岬守航は龍乃神邸の中庭に面した縁側に腰掛けて佇み、秋冷の夜風に吹かれていた。
空に月は無く、星々の煌めきだけが哀愁の光を降らせている。
頬に軽く手で触れてみる。
航は少し、朝に受けた痛みを思い出していた。
この日、皇國へ遅れてやって来た根尾弓矢達と対面したのだ。
その場で航は、根尾に殴られた。
「まだ痛むの?」
麗真魅琴が背後から声を掛けてきた。
彼女はそのまま隣に腰掛ける。
「思い切り殴られたものね」
「ああ。でも痛みはもう引いたよ。それに、殴られても仕方が無いと思っているしね」
根尾が殴ったのは、航が勝手に超級為動機神体・カムヤマトイワレヒコを持ち出して皇國へ入国したことを咎めてのことだ。
本来ならば言い逃れの出来ない犯罪行為であり、無事帰れたとしても国から何らかの処罰が下っても全くおかしくない。
寧ろ、航達を庇う為に根尾は今回かなりの無茶をやった。
その事を思えば航も言うように殴られても仕方が無いことを仕出かしたと言えるし、寧ろ色々動いてくれたことを根尾に感謝すべきだろう。
「それにしても、貴方も物好きね。態々二発も殴られるなんて」
魅琴は呆れたように溜息を吐き、そして微笑みかける。
「私は別に、根尾さんに殴られようが全然平気なのに」
「それは解ってるよ。君も共犯なんだから、平等に殴られるべきだってこともね」
「だったらどうして……?」
「嫌だったからに決まってるじゃないか。好きな女の子がぶん殴られるなんて考えたくもないよ。仮令それが僕より圧倒的に強い君であっても、ね」
航は頬から手を離し、掌を見詰めながら思い出す。
「だからさ、あの時は困っちゃったんだよね。帰国を懸けて君と戦うことになって、君に一撃入れたら一緒に帰っても良いって言われてもさ、やっぱり殴りたくなんかないんだよ、君のことを」
「ふーん……。もしかして、あの時貴方が私に抱き付こうとしていたのって変な下心じゃなくてそういう苦肉の策だった訳?」
「まあね。ていうか、やっぱりバレるんだ……」
「当然でしょ、私を誰だと思っているの? あの時の貴方の視線、かなり気持悪かったわよ」
「ぐ、人の気も知らないで……」
魅琴は意地悪くも、どこか嬉しそうに笑っていた。
兎に角、航は魅琴のことを大切にしている。
それは理屈ではなく、彼女を傷付けたくない、傷付いてほしくないという素朴な感情だ。
しかし一方で航は今、魅琴と決死の戦いを共にしようとしている。
運命を共にする覚悟を示されたとき、航はそれを嬉しいと感じていた。
一見すると相反する、矛盾した二つの想いが魅琴に対して共存している。
おそらくそれは、魅琴から航に対しても同じなのだろう。
それは二人が比翼の鳥であり、連理の枝であるという証明なのかも知れない。
だからこそ、二人は約束された幸せを棄ててでも此処まで来てしまった。
謂わば二人は、自分達の我儘に周りを巻き込んだのだ。
今回はそれが偶々世界を救う為に必要不可欠な行為だったから、根尾も渋々追認したのだろう。
「しかし、それにしてもさ……」
不意に、航はおかしくなってきた。
「根尾さんも根尾さんだよな。明らかに魅琴を殴ろうとしたとき躊躇ってたし、僕が庇って代わりに殴られた時、露骨にホッとしてたじゃん。まあ僕を二度も殴っちゃって、一寸気不味そうにもしてたけど」
「彼も彼で、私に麗真家の使命を押し付けた後ろめたさが相当あったそうだからね」
「ていうか、君の方が根尾さんに無言の圧力を掛けてたよね? 自分のことも殴ってみろよ、って感じにさ」
「貴方を思い切り殴ってくれたんだもの。意地悪の一つもしたくなるというものだわ」
「ドSだなあ……」
魅琴も魅琴で、やはり航のことを大切に思っていることは間違い無いらしい。
そして根尾も、殴りたくて殴ったのではないのだろう。
二人を大切に思っているからこそ、けじめとしてどうしても殴らなければならなかった、といったところか。
