日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百七話『覚悟』 急

 東(あ)風(ゆ)美(み)・黎(れい)子(こ)・埜(の)愛(あ)瑠(る)の新華族令嬢三(さん)羽(ば)烏(がらす)は、姉弟の話し合いに水を差さないように待合室で目を覚ました飛(ひ)燕(えん)寺(じ)を介抱していた。

 これは、先の展開を見越した龍(たつ)乃(の)神(かみ)の命令であった。

 しかし、凄(すさ)まじいまでの神(しん)為(い)――力の迸(ほとばし)りは三人娘に異変を瞬時に察知させた。

 

「黎(れい)子(こ)・埜(の)愛(あ)瑠(る)!」

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)の呼びかけに、二人は無言の内に当然自分も察したと返す。

 そして三人は直ちに蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の寝室へと急いだ。

 破られた扉の中の光景を見た三人は驚(きよう)愕(がく)する。

 

「で、殿下ァッ!?」

 

 血(ち)飛(し)沫(ぶき)が飛び散った部屋は、その場で起きた悲劇を雄弁に物語っている。

 まさか二人の皇族が、姉弟でそんなことになってしまうとは、誰も想像出来よう筈(はず)がなかった。

 一人は倒れ伏し、もう一人は座り込んで膝を抱えている。

 

「殿下! 龍(たつ)乃(の)神(かみ)殿下!」

 

 黎(れい)子(こ)が血(ち)塗(まみ)れで倒れている皇妹・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)に呼び掛ける。

 

「意識が無い、神(しん)為(い)を使い尽くしている。死んではいないけど、このままだと危険……」

 

 埜(の)愛(あ)瑠(る)が脈を取り、龍(たつ)乃(の)神(かみ)の容体を確かめた。

 

「まさかこんなことに……」

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)は部屋へ足を踏み入れ、塞(ふさ)ぎ込(こ)む皇弟・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)へ歩み寄った。

 おそらく二人は不本意ながら互いの力をぶつけ合い、その結果として蛟(みずち)乃(の)神(かみ)が勝利し龍(たつ)乃(の)神(かみ)が敗れたのだ。

 

「何処(どこ)まで……何処まで無謀な事ばかりするんだ……」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は丸くなったまま呆(ぼう)然(ぜん)と呟(つぶや)く。

 そして、抑えられない感情が弾けたかのように叫んだ。

 

「僕(ぼく)の方が強いって、とっくに知っていた筈だろう!」

 

 他と隔絶して圧倒的なまでの強さを誇る皇族だが、既にこの世を去った四人を含めて彼等(ら)の中にも明確な力の差があった。

 

 現神(じん)皇(のう)である叡(えい)智(ち)を絶対的頂点とし、同じく神の領域の入門者である先代神(じん)皇(のう)――彼らの父が大きく引き離されて次点。

 神の領域に達していない他の兄弟姉妹はそこから更に大きく離れ、現神(じん)皇(のう)の姉にして第一皇女であった麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)が他の四人から頭一つ抜けて強かった。

 

 そして現皇弟・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)は麒(き)乃(の)神(かみ)に次ぐ力を持つ。

 最も神(しん)為(い)が弱かった兄の鯱(しやち)乃(の)神(かみ)那(な)智(ち)は勿(もち)論(ろん)のこと、姉の龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)も妹の狛(こま)乃(の)神(かみ)嵐(らん)花(か)も力ではっきりと上回っていた。

 実力に甲乙付け難かったのは龍(たつ)乃(の)神(かみ)と狛(こま)乃(の)神(かみ)の姉妹だが、神(しん)為(い)の使い道と精度の面では姉に分があった。

 

 以上のように、七人の皇族は神(しん)為(い)の面で獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)・鳳(おおとり)乃(の)神(かみ)大(だい)智(ち)・麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)・狛(こま)乃(の)神(かみ)嵐(らん)花(か)・鯱(しやち)乃(の)神(かみ)那(な)智(ち)という明確な順位があったのだ。

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)が蛟(みずち)乃(の)神(かみ)に返り討ちとなるのは自明のことであった。

 

「蛟(みずち)乃(の)神(かみ)……殿下……」

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)が恐る恐る蛟(みずち)乃(の)神(かみ)に声を掛ける。

 

「殿下、このままでは姉宮様が危のう御座います。力をお貸しください」

 

