日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百八話『無限の領域』 序

 岬(さき)守(もり)航(わたる)は龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸(てい)の中庭に面した縁側に腰掛けて佇(たたず)み、秋冷の夜風に吹かれていた。

 空に月は無く、星々の煌(きら)めきだけが哀愁の光を降らせている。

 

 頬(ほお)に軽く手で触れてみる。

 航(わたる)は少し、朝に受けた痛みを思い出していた。

 この日、皇(こう)國(こく)へ遅れてやって来た根(ね)尾(お)弓(きゆう)矢(や)達と対面したのだ。

 その場で航(わたる)は、根(ね)尾(お)に殴られた。

 

「まだ痛むの?」

 

 麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)が背後から声を掛けてきた。

 彼女はそのまま隣に腰掛ける。

 

「思い切り殴られたものね」

「ああ。でも痛みはもう引いたよ。それに、殴られても仕方が無いと思っているしね」

 

 根(ね)尾(お)が殴ったのは、航(わたる)が勝手に超(ちよう)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)・カムヤマトイワレヒコを持ち出して皇(こう)國(こく)へ入国したことを咎(とが)めてのことだ。

 本来ならば言い逃れの出来ない犯罪行為であり、無事帰れたとしても国から何らかの処罰が下っても全くおかしくない。

 寧(むし)ろ、航(わたる)達を庇(かば)う為に根(ね)尾(お)は今回かなりの無(む)茶(ちや)をやった。

 その事を思えば航(わたる)も言うように殴られても仕方が無いことを仕出かしたと言えるし、寧ろ色々動いてくれたことを根(ね)尾(お)に感謝すべきだろう。

 

「それにしても、貴方(あなた)も物好きね。態(わざ)々(わざ)二発も殴られるなんて」

 

 魅(み)琴(こと)は呆(あき)れたように溜息を吐き、そして微(ほほ)笑(え)みかける。

 

「私(わたし)は別に、根(ね)尾(お)さんに殴られようが全然平気なのに」

「それは解(わか)ってるよ。君(きみ)も共犯なんだから、平等に殴られるべきだってこともね」

「だったらどうして……?」

「嫌だったからに決まってるじゃないか。好きな女の子がぶん殴られるなんて考えたくもないよ。仮令(たとえ)それが僕(ぼく)より圧倒的に強い君(きみ)であっても、ね」

 

 航(わたる)は頬から手を離し、掌(てのひら)を見詰めながら思い出す。

 

「だからさ、あの時は困っちゃったんだよね。帰国を懸けて君(きみ)と戦うことになって、君(きみ)に一撃入れたら一緒に帰っても良いって言われてもさ、やっぱり殴りたくなんかないんだよ、君(きみ)のことを」

「ふーん……。もしかして、あの時貴方(あなた)が私(わたし)に抱き付こうとしていたのって変な下心じゃなくてそういう苦肉の策だった訳?」

「まあね。ていうか、やっぱりバレるんだ……」

「当然でしょ、私(わたし)を誰だと思っているの? あの時の貴方(あなた)の視線、かなり気持悪(キモ)かったわよ」

「ぐ、人の気も知らないで……」

 

 魅(み)琴(こと)は意地悪くも、どこか嬉(うれ)しそうに笑っていた。

 兎(と)に角(かく)、航(わたる)は魅(み)琴(こと)のことを大切にしている。

 それは理屈ではなく、彼女を傷付けたくない、傷付いてほしくないという素朴な感情だ。

 

 しかし一方で航(わたる)は今、魅(み)琴(こと)と決死の戦いを共にしようとしている。

 運命を共にする覚悟を示されたとき、航(わたる)はそれを嬉しいと感じていた。

 一見すると相反する、矛盾した二つの想(おも)いが魅(み)琴(こと)に対して共存している。

 おそらくそれは、魅(み)琴(こと)から航(わたる)に対しても同じなのだろう。

 

 それは二人が比翼の鳥であり、連理の枝であるという証明なのかも知れない。

 だからこそ、二人は約束された幸せを棄(す)ててでも此(こ)処(こ)まで来てしまった。

 謂(い)わば二人は、自分達の我(わが)儘(まま)に周りを巻き込んだのだ。

 今回はそれが偶(たま)々(たま)世界を救う為に必要不可欠な行為だったから、根(ね)尾(お)も渋々追認したのだろう。

 

