無窮為動機神体・アメノミナカヌシ内部、皇祖皇宗の廻廊。
ゴシックロリータ服を纏った美女と、軍服に外套を羽織った老翁が隣合って歩いている。
神瀛帯熾天王の首魁である広目天・貴龍院皓雪と、その同志である持国天・閏閒三入である。
「しかし、参りましたな媛様。四方や我々に下された勅命が皇道保守黨の抑制とは……」
「あの御方は日本人同士で争うを良しとしないからねぇ。彼らの忠誠心を悪くは思っていないけれど、暴走してほしくもないとお考えなのよ」
「それはそれは、随分と都合の良いことで。まあその、何もかもが自分の思い通りになって当然、誰も彼もが自分に忠実で当然、それで全てが救われて幸福になって当然という傲慢な御優しさこそ絶対強者、三千世界の大帝たる神皇陛下に相応しいのかも知れませんな……」
閏閒の神皇評に、貴龍院は黙って口角を上げた。
自分が救いたいと思った者には何処までも甘い――神皇をそう看破したのは妹の龍乃神深花であり、「夢の世界に生きている」と見ていたのが彼の許を去った元近衛侍女・敷島朱鷺緒であるが、神皇の持つそれらの本質は、閏閒が今述べたとおり「自分本位で傲慢な優しさ」で間違い無いだろう。
「それで、皇道保守黨は如何なさいますか、媛様?」
「陛下のお願いは叶えて差し上げたいところねぇ。でも、かといって彼らの思いを全く無下にしてしまうこともまた陛下は望まれないわ」
「難儀ですなぁ……」
言葉とは裏腹に、閏閒は厭らしく北叟笑んでいる。
彼は貴龍院の言わんとしていることを完璧に理解していた。
「裁量は任せるわね、三入君」
「はい。貴女の望みは満たされるでしょう」
「ええ。鬱陶しい蠅共は朔馬君が始末してくれそうだし、後はこのアメノミナカヌシをどうするか、それだけよぉ……」
二人は共に廻廊から何処かの闇の中へと足を踏み入れた。
歩く先には円卓と、大画面に甲邸跡地が映し出されている。
「朔馬君も考えたようね。確かに、如何に対抗勢力が成立しようが対抗手段が無ければ何も出来ない。岬守航さえ始末してしまえば皇國正統政府がアメノミナカヌシに到達する手段さえ無くなる」
「しかし、増長天様の様に足下を掬われなければ良いのですが……」
閏閒は円卓に着いて溜息を吐いた。
「最悪、多聞天様も戻られない事を考えねばなりますまい……」
「いいえ、それは大丈夫だと思うわ」
同じく円卓の向かいに着いた貴龍院は、映像を見詰めながら白い歯を見せて笑う。
「三入君、貴方が私の手を取ったのは随分後だから知らないだろうけど、能力を抜きにした純粋な戦闘力で言えば彼、多聞天・推城朔馬という男は私達『神瀛帯熾天王』でも最強なのよ。はっきり言って征一千君の比ではないわ」
怪訝そうに首を傾げる閏閒に対し、貴龍院は語り始める。
推城朔馬は嘗て津田左馬権助正熊という異常な強さを秘めた武将として、南北朝時代に猛威を振るった男なのだ。
「南北朝時代、彼は鋼の肉体を持つ不死身の猛将として敵方に恐れられていた。敵方、というのは、彼は初め北朝方として参戦して、義父が南朝方に帰参した為に同じく寝返っているから。南朝の武将としては余り貢献できなかったようだけれどね……」
「そういえば多聞天様は楠木正儀の養子であったとか。父の大楠公・楠木正成や兄の小楠公・楠木正行と比べて、贔屓目に言ってもぱっとしないというか……」
「それ、朔馬君の前では言わないことね。まああの時代は良かったわぁ。どうせなら共倒れさせられれば最高だったけれど」
「今の話も多聞天様の前では禁句ですな」