「あの人には世話になりっぱなしだな……」
「そうね。それが彼の良いところだわ……」
根尾はこの日もう一つ、仲間を守る為の決断をしていた。
朝、航達と一悶着あった後に自衛隊の四名は超級為動機神体・スイゼイで帰還しているのだが、そこに同乗して一人帰国している。
「白檀さん、来て早々Uターンすることになるとは思ってなかっただろうな」
「でも確かに、考えてもみれば彼女の真の力は人の懐に入り込む巧みさだから、どちらかというと国内の根回しに動いてほしいというのは頷けるわ」
根尾によれば、先日の戦いで決め手となったのは予め龍乃神深花と良好な関係を築いていた白檀揚羽の人脈形成能力だった。
彼女にはここぞと言う状況でスムーズに連絡を取ることが出来る仲を維持していた。
この事から、根尾は白檀を戦闘よりも根回しに向けるべきだと痛感したとのことだ。
「ただまあ、半分は建前だろうな」
「でしょうね。彼は本当はみんな帰らせたかったのよ。一方で、国を守ることも大切だから最低限の人員は維持したい。その二律背反の板挟みになっているからこそ、帰らせた方が役に立つという理由が出来た白檀さんを真先に帰らせた」
「ひょっとしたら虻球磨と繭月さんもその内帰れって言われるかもな」
「そうね……」
今回、根尾が特別警察特殊防衛課を再結集したのは、皇國正統政府側が神皇との戦いをどう進めるつもりなのか不明だったからだ。
明日、十桐綺葉からその説明があるだろうが、その内容によっては虻球磨新兒と繭月百合菜も御役御免になるかも知れない。
ただ、二人が納得するかどうかはまた別の話だ。
何れにせよ、全ては明日の内容次第である。
⦿⦿⦿
翌日、龍乃神邸の大食堂。
日本国から訪れた特別警察特殊防衛課と、皇國正統政府の主要人物達は一堂に会した。
「みんな、よく来てくれた」
邸の主である皇妹・龍乃神深花が挨拶と盟の紹介を始める。
対して、日本国側は一人ずつ順に名告っていく。
「成程、君が例の『金色の機体』の操縦者・岬守航殿かね」
「ええ、まあ……」
一人の壮年男が航に握手を求めてきた。
この男、前都築政権で外務大臣を務めた芳原輝太郎――皇道保守黨の粛正を逃れた数少ない元閣僚の一人で、皇國正統政府の暫定総理大臣に指名された、彼らの要の一人である。
「近い内に世話になる。頼りにしているよ」
「それは……光栄です」
航は芳原の手から自分に対する強い信頼を感じた。
それは世界の命運を託すというよりは、もっと卑近な心頼みに思えた。
「芳原殿、その件はまた後程……」
十桐綺葉が何やら意味深に割って入り、二人の会話を打ち切らせた。
どうやら十桐から航に芳原に関して何か依頼事項があるようだ。
「では、話に入ろうか。みんな、席に着いてくれ」
龍乃神の音頭で、日本国側と皇國側の面々はそれぞれ並んで向き合う形で着席した。
日本国からは岬守航・麗真魅琴・根尾弓矢・虻球磨新兒・繭月百合菜・雲野幽鷹・雲野兎黄泉が、皇國からは次期神皇の蛟乃神賢智・皇妹の龍乃神深花・その侍従の灰祇院在清・六摂家から当主の甲烏黝・十桐綺葉・公殿零鳴・丹桐士糸・暫定総理大臣の芳原輝太郎が出席している。
またこの場には居ないが、日本国では白檀揚羽・伴藤明美が、皇國では水徒端早辺子・鬼獄東風美・枚辻埜愛瑠・別府幡黎子・そして敷島朱鷺緒が、それぞれ彼らの味方として付いている。
「姉様、僕から最初に一言良いかい?」
皇弟・蛟乃神賢智――次期神皇として皇國正統政府の盟主となった青年が口を開いた。
「此処に集まってくれた者達は畏れ多くも兄様――神皇陛下に盾突き、その皇位を廃そうとしている。はっきり言ってこれは絶望的な戦いだ。あの人を敵に回すというのは、それだけで汎ゆる存在にとって無謀以外の何物でも無い負け戦を意味する。仮令どれだけの戦力を集めようとも、だ。僕達が挑もうとしている戦いはそういうものだと、最初に理解してもらいたい。これだけは僕の口からどうしても伝えておかなければならないと思った」
