日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百十二話『霊魂』 序

 虻(あぶ)球(く)磨(ま)新(しん)兒(じ)から連絡を受けた蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)は、先(ま)ず彼と繭(まゆ)月(づき)百(ゆ)合(り)菜(な)に神(しん)為(い)を貸し与えて恢(かい)復(ふく)させた後、すぐに甲(きのえ)邸跡地へやって来たという。

 新(しん)兒(じ)と繭(まゆ)月(づき)はこの件をすぐさま十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)に連絡。

 斯(か)くして、四人が岬(さき)守(もり)航(わたる)の救援にやって来たのだが、推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)は既に観念して戦いを終えていた。

 皇族として圧倒的な神(しん)為(い)を持つ蛟(みずち)乃(の)神(かみ)ならば、不死身の推(つき)城(しろ)をもその不死性を無視して殺すことが出来る。

 

「丁度良かった。皆集まってくれたのは都合が良い」

「話がある、か……」

 

 航(わたる)は推(つき)城(しろ)に対面して坐(すわ)り込(こ)む。

 槍(やり)で貫かれた腹部は、久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)の能力を使って縫い付けた応急処置と、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)から借りた神(しん)為(い)が功を奏して既に塞(ふさ)がっている。

 航(わたる)は推(つき)城(しろ)の態度から、目の前に居る相手が別人に変わった様な気がしていた。

 推(つき)城(しろ)は懐に手を入れて何かを取り出し、航(わたる)に手渡す。

 

「岬(さき)守(もり)航(わたる)、お前は私(わたし)に失くしたものを戻してくれた。武士(もののふ)としての戦の心得、魂、そして、忘れてしまっていた大恩ある我が主の思い……。だから私(わたし)も、お前達から奪ってしまったものの一部を返しておきたい」

 

 航(わたる)が受け取ったそれは、艶の無い頭巾牌(ドミノ)の様な形をしている。

 

「これは……?」

「お前達の友の名誉だ」

「まさか……」

「そうだ。お前達の友、虎(こ)駕(が)憲(けん)進(しん)と能(のう)條(じよう)緋(ひ)月(づき)の面会と対談。その嘘(うそ)偽(いつわ)り無き全容が記録された唯一の媒体だ。これ以外の場所に保管されているものは悉(ことごと)くが我が同志・閏(うる)閒(ま)三入によって都合の悪いと思われる部分を削除されたものに過ぎぬ。しかしこれがあれば、今は蛻(もぬけ)の殻となった首相官邸から全世界に向けて天空上映し、真実を発信出来よう」

 

 航(わたる)は頭巾牌(ドミノ)型の記録媒体を両手で持ち、眼(め)を凝らして見詰める。

 推(つき)城(しろ)の言葉を信じるならば、この中には絶対に失ってはならないデータが入っている。

 忘れもしない、帰国を目前に控えたあの夜、虎(こ)駕(が)憲(けん)進(しん)は自ら命を絶った。

 その原因となったのは、彼が当時の皇(こう)國(こく)内閣総理大臣・能(のう)條(じよう)緋(ひ)月(づき)との面会の様子を捏(でつ)造(ぞう)され、彼女に日本を攻撃するよう申し入れる映像を全世界に発信されたことだった。

 

「加えて言えば、私(わたし)は麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)の足止めと情報の攪(こう)乱(らん)によって久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)も死に追いやっている。私(わたし)はお前達の仲間二人の死に関わった。謝っても何の足しにもならぬ、決して償えぬとは思うが、誠に申し訳無かった」

 

 そう、航(わたる)達にとって推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)は仲間二人の仇(かたき)である。

 だが今、彼に対する憎しみは湧いてこない。

 航(わたる)は戦いの中で、個人的な怨恨を超えた境地に至ったということだろうか。

 

「一つ訊(き)きたかったことがあるんだけど……」

 

 同じ様な心持ちなのか、繭(まゆ)月(づき)が推(つき)城(しろ)に尋ねる。

 

「貴方(あなた)や八(や)社(おと)女(め)はどうして今まで私(わたし)達に色々な事を話してくれたの? 必要のないことまで積極的に、まるで知って欲しいかの様に……」

「そうだな、今思えばその『知って欲しい』というのがそのまま答えなのかも知れぬ」

 

 曰(いわ)く、世を恨み歴史から消えることを選択した自分達だが、その無念を何(ど)処(こ)かで知って欲しい気持ちが残っていたのではないか、ということらしい。

 

「だが、その中で私(わたし)は、私(わたし)達は許されざる罪を重ね過ぎた……」

 

 天を仰ぐ推(つき)城(しろ)の瞳には悔恨の念が滲(にじ)んでいるように見えた。

 

「私(わたし)は元々余り人付き合いの出来る人間ではなかった。故に、そんな私(わたし)に恩情を掛けてくださり、養子として取り立ててくださった正(まさ)儀(のり)公には大恩を感じていた、筈(はず)だった。だが、この数百年にも亘(わた)る月日の中で私(わたし)はその大切な御(お)方(かた)を踏(ふ)み躙(にじ)り続けたのだ……」

 

 推(つき)城(しろ)は静かに目を閉じた。

 

