日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百十一話『忘恩』 急

 推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)は考える。

 自分はこの戦いに、武士(もののふ)としての己の全てをぶつけるつもりだった。

 だが、抑(そもそ)も永遠の命と恨みを選んでしまった時、それを名乗る資格を失っていたのだ。

 岬(さき)守(もり)航(わたる)は正しかった。

 

(武士(もののふ)であったのは遙(はる)か昔、今は唯(ただ)の不死なる怨(おん)霊(りよう)に過ぎんということか。結構! 最(も)早(はや)私(わたし)に残されているのは、神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)としての冥府魔道のみ! 不死身、好都合! このままこの男を確実に殺してくれる!)

 

 金(きん)鵄(し)砲(ほう)の光が収まった。

 超威力の光線砲は推(つき)城(しろ)に甚大な大傷を与えていた。

 胸から下が消し飛び、地に着く脚の無い姿はまさに幽霊である。

 

「残念だったな、岬(さき)守(もり)航(わたる)。私(わたし)が只(ただ)人(びと)であれば斯(か)様(よう)な状態で生きられよう筈(はず)も無し。だが、承知の通り私(わたし)は不死身! 逆に貴様は槍(やり)に腹を貫かれ、その命は風前の灯(ともし)火(び)よ! このまま貴様が死ねば、私(わたし)は目的を達することが出来る!」

 

 推(つき)城(しろ)は槍の柄を捻(ひね)る。

 航(わたる)の腹部に突き刺さった鋒(ほこ)もまた捻られ、内臓を抉(えぐ)る。

 しかもこの鋒は事前に変形し、無数の棘(とげ)が飛び出しているのだ。

 その殺傷力が航(わたる)を責(せ)め苛(さいな)む。

 

「ぐはっ!!」

 

 航(わたる)、吐血。

 その間に、推(つき)城(しろ)の体はすっかり再生してしまった。

 

「貴様の金(きん)鵄(し)砲(ほう)は無駄撃ちだった様だ。勝負あったな。私(わたし)の勝ちだ」

「それは……どう……かな……?」

「何?」

 

 推(つき)城(しろ)にはどういうことか解(わか)らなかった。

 この状況、航(わたる)が死に向かっていることは確かだ。

 それは推(つき)城(しろ)にとって唯一の目的であり、勝利条件である。

 ならば明らかに勝利は目前ではないか。

 

 だが航(わたる)は万(まん)力(りき)の如き握力で槍を掴(つか)んで離さない。

 恰(あたか)も、推(つき)城(しろ)を自分に縛り付けているかの様だ。

 

「まさか……!」

「そうさ、僕(ぼく)の狙いは始めからこれだ。こうやってお前を此(こ)処(こ)に拘束し続けること。そうすれば蛟(みずち)乃(の)神(かみ)殿下は屹(きつ)度(と)来る。僕(ぼく)は唯、それまで耐え切れば良い」

「な、何と……!」

 

 信じ難(がた)い発想だった。

 自ら槍に突き刺されたのは金(きん)鵄(し)砲(ほう)の狙いを確実に付ける為(ため)――そう思っていたし、それでも正気と思えない。

 だが、虎の子の切り札すらも実は囮(おとり)で、真の狙いは槍に貫かれることそのものだったとは、愈(いよ)々(いよ)狂気の沙汰である。

 

「ふざけるな! こんなもの、抜いてやればそれで終わりだ! 貴様は腹から血を噴き出して死ぬ! そうだ、態(わざ)々(わざ)突き刺したまま衰弱させる必要など無い! 抜いてしまえば私(わたし)は自由にもなれる! 勝者は依然この私(わたし)だ!」

「抜いてみろよ……!」

 

 航(わたる)の目が推(つき)城(しろ)を睨(にら)み上げる。

 死に掛けとは思えない、凄(すさ)まじい気迫だった。

 

(う、動かん……! そうか、金(きん)鵄(し)砲(ほう)で弱って……!)

 

 そう、金(きん)鵄(し)砲(ほう)は完全な囮だったという訳でも無い。

 推(つき)城(しろ)は以前、麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)と戦って弱った姿を航(わたる)に曝(さら)してしまっている。

 不死身の彼とて、ダメージを受ければ弱るのだ。

 航(わたる)はそれを知っていた。

 

(いや、問題無い! 私(わたし)には「穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)・魔(ま)祟(たた)楼(ろう)」がある! 今一度此(こ)奴(やつ)を弱体化させてしまえば良い! 耐久力も生命力も同時に弱まり、私(わたし)の勝利はより盤石になる!)

