十一月十日火曜日。
神児島州は離島・胤子島、常立研究所に、二人の男女が乗り込もうとしていた。
「何か妙だな……」
根尾弓矢は研究所内から異変を感じ取っていた。
その言葉に麗真魅琴も頷く。
「そうですね。何か異様な気配が研究所内に漂っている。害意に満ちた神為が其処彼処に満ちているのは、何年か前に学校が占拠された時と似ています」
嘗て、魅琴は母校が過激派組織・崇神會廻天派によって占拠されたことがある。
彼女が駆け付けたのは幼馴染・岬守航の奮戦もあって解決した後だったが、それでもまだ残存神為を感じることは出来ていた。
この研究所は何者かに占拠されているのではないか――魅琴と根尾はそう考えていた。
「いらっしゃい、お二人さん」
そんな二人の背後に、一人の長身の男が音も無く顕れた。
細い眼をした、厭らしい顔付きの青年だった。
年の頃は根尾よりやや若いくらいか。
「ようこそ、常立研究所へ。……と言いたいところやけど、今は一寸間が悪いなぁ。神皇陛下肝煎りの計画の真最中やいうことで、別に陛下が何か勅命を下され給うた訳やないけど、気を利かせた皇道保守黨の皆さんが研究所を占拠しなはってなぁ。そういう訳で今は一寸時期が悪いから、見学なら来年以降にしはった方がええよ」
男の放つ凄まじい威圧感に、根尾は思わず後退って構えた。
「失礼ですが、貴方は?」
「これはこちらこそ失礼しました。灰祇院侯爵家当主・灰祇院靜業といいます。どうぞよろしゅう」
灰祇院靜業――龍乃神深花の侍従・灰祇院在清の兄で、革命動乱の中殺害された父親に代わって侯爵位を受け継いだ青年である。
そして、灰祇院家は旧八月革命でヤシマ人民民主主義共和国が成立した折に臣籍降下させられた旧皇族でもある。
根尾が気圧されるのも納得の、由緒正しき血筋の名家なのだ。
「灰祇院侯爵……。龍乃神殿下からの皇籍復帰願いを断ったという、旧皇族の……!」
「あら、もうそないなことまで伝わってるの。全く、龍乃神殿下も蛟乃神殿下も無茶なことしはるわ。あの神皇陛下に刃向こうて逆賊にならはったとか、正気? その上僕まで巻き込もうやなんて、ほんまに敵わん話やで」
一見、冗談めかして談笑する様な素振りを見せる灰祇院侯爵だが、その眼は笑っていない。
魅琴と根尾に対する明らかな敵意が見え透いていた。
それを受け、魅琴は一歩前へ出る。
「その貴方がまたどうしてこんなところに?」
「いやね、一寸親友の為に一肌脱いだろ思て。僕と陛下は同い年の親戚で莫逆の間柄やねん。昔からよう気が合うてなぁ……。先の動乱で皇位が動く前までは、そらもう仲良うお付き合いさせてもろてたんや」
侯爵は敵意に満ちた笑みを浮かべた。
「その陛下の大望を畏れ多くも邪魔立てする輩がおるいう話やんか。こら、黙って見とれんよねぇ……!」
「成程、弟さんが呆れる訳ね。龍乃神殿下も、そういう関係だからこその諫言を期待していたでしょうに……」
魅琴は冷徹に侯爵を見詰め、構えを取った。
「その性根、叩き直してやるわ。覚悟しなさいね」
「あら怖い。女の子がそない野蛮なこと言うもんやないよ。僕、女権擁護者やさかい、君みたいなお嬢さんには優しうしたげたいんやけどなぁ……」
侯爵は関節を鳴らしながら拳を握り締める。
「言うとくけど僕、これでも旧皇族の当主やさかいね。はっきり言うて六摂家当主より強いよ?」
「御託は良いからさっさとかかって来なさい。二度とそのニヤけ面を晒せないようにしてやるから」
「ふーん……。なら僕は君のこと、綺麗な顔のまま寝かしつけたるわ!」
侯爵の姿が消えた。
目にも留まらぬ凄まじい速度で魅琴との間合いを詰めたのだ。
だがその刹那、彼の顔面に魅琴の拳が突き刺さっていた。
「ぐはっ! このっ……!」
魅琴に殴られた侯爵は蹌踉めきつつ距離を取る。
そんな敵の反応を見て、魅琴は少しだけ眉根を寄せた。
この男、口先だけではない――今の一撃で、魅琴は敵の確かな実力を感じ取ったのだ。
