日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百七話『覚悟』 破

 無(む)窮(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)・アメノミナカヌシ内部。

 神(じん)皇(のう)・叡(えい)智(ち)の傍(かたわら)に控える貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)は一人の男から脳内に入った声を聞いていた。

 

『広(こう)目(もく)天(てん)よ、八(や)社(おと)女(め)が、増(ぞう)長(じよう)天(てん)が死んだぞ』

 

 八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)の戦死を報告してきたのは多(た)聞(もん)天(てん)・推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)だった。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)はうんざりしたように目を細める。

 

『ええ、見ていたわぁ。ま、皇族相手じゃ私(あたくし)の生と死の境界を司(つかさど)る力も無意味ということねぇ』

 

 神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)が何百年も生き続け、何度殺しても死なない秘密は、彼らが手に入れた穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)の力に因(よ)るものではない――これは麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)が推察したとおりである。

 八(や)社(おと)女(め)や推(つき)城(しろ)、そして閏(うる)閒(ま)三(みつ)入(なり)は、貴(き)龍(りゆう)院(いん)と契約することで彼女の穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)の能力から恩恵を受け、「生と死の境界」を限りなく遠ざけられているのだ。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)はこの能力で、自身だけでなく他者の生き死にをも弄(もてあそ)ぶ。

 余り濫用出来るものではないが、彼女が持つ「尋常ならざる眼(め)」で遙(はる)か彼方(かなた)を見通す力と併せれば、恐るべき猛威を振るうこととなる。

 

『で、要件はそれだけかしらぁ? 私(あたくし)、いつでも陛下の御(お)声(こえ)に応え、いつでも御相手をしなければならないから、余り頻繁に連絡を入れて欲しくないのだけれど』

『貴(き)龍(りゆう)院(いん)、千年来の同志が死んだのだぞ?』

 

 責める様な推(つき)城(しろ)の言葉に不快感を覚えた貴(き)龍(りゆう)院(いん)の顔が僅(わず)かに歪(ゆが)む。

 

『じゃあ労(ねぎら)ってあげましょうか? まあこれまで能(よ)く尽くしてくれたわぁ。余り役には立たなかったけれどねぇ』

『皇(こう)國(こく)を操る上で叛(はん)逆(ぎやく)組織の影の首(しゆ)魁(かい)という一番損な役を自ら引き受けたのは奴(やつ)だ』

『ええ、そうだったわねぇ。でも、その割には自分の立場も弁(わきま)えず頻繁に私(あたくし)に会おうとするし、はっきり言って迷惑な所もあったわぁ。それで密会を素(すっ)破(ぱ)抜(ぬ)かれたしねぇ。あと馴(な)れ馴(な)れしいし、偶(たま)に無礼なところも癇(かん)に障ったし。彼、それで時の帝(みかど)の不興を買ってたじゃなぁい? 本当、自分がどう見られているか最(さい)期(ご)まで解(わか)っていなかったわよねぇ……』

 

 どうやら、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は既に八(や)社(おと)女(め)のことを見限っていたらしい。

 

『私(あたくし)、慕われて尽くされるのは歓迎だけど、懐かれて甘えられるのは御免なの』

『……そうか』

 

 多分に何かを含んだ相(あい)槌(づち)を打つ推(つき)城(しろ)。

 それに対し、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は彼にも釘(くぎ)を刺す。

 

『朔(さく)馬(ま)君、貴方(あなた)ももう少し危機感を持った方が良いわよぉ。貢献度で言えば三(みつ)入(なり)君に遠く及ばないのは貴方(あなた)も同じなんだから』

『……確かにそうだな』

『もっと言えば征(せい)一(い)千(ち)君が失敗した件、貴方(あなた)は殆(ほとん)ど助けなかったばかりか皇族から逃げたわよねぇ?』

『……返す言葉も無い……』

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)に逆に攻め立てられ、推(つき)城(しろ)の語気が下がっていく。

 

『次連絡してくる時には何か成果を持って来なさぁい。でないと、殺される前に棄(す)てちゃうわよぉ?』

『……あいわかった』

 

 どうやら推(つき)城(しろ)は引き下がったらしい。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は深々と溜息を吐いた。

 そんな彼女に、主である神(じん)皇(のう)・叡(えい)智(ち)が呼び掛ける。

 

「貴(き)龍(りゆう)院(いん)よ」

「はい、何で御座いましょう、陛下?」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)の表情は先程までと打って変わって、まるで何事も無かったかの様ににこやかな笑みを咲かせている。

 

「どうやら俺(おれ)にとって悪い報(しら)せがありそうだぞ?」

「それはまた、何事で御座いますか?」

「ふふ、程無く判(わか)ること。だが、だとすると此(こ)方(ちら)も相応の出方をせねばならん」

 