 

 黒い皮膜が航(わたる)を包み込む。

 これで航(わたる)の力は死の世界へと引(ひ)き摺(ず)り込(こ)まれる。

 だが、状況は変わらなかった。

 相変わらず槍はピクリとも動かない。

 

(な、何故(なぜ)だ……! 何故動かぬ! 何故死なぬ!)

 

 二人の視線が交錯する。

 航(わたる)は依然として鬼気迫る眼(め)をしていた。

 確実に追い詰められている筈なのに、異様な程の執念だ。

 推(つき)城(しろ)は肝を冷やしていた。

 

「此(こ)奴(やつ)、不死身か……!」

 

 その時、推(つき)城(しろ)ははっとした。

 今の言葉、正しく南北朝時代に自分が敵兵に抱かれた恐怖ではなかったか。

 

 戦場に卑(ひ)怯(きよう)という言葉は無い。

 嘗(かつ)て津(つ)田(だ)正(まさ)熊(くま)は自身を倒すべく汎ゆる手を尽くしてきた敵を、その剛力で捻(ね)じ伏(ふ)せてきた。

 今の航(わたる)の姿こそ、嘗て棄(す)ててしまった自分ではないか。

 

(私(わたし)は……私(わたし)は何をしているのだ? 自分を棄て去って、私(わたし)は何をしてきたのだ? 判(わか)り切っている、恨みを晴らそうとしてきたのだ。私(わたし)が生きていたあの頃、まさにこの様な猛将だった頃の恨みを。だが、何の恨みだ?)

 

 推(つき)城(しろ)は思い出す。

 

『おのれ足(あし)利(かが)、持(じ)明(みよう)院(いん)……! よくも我が主・正(まさ)儀(のり)公の生きた証(あかし)を無に帰してくれたな……!』

 

 あの夜、小(お)倉(ぐらの)宮(みや)聖(せい)承(しょう)の後を追うように倒れてからというもの、只管(ひたすら)恨みを唱え続けた。

 そんな怨念に誘われた様に、あの女が現われた。

 

(正(まさ)儀(のり)公の、義父の生きた証……)

 

 推(つき)城(しろ)は思い出す。

 

『あらあらぁ、将軍家で後継者争いですって。弟か、息子か、ねぇ……。一寸(ちよつと)突(つ)々(つ)いてみようかしらぁ』

 

『比(ひ)叡(えい)山(ざん)も随分と傲(おご)ったものわねぇ。一触即発、事を起こすのは簡単そうねぇ』

 

『南蛮の信仰ですって。これは面白いことになりそうじゃなぁい? 一寸弾圧させてみましょうよ』

 

『攘(じよう)夷(い)・開国・尊皇・倒幕、みんな好き勝手に踊っているのねぇ。もっと楽しくしてあげましょう』

 

『朝鮮と満(まん)洲(しゆう)が生命線みたいねぇ。じゃあ手を出させてみましょうか』

 

『御(お)莫(ば)迦(か)さん達がまた帝(みかど)を担ごうとしているわぁ。もっと煽(あお)ってやりましょう』

 

『さあ、愈々聖戦の刻は満ちたわぁ。亜(ア)細(ジ)亜(ア)を解放しなさぁい……』

 

(私(わたし)は……何を……)

 

『またしても天孫の血も日本も滅びなかったわねぇ。まあ良いわ、次よ。征(せい)一(い)千(ち)君、朔(さく)馬(ま)君、次の火種を見付けてきなさぁい……』

『ククク、了解……』

『……あいわかった』

 

 推(つき)城(しろ)の思考に雑念が入り込む。

 それを振り払う様に、彼は槍に力を込めた。

 だがやはり、ピクリとも動かない。

 

「何故、何故そこまで戦えるのだ……。つい数箇月前まで戦いとは無縁だった男が……」

「そこに……戻りたいからだ……」

 

 航(わたる)の眼には強い意志の光が宿っていた。

 

「僕(ぼく)は……平和だったあの頃を取り戻したいんだ……!」

「莫(ば)迦(か)な、戻れば良かろう。最早貴様が関わる話ではなくなった筈だ」

「自分の話じゃない。みんなが生きているこの世界の話だ。僕(ぼく)の大切な人は、己の命を懸けて日本を守ろうとした。それは僕(ぼく)達の生きる世界の平和を守ろうとしたということだ。僕(ぼく)はそんな彼女に相(ふ)応(さわ)しい男でありたい。だから折れる訳には行かない」

「大切な人……。世の……太平の……為……」

 

 推(つき)城(しろ)は思い出す。

 脳(のう)裡(り)に浮かぶは、久しく忘れていた恩人の顔だった。

 

『正(まさ)熊(くま)はおるか』

『は、此処に』

 

