日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百八話『無限の領域』 破

 静止軌道――それは地球の赤道上空約三五七八六キロに位置する特別な円軌道の呼称である。

 この高度では、重力と遠心力が釣り合う速度で周回すると、一周に要する時間が地球の自転周期と丁度一致する。

 その為(ため)、この軌道上で地球の周囲を公転する人工衛星は、地上から見れば空の一点に静止している様に見えるのだ。

 無(む)窮(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)・アメノミナカヌシは現在、まさに一つの巨大な静止衛星となって皇(こう)國(こく)の上空に鎮座しているという訳だ。

 

「皇(こう)國(こく)は現在、国土の一部を赤道上に被らせた状態でこの世界に位置しておる。即(すなわ)ちアメノミナカヌシの位置は神(か)児(ご)島(しま)州の離党・胤(たね)子(が)島(しま)の上空。我々は先(ま)ず、其(そ)処(こ)まで到達しなければ話にならんのじゃ」

 

 食卓の上方に投影された地球とアメノミナカヌシの映像は、地球の一点に向けて迫っていく。

 先程十(とお)桐(どう)が話に出した皇(こう)國(こく)本土の南方、胤(たね)子(が)島(しま)と呼ばれる離島が拡大され、其(そ)処(こ)に存在する一つの研究施設が映し出される。

 

「常(とこ)立(たち)研究所飛翔体(ロケツト)打上場――皇(こう)國(こく)最大の宇宙研究施設じゃ。我々は赤道直下のこの地点よりアメノミナカヌシの周回域に向けて東向きに金(こん)色(じき)の機体を発進させる。その為には先ず何より、この研究所を我々で制圧し、抑えておかなければならん」

「面倒臭えな。統(とう)京(きょう)からじゃ駄目なのか?」

 

 新(しん)兒(じ)が十(とお)桐(どう)の説明に首を傾(かし)げ、疑問を呈した。

 

「宇宙で機体の神(しん)為(い)を発揮するには常(とこ)立(たち)研究所での機体改造が必要じゃ。皇(こう)國(こく)の為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)は宇宙空間にも対応しておるが、其(そ)方(ちら)のものは予算削減で装甲に不備があるじゃろ?」

「耳が痛いですね……」

 

 十(とお)桐(どう)の指摘を根(ね)尾(お)が認めた通り、カムヤマトイワレヒコが起動時に金色に眩(まばゆ)く光るのは、波動相(そう)殺(さい)機構を動かした際に神(しん)為(い)の発光を抑えられないという欠陥があるせいだ。

 これは試作の予算が不足していて性能を再現しきれなかった為で、当然他にも余計な機能は極力省かれている。

 耐宇宙空間の仕様もその一つである。

 

「それに、目標到達までの燃費が全く違うのじゃ。静止衛星の最も効率的な打ち上げ法がこれで、特に西向きに発射するとなると段違いに神(しん)為(い)を消耗してしまうじゃろう。アメノミナカヌシへの到達はあくまで前提であり、そこまでの余計な消耗はなるべく避けたい」

「つまり、カムヤマトイワレヒコを其処まで操縦する僕(ぼく)がそのまま神(じん)皇(のう)とも戦うということですか……」

 

 航(わたる)は映像に眼(め)を凝らし、自分がやるべき事を脳内に思い浮かべて予習する。

 所謂(いわゆる)シミュレーション、或(ある)いはイメージトレーニングといったところか。

 先ず胤(たね)子(が)島(しま)までカムヤマトイワレヒコを運び、其処から東の空へ向けて旋回する。

 そして大気圏を離脱し、アメノミナカヌシに追い付く――そんなところだろうか。

 

「アメノミナカヌシが静止衛星ということは、実際の速度は約マッハ九.一だな。通常、超(ちよう)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)の飛行速度はマッハ五程度だから、大気圏内で加速するだけじゃ追い付けない。日(ひの)神(かみ)回(かい)路(ろ)を発動させれば約三倍の速度が出せるが、神(しん)為(い)を大きく消耗する。だから宇宙空間でも加速出来るよう、改造を施す必要があるということか」

「うむ。但し気を付けねばならんのは、アメノミナカヌシは自身の持つ万有引力を自在に操れる可能性があるということじゃ。ひょっとすると、着陸しようとした際に反重力を発生させて抵抗してくるかも知れん」

 