「私の拳を真面に受けて倒れないとは、どうやら本当に六摂家当主と同格以上の力は有るようね」
「女ァ……!」
侯爵は口を拭い、魅琴を睨んでいた。
しかし、彼女の一撃を受けて怯んでいない様子が既に彼の力を物語っている。
そして、彼にはまだ手が残されているらしい。
「出来れば使いたなかったけどなァ……。でもそうも言うてられんみたいやし、遠慮無う使わしてもらうよ。僕の術識神為をなァ……!」
侯爵の言葉が終わると同時に、彼の体から球状に藤色の光が拡がった。
その光に包まれた瞬間、魅琴は蹌踉めき根尾はその場に倒れる。
「なっ、これは……! しまった、力が……!」
「ははははは! これが僕の能力や! 広範囲に拡がる藤色の光を受けた者から力の半分を吸い取り、自分に加算する! 更に、吸い取る前に力を好きなだけ弱体化させることも可能! お嬢ちゃん、君の力を極限まで弱体化させた上で更にその半分を貰うたよ! これでもう僕に勝てる道理は無くなったいうことや! 大人しうしてたら痛い目に遭わずに済んだのになァ!」
藤色の光は逆に侯爵へと収束し、彼の体を包み込んだ。
そしてその神々しい輝きを纏い、侯爵は再び魅琴に飛び掛かる。
が、その瞬間に彼の全身から血が噴き出した。
「なん……やと……!?」
倒れ伏す侯爵を見下ろし、魅琴は露骨に溜息を吐く。
「やれやれ、先刻は少しだけ感心したけれど、結局お前も能力に感けた愚物だったということね」
「な、何ィ……? な、なんでや? 君の力は先刻把握した筈や! せやから吸収能力の許容量を超えんように予め極限まで弱体化させたのに……!」
「簡単な話よ。私の力が弱体化の許容量を超えていた。精々が一京分の一に落とすのが限度、それでもお前如きが扱えるものではなかったということ」
「あ、阿呆な……! そない理不尽な話があって堪るか……!」
屈辱に震える侯爵は尚も立ち上がろうと、震える手を地面に突く。
魅琴は面倒そうに再び溜息を吐いた。
「まあ現実を受け容れるも受け容れないも勝手にしなさい。何方にせよ、お前の負けよ」
そう言うと、魅琴は侯爵の後頭部を踏み付け、彼を気絶させた。
灰祇院靜業、旧皇族の名に違わぬ強敵ではあったのだろうが、終わってみれば魅琴の圧勝だった。
「根尾さん、立てますか?」
「ああ、どうやら俺は力の半分程を奪われるだけで済んだらしい。君でなければ殺られていた、恐ろしい相手だった」
根尾は魅琴の手を取って立ち上がると、再び目的地の研究所を見上げる。
最初の敵は倒したが、此処から先にもまだ施設を占拠する皇道保守黨の軍人達が待ち受けている。
「行きましょう」
「ああ」
二人は研究所の正門を飛び越え、敷地内へと侵入した。
⦿⦿⦿
同じ日の昼前。
岬守航はこの日、皇國正統政府の暫定総理大臣・芳原輝太郎を日本国へ亡命させることになっていた。
方法は前日に打ち合わせたとおり、摂関家の所有する皇國の超級為動機神体・ミロクサーヌを使って自衛隊の超級為動機神体・スイゼイと接触し、空中で芳原を受け渡すという手筈になっている。
予定では、例によって甲邸跡地に搭乗するミロクサーヌが届けられる筈だ。
航は受け渡しに協力することになっている虻球磨新兒・繭月百合菜両名と、旧甲邸の庭でミロクサーヌの到着を待っていた。
「芳原のオッサンは何処よ?」
「護衛対象だから、機体が到着してから連絡して此方に届けてもらうそうよ」
新兒と繭月が背後でそんな話をしている中、航は胸騒ぎを感じていた。
というのも、現在彼らを取り巻く状況は様々な想定外に見舞われているからだ。
抑も、航達は本来こんな所で待たされる筈ではなかった。
摂関家連合兵団が統京都内の六摂家邸宅からミロクサーヌを旧甲邸跡地に運搬し、到着を待ってから十桐綺葉の能力で芳原と一緒に送り出されることになっていた。
だが二つの理由でそうも行かなくなったのだ。
(統京都内に持っていた超級が昨日のうちに悉く破壊されていた。更に、各地での貴族私兵と皇道保守黨系軍人の衝突……。明らかに誰かが何かを企んで動いている)
