十桐綺葉を始めとした、皇國正統政府の面々は一様に項垂れていた。
神皇を排除しようという大逆の密談が、よりにもよって神皇本人に漏れてしまっていた。
日本国の面々は映像の中の彼に釘付けになっている。
そして弟妹は顔を強張らせながらも、真直ぐと兄・神皇の映像と向き合っていた。
「いつから……聞いていたのですか……?」
『それは安心せよ』
神皇は然も、怯えて興奮する弟妹を落ち着かせる様に穏やかな口調で言い聞かせる。
『今回は汝らが集まっているのを感じて、解散する頃合いを見計らって通信を入れただけだ。以前、明治日本の閣僚に小級為動機神体を使って通信したことがあるのだが、その時は少々怖がらせてしまったようなのでな。今回は細心の注意を払い、映写機が切れると同時に自動で通信が開始されるように計らいつつ、通信の前に一言断りを入れるようにしたのだ。故に、通信開始前に汝らが話していたことは一切聞いていない。明治日本にはそれも一つの威圧になってしまった様な気がしたのでな。気を遣っておいた』
つまり、この場で行われていた話し合いについて、彼に筒抜けであったという訳ではないと言いたいらしい。
神皇は冗談めかした風に肩を竦め、笑って見せていた。
屹度彼の中では、今でも変わらず掛け替えの無い家族と接して欲しいのだろう。
「兄様……」
蛟乃神は固唾を呑んだ。
決意はした筈だが、いざ本人を前にすると身が竦んでしまうといったところか。
しかしそれでも、彼は言わなければならない。
「兄様、此度の狼藉、どうか今すぐおやめください」
『ふむ……』
神皇の表情から笑みが消えた。
敵対しようとしている今となっては、その変化が何よりも恐ろしい。
何せこの男は、相手を殺すと決めたら一切の躊躇いを見せないのだ。
食堂は耐え難い緊張に包まれていた。
「兄様……」
そんな中、蛟乃神は次の言葉を紡ぐ。
「もしおやめいただけないのならば、僕は貴方に取って代わらなければならなくなる。貴方を敵として、排除しなければならなくなるのです。僕はそんなこと、そんな恐ろしいこと、したくはありません」
『ならば汝の方こそやめておけば良いではないか?』
兄からの身も蓋もない問い掛けに、蛟乃神は目を眇める。
『悪いことは言わん、大人しく時が来るのを待て。俺は汝らに素晴らしい未来を齎そうとしているのだ。何も、無理をして道理を貫く必要は無い。その姿勢は美しく立派だと思うし、寧ろ褒めてやりたいところだが、俺としても弟妹と対立はしたくない』
「兄様、貴方は御自分が道理に適わぬことをやろうとしているとお認めになっているではありませんか!」
『汝らも汝らなりの道理・信念・大義に基づき行動していることは解る。汝らもまた日本人なのだからな。だが、それが常に報われるとは限らぬ。況してや今回は、汝らが背に描いた純白の睡蓮華は決して報われぬ滅びの徒花となるであろう。美しく咲き誇る花を摘むのは気に病まれるというもの』
神皇は眉根を寄せ、訴える様な眼で蛟乃神を説得しようとしている。
おそらく、彼はただ自分の素直な心情を語っているだけだ。
蛟乃神や、この場に集まった者の決意を美しい花に喩えるのも、それを摘みたくないというのも、屹度本心に違い無い。
だが同時に、説得が受け容れられない場合は断腸の思いで摘むと宣言もしている。
『それに、だ。抑も賢智よ……』
神皇の眼に氷の様な冷たい光が宿る。
『俺を排除すると言うが、その後の皇國はどうするつもりなのだ? 皇國は今、この俺の神為で保っている。俺にとって皇國を支えるのは容易いが、汝と深花の神為では安定させるのは極めて困難であろう。戦時中は能く頑張ったと思うが、これから死ぬまであの様なことを続けるつもりなのか?』
「っ……!」
蛟乃神の表情が苦悩に歪む。
そんな彼に、この場の視線が残らず集まっていた。
こればかりは神皇の言うことも尤もだろう。
