に想定外であった。

 事実、八(や)社(おと)女(め)は完全に詰んでいた。

 独力での逆転は絶対に不可能な筈(はず)だった。

 

 八(や)社(おと)女(め)は助けられたのだ。

 文字通り横(よこ)槍(やり)を入れられ、投(とう)擲(てき)された刃で石化させられる直前に首を刎(は)ねられた。

 投げられた長槍の持ち主――助けた人物の答えは一人しか居ない。

 

「推(つき)城(しろ)……手を出すなと言っておいたのに……! だが今回もまた助けられた! 感謝してやらないとな!」

 

 八(や)社(おと)女(め)は根(ね)尾(お)を蹴り飛ばした。

 

「ぐはっ!!」

「あいつの義理堅いところは嫌いじゃない。今も陰から手助けするに留(とど)めるつもりらしいし、そうやって出しゃばり過ぎない態度を貫けば今後も同志でいてやるとしよう。なァ!!」

「ぐああっっ!!」

 

 八(や)社(おと)女(め)はこの状況を心底喜び、勝利を噛(か)み締(し)める様に何度も何度も根(ね)尾(お)を踏みつけにする。

 

「がッ!! ぐっ!!」

「いい気味だ! 最高の気分だ! これでもう僕(ぼく)の負けは無くなった! 貴様の神(しん)為(い)さえ削り切ってしまえば、もう不死身の僕(ぼく)を斃(たお)す手段は無い! 貴様はこのまま嬲(なぶ)り殺(ごろ)しにしてやる!」

「や、やめろ!!」

 

 白(びやく)檀(だん)は八(や)社(おと)女(め)に音の衝撃波を向けた。

 八(や)社(おと)女(め)の上半身が砕ける。

 

「ハア……ハア……」

 

 白(びやく)檀(だん)は息を切らす。

 基よりこの技も神(しん)為(い)の消耗が激しく、何度も使えるものではない。

 彼女もまた二度の攻撃で神(しん)為(い)の底を突いてしまった。

 

「無駄無駄、この通り……」

 

 しかし、残酷なことにこの攻撃には何の効果も無い。

 消し飛んだ筈の八(や)社(おと)女(め)の上半身はあっという間に再生し、嘲(せせら)ら笑(わら)いが再び三人の前に現れた。

 

「フフフフフ、生(あい)憎(にく)僕(ぼく)には君(きみ)達と違って再生の限度が無いのさ。どれだけバラバラにされようが、跡形も無く消し飛ばされようが、死なずにいつでも全(ぜん)恢(かい)復(ふく)だ。痛覚はあるからあまり繰り返して欲しくはないけどね。でも、君(きみ)ももう撃ち止めらしいな」

 

 八(や)社(おと)女(め)は再び根(ね)尾(お)の背中を踏み締める。

 

「根(ね)尾(お)弓(きゅう)矢(や)、貴様さえ消えれば不死身である僕(ぼく)達の脅威は消え去る。きっと広目天の御(お)媛(ひめ)様(さま)も喜んでくれるだろう。後は他の連中を鏖(みなごろし)にすれば、彼女の願いは全て僕(ぼく)が叶(かな)えてあげられる」

 

 根(ね)尾(お)は堪(たま)らず吐血した。

 ここまでの戦いで既に彼は満(まん)身(しん)創(そう)痍(い)、いつ力尽きてもおかしくない状態だ。

 だが、根(ね)尾(お)は強がり、八(や)社(おと)女(め)に予想も出来ない言葉を吐く。

 

「そんなに好きか? 貴(き)龍(りゅう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)、広目天の御(お)媛(ひめ)様(さま)とやらの事が」

「何だと……?」

 

 この期に及んで挑発してきた男の態度に、八(や)社(おと)女(め)は苛(いら)立(だ)ち歯(は)噛(が)みした。

 そんな八(や)社(おと)女(め)の神経を、更に根(ね)尾(お)は逆(さか)撫(な)でする。

 

