虻球磨新兒から連絡を受けた蛟乃神賢智は、先ず彼と繭月百合菜に神為を貸し与えて恢復させた後、すぐに甲邸跡地へやって来たという。
新兒と繭月はこの件をすぐさま十桐綺葉に連絡。
斯くして、四人が岬守航の救援にやって来たのだが、推城朔馬は既に観念して戦いを終えていた。
皇族として圧倒的な神為を持つ蛟乃神ならば、不死身の推城をもその不死性を無視して殺すことが出来る。
「丁度良かった。皆集まってくれたのは都合が良い」
「話がある、か……」
航は推城に対面して坐り込む。
槍で貫かれた腹部は、久住双葉の能力を使って縫い付けた応急処置と、蛟乃神から借りた神為が功を奏して既に塞がっている。
航は推城の態度から、目の前に居る相手が別人に変わった様な気がしていた。
推城は懐に手を入れて何かを取り出し、航に手渡す。
「岬守航、お前は私に失くしたものを戻してくれた。武士としての戦の心得、魂、そして、忘れてしまっていた大恩ある我が主の思い……。だから私も、お前達から奪ってしまったものの一部を返しておきたい」
航が受け取ったそれは、艶の無い頭巾牌の様な形をしている。
「これは……?」
「お前達の友の名誉だ」
「まさか……」
「そうだ。お前達の友、虎駕憲進と能條緋月の面会と対談。その嘘偽り無き全容が記録された唯一の媒体だ。これ以外の場所に保管されているものは悉くが我が同志・閏閒三入によって都合の悪いと思われる部分を削除されたものに過ぎぬ。しかしこれがあれば、今は蛻の殻となった首相官邸から全世界に向けて天空上映し、真実を発信出来よう」
航は頭巾牌型の記録媒体を両手で持ち、眼を凝らして見詰める。
推城の言葉を信じるならば、この中には絶対に失ってはならないデータが入っている。
忘れもしない、帰国を目前に控えたあの夜、虎駕憲進は自ら命を絶った。
その原因となったのは、彼が当時の皇國内閣総理大臣・能條緋月との面会の様子を捏造され、彼女に日本を攻撃するよう申し入れる映像を全世界に発信されたことだった。
「加えて言えば、私は麗真魅琴の足止めと情報の攪乱によって久住双葉も死に追いやっている。私はお前達の仲間二人の死に関わった。謝っても何の足しにもならぬ、決して償えぬとは思うが、誠に申し訳無かった」
そう、航達にとって推城朔馬は仲間二人の仇である。
だが今、彼に対する憎しみは湧いてこない。
航は戦いの中で、個人的な怨恨を超えた境地に至ったということだろうか。
「一つ訊きたかったことがあるんだけど……」
同じ様な心持ちなのか、繭月が推城に尋ねる。
「貴方や八社女はどうして今まで私達に色々な事を話してくれたの? 必要のないことまで積極的に、まるで知って欲しいかの様に……」
「そうだな、今思えばその『知って欲しい』というのがそのまま答えなのかも知れぬ」
曰く、世を恨み歴史から消えることを選択した自分達だが、その無念を何処かで知って欲しい気持ちが残っていたのではないか、ということらしい。
「だが、その中で私は、私達は許されざる罪を重ね過ぎた……」
天を仰ぐ推城の瞳には悔恨の念が滲んでいるように見えた。
「私は元々余り人付き合いの出来る人間ではなかった。故に、そんな私に恩情を掛けてくださり、養子として取り立ててくださった正儀公には大恩を感じていた、筈だった。だが、この数百年にも亘る月日の中で私はその大切な御方を踏み躙り続けたのだ……」
推城は静かに目を閉じた。
「然し乍ら、こんな私にも永い時を掛ければ芽生える義理や絆というものもある。同志として只人の頃の誰よりも気心の知れた八社女に報いてやりたいという思いもまた、分かち難く胸中に住み着いていた。穢詛禍終に手を染めし者は神が定めし法理を捻じ曲げ、あの女の力と馴染んで限り無く不死に近い存在となる。だが逆にあの女から見限られるか、それ以上の力によって殺された場合、それは肉体ばかりか霊魂の死をも意味する。お前達の友とは違い、喪われし我が同志は永久の苦しみに縛り付けられて戻れないのだ」
それは、世界を憎み節理を捻じ曲げる力に身を置いた者の報いと言えるかも知れない。
森羅万象に由来する霊魂という概念を持つことが出来ず、肉体という物質の器の滅びがそのまま存在そのものの滅びに直結してしまう。
推城自身もその運命を覚悟して自らの言葉を噛み締めているかの様であった。
「その上で、お前達に願う。貴龍院と閏閒を止めてくれ。あ奴等の狙いを挫いてくれ」
推城は決して、八社女征一千以外の神瀛帯熾天王に対して仲間意識が無いという訳ではないのだろう。
苦渋の心中を窺わせる表情がそれを充分に物語っている。
だが、いやだからこそ、彼らがこれから手を染めようとしている空前絶後の罪、世界を畢らせる企みを成就させたくはないのだ。
そんな思いを感じ取ったからこそ、航は強く頷いた。
「ああ」
航は続けて、推城に問い掛ける。
「推城朔馬、このデータは虎駕の名誉だと言ったな。まだ中身は見ていないが、それ程の物が記録されているんだな?」
「然様。信じられぬならば世界に流す前に一度再生してみると良い。龍乃神邸にも設備くらいあろう」
「いや、ありがとう……」
「何を言うか。先にも述べたとおり、奪ったもののうち僅かな一部を返すに過ぎぬ」
推城の言う通り、それは一つの真実だろう。