 アメノミナカヌシは直径八一二八米(メートル)にもなる巨大な鉄の球体である。

 内部に神(じん)皇(のう)が構えている以上、完全な鉄球には程遠いだろうが、それでもかなりの質量を持っていると思われる。

 つまり、本来はアメノミナカヌシ自身にそれなりの引力が発生する筈なのだ。

 だとすると、奇妙なことがある。

 

「成程……俺(おれ)の記憶が正しければ、皇(こう)國(こく)の胤(たね)子(が)島(しま)は確か東経一四〇度線にかなり近かった筈。つまり、アメノミナカヌシの近辺には我が国の気象衛星『ひまわり』が周回している。しかし、そんな位置にアメノミナカヌシ程の大きさの天体が突然割り込んだとあっては、その引力がひまわりの軌道に深刻な影響を与える筈だ。にも拘(かか)わらず、今のところ気象庁からは何の発表も無く、気象予報も問題無く行われている……」

「そう、我らも根(ね)尾(お)殿と同じ根拠で、アメノミナカヌシには重力操作機能が備わっていると考えておる。丁度、神(じん)皇(のう)陛下は以前に重力操作を用いた兵装を極(きよつ)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)・タカミムスビに備えておられたから、技術的には充分可能じゃろう」

「『天(てん)鳴(めい)砲(ほう)』か……。あれは確かに厄介極まり無かった……」

 

 航(わたる)は鯱(しゃち)乃(の)神(かみ)那(な)智(ち)との戦いを思い出した。

 重力崩壊を利用した敵の光線砲「天(てん)鳴(めい)砲(ほう)」は友軍の死と自身の苦戦を強いられたものだ。

 もしかすると、アメノミナカヌシはそれ以上に厄介な相手なのだろうか。

 航(わたる)の背筋に冷気が被り、体の芯を緊張させる。

 

「で、カムヤマトイワレヒコでアメノミナカヌシまで到達しなければならない、というのは解(わか)りました。しかし問題はそこから先、神(じん)皇(のう)と戦って勝たなければならないということでしょう。申し訳無いが、僕(ぼく)に出来るとは到底思えない。今の神(じん)皇(のう)は魅(み)琴(こと)が幽(ゆ)鷹(たか)君と融合してやっとの思いで打ち負かした先代よりも遙(はる)かに強いんでしょう?」

「そうね。私(わたし)ですら困難極まり無いでしょうに、それより遙かに雑魚(ざこ)の航(わたる)では力不足に過ぎるでしょう。息を吹き掛けられただけで跡形も無く消し飛ばされるのが関の山ですよ」

「またはっきり言うね、魅(み)琴(こと)……」

 

 久々の、婉(えん)曲(きよく)の欠(かけ)片(ら)も無く航(わたる)を酷評する魅(み)琴(こと)の物言いである。

 航(わたる)が神(じん)皇(のう)と戦う者として選ばれている――そのことが、先代に戦いを挑めたのは自分だけだったという彼女の自負心故に気に食わないのだろうか。

 

「十(とお)桐(どう)、ここからは妾(わらわ)と賢(けん)智(ち)から説明させてくれ」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)が話を引き継ぐべく名乗りを上げた。

 

「確かに、この先の話は我もあまり理解出来ておりませぬ。何せ、陛下の真の力について説明せねばなりませんからな。同じ皇族の殿下の方が正確な説明が出来るでしょう。お願い申し上げまする」

「ありがとう。では十(とお)桐(どう)に代わって妾(わらわ)から話させてもらう」

 

 一同の視線が龍(たつ)乃(の)神(かみ)に集まった。

 

「結論から言うと、兄様を止めるには岬(さき)守(もり)航(わたる)・麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)両名の力が必要不可欠だ。どちらが欠けても不可能だし、その上で更に雲(くも)野(の)兄妹の力を上乗せして尚(なお)現状では不可能だ」

「え、不可能なんですか?」

「今のところはね。君(きみ)達四人には、今よりもずっと強くなるべく鍛えてもらわなければならない。少なくとも雲(くも)野(の)兎(と)黄(よ)泉(み)の神(しん)為(い)を雲(くも)野(の)幽(ゆ)鷹(たか)と同程度にまで引き上げ、更に岬(さき)守(もり)君は二人何(いず)れかとの融合で神の領域に到達出来る程度には強くなってもらう必要があるんだ」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)の合図で映像が切り替わる。

 映し出されたのは先代神(じん)皇(のう)・鳳(おおとり)乃(の)神(かみ)大智(だいち)の姿である。

 