「しかし、それにしてもさ……」

 

 不意に、航(わたる)はおかしくなってきた。

 

「根(ね)尾(お)さんも根(ね)尾(お)さんだよな。明らかに魅(み)琴(こと)を殴ろうとしたとき躊(ため)躇(ら)ってたし、僕(ぼく)が庇って代わりに殴られた時、露骨にホッとしてたじゃん。まあ僕(ぼく)を二度も殴っちゃって、一寸(ちよつと)気(き)不(ま)味(ず)そうにもしてたけど」

「彼も彼で、私(わたし)に麗(うる)真(ま)家の使命を押し付けた後ろめたさが相当あったそうだからね」

「ていうか、君(きみ)の方が根(ね)尾(お)さんに無言の圧力を掛けてたよね? 自分のことも殴ってみろよ、って感じにさ」

「貴方(あなた)を思い切り殴ってくれたんだもの。意地悪の一つもしたくなるというものだわ」

「ドSだなあ……」

 

 魅(み)琴(こと)も魅(み)琴(こと)で、やはり航(わたる)のことを大切に思っていることは間違い無いらしい。

 そして根(ね)尾(お)も、殴りたくて殴ったのではないのだろう。

 二人を大切に思っているからこそ、けじめとしてどうしても殴らなければならなかった、といったところか。

 

「あの人には世話になりっぱなしだな……」

「そうね。それが彼の良いところだわ……」

 

 根(ね)尾(お)はこの日もう一つ、仲間を守る為の決断をしていた。

 朝、航(わたる)達と一(ひと)悶(もん)着(ちやく)あった後に自衛隊の四名は超(ちよう)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)・スイゼイで帰還しているのだが、そこに同乗して一人帰国している。

 

「白(びやく)檀(だん)さん、来て早々Uターンすることになるとは思ってなかっただろうな」

「でも確かに、考えてもみれば彼女の真の力は人の懐に入り込む巧みさだから、どちらかというと国内の根回しに動いてほしいというのは頷(うなず)けるわ」

 

 根(ね)尾(お)によれば、先日の戦いで決め手となったのは予(あらかじ)め龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)と良好な関係を築いていた白(びやく)檀(だん)揚(あげ)羽(は)の人脈形成能力だった。

 彼女にはここぞと言う状況でスムーズに連絡を取ることが出来る仲を維持していた。

 この事から、根(ね)尾(お)は白(びやく)檀(だん)を戦闘よりも根回しに向けるべきだと痛感したとのことだ。

 

「ただまあ、半分は建前だろうな」

「でしょうね。彼は本当はみんな帰らせたかったのよ。一方で、国を守ることも大切だから最低限の人員は維持したい。その二律背反の板挟みになっているからこそ、帰らせた方が役に立つという理由が出来た白(びやく)檀(だん)さんを真先に帰らせた」

「ひょっとしたら虻(あぶ)球(く)磨(ま)と繭(まゆ)月(づき)さんもその内帰れって言われるかもな」

「そうね……」

 

 今回、根(ね)尾(お)が特別警察特殊防衛課を再結集したのは、皇(こう)國(こく)正統政府側が神(じん)皇(のう)との戦いをどう進めるつもりなのか不明だったからだ。

 明日、十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)からその説明があるだろうが、その内容によっては虻(あぶ)球(く)磨(ま)新(しん)兒(じ)と繭(まゆ)月(づき)百(ゆ)合(り)菜(な)も御(お)役(やく)御(ご)免(めん)になるかも知れない。

 ただ、二人が納得するかどうかはまた別の話だ。

 

 何(いず)れにせよ、全ては明日の内容次第である。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 翌日、龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸の大食堂。

 日本国から訪れた特別警察特殊防衛課と、皇(こう)國(こく)正統政府の主要人物達は一堂に会した。

 

「みんな、よく来てくれた」

 

 邸(やしき)の主である皇妹・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)が挨拶と盟の紹介を始める。

 対して、日本国側は一人ずつ順に名(な)告(の)っていく。

 

「成程、君(きみ)が例の『金(こん)色(じき)の機体』の操縦者・岬(さき)守(もり)航(わたる)殿かね」

「ええ、まあ……」

 