蝋燭の灯が二人の表情に不気味な影を落とす。
特に貴龍院の笑みは、この世の者とは思えない程に邪悪な闇を纏っていた。
「とにかく彼は異常な程強かった。それに斃れなかった、死ななかったの。普通ならば通る筈の刃が通らず、またどうにか負傷させても異様な速度で傷が塞がってしまう。更に、深手を負って大量出血してもしぶとく戦い続けるという、当時の武士達を以てしても不可思議な異人……。彼はその尋常ならざる身の丈も相俟って怪物と恐れられた」
稀に、生まれながらに神為を備えている特異な人間がいる。
当時はまだ彼の力にそのような名は付いていなかったが、膂力、感応力、耐久力、快復力、生命力は紛れも無く神為に由るものだった。
「神為なら儂も生まれ持っておりましたぞ。当時は我が先祖たる『あの御方』の加護かと思っておりましたが」
閏閒はここぞと自らの天稟を貴龍院にアピールする。
実際、彼もまた生まれながらの神為使いであった。
「そうね。私も生まれついてそういった特別な力を持つ者を同志として勧誘してきたしね。でも、神為を使える者に素の膂力が無意味かと言えば、必ずしもそうではない……」
「確かに……。我が曾孫の魅琴などは典型ですが、戦闘能力は素の力と神為に因る強化の両輪によって組み上がるものである以上、場合によっては膂力のみで神為を上回ることもあり得ますな」
「現神皇陛下もまた素の膂力のみで皇族を上回る力を発揮出来る。要するに、世の中には極々稀に素の力が異常な個体も出現する」
麗真魅琴に現神皇・叡智、他にはおそらく超級為動機神体を相手取って戦えたという一桐陶麿、八月革命動乱で神為を封じられて尚抗うことが出来た敷島朱鷺緒なども、神為の使い手を素の膂力で捻じ伏せることが出来る人物だろう。
貴龍院曰く、その列に推城朔馬も加わるらしい。
「しかし、これまでの戦いぶりを見ても多聞天様にそれ程御強い印象は御座いませぬが……」
「岬守航との二度の戦い、麗真魅琴との戦い……かしら?」
「はい。後者は相手が悪く致し方無いとは言え……」
「それはね、困ったことにそこが彼の力の難しい所なのよ……」
三度に亘って繰り広げられた彼の戦いには一つ、彼が存分に力を振るえなかった理由があった。
「朔馬君はね、ある程度戦い続けて体が温まらないとそのスイッチが入らないの。要するに彼、スロースターターなのよね、困ったことに……」
「もしや戦の中で傷付いたり深手を負ったり、というのも……」
「まだ本領を発揮していなかった時にやられてしまったそうよ。でも、いざ本気になると、味方が崩れて引かない限り彼自身は手が付けられなかった……。まさに歴史から消えた猛将、怪物ね……」
貴龍院は邪悪な微笑みを浮かべている。
彼の事績が歴史から消えたのは、彼女と契約を結んだことに起因する。
穢詛禍終は人の世を憎み人の世ならざる理に身を預けるが故、人の世に生まれ落ちたという痕跡を失ってしまうのだ。
それを鑑みれば、貴龍院の言葉は余りに他人事だった。
「まあ元々我々は媛様の御蔭で不死身で御座いますからな。皇族介入という不可測事態が無い限りは心配無用と言われればそうでしょうとも」
「それを防ぐ為に孤立させて連絡出来ないようにしたのでしょう。来るなら蛟乃神の坊やだけれど、移動はともかく情報が伝わるには龍乃神邸と旧甲邸跡地は遠過ぎるわぁ」
「まあ最悪は媛様の御力で殺してしまえますからな」
「冗談でしょう?」
貴龍院は露骨に嘲り笑った。
「私の能力を使うのも楽じゃあないのよぉ? 遠く離れていればいる程、尋常じゃない程体力を消耗する。あんな三人程度にそこまでする価値なんか無いわぁ」
