日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百九話『恩讐』 序

 十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)を始めとした、皇(こう)國(こく)正統政府の面々は一様に項(うな)垂(だ)れていた。

 神(じん)皇(のう)を排除しようという大逆の密談が、よりにもよって神(じん)皇(のう)本人に漏れてしまっていた。

 日本国の面々は映像の中の彼に釘(くぎ)付(づ)けになっている。

 そして弟妹は顔を強(こわ)張(ば)らせながらも、真(まつ)直(す)ぐと兄・神(じん)皇(のう)の映像と向き合っていた。

 

「いつから……聞いていたのですか……?」

『それは安心せよ』

 

 神(じん)皇(のう)は然(さ)も、怯(おび)えて興奮する弟妹を落ち着かせる様に穏やかな口調で言い聞かせる。

 

『今回は汝(なれ)らが集まっているのを感じて、解散する頃合いを見計らって通信を入れただけだ。以前、明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)の閣僚に小(しょう)級(きゅう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)を使って通信したことがあるのだが、その時は少々怖がらせてしまったようなのでな。今回は細心の注意を払い、映写機が切れると同時に自動で通信が開始されるように計らいつつ、通信の前に一言断りを入れるようにしたのだ。故に、通信開始前に汝(なれ)らが話していたことは一切聞いていない。明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)にはそれも一つの威圧になってしまった様な気がしたのでな。気を遣っておいた』

 

 つまり、この場で行われていた話し合いについて、彼に筒抜けであったという訳ではないと言いたいらしい。

 神(じん)皇(のう)は冗談めかした風に肩を竦(すく)め、笑って見せていた。

 屹(きつ)度(と)彼の中では、今でも変わらず掛け替えの無い家族と接して欲しいのだろう。

 

「兄様……」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は固(かた)唾(ず)を呑(の)んだ。

 決意はした筈(はず)だが、いざ本人を前にすると身が竦んでしまうといったところか。

 しかしそれでも、彼は言わなければならない。

 

「兄様、此(こ)度(たび)の狼(ろう)藉(ぜき)、どうか今すぐおやめください」

『ふむ……』

 

 神(じん)皇(のう)の表情から笑みが消えた。

 敵対しようとしている今となっては、その変化が何よりも恐ろしい。

 何せこの男は、相手を殺すと決めたら一切の躊(ため)躇(ら)いを見せないのだ。

 食堂は耐え難い緊張に包まれていた。

 

「兄様……」

 

 そんな中、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は次の言葉を紡ぐ。

 

「もしおやめいただけないのならば、僕(ぼく)は貴方(あなた)に取って代わらなければならなくなる。貴方(あなた)を敵として、排除しなければならなくなるのです。僕(ぼく)はそんなこと、そんな恐ろしいこと、したくはありません」

『ならば汝(なれ)の方こそやめておけば良いではないか?』

 

 兄からの身も蓋(ふた)もない問い掛けに、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は目を眇(すが)める。

 

『悪いことは言わん、大人しく時が来るのを待て。俺(おれ)は汝(なれ)らに素晴らしい未来を齎(もたら)そうとしているのだ。何も、無理をして道理を貫く必要は無い。その姿勢は美しく立派だと思うし、寧(むし)ろ褒めてやりたいところだが、俺(おれ)としても弟妹と対立はしたくない』

「兄様、貴方(あなた)は御自分が道理に適(かな)わぬことをやろうとしているとお認めになっているではありませんか!」

『汝(なれ)らも汝(なれ)らなりの道理・信念・大義に基づき行動していることは解(わか)る。汝(なれ)らもまた日本人なのだからな。だが、それが常に報われるとは限らぬ。況(ま)してや今回は、汝(なれ)らが背に描いた純白の睡(すい)蓮(れん)華(か)は決して報われぬ滅びの徒(あだ)花(ばな)となるであろう。美しく咲き誇る花を摘むのは気に病まれるというもの』

 

 神(じん)皇(のう)は眉根を寄せ、訴える様な眼で蛟(みずち)乃(の)神(かみ)を説得しようとしている。

 おそらく、彼はただ自分の素直な心情を語っているだけだ。

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)や、この場に集まった者の決意を美しい花に喩(たと)えるのも、それを摘みたくないというのも、屹度本心に違い無い。