今までの皇國は「神の領域」に到達した二代の神皇の神為に依って支えられていた。
確かに戦時中、先代神皇が伏せった際には龍乃神と蛟乃神の二人でその代役を果たしたが、日々の片手間で済んでいた二代の神皇とは異なり、皇國という超文明大国全てのエネルギーとインフラを支え続けるというのは、弟妹にとってはそれだけに付き切りで専念し続けなければならない重労働だった。
その様な為体で果たしてこの先、皇國をどうやって支えるつもりなのか――この問い自体は神皇にしては珍しく真当なものだろう。
「兄様……」
そんな兄に対し、蛟乃神は大きく深呼吸した後、答える。
「僕は予てより、皇國が他の日本に有る天日嗣を求めて侵略を繰り返す様なことは終わりにすべきだと考えていました。その為には、神為に依存した現在の国家体制から脱却しなければならない」
『ほう……。立派な心掛けだが、一朝一夕で切り替えられるものでもあるまい。汝の構想が実現するには、まず間違い無く数十年の時を要するであろう』
「はい、そうでしょうね……」
蛟乃神は姉と眼を合わせた。
龍乃神はそんな弟に小さく微笑みを返す。
そして二人は互いに頷き、兄帝に真直ぐ向き合う。
「だから僕と姉様はそれまでの間の繋ぎとなります。皇國が神為を脱却し、他国を侵略する必要の無い国になれるように……。僕達はその為に、残りの生涯の全てを捧げます」
食堂を響めきが包み込んだ。
龍乃神と蛟乃神の二人は、想像以上に並々ならぬ覚悟でこの場に臨んでいた。
特に驚いていたのは航や魅琴を始めとした日本国の面々である。
彼らは今、皇國が三種の神器を求める限りいつ再び仕掛けてくるか分からないという日本国の憂いを終わらせると宣言したのだ。
『……そうか』
弟妹の覚悟が通じたのか、神皇は眼を閉じて返答を呑み込む様な相槌を打った。
『汝らの思いは能く解った。だがその上で、俺は兄として汝らの生涯をその様な形で費やさせたいとは思わん。汝等にはもっと輝かしい未来があるべきだ。俺に全て任せておけば、俺は必ずそれを用意してやれる。出来れば考え直してほしい』
神皇はそう言うと、食堂の扉の方へ目を遣った。
『もう一人居るであろう。引き返す機会を与えたい。入って参れ』
食堂の扉がゆっくりと開いた。
どうやら一人、盗み聞きしていた者が居たらしい。
徐に、恐る恐る、その女は食卓へと歩み寄り、そして龍乃神と蛟乃神のすぐ後に跪いた。
「皆様、御無礼を御許しください。陛下、もう一度貴方様に謁えられし僥倖を賜れたこと、恐悦至極に存じます」
『うむ、苦しうない。面を上げよ、敷島』
敷島朱鷺緒は主の命に従い、ゆっくりとその顔を上げた。
その場の視線が彼女に集まっている。
『敷島、俺ももう一度汝と話がしたいと思っていた。貴龍院との仲違いの件、誠に残念だ。俺としては今でも汝に戻って来て欲しいと思っている。汝さえ良ければ、全てを水に流して再び俺の側に受け容れても良い』
神皇は愁いに満ちた眼で、縋る様な眼で敷島を見下ろしていた。
『願わくは、深花と賢智のことも汝から説得してはくれまいか? このような企てなど、誰も得はしない。俺はもう、日本人が己の至純の想いに殉じて散る様など見たくはないのだ』
「陛下……」
敷島の眼もまた悲しみに潤んでいた。
その胸に秘めたる想いを抱き締める様に、彼女は主君に微笑んでみせる。
「陛下、私の胸には今も、いつまでも貴方様への誠の想いが輝き続けております。敷島朱鷺緒は、貴方様の誇り高き近衛で御座います」
『そ、そうかそうか。では……!』
安堵した様に表情を綻ばせた神皇であったが、敷島は微笑みを浮かべたまま首を振る。
彼の表情は再び曇った。
『駄目……か……』
「ええ、申し訳御座いません陛下。私も、今の貴方様のなさろうとしている御暴挙に従属することは出来ません。私は畏れ多くも貴方様に御救いいただいた己を、貴方様に賜ったこの名を、これ以上汚すことなど出来ないのです」