 自分を拾い上げた大恩ある義父・楠(くすの)木(き)正(まさ)儀(のり)は晩年、その枕元に養子・津(つ)田(だ)正(まさ)熊(くま)を呼んでいた。

 

『どうやら我が悲願……南(なん)北(ぼく)御(ご)合(がっ)体(たい)の日を見ることは出来ぬであろう。しかし、その灯を絶やしてはならん……』

『義父上……。しかし我らはまだ戦えまする。右(う)馬(まの)守(かみ)殿も義父上の動向を快く思っては御座りませぬ』

『正(まさ)勝(かつ)か……あれは父と似ず一本気な忠臣だ。我亡き後は彼を支えてやって欲しいが、他方、和平を進める吉田卿(きよう)も御(お)守(まも)りしてくれ。後少しの筈なのだ。後少しで……』

『解りませぬ。義父上は何故そこまで南北の合一を?』

『天下の為だ……天下の大安の為……』

 

 正(まさ)熊(くま)は悲しみに目を細めた。

 情深き義父らしい言葉だった。

 思えば正(まさ)熊(くま)自身、兄共々この情に救われた。

 荒くれ者の悪党として何処(どこ)ぞで無為に討たれる筈だった自分を、兄と共に武士(もののふ)として取り立ててくれたのはこの正(まさ)儀(のり)だった。

 

『委細承知しました。義父上がそう御(お)望(のぞ)みなら、その様に……』

『南(なん)北(ぼく)御(ご)合(がっ)体(たい)……一(いっ)天(てん)平(へい)安(あん)……』

 

 推(つき)城(しろ)は今、思い出した。

 彼は大恩ある義父・正(まさ)儀(のり)が遺(のこ)した末期の言葉を叶(かな)えなければならなかった。

 しかし同時に呑(のみ)込(こ)めなかった。

 だから盟約が破られたとき、世の太平より朝廷を敵に回し戦うことを選んだ。

 

 そして、義父の意思を踏(ふ)み躙(にじ)っていたのは、誰よりも自分ではなかったか。

 正(まさ)儀(のり)が太平を望んだ天下に、一体幾つの禍(わざわい)を齎(もたら)し続けたことか。

 

「そうか……そうだったか……」

 

 推(つき)城(しろ)は自分の総身から怨恨の力が抜けていく感覚を認めた。

 実際、昂(たか)ぶった血は冷えて肉と脈の張りが収まっていく。

 最早推(つき)城(しろ)に戦いを続ける意思は無かった。

 

「岬(さき)守(もり)航(わたる)よ、どうやら私(わたし)の負けのようだ」

「そう……か……」

 

 航(わたる)は推(つき)城(しろ)の言葉を聞いた瞬間に小さく微(ほほ)笑(え)み、そして力が抜けた様にゆっくりと倒れ込んだ。

 推(つき)城(しろ)の戦意・怨念によって形成されていた「武(ぶ)装(そう)神(しん)為(い)・菊(きく)水(すい)龍(りゅう)尾(び)ノ(の)長(なが)鑓(やり)延(のび)助(すけ)」はその姿を消す。

 同時に、久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)の能力で顕(あらわ)れた絹糸が、貫かれた腹の傷を縫い付けていく。

 

「成程、傷を塞(ふさ)ぐ手段も残していたか……」

「後少し続いたら神(しん)為(い)が足りなくなってヤバかったけどな……」

 

 推(つき)城(しろ)は航(わたる)の言葉を聞いて少し可(お)笑(か)しな気分になった。

 何百年振りだろう、心が此(これ)程(ほど)晴れやかなのは。

 最早無いと思っていた、大声で笑いたくなることなど。

 彼は一(ひと)頻(しき)り笑った後、その場に腰を下ろした。

 

「岬(さき)守(もり)よ、最後に少し話がしたい。お前達に返したいものがあるのだ」

 

 その時、その場に忽(こつ)然(ぜん)と一人の青年が顕れた。

 皇弟・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)――皇妹・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)が一度打ちのめされて神(しん)為(い)を失った今、皇(こう)國(こく)正統政府で推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)に止めを刺せる唯一の人間だ。

 

「終わっていたようだね……」

「うむ。命乞いをする訳ではないが、私(わたし)を殺す前に此奴に神(しん)為(い)を貸してやれ。此処で死なせる訳には行かんだろう」

 

 更に、異空間の扉が開いて十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)が新(しん)兒(じ)と繭(まゆ)月(づき)のことも連れてきた。

 繭(まゆ)月(づき)もなんとか恢(かい)復(ふく)したようだ。

 

「揃(そろ)った様だな。丁度良い。私(わたし)の話を聞いて欲しい」

 

 恨みに塗れて自分を失っていた男が、長い旅の終わりに何かを語り遺そうとしていた。

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