 だが同時に、説得が受(う)け容(い)れられない場合は断腸の思いで摘むと宣言もしている。

 

『それに、だ。抑(そもそ)も賢(けん)智(ち)よ……』

 

 神(じん)皇(のう)の眼に氷の様な冷たい光が宿る。

 

『俺(おれ)を排除すると言うが、その後の皇(こう)國(こく)はどうするつもりなのだ? 皇(こう)國(こく)は今、この俺(おれ)の神(しん)為(い)で保(たも)っている。俺(おれ)にとって皇(こう)國(こく)を支えるのは容(た)易(やす)いが、汝(なれ)と深(み)花(か)の神(しん)為(い)では安定させるのは極めて困難であろう。戦時中は能(よ)く頑張ったと思うが、これから死ぬまであの様なことを続けるつもりなのか?』

「っ……!」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の表情が苦悩に歪(ゆが)む。

 そんな彼に、この場の視線が残らず集まっていた。

 

 こればかりは神(じん)皇(のう)の言うことも尤(もつと)もだろう。

 今までの皇(こう)國(こく)は「神の領域」に到達した二代の神(じん)皇(のう)の神(しん)為(い)に依(よ)って支えられていた。

 確かに戦時中、先代神(じん)皇(のう)が伏せった際には龍(たつ)乃(の)神(かみ)と蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の二人でその代役を果たしたが、日々の片手間で済んでいた二代の神(じん)皇(のう)とは異なり、皇(こう)國(こく)という超文明大国全てのエネルギーとインフラを支え続けるというのは、弟妹にとってはそれだけに付き切りで専念し続けなければならない重労働だった。

 その様な為体(ていたらく)で果たしてこの先、皇(こう)國(こく)をどうやって支えるつもりなのか――この問い自体は神(じん)皇(のう)にしては珍しく真(まっ)当(とう)なものだろう。

 

「兄様……」

 

 そんな兄に対し、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は大きく深呼吸した後、答える。

 

「僕(ぼく)は予(かね)てより、皇(こう)國(こく)が他の日本に有る天(あま)日(のひ)嗣(つぎ)を求めて侵略を繰り返す様なことは終わりにすべきだと考えていました。その為(ため)には、神(しん)為(い)に依存した現在の国家体制から脱却しなければならない」

『ほう……。立派な心掛けだが、一(いつ)朝(ちよう)一(いつ)夕(せき)で切り替えられるものでもあるまい。汝(なれ)の構想が実現するには、まず間違い無く数十年の時を要するであろう』

「はい、そうでしょうね……」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は姉と眼を合わせた。

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)はそんな弟に小さく微(ほほ)笑(え)みを返す。

 そして二人は互いに頷(うなず)き、兄(あに)帝(みかど)に真直ぐ向き合う。

 

「だから僕(ぼく)と姉様はそれまでの間の繋(つな)ぎとなります。皇(こう)國(こく)が神(しん)為(い)を脱却し、他国を侵略する必要の無い国になれるように……。僕(ぼく)達はその為に、残りの生涯の全てを捧(ささ)げます」

 

 食堂を響(どよ)めきが包み込んだ。

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)と蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の二人は、想像以上に並々ならぬ覚悟でこの場に臨んでいた。

 特に驚いていたのは航(わたる)や魅(み)琴(こと)を始めとした日本国の面々である。

 彼らは今、皇(こう)國(こく)が三種の神(じん)器(ぎ)を求める限りいつ再び仕掛けてくるか分からないという日本国の憂(うれ)いを終わらせると宣言したのだ。

 

『……そうか』

 

 弟妹の覚悟が通じたのか、神(じん)皇(のう)は眼を閉じて返答を呑(の)み込(こ)む様な相(あい)槌(づち)を打った。

 

『汝(なれ)らの思いは能く解った。だがその上で、俺(おれ)は兄として汝(なれ)らの生涯をその様な形で費やさせたいとは思わん。汝(なれ)等にはもっと輝かしい未来があるべきだ。俺(おれ)に全て任せておけば、俺(おれ)は必ずそれを用意してやれる。出来れば考え直してほしい』

 