航達が旧甲邸跡地で待機することになったのは、摂関家連合兵団の動かせる超級が都内から消えてしまった為だ。
六摂家は主に関西方面に領地を持ち、其方から統京へ超級を移動させることは可能である。
だが、向こうの操縦士には統京の土地勘が無い為、目印として航達が目的地に待機しておく必要が生じてしまった。
更に、この日から皇國正統政府の貴族達は政界や法曹界に向けて下準備の工作を始めたのだが、それに合わせるかの様に貴族の私兵と皇道保守黨が各地で衝突した。
十桐ら六摂家当主はこれを鎮圧すべく、一旦龍乃神邸を離れなくてはならなくなった。
(御陰で今、僕達はこの旧甲邸跡地で孤立無援の状態に立たされている。明らかに、誰かにそう仕組まれて……)
とその時、新兒が西の空を指差した。
「おいお前ら、どうやら来たみたいだぜ」
航と繭月も、新兒の指の先に目を遣った。
蚊程の小さな点が、一気に巨大化してすぐ近くにまで迫る。
超音速の飛行から急減速し、超級為動機神体・ミロクサーヌが航達の目の前に降り立った。
『岬守航さんですね。十桐公爵家執事の八角と申します。御注文の超級為動機神体・ミロクサーヌをお持ちしました』
「ご苦労様でーす!」
航はほっと胸を撫で下ろした。
後は龍乃神邸に連絡し、芳原輝太郎と超級為動機神体・カムヤマトイワレヒコの直靈彌玉を積んで出発すれば良い。
ミロクサーヌの胸が開き、中から一人の壮年男が顔を覗かせる。
が、その時航は全身に強烈な害意を感じ取った。
何かが来る、恐ろしい暴を伴って。
「飛び降りろ!」
航が呼び掛けた瞬間、ミロクサーヌは後から凄まじい衝撃を受けて粉々に砕けた。
巨大な金属の塊が旧甲邸跡地に飛び散る。
八角を名告る十桐公爵家の執事は頸が曲がってはいけない方向に圧し折れた姿で投げ出されていた。
「まだ連絡するのは早いぞ、岬守航……」
激しい音を立てて落下する破片の中、一人の偉丈夫が槍を携えて舞い降りた。
中世の武士を思わせるその男は、鍛え抜かれた肉体を見せ付ける様に航達の前に仁王立ちする。
航はこの男を知っている。
「推城……朔馬!」
神瀛帯熾天王の一人、多聞天・推城朔馬――皇道保守黨の元青年部長で、甲夢黝や能條緋月の秘書として皇國の政界に入り込んでいた男だ。
襲撃してきた彼の姿を見て、航は全てを理解した。
「やはり全部お前の仕業だったのか……。六摂家の超級が破壊されたのも、貴族と皇道保守黨が衝突したのも……!」
「然様。邪魔されたくなかったのでな、蚊帳の外へ追い遣っておいた。私の狙いは貴様だ、岬守航。余計なおまけ付きだが、まあ二人くらいならば問題無かろう」
航は両腕に光線砲ユニットを形成し、構えた。
その両隣に、新兒と繭月も並び立つ。
「おいおい聞いたかよ? 舐めてやがるぜ、こいつ」
「どの道いつかは立ちはだかってくると思っていたわ。このタイミングで正面から来てくれるのは寧ろ好都合!」
三対一の状況――航達が圧倒的に有利なのは明らかな筈だった。
しかし航は何故か不穏な気配を感じ取っていた。
何やら今までとは推城の纏う空気が違う。
「覚えているか、岬守航。我々が初めて手合わせしたのもこの場所だったな」
そう、航は今まで二度推城と戦っている。
その何れも決着は付かなかったが、最初に戦ったのは航が水徒端早辺子を救出すべく此処甲邸に乗り込んだ時だった。
「成程、お誂え向きってことか」
「その通り、決着の舞台としては相応しかろう」
推城は長槍を構えた。
過去二回とは全く異なる気迫、圧力がその立ち姿から溢れ出している。
おそらく今、航は初めて本気の推城と立ち会うのだ。
「さあ、とくと味わうが良い、我が武装神為『菊水龍尾ノ長鑓』の威力! 『多聞天』の名を借りるこの推城朔馬の大立ち回り、今こそ思い知らせてくれようぞ!」
嘗てと同じ場所で、今までとは違う両者の真の戦いが幕を開けようとしていた。