 然(さ)様(よう)で御座いますか、と貴(き)龍(りゆう)院(いん)は主の言葉に相槌を打った。

 神(じん)皇(のう)は何か動きがあったことを察しているらしい。

 

(何やら皇妹が皇弟の説得に動くようねぇ。上(う)手(ま)く説得しなさぁい。二人して陛下と対立すれば、私(あたくし)の望む状況に近付く。陛下は孤立し、私(あたくし)だけが味方になるの)

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は邪悪に口角を上げる。

 

(自らの愛を理解せず、家族とすら敵対させる民族に対し、果たして陛下は愛を貫けるかしらぁ? 私(あたくし)の望みはまだまだ潰(つい)えてなんかいないのよぉ……)

 

 夜は更けていき、皇(こう)國(こく)は運命の朝の訪れに着々と近付いていた。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 翌日、皇弟・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)邸。

 

「殿下、飛(ひ)燕(えん)寺(じ)で御座います。姉君がお見えですが……」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)の寝室の扉を叩(たた)き、来客を伝えに来たのは彼の新たな侍女、侯爵令嬢・飛(ひ)燕(えん)寺(じ)霧(きり)花(か)である。

 飛(ひ)燕(えん)寺(じ)侯爵家は灰(かい)祇(ぎ)院(いん)侯爵家と同じく旧皇族の侯爵家だが、現当主に男子が居ない。

 しかし灰(かい)祇(ぎ)院(いん)家と同じく皇族と交流があり、霧(きり)花(か)は蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の為人(ひととなり)を能く知っている。

 そこで、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の悪癖に引っ掛からない人材として白羽の矢が立ったのである。

 

「誰にも会わないと言っただろう」

「姉君はどうしてもお会いしたいと仰(おつしや)っていますが……」

「ならば、『僕(ぼく)の方もどうしても会わない』と伝えておいてくれ」

「……本当に宜(よろ)しいのですか?」

「ああ。寧(むし)ろ今、姉様と会うのは尚(なお)のこと嫌だね。どうせ碌(ろく)なことが無い」

「畏(かしこ)まりました」

 

 飛(ひ)燕(えん)寺(じ)は扉の前で一礼し、来訪者に伝えるべく待合室へと戻って行った。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 待合室の長椅子に腰掛けた龍(たつ)乃(の)神(かみ)の許(もと)へ、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)を呼びに行った飛(ひ)燕(えん)寺(じ)が戻ってきた。

 

「申し訳御座いません。やはり、お会いにならないと」

「どうしても、か?」

「龍(たつ)乃(の)神(かみ)殿下がどうしても会いたいと仰るなら、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)殿下はどうしても会いたくないと、そう言(こと)伝(づて)を賜りました」

「そう……か……」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は目を閉じた。

 

「ならば是非にも及ぶまい。賢(けん)智(ち)がそこまで言うならどうしようもない……」

「誠に申し訳御座いません」

 

 今一度、飛(ひ)燕(えん)寺(じ)は龍(たつ)乃(の)神(かみ)に深々と頭を下げた。

 溜息と共に立ち上がった龍(たつ)乃(の)神(かみ)が、弟の説得を諦めた様に思えたのだろう。

 しかし、龍(たつ)乃(の)神(かみ)が決意したのは全く別のことだった。

 

「妾(わらわ)も出来れば手荒な真(ま)似(ね)はしたくなかった。飛(ひ)燕(えん)寺(じ)、済まない」

「え?」

 

 どういうことか、と問い返す前に飛(ひ)燕(えん)寺(じ)は気を失った。

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は神(しん)為(い)の力を使い、飛(ひ)燕(えん)寺(じ)の頸(けい)動(どう)脈(みやく)に圧を掛けて締め落としたのだ。

 皇族の神(しん)為(い)は扱い方の精密さと多彩さでも他と一線を画しており、簡単なものなら術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)の能力と何ら遜色の無い使い方も出来る。

 

「扨(さ)て行くか、可(か)愛(わい)い弟の許へ……」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は早足気味に待合室を出て、弟の引(ひ)き籠(こ)もる自室へと歩き出した。

 騒ぎはすぐに使用人達に伝わり、主の姉の前に慌てて駆け付ける。

 しかし、どれだけ精強な警備を動員しようと、皇族を止められる訳が無い。

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)に止まる意思が無いと判ると、大人しく道を空ける他無かった。

 

 だが彼女が愈(いよ)々(いよ)蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の部屋の前へ差し掛かると、その行く手を阻む者達も現われた。

 彼女より若い三人の新家族令嬢が龍(たつ)乃(の)神(かみ)の行く手を阻む。

 