 神(じん)皇(のう)はそう言うと、食堂の扉の方へ目を遣った。

 

『もう一人居るであろう。引き返す機会を与えたい。入って参れ』

 

 食堂の扉がゆっくりと開いた。

 どうやら一人、盗み聞きしていた者が居たらしい。

 徐(おもむろ)に、恐る恐る、その女は食卓へと歩み寄り、そして龍(たつ)乃(の)神(かみ)と蛟(みずち)乃(の)神(かみ)のすぐ後に跪(ひざまず)いた。

 

「皆様、御無礼を御(お)許(ゆる)しください。陛下、もう一度貴方(あなた)様に謁(まみ)えられし僥(ぎよう)倖(こう)を賜(たまわ)れたこと、恐(きよう)悦(えつ)至(し)極(ごく)に存じます」

『うむ、苦しうない。面を上げよ、敷(しき)島(しま)』

 

 敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)は主の命に従い、ゆっくりとその顔を上げた。

 その場の視線が彼女に集まっている。

 

『敷(しき)島(しま)、俺(おれ)ももう一度汝(なれ)と話がしたいと思っていた。貴(き)龍(りゅう)院(いん)との仲(なか)違(たが)いの件、誠に残念だ。俺(おれ)としては今でも汝(なれ)に戻って来て欲しいと思っている。汝(なれ)さえ良ければ、全てを水に流して再び俺(おれ)の側に受け容れても良い』

 

 神(じん)皇(のう)は愁(うれ)いに満ちた眼で、縋(すが)る様な眼で敷(しき)島(しま)を見下ろしていた。

 

『願わくは、深(み)花(か)と賢(けん)智(ち)のことも汝(なれ)から説得してはくれまいか? このような企(くわだ)てなど、誰も得はしない。俺(おれ)はもう、日本人が己の至純の想(おも)いに殉じて散る様など見たくはないのだ』

「陛下……」

 

 敷(しき)島(しま)の眼もまた悲しみに潤んでいた。

 その胸に秘めたる想いを抱き締める様に、彼女は主君に微笑んでみせる。

 

「陛下、私(わたくし)の胸には今も、いつまでも貴方(あなた)様への誠の想いが輝き続けております。敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)は、貴方(あなた)様の誇り高き近衛で御座います」

『そ、そうかそうか。では……!』

 

 安(あん)堵(ど)した様に表情を綻(ほころ)ばせた神(じん)皇(のう)であったが、敷(しき)島(しま)は微笑みを浮かべたまま首を振る。

 彼の表情は再び曇った。

 

『駄目……か……』

「ええ、申し訳御座いません陛下。私(わたくし)も、今の貴方(あなた)様のなさろうとしている御暴挙に従属することは出来ません。私(わたくし)は畏(おそ)れ多(おお)くも貴方(あなた)様に御(お)救(すく)いいただいた己を、貴方(あなた)様に賜ったこの名を、これ以上汚すことなど出来ないのです」

 

 敷(しき)島(しま)は泣きそうな表情で笑顔を作る。

 

「ですから陛下、此(こ)処(こ)でお別れです。貴方(あなた)様に出会えて、私(わたくし)は悍(おぞ)ましい呪いの人生から解放していただいて、感謝に言葉も御座いません。本当に、本当にありがとうございました……!」

『敷(しき)島(しま)……』

 

 神(じん)皇(のう)の眼が再び弟妹へと移る。

 二人の表情も揺るがない。

 

『そうか、汝(なれ)らの誰一人として意思は変わらんということか……』

 

 神(じん)皇(のう)は深い為息を吐いた。

 

『あいわかった、長い対立になりそうで残念だ。だが、そこまで言うならば詮方あるまい』

「兄様、貴方(あなた)が考えを改めて頂ければこの対立は今すぐにでも終わります」

『それはならん。これは絶対に必要なことだ。日本人の受難は終わらせなければならない。真の安寧の為に』

 

 今、両者は完全に決裂した。

 神(じん)皇(のう)は再び溜息を吐いた。

 映像が足下から消えていく。

 その間際、彼は改めて言い残す。

 

『ではさらばだ。と言っても、まだ勅命の日まで充分な期間がある。気が変わったらいつでも連絡するように。その時は歓迎し、全てを水に流そう』

 