蛟乃神の眼に覚悟の焔が宿っている。
その顔付きからは最早昨日までの気弱な優男は消え失せていた。
そんな彼から、この場に集まった者達に告げられる。
「どうかみんな、死んでくれ。この正しい戦いの為に」
空気が張り詰めた。
そう、蛟乃神の言うとおり、彼らがこれから挑まんとする戦いは、確実な犠牲の果てに限りなく零に近い奇跡を手繰り寄せようとする「決死行」である。
少なくとも、皇族の二人はこの場の誰よりも深くそれを理解している。
彼らが幼き頃から「獅乃神叡智は絶対強者であり、何人たりとも敵わない」と教えられてきたその所以は、これから語られるであろう。
「蛟乃神殿下、少なくとも僕はそのつもりで来ました」
航がそれに応える。
「あの時十桐様に指名された四人は皆そうだと思います。しかし一方で、それでも希望があるからこそ僕達が選ばれたとも信じています。僕達に出来ることがあれば、全身全霊を以て挑む覚悟です」
「うむ、その話はこれから追って説明しよう」
ここから先は皇國正統政府結成の提案者・十桐綺葉が代わって説明する。
「最初に、皇國正統政府のこれからの動きから手短に話しておこう。現状、皇國は神皇陛下によって憲法が改正され、陛下による専制政治を掣肘する根拠を失っておる。これを正すべく、我々は衆議院選挙及び憲法改正に皇道保守黨の暴力的介入があったことを以て選挙及び改正手続の無効を最高裁判所に訴える。つまり選挙無効訴訟・改憲無効訴訟じゃな。前者が通れば後者もまた自動的に通ることになるじゃろう。改憲発議の手続の不備は明確じゃからな」
現在、皇國衆議院の第一党は過半数を獲得した皇道保守黨だが、彼らは選挙に際し有力候補の立候補妨害や開票場の襲撃などを繰り返し、自分達に有利になるように介入した疑惑が持たれている。
また、改憲には衆議院と貴族院の出席者の三分の二以上の賛成が必要だが、此方も皇道保守黨による脅迫があり、議員の多数が欠席を余儀無くされている。
十桐はここを突き、前政権の閣僚である芳原輝太郎を暫定総理大臣とする自分達を名実共に皇國正統政府とする目算なのだ。
「問題はこの裁判にも皇道保守黨が介入してくるのは間違い無いということじゃ。先ずは判決が出るまでの間、我々はこの手続を奴らの暴力から守らねばならん」
「成程、それならば我々も喜んで力を貸しましょう」
根尾は腕を組んで頷いた。
「うむ、その時は協力願いたい。そして愈々、肝腎要の話に入ろう。神皇陛下との戦い方についてじゃ」
十桐は灰祇院に目で合図を送る。
灰祇院は頷くと、指を鳴らして食堂に軽快な音を響かせた。
彼らが挟んで坐っている食卓の上部に、球体の立体映像が浮かび上がる。
これはまさに、今問題となっている「無窮為動機神体・アメノミナカヌシ」の外観だ。
「先ず、神皇陛下は現在、あの日起動させ給うた無窮為動機神体・アメノミナカヌシの内部に居を構えてあらせられる。此処へ辿り着くには、生半可な為動機神体では不可能なのじゃ。おそらく可能なのは皇國の特別機、若しくは例の『金色の機体』が備えておる特殊な回路を発動した場合のみじゃろう」
アメノミナカヌシの映像が縮小されていく。
というより、映像の表示範囲が拡がっていく。
軈てアメノミナカヌシから遠く離れた位置に、見知った青い球体の映像が顕れた。
「まさか……!」
航は驚愕に目を瞠った。
十桐はその反応に頷き、話を続ける。
「無窮為動機神体・アメノミナカヌシは皇國の上空、常に同じ位置からこの大地を見下ろしておる。即ち、あれが現在何処に位置しているのか……」
映像に距離を表す線分が引かれ、「地球」と「アメノミナカヌシ」の間に数値が浮かぶ。
「アメノミナカヌシは現在、地上からの高度約三五七八六粁、宇宙空間の静止軌道上に鎮座しておるのじゃ」
とんでもない事実が明かされ、航達は一様に息を呑んだ。