「龍(たつ)乃(の)神(かみ)殿下、何事で御座いますか!?」

「困ります」

 

 新華族令嬢、「悪(デビ)魔(ル)人(・ド)形(ール)」こと金髪碧(へき)眼(がん)長身の別(びゆ)府(う)幡(まん)黎(れい)子(こ)と「殺(マー)戮(ダー)人(・ド)形(ール)」こと銀髪白肌小柄の枚(ひら)辻(つじ)埜(の)愛(あ)瑠(る)、更にその後には「新華族令嬢三(さん)羽(ば)烏(がらす)」のリーダー格・鬼(き)獄(ごく)東(あ)風(ゆ)美(み)が控えている。

 

「殿下、御(お)引(ひ)き取(と)り願えませんか?」

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)は左手に隠した右手を握り締めている。

 高まる闘気からそれに気付いた前の二人は慌てて彼女を制止する。

 

「だ、駄目ですよ東(あ)風(ゆ)美(み)さん!」

「相手は皇族」

 

 本来なら目の前に迫るのは三人にとって近寄ることも躊(ため)躇(ら)われる、そんな存在である。

 それ故に、黎(れい)子(こ)も埜(の)愛(あ)瑠(る)も当然、本来は狼(ろう)藉(ぜき)者(もの)である彼女に対して臨戦態勢を取らない。

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)もまた、それは解っている。

 だからあくまで拳は隠し、戦う姿勢を白地(あからさま)にはしていない。

 しかし、苟且(かりそめ)にも警護を任された対象もまた皇族である以上、黙って見過ごすわけにもいかないということだろう。

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)の表情には葛藤が浮かび上がっている。

 そして、彼女程ではないにせよそれは黎(れい)子(こ)と埜(の)愛(あ)瑠(る)も同様に抱いているのだろう。

 それを慮(おもんぱか)り、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は三人に静かに告げる。

 

「十(とお)桐(どう)も公(く)殿(でん)も今や妾(わらわ)の下に就いている。つまり、賢(けん)智(ち)の世話を君(きみ)達に命じた最終的な権限者は妾(わらわ)だ。今暫(しばら)くは大人しくその任を解かれてくれ。皇族同士が対立する特殊な状況下で多少の無礼には目を瞑(つぶ)るが、邪魔をするなら強制的に立ち退いてもらう」

 

 皇族である龍(たつ)乃(の)神(かみ)が言葉と同時に発した威圧感は容易に三人娘の意志を喪失せしめ、路(みち)を空けさせた。

 力で来られたが最後、絶対に敵(かな)わないと三人ともが秒も無く察し、廊下の脇に寄った。

 

「済まない、ありがとう」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は擦れ違い際に三人に礼を言うと、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の寝室の扉に手を掛けた。

 

⦿

 

 寝室で机に向かい、本を読んでいた蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は只(ただ)ならぬ気配を感じ、『歴史の分(ぶん)水(すい)嶺(れい)』という題名の本を閉じた。

 次の瞬間、部屋の扉が破られ、姉である龍(たつ)乃(の)神(かみ)が強い足取りで入り込んできた。

 

「会いたくないと言うのに……。勝手な女(ひと)だね、姉様も」

「どうしても会いたいと言っただろう」

 

 弟・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は背を向けて座ったまま、姉の顔を見ようともしない。

 姉・龍(たつ)乃(の)神(かみ)は構わず話を切り出す。

 

「他の選択肢は無くなった。君(きみ)に此(こ)方(ちら)側へ来て貰(もら)わなければならない」

「嫌だね」

 

 素(す)気(げ)無(な)い、拗(す)ねた子供の様な返答だった。

 

「兄様がどうかしてしまった事は論を俟(ま)たないけれど、姉様もどうかしているよ。兄様に勝てるわけがない。何方(どちら)に付いても碌なものじゃない以上、僕(ぼく)は何方にも関わりたくない。明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)と戦争になった時から感じていたけれど、僕(ぼく)はどうにもならない今の世の中、時代にほとほと嫌気が差してしまった」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は厭(えん)世(せい)的(てき)な言葉と共に、机に積んであった『煙管(きせる)に殺された国』という題名の本を手に取った。

 そんな弟の態度に、姉は全く変わらない低い声(こわ)色(いろ)で静かに語り掛ける。

 

「賢(けん)智(ち)、兄様を誑(たぶら)かしている者達が居る」

「だから? そんなこと判りきっているじゃないか。あの人は昔から人を見る目が無い。近付く者の悪意に無頓着だからだ。今回の件も、どうせ荒(あら)木(き)田(だ)あたりから悪い影響を受けたんだろう? そういう、世の中の汚さが僕(ぼく)は嫌になったんだよ」