貴龍院は明らかに航・新兒・繭月を侮っていた。
推城の勝利を確信し、悠々とした様子で映像を見詰め続ける。
⦿⦿⦿
甲邸跡地に於ける岬守航・虻球磨新兒・繭月百合菜と推城朔馬の戦い。
航の光線砲ユニット、新兒の氷手甲、繭月の火焔翼と結晶弾、対する推城の長槍がそれぞれ準備され、既に一触即発の様相を呈していた。
最初に動いたのは長槍の偉丈夫・推城朔馬である。
彼はその巨躯に見合わぬ速度で猛然と航に接近し、槍の一撃を突き出す。
「チィッ!!」
航はこの一撃を腕の光線砲ユニットで弾き、反対側の腕で拳を向ける。
そこへ、推城の槍の柄。
二人は互いの攻撃を弾かれ、一旦間合いを開いた。
「岬守君下がって!」
今度は繭月が空中から推城を狙う。
燃える黒い結晶が凄まじい速度で射出され、推城に襲い掛かる。
が、推城はこれを屈んで回避した。
「ふんっ!」
再び、推城が航目掛けて槍を突き上げる。
強烈な刺突が服を裂き、胸と腹が露出して血が飛び散った。
まさに紙一重、一瞬でも身を引くのが遅れていたら航は心臓を貫かれていただろう。
だが航も反撃に出る。
買わした槍を掴んで引き込み、自分は体を躱して推城の背後に回り込む。
背後を取った航は推城の後頭部を狙って光線砲を放った。
しかし、推城の姿は航の視界から消失した。
「貰った!」
今度は推城が航の背後に回り込み、背中を一突きにしようとしていた。
が、航は既に背中に強い害意を感知し、後回し蹴りを振り被っていた。
この一撃は推城の肘を強打し、槍は外れて空を切る。
空かず光線砲を推城に向ける航だったが、またしても槍の柄が航の腕を弾き、これも不発に終わった。
「俺を忘れて貰っちゃ困るぜ!」
脇から新兒が推城に襲い掛かる。
氷を纏った拳の破壊力は公爵令息すら脅威を覚える必殺の一撃だ。
推城は身を引いてこれを躱す。
「今だ岬守!」
新兒の介入で余裕が出来た航は、彼の背後から推城に光線砲を向けて撃つ。
推城は大きく跳び上がってこれを回避し、上空から航に向けて槍を振り下ろさんとしていた。
対する航は拳を空中の推城に向け、狙いを定める。
「うおおおおっ!」
「ぬうううぅっ!」
航と推城の視線が交錯。
更に新兒と繭月も下と上から推城を睨み付けている。
互いを狙う航と推城の攻撃はほぼ同時に繰り出された。
「ぐぅっ!」
結果として、航の光線砲は推城の槍に弾かれ、推城の槍は光線砲で圧し折れて鋒が錐揉み回転して飛んでいった。
推城は空中で体を捻って体を躱し、そのまま着地ざまに受け身を取って立ち上がった。
「やはり私の見立ては正しかった。戦う度に出来るようになっているな」
「そりゃどうも。だがこっちとしては案の情って感じだな。お前、やっぱり今まで本気じゃなかっただろ」
「ククク……」
推城は可笑しげに牙を剥く。
それは笑顔というよりも獲物を前にした獣の獰猛な威嚇に似ている。
「これは重ね重ね失礼した。私はどうも、本領を発揮出来るまで時間が掛かってしまうのだ。だが安心しろ。今回は既に準備運動を済ませてある」
空気が変わった。
推城の顔に、尋常ではない血管の筋が浮かび上がる。
顔だけではない。
服が開け、その全身の筋肉が盛り上がって張り巡らされた血管が露出している。
「御陰で体が充分温まった。さあ、これより貴様らに本物の武士の戦というものを存分に味わわせてやろう!」
推城は再び『菊水龍尾ノ長鑓』を形成した。
小手調べはここまで――今、彼はこの場を本物の戦場に変えようとしていた。