「先ずは御(お)父(もう)様(さま)が到達していた『神の領域』から御(お)温(さ)習(ら)いしていこう。と言っても、実際に体験したのは麗(うる)真(ま)さんと幽(ゆ)鷹(たか)君だけだったか。兎(と)に角(かく)、岬(さき)守(もり)君は必ず理解してくれ」

「はい」

 

 神の領域――それは殆(ほとん)どの者が知らない神(しん)為(い)の「第四段階」である。

 神(しん)為(い)とは「内なる神」を呼び起こすものであり、覚醒した深層の段階によって一般に三つの段階が知られている。

 

 第一段階では「生命維持」に関する力が飛躍的に向上し、常人離れした耐久力や恢(かい)復(ふく)力、果ては生命力や不老長寿を得ていく。

 第二段階では「身体」の各種能力が飛躍的に向上し、筋力や反射神経、視力や聴力、更には第六感のような理屈では説明出来ない個体値も人間離れしていく。

 ここまでの段階でも既に「超人」と呼べるだろうが、第三段階に至ると更に「術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)」と呼ばれる超常的な「異能」や、「武(ぶ)装(そう)神(しん)為(い)」と呼ばれる強力無比な「武器」をも獲得する。

 

 一般的に、神(しん)為(い)の使い手達はこの段階を限界と考え、各(おの)々(おの)の能力を磨き上げて鎬(しのぎ)を削っている。

 だがその遥(はる)か先に、彼らには想像だに出来ない領域が存在するのだ。

 

「それは……異能の干渉を受け付けないという『皇族の神(しん)為(い)』とは違うのですか?」

「ああ、妾(わらわ)や賢(けん)智(ち)の力は単に『第三段階』を他の者よりも遙かな深(しん)淵(えん)まで突き詰めたに過ぎない。第三段階を極めると、異能は逆に意味を成さなくなるんだ。結局のところそれは、超常的な理を発現させる程に強まった力の押し付け合いに過ぎないからね。神(しん)為(い)の本質とは要するに、『力』に対する『認識』の拡大なのさ。故に麗(うる)真(ま)さんの様に『力』そのものが巨大過ぎるが故に神(しん)為(い)が無くとも妾(わらわ)達をも凌(しの)ぐ者だって存在し得る」

「な、成程……」

 

 航(わたる)はふと、魅(み)琴(こと)が今までに受けてきた弱体化の影響を思い出していた。

 鷹(たか)番(つがい)夜(よる)朗(あき)の、触れた相手で筋力を一秒につき二万分の一まで弱体化する能力に何秒も触れた時も、鬼(き)獄(ごく)東(あ)風(ゆ)美(み)が用意した、一個につき感度が百倍になるあんぱんを十二個も食らった時も、推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)の能力で弱体化した時も、全く平然と相手を圧倒していた。

 確かにあの様子は、皇族の神(しん)為(い)が異能の干渉を受け付けない様とよく似ている。

 

 しかしその魅(み)琴(こと)も、単独では先代神(じん)皇(のう)に手も足も出なかったという。

 神(しん)為(い)の第四段階「神の領域」は、それ程までに他と隔絶しているということか。

 他の皇族ですら問題にならない程に……。

 

「神(しん)為(い)に因(よ)る『認識力』の拡大が極まると、軈(やが)てその知覚は真空中の光速を超えた速度も認識出来るようになる。これはこの世界の物理量の限界値であり、物体が光速で移動する場合の能力量は無限大に達する。つまり、この世界の全ての理を超えた先こそが神(しん)為(い)の第四段階『神の領域』なのだと、生前の御(お)父(もう)様(さま)は仰(おつしや)っていた」

「気の遠くなる話だな……。僕(ぼく)に其(そ)処(こ)まで到達できるようになれ、と?」

「それはどちらかというと幽(ゆ)鷹(たか)君と兎(と)黄(よ)泉(み)ちゃんの仕事でしょうね。貴方(あなた)も強くならなければならないでしょうけれど、私(わたし)を含めて単独で出来る話ではないと思うわ」

「暗に『自分より強くなれると思うな』と言っているんだね……」

 

 航(わたる)は溜息を吐いたが、神(じん)皇(のう)と戦うならば当然に要求される条件だろう。

 先の戦争で航(わたる)は兎(と)黄(よ)泉(み)と融合したが、その時は麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)と相打ちに持っていくので精一杯だった。

 魅(み)琴(こと)と互角だったという彼女に肉薄するのがやっとの状態で、魅(み)琴(こと)を圧倒した先代神(じん)皇(のう)よりも更に強いという現神(じん)皇(のう)に勝てる筈が無い。