 一人の壮年男が航(わたる)に握手を求めてきた。

 この男、前都(つ)築(づき)政権で外務大臣を務めた芳(よし)原(はら)輝(き)太(た)郎(ろう)――皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)の粛正を逃れた数少ない元閣僚の一人で、皇(こう)國(こく)正統政府の暫定総理大臣に指名された、彼らの要の一人である。

 

「近い内に世話になる。頼りにしているよ」

「それは……光栄です」

 

 航(わたる)は芳(よし)原(はら)の手から自分に対する強い信頼を感じた。

 それは世界の命運を託すというよりは、もっと卑近な心頼みに思えた。

 

「芳(よし)原(はら)殿、その件はまた後程……」

 

 十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)が何やら意味深に割って入り、二人の会話を打ち切らせた。

 どうやら十(とお)桐(どう)から航(わたる)に芳(よし)原(はら)に関して何か依頼事項があるようだ。

 

「では、話に入ろうか。みんな、席に着いてくれ」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)の音頭で、日本国側と皇(こう)國(こく)側の面々はそれぞれ並んで向き合う形で着席した。

 日本国からは岬(さき)守(もり)航(わたる)・麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)・根(ね)尾(お)弓(きゆう)矢(や)・虻(あぶ)球(く)磨(ま)新(しん)兒(じ)・繭(まゆ)月(づき)百(ゆ)合(り)菜(な)・雲(くも)野(の)幽(ゆ)鷹(たか)・雲(くも)野(の)兎(と)黄(よ)泉(み)が、皇(こう)國(こく)からは次期神(じん)皇(のう)の蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)・皇妹の龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)・その侍従の灰(かい)祇(ぎ)院(いん)在(あり)清(きよ)・六摂家から当主の甲(きのえ)烏(う)黝(くろ)・十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)・公(く)殿(でん)零(ふる)鳴(なり)・丹(に)桐(どう)士(あき)糸(つら)・暫定総理大臣の芳(よし)原(はら)輝(き)太(た)郎(ろう)が出席している。

 またこの場には居ないが、日本国では白(びやく)檀(だん)揚(あげ)羽(は)・伴(ばん)藤(どう)明(あけ)美(み)が、皇(こう)國(こく)では水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)・鬼(き)獄(ごく)東(あ)風(ゆ)美(み)・枚(ひら)辻(つじ)埜(の)愛(あ)瑠(る)・別(びゅ)府(う)幡(まん)黎(れい)子(こ)・そして敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)が、それぞれ彼らの味方として付いている。

 

「姉様、僕(ぼく)から最初に一言良いかい?」

 

 皇弟・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)――次期神(じん)皇(のう)として皇(こう)國(こく)正統政府の盟主となった青年が口を開いた。

 

「此処に集まってくれた者達は畏れ多くも兄様――神(じん)皇(のう)陛下に盾突き、その皇位を廃そうとしている。はっきり言ってこれは絶望的な戦いだ。あの人を敵に回すというのは、それだけで汎(あら)ゆる存在にとって無謀以外の何物でも無い負け戦を意味する。仮令(たとえ)どれだけの戦力を集めようとも、だ。僕(ぼく)達が挑もうとしている戦いはそういうものだと、最初に理解してもらいたい。これだけは僕(ぼく)の口からどうしても伝えておかなければならないと思った」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の眼(め)に覚悟の焔(ほのお)が宿っている。

 その顔付きからは最(も)早(はや)昨日までの気弱な優男は消(き)え失(う)せていた。

 そんな彼から、この場に集まった者達に告げられる。

 

「どうかみんな、死んでくれ。この正しい戦いの為に」

 

 空気が張り詰めた。

 そう、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の言うとおり、彼らがこれから挑まんとする戦いは、確実な犠牲の果てに限りなく零に近い奇跡を手繰り寄せようとする「決死行」である。

 少なくとも、皇族の二人はこの場の誰よりも深くそれを理解している。

 彼らが幼き頃から「獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)は絶対強者であり、何人たりとも敵(かな)わない」と教えられてきたその所以(ゆえん)は、これから語られるであろう。

 

「蛟(みずち)乃(の)神(かみ)殿下、少なくとも僕(ぼく)はそのつもりで来ました」

 

 航(わたる)がそれに応える。

 

