推城朔馬は考える。
自分はこの戦いに、武士としての己の全てをぶつけるつもりだった。
だが、抑も永遠の命と恨みを選んでしまった時、それを名乗る資格を失っていたのだ。
岬守航は正しかった。
(武士であったのは遙か昔、今は唯の不死なる怨霊に過ぎんということか。結構! 最早私に残されているのは、神瀛帯熾天王としての冥府魔道のみ! 不死身、好都合! このままこの男を確実に殺してくれる!)
金鵄砲の光が収まった。
超威力の光線砲は推城に甚大な大傷を与えていた。
胸から下が消し飛び、地に着く脚の無い姿はまさに幽霊である。
「残念だったな、岬守航。私が只人であれば斯様な状態で生きられよう筈も無し。だが、承知の通り私は不死身! 逆に貴様は槍に腹を貫かれ、その命は風前の灯火よ! このまま貴様が死ねば、私は目的を達することが出来る!」
推城は槍の柄を捻る。
航の腹部に突き刺さった鋒もまた捻られ、内臓を抉る。
しかもこの鋒は事前に変形し、無数の棘が飛び出しているのだ。
その殺傷力が航を責め苛む。
「ぐはっ!!」
航、吐血。
その間に、推城の体はすっかり再生してしまった。
「貴様の金鵄砲は無駄撃ちだった様だ。勝負あったな。私の勝ちだ」
「それは……どう……かな……?」
「何?」
推城にはどういうことか解らなかった。
この状況、航が死に向かっていることは確かだ。
それは推城にとって唯一の目的であり、勝利条件である。
ならば明らかに勝利は目前ではないか。
だが航は万力の如き握力で槍を掴んで離さない。
恰も、推城を自分に縛り付けているかの様だ。
「まさか……!」
「そうさ、僕の狙いは始めからこれだ。こうやってお前を此処に拘束し続けること。そうすれば蛟乃神殿下は屹度来る。僕は唯、それまで耐え切れば良い」
「な、何と……!」
信じ難い発想だった。
自ら槍に突き刺されたのは金鵄砲の狙いを確実に付ける為――そう思っていたし、それでも正気と思えない。
だが、虎の子の切り札すらも実は囮で、真の狙いは槍に貫かれることそのものだったとは、愈々狂気の沙汰である。
「ふざけるな! こんなもの、抜いてやればそれで終わりだ! 貴様は腹から血を噴き出して死ぬ! そうだ、態々突き刺したまま衰弱させる必要など無い! 抜いてしまえば私は自由にもなれる! 勝者は依然この私だ!」
「抜いてみろよ……!」
航の目が推城を睨み上げる。
死に掛けとは思えない、凄まじい気迫だった。
(う、動かん……! そうか、金鵄砲で弱って……!)
そう、金鵄砲は完全な囮だったという訳でも無い。
推城は以前、麗真魅琴と戦って弱った姿を航に曝してしまっている。
不死身の彼とて、ダメージを受ければ弱るのだ。
航はそれを知っていた。
(いや、問題無い! 私には「穢詛禍終・魔祟楼」がある! 今一度此奴を弱体化させてしまえば良い! 耐久力も生命力も同時に弱まり、私の勝利はより盤石になる!)
黒い皮膜が航を包み込む。
これで航の力は死の世界へと引き摺り込まれる。
だが、状況は変わらなかった。
相変わらず槍はピクリとも動かない。
(な、何故だ……! 何故動かぬ! 何故死なぬ!)
二人の視線が交錯する。
航は依然として鬼気迫る眼をしていた。
確実に追い詰められている筈なのに、異様な程の執念だ。
推城は肝を冷やしていた。
「此奴、不死身か……!」
その時、推城ははっとした。
今の言葉、正しく南北朝時代に自分が敵兵に抱かれた恐怖ではなかったか。
戦場に卑怯という言葉は無い。
嘗て津田正熊は自身を倒すべく汎ゆる手を尽くしてきた敵を、その剛力で捻じ伏せてきた。
今の航の姿こそ、嘗て棄ててしまった自分ではないか。
(私は……私は何をしているのだ? 自分を棄て去って、私は何をしてきたのだ? 判り切っている、恨みを晴らそうとしてきたのだ。私が生きていたあの頃、まさにこの様な猛将だった頃の恨みを。だが、何の恨みだ?)