敷島は泣きそうな表情で笑顔を作る。
「ですから陛下、此処でお別れです。貴方様に出会えて、私は悍ましい呪いの人生から解放していただいて、感謝に言葉も御座いません。本当に、本当にありがとうございました……!」
『敷島……』
神皇の眼が再び弟妹へと移る。
二人の表情も揺るがない。
『そうか、汝らの誰一人として意思は変わらんということか……』
神皇は深い為息を吐いた。
『あいわかった、長い対立になりそうで残念だ。だが、そこまで言うならば詮方あるまい』
「兄様、貴方が考えを改めて頂ければこの対立は今すぐにでも終わります」
『それはならん。これは絶対に必要なことだ。日本人の受難は終わらせなければならない。真の安寧の為に』
今、両者は完全に決裂した。
神皇は再び溜息を吐いた。
映像が足下から消えていく。
その間際、彼は改めて言い残す。
『ではさらばだ。と言っても、まだ勅命の日まで充分な期間がある。気が変わったらいつでも連絡するように。その時は歓迎し、全てを水に流そう』
神皇の映像は完全に姿を消した。
恐ろしく長い、まるで一生分の時を費やしたかの様な通信だった。
「嗚呼、敵対してしまったな……。はっきりと宣言してしまった……」
龍乃神と蛟乃神は気が抜けた様に笑い合っていた。
敷島は天を仰ぎつつも、決意に満ちた眼をしている。
この三人は退路を断たれ、寧ろ心が晴れたようだ。
しかし、正統政府のその他の面々は暗い顔を並べていた。
今彼らは、神皇に面と向かって敵対を宣言してしまったのだ。
これは只事ではなく、まさに彼らを乗せた滑車が谷底へ向けて急加速したことを意味する。
「最早……後には退けんということか……!」
「今更神皇陛下に降る訳には行きませんね……!」
十桐綺葉・灰祇院在清の二人はそれでもまだ己の選択を噛み締めている。
だがその他の者達――甲烏黝・公殿零鳴・丹桐士糸・そして芳原輝太郎は恐怖に震え上がっていた。
「終わった……! 今度こそ本当に終わった……! 神皇陛下の前で……大逆を宣言してしまった……!」
丹桐などはいつぞやの様に絶望を漏らしていた。
「俺達は……あんなのと戦うってのかよ……!」
「あれが……今の神皇……! 世界にたった一人で絶滅戦争を仕掛けようという、私達の敵……!」
虻球磨新兒と繭月百合菜も、映像越しとは言え神皇の圧倒的存在感にすっかり気圧されていた。
「最早俺達の知る彼ではなさそうだな……!」
根尾弓矢もまた、どうにか気力で踏み止まっていると言った様子だ。
折角頭目達が覚悟を決めたというのに、他の者達はすっかり悪い空気に飲まれてしまっていた。
「おいおい、みんな何ビビってるんだよ」
そんな中、一人の青年が活を入れる。
岬守航は、まさに神皇と直接戦う使命を負った本人もまた揺らいでいなかった。
「元々死ぬ覚悟の、絶望的な戦いなんだろ? だったら僕達に出来ることは、精々やれることをやれるだけやり尽くして足掻いて足掻いて足掻きまくることだけじゃないか」
「航の言うとおりだわ」
麗真魅琴も航に同意した。
彼女もまた航と運命を同じくしているが、決死の戦いを挑むのは彼女の方が先輩である。
「今更嘆いても仕方が無い。ここに集まったからには既に覚悟は決めていた筈。最後まで戦って戦って戦い抜きましょう。最期の最期まで」
二人に活を入れられ、食堂は幾分か明るさを取り戻した。
何より最も重責を背負っている二人にこう言われては、いつまでも下を向いている訳にもいかないだろう。
「さあ、始めよう! 僕達の、最期の戦いを!」
斯くして、皇國正統政府は神皇と決定的に対立し、旗揚げと相成った。
だが彼らの行く手には神皇以外にも多くの者が立ち塞がることになるのだ。
そう、神皇には彼の背後で蠢く恐るべき黒幕集団と、彼を持ち上げようと暴走する狂信の軍団が取り巻いているのだ。