「あの時十(とお)桐(どう)様に指名された四人は皆そうだと思います。しかし一方で、それでも希望があるからこそ僕(ぼく)達が選ばれたとも信じています。僕(ぼく)達に出来ることがあれば、全身全霊を以(もつ)て挑む覚悟です」

「うむ、その話はこれから追って説明しよう」

 

 ここから先は皇(こう)國(こく)正統政府結成の提案者・十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)が代わって説明する。

 

「最初に、皇(こう)國(こく)正統政府のこれからの動きから手短に話しておこう。現状、皇(こう)國(こく)は神(じん)皇(のう)陛下によって憲法が改正され、陛下による専制政治を掣(せい)肘(ちゆう)する根拠を失っておる。これを正すべく、我々は衆議院選挙及び憲法改正に皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)の暴力的介入があったことを以て選挙及び改正手続の無効を最高裁判所に訴える。つまり選挙無効訴訟・改憲無効訴訟じゃな。前者が通れば後者もまた自動的に通ることになるじゃろう。改憲発議の手続の不備は明確じゃからな」

 

 現在、皇(こう)國(こく)衆議院の第一党は過半数を獲得した皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)だが、彼らは選挙に際し有力候補の立候補妨害や開票場の襲撃などを繰り返し、自分達に有利になるように介入した疑惑が持たれている。

 また、改憲には衆議院と貴族院の出席者の三分の二以上の賛成が必要だが、此(こ)方(ちら)も皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)による脅迫があり、議員の多数が欠席を余儀無くされている。

 十(とお)桐(どう)はここを突き、前政権の閣僚である芳(よし)原(はら)輝(き)太(た)郎(ろう)を暫定総理大臣とする自分達を名実共に皇(こう)國(こく)正統政府とする目算なのだ。

 

「問題はこの裁判にも皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)が介入してくるのは間違い無いということじゃ。先(ま)ずは判決が出るまでの間、我々はこの手続を奴(やつ)らの暴力から守らねばならん」

「成程、それならば我々も喜んで力を貸しましょう」

 

 根(ね)尾(お)は腕を組んで頷いた。

 

「うむ、その時は協力願いたい。そして愈(いよ)々(いよ)、肝腎要の話に入ろう。神(じん)皇(のう)陛下との戦い方についてじゃ」

 

 十(とお)桐(どう)は灰(かい)祇(ぎ)院(いん)に目で合図を送る。

 灰(かい)祇(ぎ)院(いん)は頷くと、指を鳴らして食堂に軽快な音を響かせた。

 彼らが挟んで坐(すわ)っている食卓の上部に、球体の立体映像が浮かび上がる。

 これはまさに、今問題となっている「無(む)窮(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)・アメノミナカヌシ」の外観だ。

 

「先ず、神(じん)皇(のう)陛下は現在、あの日起動させ給(たも)うた無(む)窮(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)・アメノミナカヌシの内部に居を構えてあらせられる。此処へ辿(たど)り着(つ)くには、生半可な為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)では不可能なのじゃ。おそらく可能なのは皇(こう)國(こく)の特別機、若(も)しくは例の『金(こん)色(じき)の機体』が備えておる特殊な回路を発動した場合のみじゃろう」

 

 アメノミナカヌシの映像が縮小されていく。

 というより、映像の表示範囲が拡(ひろ)がっていく。

 軈(やが)てアメノミナカヌシから遠く離れた位置に、見知った青い球体の映像が顕(あらわ)れた。

 

「まさか……!」

 

 航(わたる)は驚(きよう)愕(がく)に目を瞠(みは)った。

 十(とお)桐(どう)はその反応に頷き、話を続ける。

 

「無(む)窮(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)・アメノミナカヌシは皇(こう)國(こく)の上空、常に同じ位置からこの大地を見下ろしておる。即(すなわ)ち、あれが現在何処(どこ)に位置しているのか……」

 

 映像に距離を表す線分が引かれ、「地球」と「アメノミナカヌシ」の間に数値が浮かぶ。

 

「アメノミナカヌシは現在、地上からの高度約三五七八六粁(キロ)、宇宙空間の静止軌道上に鎮座しておるのじゃ」

 

 とんでもない事実が明かされ、航(わたる)達は一様に息を呑(の)んだ。

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