 

「しかし、実は兄様に勝つのは『神の領域』に達しても絶対に不可能だと思われる」

「は?」

 

 話に割って入った蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の言葉は、航(わたる)と魅(み)琴(こと)を断崖絶壁から突き落とす様な爆弾発言だった。

 

「どういうことですか?」

「昔、御(お)父(もう)様(さま)からこうも聞いたことがあるんだ。兄様の力は『神の領域』よりも更に上へ行くかも知れない、と」

「『神の領域』の……上……?」

 

 魅(み)琴(こと)すらも驚(きよう)愕(がく)に目を瞠(みは)っている。

 

「簡単な話だ。有限の世界である神(しん)為(い)の第三段階までを『人間の領域』とすると、その物理的限界を超えた『上の世界』が『無限の世界』である『神の領域』とするならば、その『神の領域』にも力の限界量が存在し、其処を超えた更に上の『無限の中の無限』が在るんじゃないか、ってことさ」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は深刻な顔で語る。

 当事者の航(わたる)と魅(み)琴(こと)は息を呑(の)んで話を聞いているが、他の者達は今一つピンと来ていないようで、微妙な表情を浮かべていた。

 

「『無限の中の無限』って何だよ、意味解んねえな」

 

 新(しん)兒(じ)の反応も無理は無いだろう。

 

「虻(あぶ)球(く)磨(ま)君、だったか。君(きみ)の反応は尤(もつと)もだ。でも、無限には階層があって『無限の中の無限』が存在するというのは、数学的に説明出来ることらしいんだ」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の合図で、映像がまた切り替わった。

 そこには整数が小さい順に並べられている。

 

「当たり前の話だが、整数というのは何処(どこ)までも無限に存在するよね? つまり、整数全体を数えた大きさは『無限』だと言える」

「おう、それくらいは解るぜ」

「一方で、0と1の間を見てみよう。0よりも大きくて1よりも小さい数字を分数で表わせば、この分数は0と1の間に無限に存在する。同じ事が当然、1と2の間、2と3の間でも成立する。つまり、『隣り合う整数と整数の組』は整数の数だけ『無限』に存在し、その『無限』の中にも分数が『無限』に存在するんだ。つまり、分数――より正確には『有理数の全体』は『整数の全体』にとって『更に上位の無限』と考えられるんだ」

 

 この段階で新(しん)兒(じ)は既にチンプンカンプンといった様子だったが、付いて行ける者はその意味するところに戦慄を覚え、青(あお)褪(ざ)めていた。

 

「そして、この『無限の階層』には上限が無い。つまり『無限』には『無限の段階』が存在するということも、数学的に証明されているらしい」

「ならば私(わたし)達にとっての『無限』である『神の領域』にも更に上の『無限』が存在するという結論に論理的に至るという訳ね……」

 

 魅(み)琴(こと)は少し考え、何かに気付いた様に息を呑んだ。

 そして蛟(みずち)乃(の)神(かみ)に問(とい)質(ただ)す。

 

「蛟(みずち)乃(の)神(かみ)殿下、その話、どなたから教わったのですか?」

「兄様だよ。現神(じん)皇(のう)・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)。あの人の本業は数学者だからね。解り易(やす)く丁寧に教えてくれた。そう、貴女(あなた)と同じ事を僕(ぼく)らも懸念している。つまり、数学者の兄様は『認識』しているんだよ。『無限の領域』を……」

 

 それは恐るべき、あまりにも絶望的な推察だった。

 

「獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)は『神の領域』の先を認識していた……。それも、その先が無限に存在することすら……」

「ああ。兄様は如何なる存在と相対しても、その相手にとって『無限大』たり得る。だから兄様は、獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)は『絶対強者』なんだ」

 

 沈黙が食堂を包み込んだ。

 航(わたる)や魅(み)琴(こと)からすれば「何の為に呼び出されたのか」と言いたいところだろう。

 だが、勿(もち)論(ろん)無意味などではない。

 

「しかしだ、妾(わらわ)達は寧(むし)ろ其処にこそ兄様を止める鍵があると確信している。その鍵を抉(こ)じ開(あ)けることが出来るとすれば、岬(さき)守(もり)航(わたる)・麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)、君(きみ)達の力だとね」

 

 窓から食卓に、一筋の光が差し込んでいた。

 神(じん)皇(のう)が秘めた絶望の話は終わり、ここからは航(わたる)達が担う希望の話である。

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