「母性でも感じたか? どん底の時、手を差し伸べてくれた女に……」

 

 八(や)社(おと)女(め)は凄(すさ)まじい憤怒の形相を浮かべた。

 あろうことか色恋の感情で動いていると看(み)做(な)されたことが許せなかったのか。

 そして根(ね)尾(お)の指摘はまさに図星であった。

 

「この小(こ)童(わつぱ)が!」

 

 八(や)社(おと)女(め)は再び根(ね)尾(お)の身体を蹴り飛ばした。

 

「ぐはあっ!!」

 

 根(ね)尾(お)は吐血しながら道路を転げ回る。

 そんな彼を八(や)社(おと)女(め)はゆっくりとした足取りで追い、彼の間の前に膝を突いて囁(ささや)く。

 

「無駄に苦しませずさっさと殺して欲しかったか? それは悪いことをしたね。ではお望み通りこの手で頸(くび)を刎ねてやろう。貴様らの如き只(ただ)人(びと)ならばその程度で死ねるだろう? 地獄に仏、僕(ぼく)の慈悲深さに感謝するんだね」

 

 八(や)社(おと)女(め)の手刀が振り上げられた。

 

「根(ね)尾(お)さん!」

 

 八(や)社(おと)女(め)の止めを防ごうと、求(く)来(く)里(り)が彼に向かって行った。

 鍛えられた格闘術が八(や)社(おと)女(め)を襲う。

 だが八(や)社(おと)女(め)は彼女の拳をあっさり受け止めると、逆に鳩尾(みぞおち)へ拳を減(め)り込(こ)ませた。

 

「ぐふっ……!」

「中々鍛えているようだが所詮君(きみ)は根(ね)尾(お)と違い凡人。鍛錬の歳月差を埋められやしない。術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)も無いなら大人しくしてなよ。こいつの後で君(きみ)達のこともちゃんと殺してあげるから」

 

 八(や)社(おと)女(め)は求(く)来(く)里(り)を殴り飛ばすと、根(ね)尾(お)を斬首しようと再び手刀を振り上げる。

 白(びやく)檀(だん)も彼らに駆け寄るが、彼女に出来ることは何も無い。

 もうこの止めの一撃はこの場の誰にも阻止出来ない――間違い無くその筈だった。

 が、その瞬間に一陣の風が吹き抜ける。

 

「そこまでだ」

 

 八(や)社(おと)女(め)が根(ね)尾(お)の頸(くび)筋(すじ)に目掛けて手刀を振り下ろすその刹那、凄まじい力の塊が通り抜けた。

 それは八(や)社(おと)女(め)の腕を無(む)造(ぞう)作(さ)に捥(も)ぎ、彼に悲鳴を上げさせた。

 

「ぐあアアアアッッ!! な、何だ!?」

 

 何が起きたか理解できない八(や)社(おと)女(め)は周囲を見渡し、首を振る。

 そしてすぐに、彼は更なる異変に気が付いた。

 

「う、腕が再生しないッ!?」

 

 そんな莫(ば)迦(か)な、と八(や)社(おと)女(め)は動揺して後(あと)退(ずさ)る。

 丁度その時、彼は偶然にも攻撃してきた者(しや)を視界に認め、その正体を思い知らされた。

 

「お、お前はっ……!!」

「お前? 妾(わらわ)に対し、随分とまあ無礼な男だ……」

 

 その女はゆっくりと此(こ)方(ちら)へ歩いて来る。

 八(や)社(おと)女(め)は両の血眼を皿の様に見開き、千二百年分の焦燥を青(あお)褪(ざ)めた顔の全面に押し出していた。

 

「しかし確かに、貴様の素(す)性(じよう)を思えば皇族に敬意が無くとも当然か。そうだな、武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)、首領補佐・八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)よ」

「龍(たつ)乃(の)神(かみ)……深(み)花(か)……!」

 

