東風美・黎子・埜愛瑠の新華族令嬢三羽烏は、姉弟の話し合いに水を差さないように待合室で目を覚ました飛燕寺を介抱していた。
これは、先の展開を見越した龍乃神の命令であった。
しかし、凄まじいまでの神為――力の迸りは三人娘に異変を瞬時に察知させた。
「黎子・埜愛瑠!」
東風美の呼びかけに、二人は無言の内に当然自分も察したと返す。
そして三人は直ちに蛟乃神の寝室へと急いだ。
破られた扉の中の光景を見た三人は驚愕する。
「で、殿下ァッ!?」
血飛沫が飛び散った部屋は、その場で起きた悲劇を雄弁に物語っている。
まさか二人の皇族が、姉弟でそんなことになってしまうとは、誰も想像出来よう筈がなかった。
一人は倒れ伏し、もう一人は座り込んで膝を抱えている。
「殿下! 龍乃神殿下!」
黎子が血塗れで倒れている皇妹・龍乃神深花に呼び掛ける。
「意識が無い、神為を使い尽くしている。死んではいないけど、このままだと危険……」
埜愛瑠が脈を取り、龍乃神の容体を確かめた。
「まさかこんなことに……」
東風美は部屋へ足を踏み入れ、塞ぎ込む皇弟・蛟乃神賢智へ歩み寄った。
おそらく二人は不本意ながら互いの力をぶつけ合い、その結果として蛟乃神が勝利し龍乃神が敗れたのだ。
「何処まで……何処まで無謀な事ばかりするんだ……」
蛟乃神は丸くなったまま呆然と呟く。
そして、抑えられない感情が弾けたかのように叫んだ。
「僕の方が強いって、とっくに知っていた筈だろう!」
他と隔絶して圧倒的なまでの強さを誇る皇族だが、既にこの世を去った四人を含めて彼等の中にも明確な力の差があった。
現神皇である叡智を絶対的頂点とし、同じく神の領域の入門者である先代神皇――彼らの父が大きく引き離されて次点。
神の領域に達していない他の兄弟姉妹はそこから更に大きく離れ、現神皇の姉にして第一皇女であった麒乃神聖花が他の四人から頭一つ抜けて強かった。
そして現皇弟・蛟乃神賢智は麒乃神に次ぐ力を持つ。
最も神為が弱かった兄の鯱乃神那智は勿論のこと、姉の龍乃神深花も妹の狛乃神嵐花も力ではっきりと上回っていた。
実力に甲乙付け難かったのは龍乃神と狛乃神の姉妹だが、神為の使い道と精度の面では姉に分があった。
以上のように、七人の皇族は神為の面で獅乃神叡智・鳳乃神大智・麒乃神聖花・蛟乃神賢智・龍乃神深花・狛乃神嵐花・鯱乃神那智という明確な順位があったのだ。
龍乃神が蛟乃神に返り討ちとなるのは自明のことであった。
「蛟乃神……殿下……」
東風美が恐る恐る蛟乃神に声を掛ける。
「殿下、このままでは姉宮様が危のう御座います。力をお貸しください」
皇族は皆例外無く、他者に強大な神為の一部を貸し与えることが出来る。
例外は自分よりも生来の神為が大きい者を対象とする場合のみだ。
つまり、龍乃神よりも強大な神為で彼女を捻じ伏せた蛟乃神は彼女に神為を貸し与えることが出来る。
だが厄介なことに、龍乃神とてただ黙ってやられたわけではなかった。
「無理だよ。僕だって姉様の攻撃を跳ね返すのにかなりの神為を消耗してしまった。今の僕じゃ焼け石に水さ……」
蛟乃神は全てに対して投げ槍になったようで、壁に凭れて天を仰ぎ、虚ろな目で涙を溢していた。
「虫を殺せないと妹に揶揄された僕が肉親を、よりにもよって一番仲の良かった姉を殺すんだ。こんな笑える話も無い……」
部屋には騒ぎを聞きつけた侍従や侍女が集まり始めている。
先代神皇が麗真魅琴に敗れたときの侍従達もそうだったが、皇族はなまじ絶対的な力を持つばかりに、彼らが手当てを必要とするような大怪我を負う事態には誰一人として心構えが出来ていない様子で、各々が自分の取るべき行動を迷っていた。
それでも皆、どうにか龍乃神のことを助けようとしていた。
埜愛瑠が応急処置を行い、黎子が侍医を呼びに行っている。
「蛟乃神殿下、どうか少しでも姉君のお助けに……」
蛟乃神は東風美の言葉に眉一つ動かさない。
と、次の瞬間、乾いた音が修羅場となった部屋に響いた。
東風美が蛟乃神の頬を叩いたのである。
「あ、東風美!? 何やってるの!?」
珍しく埜愛瑠が大声を出して驚いた。
皇族に手を上げるという暴挙は言うまでもなく大事も大事、この皇國に於いては明日を生きられない程の社会的制裁を覚悟しなければならない。
「そんな簡単に諦めて! あの方は誰? 貴方は何者? 家族の命が懸かっているんですよ? 放心するなら先にやることやってからになさって!」