 神(じん)皇(のう)の映像は完全に姿を消した。

 恐ろしく長い、まるで一生分の時を費やしたかの様な通信だった。

 

「嗚呼(ああ)、敵対してしまったな……。はっきりと宣言してしまった……」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)と蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は気が抜けた様に笑い合っていた。

 敷(しき)島(しま)は天を仰ぎつつも、決意に満ちた眼をしている。

 この三人は退路を断たれ、寧ろ心が晴れたようだ。

 

 しかし、正統政府のその他の面々は暗い顔を並べていた。

 今彼らは、神(じん)皇(のう)に面と向かって敵対を宣言してしまったのだ。

 これは只(ただ)事(ごと)ではなく、まさに彼らを乗せた滑車が谷底へ向けて急加速したことを意味する。

 

「最(も)早(はや)……後には退けんということか……!」

「今更神(じん)皇(のう)陛下に降る訳には行きませんね……!」

 

 十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)・灰(かい)祇(ぎ)院(いん)在(あり)清(きよ)の二人はそれでもまだ己の選択を噛(か)み締(し)めている。

 だがその他の者達――甲(きのえ)烏(う)黝(くろ)・公(く)殿(でん)零(ふる)鳴(なり)・丹(に)桐(どう)士(あき)糸(つら)・そして芳(よし)原(はら)輝(き)太(た)郎(ろう)は恐怖に震え上がっていた。

 

「終わった……! 今度こそ本当に終わった……! 神(じん)皇(のう)陛下の前で……大逆を宣言してしまった……!」

 

 丹(に)桐(どう)などはいつぞやの様に絶望を漏らしていた。

 

「俺(おれ)達は……あんなのと戦うってのかよ……!」

「あれが……今の神(じん)皇(のう)……! 世界にたった一人で絶滅戦争を仕掛けようという、私(わたし)達の敵……!」

 

 虻(あぶ)球(く)磨(ま)新(しん)兒(じ)と繭(まゆ)月(づき)百(ゆ)合(り)菜(な)も、映像越しとは言え神(じん)皇(のう)の圧倒的存在感にすっかり気(け)圧(お)されていた。

 

「最早俺(おれ)達の知る彼ではなさそうだな……!」

 

 根(ね)尾(お)弓(きゅう)矢(や)もまた、どうにか気力で踏(ふ)み止(とど)まっていると言った様子だ。

 折(せつ)角(かく)頭目達が覚悟を決めたというのに、他の者達はすっかり悪い空気に飲まれてしまっていた。

 

「おいおい、みんな何ビビってるんだよ」

 

 そんな中、一人の青年が活を入れる。

 岬(さき)守(もり)航(わたる)は、まさに神(じん)皇(のう)と直接戦う使命を負った本人もまた揺らいでいなかった。

 

「元々死ぬ覚悟の、絶望的な戦いなんだろ? だったら僕(ぼく)達に出来ることは、精々やれることをやれるだけやり尽くして足(あ)掻(が)いて足掻いて足掻きまくることだけじゃないか」

「航(わたる)の言うとおりだわ」

 

 麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)も航(わたる)に同意した。

 彼女もまた航(わたる)と運命を同じくしているが、決死の戦いを挑むのは彼女の方が先輩である。

 

「今更嘆いても仕方が無い。ここに集まったからには既に覚悟は決めていた筈。最後まで戦って戦って戦い抜きましょう。最(さい)期(ご)の最期まで」

 

 二人に活を入れられ、食堂は幾分か明るさを取り戻した。

 何より最も重責を背負っている二人にこう言われては、いつまでも下を向いている訳にもいかないだろう。

 

「さあ、始めよう! 僕(ぼく)達の、最期の戦いを!」

 

 斯(か)くして、皇(こう)國(こく)正統政府は神(じん)皇(のう)と決定的に対立し、旗揚げと相成った。

 だが彼らの行く手には神(じん)皇(のう)以外にも多くの者が立(た)ち塞(ふさ)がることになるのだ。

 そう、神(じん)皇(のう)には彼の背後で蠢(うごめ)く恐るべき黒幕集団と、彼を持ち上げようと暴走する狂信の軍団が取り巻いているのだ。

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