 皇(こう)國(こく)皇妹・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)。

 皇族の圧倒的な神(しん)為(い)はありと汎ゆる異能の制約を力尽くで捻(ね)じ伏(ふ)せる程に強大である。

 彼女ならば、八(や)社(おと)女(め)の不死身の再生能力を捻じ伏せたとしても頷(うなず)ける。

 

「莫迦な、何故(なぜ)貴様が此(こ)処(こ)に……!」

「少し前に其(そ)処(こ)の白(びやく)檀(だん)揚(あげ)羽(は)から妾(わらわ)へ連絡があってね。急ぎ発信場所を調べて皇(こう)都(と)府(ふ)から遙(はる)々(ばる)駆け付けたという訳だ。いや、間に合って良かったよ」

 

 そう、白(びやく)檀(だん)は求(く)来(く)里(り)と共に不時着した直後、先方へ連絡を入れていた。

 その先方というのは十(とお)桐(どう)ではなく龍(たつ)乃(の)神(かみ)だったのだ。

 襲撃に遭って不慮の事態に陥った彼女は万が一の時を考えて、考え得る最も強力な援軍を要請していたという訳だ。

 それが可能だったのは偏(ひとえ)に、白(びやく)檀(だん)の持つ術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)以上の最大の武器「人脈形勢能力」の為(な)せる業である。

 

「糞(くそ)!!」

 

 余りにも分が悪い相手に、八(や)社(おと)女(め)はその場から逃げようと後ろへ振り向く。

 石化に伴う根(ね)尾(お)の命令は未(いま)だ有効だが、それは自爆による逃亡や石化攻撃からの避難を禁じているだけで、単に戦闘そのものからの逃走は対象外だ。

 だが八(や)社(おと)女(め)に残されたそのような逃げ道は全くの無意味である。

 彼が振り向いた刹那の内に、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は目の前に回り込んでいた。

 

「くっ!」

 

 追い詰められた八(や)社(おと)女(め)は、残された左手で龍(たつ)乃(の)神(かみ)に対して貫(ぬき)手(て)を振るった。

 千二百年鍛えられた指は、並の相手ならば楽々貫通する。

 しかし龍(たつ)乃(の)神(かみ)には傷ひとつ付けられず、逆に指の方が圧(へ)し折(お)れてしまった。

 

「ぎゃああああっ!!」

 

 痛みから悲鳴を上げる八(や)社(おと)女(め)。

 それは絶望的な絶叫だった。

 そんな八(や)社(おと)女(め)の頸(くび)を、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は冷徹に掴(つか)み、持ち上げた。

 

「皇族たる妾(わらわ)が、叛(はん)逆(ぎやく)者の破落戸(ごろつき)如きに後れを取るとでも思ったか?」

 

 冷酷な殺意を帯びた鋭い眼光が八(や)社(おと)女(め)を射(い)竦(すく)める。

 ミシミシと、彼女の指が物(もの)凄(すご)い力で八(や)社(おと)女(め)の首の肉に食い込んでいく。

 その行為は完全に八(や)社(おと)女(め)の命運が尽きた事を彼に突き付けていた。

 

「こんな……ところで……!」

「そうだ、随分と長旅ご苦労。此処が貴様の終着だ、終(しゆう)焉(えん)の地だ!」

 

 八(や)社(おと)女(め)は全てを暴虐に平伏させる様な圧倒的な迄(まで)の力の津波、筆舌に尽くし難く凄まじい光の迸(ほとばし)りに呑(の)み込(こ)まれ、その呪(じゆ)詛(そ)に満ちた千二百年の歳月ごと塵(ちり)に帰す様に、跡形も無く消し飛ばされてしまった。

 皇族の絶大な神(しん)為(い)によって叩(たた)き付(つ)けられた死は、彼の「不死身の力」を圧倒的に上回って捻じ伏せる。

 最(も)早(はや)彼が蘇(よみがえ)ることは出来ない。

 

 八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)の千二百年の生涯は最(さい)期(ご)、実に呆(あつ)気(け)ない形でその血塗られた幕を下ろした。

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