「……武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の首領補佐・八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)が関わっていた。荒(あら)木(き)田(だ)や皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)どころの話じゃない。もっと悍(おぞ)ましい邪悪が兄様を利用して暗躍している」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は本を閉じて机の上に置いた。

 しかし、相変わらず姉と向き合わず背を向けたままだ。

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は構わず話を続ける。

 

「黒幕の正体はおそらく、貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)。あの女、兄様が生まれた時から側に付いて良からぬ事を吹き込んでいたんだ。その貴(き)龍(りゆう)院(いん)の協力者が八(や)社(おと)女(め)だ。つまり兄様は、日本人を亡国に追い込もうと革命を試みた武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)と同じ様な目的の為(ため)に利用されている可能性が高い」

「だとしたら間抜けな話だね。兄様はその全く逆に動いている。日本人を滅ぼすどころか、日本人の為に世界を滅ぼすつもりだ。貴(き)龍(りゆう)院(いん)も今頃思い知っているんじゃないか? 世の中全然思い通りに行かないって……」

「賢(けん)智(ち)!」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は語気を強める。

 

「君(きみ)は本当にそれで良いのか? 前に妾(わらわ)に云(い)っていただろう。『自国の都合で血が流れるのは恐ろしい、辛い』って! 君(きみ)は明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)から、力を超えた優れた精神を学んだ筈(はず)だ! それは全部嘘(うそ)だったのか……?」

「嘘じゃない!」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は頭を抱えた。

 

「でも無理だよ! 僕(ぼく)なんかに出来ることなんか何も無いって、ここ数箇月で思い知らされたんだ! 兄様に逆らうなんて誰にも出来ない! だったら僕(ぼく)には尚のこと無理だって、普通に考えればそういう結論になるだろう!」

「賢(けん)智(ち)、大丈夫だ」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は蹲(うずくま)る弟の方にそっと手を置いた。

 

「妾(わらわ)は解っているよ。賢(けん)智(ち)だって本当は戦いたいんだろう? そうじゃなきゃ、妾(わらわ)の言葉に取り乱したりなんかしない。大丈夫、お姉ちゃんが一緒だから……」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は頭を抱えたまま震えていた。

 

「賢(けん)智(ち)、兄様には廃位を迫らなければならない。その為には、皇位継承権者の君(きみ)が必要なんだ。頼む、勇気を振り絞って立ち上がってくれ」

 

 優しく諭す様な口調とは裏腹に、残酷な頼みだった。

 皇族は例外無く幼い時分より現神(じん)皇(のう)・叡(えい)智(ち)に逆らってはいけないこと、機嫌を損ねることがそれだけで三千世界を畢(おわ)らせる結果になりかねないこと、彼がどう足(あ)搔(が)いても誰も勝てない『絶対強者』であることをよくよく教え込まれている。

 言うなればこれは、姉が弟に対して一緒に死んでくれと言っているようなものである。

 

「姉様ごめん、帰ってくれ……」

 

 拒絶、それはある意味で仕方のない答えだった。

 今の世の中、誰が好き好んで勝ち目の無い戦いに命を張れるだろう。

 況(ま)してや「虫も殺せない」と評された気の弱い彼ならば尚のこと無理な頼みだった。

 

「そうか……」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は溜息と共に大きな大きな落胆を溢(こぼ)した。

 皇族の中でも歳(とし)の近いこの姉弟は仲が良く、互いのことをよく解っている。

 姉は弟の結論も想像していただろう。

 しかしこの溜息は、もっと別の深い哀(かな)しみに満ちた覚悟を伴っていた。

 

「なら賢(けん)智(ち)、今死んでくれ」

 

 そう言うと彼女は弟が反応する間も無く彼の首根っこを掴み、投げ飛ばして壁に打ち付けた。

 

「ぐあっ……! 姉様、何を!?」

「君が兄様にどうあっても歯向かえないことはよく解った。ならば妾は姉として、弟が空前絶後の大罪に手を貸すことが無いよう、先に御(お)父(もう)様(さま)が待つ黄泉の国へ送ってやる」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は蛟(みずち)乃(の)神(かみ)に向けて手を翳(かざ)した。

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は今まで見たことも無い姉の姿に瞠(どう)目(もく)し、狼(う)狽(ろた)え、声を上ずらせる。

 

「姉様、冗談でしょう?」

「賢(けん)智(ち)、妾(わらわ)は既にどうかしてしまったんだよ。弟の君(きみ)を手に掛ける覚悟が出来てしまう程にね。賢(けん)智(ち)、君(きみ)の方はどうだ?」

「姉様、やめろ……!」

「悪いが賢(けん)智(ち)、もう無理だ」

 

 刹那、絶大なる神(しん)為(い)が放たれ、部屋を眩(まばゆ)い光が包み込んだ。

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