蛟乃神は両目を眼球が零れるかという程に見開いて東風美を見上げていた。
自分が何をされたのかも、理解するのに少しばかり時間を要したらしい。
だが、彼は何かを決意したかの如く精悍な顔つきに変貌した。
そして黙ったまま立ち上がると、東風美に近寄る。
「あ……。私、なんてことを……。申し訳御座いません!」
「謝るのは僕の方だ。そしてありがとう」
彼は擦れ違いざまに東風美に謝意の告げると、そのまま仰向けにされた姉の下へ歩み寄り、膝を突いて彼女に手を翳した。
「焼け石に水ならば掛けてみよう。掛け続ければいつかは巌も擦り切れ無くなる――その一助となろう」
蛟乃神の掌が輝きを放ち、光が龍乃神の身体を包み込む。
少し遅れて侍医が駆け付けた。
蛟乃神は彼に自分の部屋を姉の為に必要なだけ使うよう告げた。
そして意識の無い姉に対し、懺悔の様に語り掛ける。
「姉様、どうかしていたのは僕の方だ。自分の国が他国を傷付けるのは辛いことだった筈だ。いつからか僕は現実から逃げ始め、立ち向かおうとする姉様を横目に大人振っていた。けれども姉様、僕はちっとも大人になんかなっちゃいなかった。甘ったれて世を拗ねた餓鬼の儘だったんだ」
光が収まり、蛟乃神は少しふらついた。
力を使い果たしてしまったのだろう。
「懐旧、昔日への憧憬……。僕はこの期に及んで、心のどこかで昔の家族関係に戻ることを求めていた……。でも、『還りたいあの頃の風景』がもう何処にも無いと受け容れた時、人は一つ大人になるんだと思う。僕達兄弟はもう、あの頃には戻れない……」
蛟乃神は頭を抑えながら立ち上がると、先程自分を打った東風美に静かに願い出る。
「鬼獄東風美、今すぐ十桐に連絡してくれ。伝えたいことがある」
「は、はい……!」
東風美は蛟乃神から並々ならぬ決意を感じ、龍乃神邸に控えている十桐綺葉に電話を掛けた。
⦿⦿⦿
龍乃神が目を覚ましたのは日が沈んでからの事だった。
彼女が破った扉は応急的に付け直され、閉ざされた部屋に彼女の様子を窺っていた弟と二人きりになっていた。
「目を覚ましたのか、良かった……」
蛟乃神は心底安堵したといった様子で笑みを浮かべた。
その表情は憑き物が落ちた様に朗らかだった。
「賢智……。妾は……」
「姉様、何も言わなくていい。僕もまた、目が覚めた」
弟の言葉を聞いた龍乃神は顔に血色を取り戻し、眼を輝かせていた。
言わんとしていることを察した姉に対し、答え合わせをするように蛟乃神は宣言する。
「僕は兄様と戦う。姉様、力になってくれるね?」
それは即ち、彼が皇國正統政府の神輿になるという決意表明だった。
龍乃神はこの言葉を貰う為に無理を通し、命まで懸けて訴えたのだ。
「勿論」
まずは政治的な動きである。
衆議院選挙・首班指名・皇國憲法改正の不正と無効の訴え、内閣不信任案の可決、神皇への廃位要求と新神皇・賢智の擁立宣言――これらを経ることで皇國には互いに正統を主張する二つの政権が並び立つ。
日本国は新政府の方と講和を結び、協力関係を構築できる。
それには、今の日本政府をその気にさせなければならないという厄介な課題も残されている。
ただ、神皇との絶望的な戦いを強いられている世界にとって、皇國内に味方の勢力が出来るのは極めて心強い話だろう。
今此処に、神皇と戦う為のピースが揃った。
龍乃神の容体が落ち着き次第、姉弟は新華族令嬢三羽烏と共に龍乃神邸へと凱旋する。
⦿⦿⦿
深夜、龍乃神邸。
蛟乃神邸へ訪れた龍乃神が意識を取り戻したという連絡を受けた十桐は、歓びに拳を握り締めた。
既に自衛隊は日本国へ帰国しており、残された特別警察特殊防衛課の面々は新たな契約を確かめ合っている。
「やりましたね、十桐閣下」
根尾弓矢もまた、彼女と歓びを分かち合う。
皇國正統政府が立ち上がらなければ、彼が再び命懸けで此処へ来た甲斐が無いというものだ。
そんな彼に、十桐は願い出る。
「根尾殿、龍乃神殿下の御帰還は明日の朝になるだろう。その折りに、神皇との戦い方とそのために必要な物を皆に説明したい」
「はい」
十桐の眼に鋭い光が帯びる。
「特に、岬守航と麗真魅琴には心しておくようにと伝えてくだされ。あの二人の持つ力と可能性こそ、この世界に残された最後の希望なのだからな」
愈々、全てが動き出そうとしている。
だが、神皇や神瀛帯熾天王もただ黙って見ている筈が無かった。