 皇族は皆例外無く、他者に強大な神(しん)為(い)の一部を貸し与えることが出来る。

 例外は自分よりも生来の神(しん)為(い)が大きい者を対象とする場合のみだ。

 つまり、龍(たつ)乃(の)神(かみ)よりも強大な神(しん)為(い)で彼女を捻(ね)じ伏(ふ)せた蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は彼女に神(しん)為(い)を貸し与えることが出来る。

 だが厄介なことに、龍(たつ)乃(の)神(かみ)とてただ黙ってやられたわけではなかった。

 

「無理だよ。僕(ぼく)だって姉様の攻撃を跳ね返すのにかなりの神(しん)為(い)を消耗してしまった。今の僕(ぼく)じゃ焼け石に水さ……」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は全てに対して投(な)げ槍(やり)になったようで、壁に凭(もた)れて天を仰ぎ、虚(うつ)ろな目で涙を溢(こぼ)していた。

 

「虫を殺せないと妹に揶(や)揄(ゆ)された僕(ぼく)が肉親を、よりにもよって一番仲の良かった姉を殺すんだ。こんな笑える話も無い……」

 

 部屋には騒ぎを聞きつけた侍従や侍女が集まり始めている。

 先代神(じん)皇(のう)が麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)に敗れたときの侍従達もそうだったが、皇族はなまじ絶対的な力を持つばかりに、彼らが手当てを必要とするような大(おお)怪(け)我(が)を負う事態には誰一人として心構えが出来ていない様子で、各(おの)々(おの)が自分の取るべき行動を迷っていた。

 

 それでも皆、どうにか龍(たつ)乃(の)神(かみ)のことを助けようとしていた。

 埜(の)愛(あ)瑠(る)が応急処置を行い、黎(れい)子(こ)が侍医を呼びに行っている。

 

「蛟(みずち)乃(の)神(かみ)殿下、どうか少しでも姉君のお助けに……」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は東(あ)風(ゆ)美(み)の言葉に眉一つ動かさない。

 と、次の瞬間、乾いた音が修羅場となった部屋に響いた。

 東(あ)風(ゆ)美(み)が蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の頬(ほお)を叩(たた)いたのである。

 

「あ、東(あ)風(ゆ)美(み)!? 何やってるの!?」

 

 珍しく埜(の)愛(あ)瑠(る)が大声を出して驚いた。

 皇族に手を上げるという暴挙は言うまでもなく大事も大事、この皇(こう)國(こく)に於(お)いては明日を生きられない程の社会的制裁を覚悟しなければならない。

 

「そんな簡単に諦めて! あの方は誰? 貴方(あなた)は何者? 家族の命が懸かっているんですよ? 放心するなら先にやることやってからになさって!」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は両目を眼(め)球が零(こぼ)れるかという程に見開いて東(あ)風(ゆ)美(み)を見上げていた。

 自分が何をされたのかも、理解するのに少しばかり時間を要したらしい。

 だが、彼は何かを決意したかの如く精(せい)悍(かん)な顔つきに変貌した。

 そして黙ったまま立ち上がると、東(あ)風(ゆ)美(み)に近寄る。

 

「あ……。私(わたし)、なんてことを……。申し訳御座いません!」

「謝るのは僕(ぼく)の方だ。そしてありがとう」

 

 彼は擦れ違いざまに東(あ)風(ゆ)美(み)に謝意の告げると、そのまま仰(あお)向(む)けにされた姉の下へ歩み寄り、膝を突いて彼女に手を翳(かざ)した。

 

「焼け石に水ならば掛けてみよう。掛け続ければいつかは巌(いわお)も擦り切れ無くなる――その一助となろう」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の掌(てのひら)が輝きを放ち、光が龍(たつ)乃(の)神(かみ)の身体を包み込む。

 少し遅れて侍医が駆け付けた。

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は彼に自分の部屋を姉の為(ため)に必要なだけ使うよう告げた。

 そして意識の無い姉に対し、懺(ざん)悔(げ)の様に語り掛ける。

 

「姉様、どうかしていたのは僕(ぼく)の方だ。自分の国が他国を傷付けるのは辛いことだった筈だ。いつからか僕(ぼく)は現実から逃げ始め、立ち向かおうとする姉様を横目に大人振っていた。けれども姉様、僕(ぼく)はちっとも大人になんかなっちゃいなかった。甘ったれて世を拗(す)ねた餓鬼の儘(まま)だったんだ」

 

 光が収まり、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は少しふらついた。

 力を使い果たしてしまったのだろう。

 