虎駕の言動を捻じ曲げ、名誉を損ねたのは他ならぬ彼である。
だが、本来の記録を残し、今此処で渡す行動をとったこともまた真実の一面である。
航はそこに素直な感謝の念を覚えていた。
「扨て、と……」
話が一段落したところで、蛟乃神が前に進み出てきた。
「過去に色々とあったようだが、僕達としては貴方を許すことは出来ない。貴龍院と共謀し兄や皇國の道を誤らせ、戦禍を呼び寄せた咎は捨て置けない。だが、素直に己が非を認める態度に免じて酌量を挟まないことも無い。何か他に言い残す事があれば聴こう」
愈々、蛟乃神が推城に引導を渡そうという段階になった。
「そうだな、八社女も寂しがっているやも知れん。お前達の死後とは異なる、穢詛禍終の冥府魔道の末路へ逝けるのは我らのみ、今更後を追うことに躊躇いは無いが……」
推城は少し考える素振りを見せる。
「ならば辞世に一句……」
少し間を置き、整ったのか推城の口が開き、声が発せられようとした、その時だった。
彼の口から噴き出したのは歌ではなく、大量の血反吐であった。
「なッ!?」
突然の出来事に、その場の者は皆驚愕と動揺を隠せなかった。
そんな彼らを嘲笑うかのように、何処からともなくよく見知った女の声が響いてきた。
『黙って視ていれば本当にこのまま綺麗に終わるつもりだったのね……。この役立たず、恥知らずの裏切り者が……!』
推城の身体だったものは一言も発さず、夥しい数の小さな蜘蛛となって散っていく。
そしてその蜘蛛の子達は、程なくして土塊に変わり果ててしまった。
そこには推城朔馬――津田正熊の名残は何一つとして遺されていない。
「その声、貴龍院か!」
蛟乃神が空へ向かって怒鳴った。
大人しい彼にしては珍しく、激情を露わにしている。
十桐も彼に続く。
「お主には人間の情というものが無いのか? 長年苦楽を共にした同志、配下に対する仕打ちか、これが!」
『その言葉、貴女に吐かれる筋合いは無くってよ。公殿公爵家の先代を見棄てたのは何方だったかしら?』
航もまた、天を睨み何処とも知れぬ貴龍院皓雪を非難する。
何度も繰り返した戦いの中、最後の死闘の中、航は推城と何処か通じ合うものを見付けた気がしていた。
「推城は……死そのものは受け容れていた! 最期に一句遺そうとしていただけだ! お前はあいつの仲間なのに、最期の願いすら叶えないのか!」
『仲間? あの男、私達を止めろ、と言ったのに? 笑わせないでくれるかしら』
「違う! 何故解らないんだ! 仲間だと思っていたからこそ……!」
そんな彼の窘めに対しても、貴龍院は冷たい言葉を以て受ける。
『岬守航、いつか誰かが言っていた言葉だけれど、覚えているかしら? 今まで散々悪行の限りを尽くしておいて、最期に改心すれば万事落着などという都合の良い話が許される筈が無いでしょう?』
同じく自分を見つめ直した屋渡倫駆郎に向けられた言葉。
航は貴龍院に言われて思い出した。
確かにそれは、推城朔馬の口から出た言葉だった。
「だからって……!」
だが、今此処でその彼を余りにも無情な形で切り捨てたのは他でも無い貴龍院である。
推城の過去の言動を隠れ蓑にしたところで、その非情さに批難は免れ得ないだろう。
そんな彼女は、天を仰ぐ彼らを尚も嘲笑うように捨て台詞を吐く。
『言っておくけれど、私の主はあくまでも神皇陛下、あの御方への忠誠の為に採るべきものを捕り、捨てるべきものは棄てる、それだけのことよ。そして、今までの手筈は全て念押しに過ぎない。あの御方が年明けに勅命を遂行なさる状況は依然、変わりようも無く厳然と世界を覆っているということは忘れない事ね』
何処までも悍ましい女の笑い声が、旧甲邸跡地の虚空に響き渡っていた。
⦿⦿⦿
何処かの闇の中、円卓の席に着いた女・貴龍院皓雪が溜息を吐いた。
「いやはや、四方や媛様が未来予測をお外しなさるとは……」
共に円卓を囲う、と言っても二人だけとなってしまい事実上向き合って座っているだけの老翁・閏閒三入もまた、彼女に合わせて溜息を吐いた。
「三入君、嫌味かしら? 流石に少しショックを受けているのよ。彼があんな行動に出るなんてね……」
「若しや、この儂の事もお疑いですかな?」
皺の刻まれた目蓋の奥で猛禽類の様な眼が鋭く光る。
そんな最後の同志・閏閒三入を前に、貴龍院は表情を緩めた。
「あら、貴方はあの役立たず共とは違い、この私に対して多大な貢献をしてきたじゃないの。基より、私が心より信を置いているのは貴方一人よ、三入君」
「それはそれは……。呉々も失望されぬよう気を引き締めねばなりませんな……」
閏閒は言葉とは裏腹に自信を見せながら不気味に笑った。
「そういうことよ。ところで、例の件はどうなったかしら?」
貴龍院は話題を変えた。
前々から、閏閒は彼女から頼まれていたことがある。
「アメノミナカヌシの制御権を得る話ですな。早速取り掛かっております。年内には御期待に添えるかと」
「流石ね。やはり他の二人とは一味も二味も違うわ。それでこそ私の一番の同志」
「恐縮に御座います」
貴龍院は白い歯を覗かせて笑い、そして朗々と歌い上げる。
「栲縄の、長き温みも、冷むるなら、瞬く焔、恋ふぞ目出度き……」
闇の中、二人の男女が企みを巡らせている。
それは、あの神皇の眼すら盗んで行われている秘め事であった。