推城は思い出す。
『おのれ足利、持明院……! よくも我が主・正儀公の生きた証を無に帰してくれたな……!』
あの夜、小倉宮聖承の後を追うように倒れてからというもの、只管恨みを唱え続けた。
そんな怨念に誘われた様に、あの女が現われた。
(正儀公の、義父の生きた証……)
推城は思い出す。
『あらあらぁ、将軍家で後継者争いですって。弟か、息子か、ねぇ……。一寸突々いてみようかしらぁ』
『比叡山も随分と傲ったものわねぇ。一触即発、事を起こすのは簡単そうねぇ』
『南蛮の信仰ですって。これは面白いことになりそうじゃなぁい? 一寸弾圧させてみましょうよ』
『攘夷・開国・尊皇・倒幕、みんな好き勝手に踊っているのねぇ。もっと楽しくしてあげましょう』
『朝鮮と満洲が生命線みたいねぇ。じゃあ手を出させてみましょうか』
『御莫迦さん達がまた帝を担ごうとしているわぁ。もっと煽ってやりましょう』
『さあ、愈々聖戦の刻は満ちたわぁ。亜細亜を解放しなさぁい……』
(私は……何を……)
『またしても天孫の血も日本も滅びなかったわねぇ。まあ良いわ、次よ。征一千君、朔馬君、次の火種を見付けてきなさぁい……』
『ククク、了解……』
『……あいわかった』
推城の思考に雑念が入り込む。
それを振り払う様に、彼は槍に力を込めた。
だがやはり、ピクリとも動かない。
「何故、何故そこまで戦えるのだ……。つい数箇月前まで戦いとは無縁だった男が……」
「そこに……戻りたいからだ……」
航の眼には強い意志の光が宿っていた。
「僕は……平和だったあの頃を取り戻したいんだ……!」
「莫迦な、戻れば良かろう。最早貴様が関わる話ではなくなった筈だ」
「自分の話じゃない。みんなが生きているこの世界の話だ。僕の大切な人は、己の命を懸けて日本を守ろうとした。それは僕達の生きる世界の平和を守ろうとしたということだ。僕はそんな彼女に相応しい男でありたい。だから折れる訳には行かない」
「大切な人……。世の……太平の……為……」
推城は思い出す。
脳裡に浮かぶは、久しく忘れていた恩人の顔だった。
『正熊はおるか』
『は、此処に』
自分を拾い上げた大恩ある義父・楠木正儀は晩年、その枕元に養子・津田正熊を呼んでいた。
『どうやら我が悲願……南北御合体の日を見ることは出来ぬであろう。しかし、その灯を絶やしてはならん……』
『義父上……。しかし我らはまだ戦えまする。右馬守殿も義父上の動向を快く思っては御座りませぬ』
『正勝か……あれは父と似ず一本気な忠臣だ。我亡き後は彼を支えてやって欲しいが、他方、和平を進める吉田卿も御守りしてくれ。後少しの筈なのだ。後少しで……』
『解りませぬ。義父上は何故そこまで南北の合一を?』
『天下の為だ……天下の大安の為……』
正熊は悲しみに目を細めた。
情深き義父らしい言葉だった。
思えば正熊自身、兄共々この情に救われた。
荒くれ者の悪党として何処ぞで無為に討たれる筈だった自分を、兄と共に武士として取り立ててくれたのはこの正儀だった。
『委細承知しました。義父上がそう御望みなら、その様に……』
『南北御合体……一天平安……』
推城は今、思い出した。
彼は大恩ある義父・正儀が遺した末期の言葉を叶えなければならなかった。
しかし同時に呑込めなかった。
だから盟約が破られたとき、世の太平より朝廷を敵に回し戦うことを選んだ。
そして、義父の意思を踏み躙っていたのは、誰よりも自分ではなかったか。
正儀が太平を望んだ天下に、一体幾つの禍を齎し続けたことか。
「そうか……そうだったか……」
推城は自分の総身から怨恨の力が抜けていく感覚を認めた。
実際、昂ぶった血は冷えて肉と脈の張りが収まっていく。
最早推城に戦いを続ける意思は無かった。
「岬守航よ、どうやら私の負けのようだ」
「そう……か……」
航は推城の言葉を聞いた瞬間に小さく微笑み、そして力が抜けた様にゆっくりと倒れ込んだ。
推城の戦意・怨念によって形成されていた「武装神為・菊水龍尾ノ長鑓延助」はその姿を消す。
同時に、久住双葉の能力で顕れた絹糸が、貫かれた腹の傷を縫い付けていく。
「成程、傷を塞ぐ手段も残していたか……」
「後少し続いたら神為が足りなくなってヤバかったけどな……」
推城は航の言葉を聞いて少し可笑しな気分になった。
何百年振りだろう、心が此程晴れやかなのは。
最早無いと思っていた、大声で笑いたくなることなど。
彼は一頻り笑った後、その場に腰を下ろした。
「岬守よ、最後に少し話がしたい。お前達に返したいものがあるのだ」
その時、その場に忽然と一人の青年が顕れた。
皇弟・蛟乃神賢智――皇妹・龍乃神深花が一度打ちのめされて神為を失った今、皇國正統政府で推城朔馬に止めを刺せる唯一の人間だ。
「終わっていたようだね……」
「うむ。命乞いをする訳ではないが、私を殺す前に此奴に神為を貸してやれ。此処で死なせる訳には行かんだろう」
更に、異空間の扉が開いて十桐綺葉が新兒と繭月のことも連れてきた。
繭月もなんとか恢復したようだ。
「揃った様だな。丁度良い。私の話を聞いて欲しい」
恨みに塗れて自分を失っていた男が、長い旅の終わりに何かを語り遺そうとしていた。