「懐(かい)旧(きゅう)、昔(せき)日(じつ)への憧憬……。僕(ぼく)はこの期に及んで、心のどこかで昔の家族関係に戻ることを求めていた……。でも、『還(かえ)りたいあの頃の風景』がもう何処にも無いと受(う)け容(い)れた時、人は一つ大人になるんだと思う。僕(ぼく)達兄弟はもう、あの頃には戻れない……」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は頭を抑えながら立ち上がると、先程自分を打(ぶ)った東(あ)風(ゆ)美(み)に静かに願い出る。

 

「鬼(き)獄(ごく)東(あ)風(ゆ)美(み)、今すぐ十(とお)桐(どう)に連絡してくれ。伝えたいことがある」

「は、はい……!」

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)は蛟(みずち)乃(の)神(かみ)から並々ならぬ決意を感じ、龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸に控えている十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)に電話を掛けた。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)が目を覚ましたのは日が沈んでからの事だった。

 彼女が破った扉は応急的に付け直され、閉ざされた部屋に彼女の様子を窺(うかが)っていた弟と二人きりになっていた。

 

「目を覚ましたのか、良かった……」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は心底安(あん)堵(ど)したといった様子で笑みを浮かべた。

 その表情は憑(つ)き物(もの)が落ちた様に朗らかだった。

 

「賢(けん)智(ち)……。妾(わらわ)は……」

「姉様、何も言わなくていい。僕(ぼく)もまた、目が覚めた」

 

 弟の言葉を聞いた龍(たつ)乃(の)神(かみ)は顔に血色を取り戻し、眼を輝かせていた。

 言わんとしていることを察した姉に対し、答え合わせをするように蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は宣言する。

 

「僕(ぼく)は兄様と戦う。姉様、力になってくれるね?」

 

 それは即(すなわ)ち、彼が皇(こう)國(こく)正統政府の神(み)輿(こし)になるという決意表明だった。

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)はこの言葉を貰(もら)う為に無理を通し、命まで懸けて訴えたのだ。

 

「勿論」

 

 まずは政治的な動きである。

 衆議院選挙・首班指名・皇(こう)國(こく)憲法改正の不正と無効の訴え、内閣不信任案の可決、神(じん)皇(のう)への廃位要求と新神(じん)皇(のう)・賢(けん)智(ち)の擁立宣言――これらを経ることで皇(こう)國(こく)には互いに正統を主張する二つの政権が並び立つ。

 

 日本国は新政府の方と講和を結び、協力関係を構築できる。

 それには、今の日本政府をその気にさせなければならないという厄介な課題も残されている。

 ただ、神(じん)皇(のう)との絶望的な戦いを強いられている世界にとって、皇(こう)國(こく)内に味方の勢力が出来るのは極めて心強い話だろう。

 

 今此(こ)処(こ)に、神(じん)皇(のう)と戦う為のピースが揃(そろ)った。

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)の容体が落ち着き次第、姉弟は新華族令嬢三羽烏と共に龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸へと凱(がい)旋(せん)する。

 

 

 

 ⦿⦿⦿

 

 

 

 深夜、龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸。

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)邸へ訪れた龍(たつ)乃(の)神(かみ)が意識を取り戻したという連絡を受けた十(とお)桐(どう)は、歓(よろこ)びに拳を握り締めた。

 既に自衛隊は日本国へ帰国しており、残された特別警察特殊防衛課の面々は新たな契約を確かめ合っている。

 

「やりましたね、十(とお)桐(どう)閣下」

 

 根(ね)尾(お)弓(きゅう)矢(や)もまた、彼女と歓びを分かち合う。

 皇(こう)國(こく)正統政府が立ち上がらなければ、彼が再び命懸けで此処へ来た甲斐(かい)が無いというものだ。

 そんな彼に、十(とお)桐(どう)は願い出る。

 

「根(ね)尾(お)殿、龍(たつ)乃(の)神(かみ)殿下の御(ご)帰(き)還(かん)は明日の朝になるだろう。その折りに、神(じん)皇(のう)との戦い方とそのために必要な物を皆に説明したい」

「はい」

 

 十(とお)桐(どう)の眼に鋭い光が帯びる。

 

「特に、岬(さき)守(もり)航(わたる)と麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)には心しておくようにと伝えてくだされ。あの二人の持つ力と可能性こそ、この世界に残された最後の希望なのだからな」

 

 愈(いよ)々(いよ)、全てが動き出そうとしている。

 だが、神(じん)皇(のう)や神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)もただ黙って見ている筈が無かった。

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