「然(しか)し乍(なが)ら、こんな私(わたし)にも永い時を掛ければ芽生える義理や絆(きずな)というものもある。同志として只(ただ)人(びと)の頃の誰よりも気心の知れた八(や)社(おと)女(め)に報いてやりたいという思いもまた、分かち難(がた)く胸中に住み着いていた。穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)に手を染めし者は神が定めし法理を捻(ね)じ曲(ま)げ、あの女の力と馴(な)染(じ)んで限り無く不死に近い存在となる。だが逆にあの女から見限られるか、それ以上の力によって殺された場合、それは肉体ばかりか霊魂の死をも意味する。お前達の友とは違い、喪われし我が同志は永久の苦しみに縛り付けられて戻れないのだ」

 

 それは、世界を憎み節理を捻じ曲げる力に身を置いた者の報いと言えるかも知れない。

 森(しん)羅(ら)万(ばん)象(しよう)に由来する霊魂という概念を持つことが出来ず、肉体という物質の器の滅びがそのまま存在そのものの滅びに直結してしまう。

 推(つき)城(しろ)自身もその運命を覚悟して自らの言葉を噛(か)み締(し)めているかの様であった。

 

「その上で、お前達に願う。貴(き)龍(りゆう)院(いん)と閏(うる)閒(ま)を止めてくれ。あ奴(やつ)等(ら)の狙いを挫(くじ)いてくれ」

 

 推(つき)城(しろ)は決して、八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)以外の神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)に対して仲間意識が無いという訳ではないのだろう。

 苦渋の心中を窺(うかが)わせる表情がそれを充分に物語っている。

 だが、いやだからこそ、彼らがこれから手を染めようとしている空前絶後の罪、世界を畢(おわ)らせる企(たくら)みを成(じよう)就(じゆ)させたくはないのだ。

 そんな思いを感じ取ったからこそ、航(わたる)は強く頷(うなず)いた。

 

「ああ」

 

 航(わたる)は続けて、推(つき)城(しろ)に問い掛ける。

 

「推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)、このデータは虎(こ)駕(が)の名誉だと言ったな。まだ中身は見ていないが、それ程の物が記録されているんだな?」

「然(さ)様(よう)。信じられぬならば世界に流す前に一度再生してみると良い。龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸にも設備くらいあろう」

「いや、ありがとう……」

「何を言うか。先にも述べたとおり、奪ったもののうち僅(わず)かな一部を返すに過ぎぬ」

 

 推(つき)城(しろ)の言う通り、それは一つの真実だろう。

 虎(こ)駕(が)の言動を捻じ曲げ、名誉を損ねたのは他ならぬ彼である。

 だが、本来の記録を残し、今此(こ)処(こ)で渡す行動をとったこともまた真実の一面である。

 航(わたる)はそこに素直な感謝の念を覚えていた。

 

「扨(さ)て、と……」

 

 話が一段落したところで、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)が前に進み出てきた。

 

「過去に色々とあったようだが、僕(ぼく)達としては貴方(あなた)を許すことは出来ない。貴(き)龍(りゆう)院(いん)と共謀し兄や皇(こう)國(こく)の道を誤らせ、戦禍を呼び寄せた咎(とが)は捨て置けない。だが、素直に己が非を認める態度に免じて酌量を挟まないことも無い。何か他に言い残す事があれば聴こう」

 

 愈(いよ)々(いよ)、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)が推(つき)城(しろ)に引導を渡そうという段階になった。

 

「そうだな、八(や)社(おと)女(め)も寂しがっているやも知れん。お前達の死後とは異なる、穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)の冥府魔道の末路へ逝けるのは我らのみ、今更後を追うことに躊(ため)躇(ら)いは無いが……」

 

 推(つき)城(しろ)は少し考える素振りを見せる。

 

「ならば辞世に一句……」

 

 少し間を置き、整ったのか推(つき)城(しろ)の口が開き、声が発せられようとした、その時だった。

 彼の口から噴き出したのは歌ではなく、大量の血(ち)反(へ)吐(ど)であった。

 

「なッ!?」

 

 突然の出来事に、その場の者は皆驚(きよう)愕(がく)と動揺を隠せなかった。

 そんな彼らを嘲(あざ)笑(わら)うかのように、何処からともなくよく見知った女の声が響いてきた。

 

『黙って視(み)ていれば本当にこのまま綺(き)麗(れい)に終わるつもりだったのね……。この役立たず、恥知らずの裏切り者が……!』

 

 推(つき)城(しろ)の身体だったものは一言も発さず、夥(おびただ)しい数の小さな蜘蛛(くも)となって散っていく。

 そしてその蜘蛛の子達は、程なくして土塊に変わり果ててしまった。

 そこには推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)――津(つ)田(だ)正(まさ)熊(くま)の名(な)残(ごり)は何一つとして遺(のこ)されていない。

 

「その声、貴(き)龍(りゆう)院(いん)か!」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)が空へ向かって怒鳴った。

 大人しい彼にしては珍しく、激情を露(あら)わにしている。

 十(とお)桐(どう)も彼に続く。

 

「お主には人間の情というものが無いのか? 長年苦楽を共にした同志、配下に対する仕打ちか、これが!」

『その言葉、貴女(あなた)に吐かれる筋合いは無くってよ。公(く)殿(でん)公爵家の先代を見(み)棄(す)てたのは何方(どなた)だったかしら?』

 

 航(わたる)もまた、天を睨(にら)み何処とも知れぬ貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)を非難する。

 何度も繰り返した戦いの中、最後の死闘の中、航(わたる)は推(つき)城(しろ)と何処か通じ合うものを見付けた気がしていた。

 

「推(つき)城(しろ)は……死そのものは受(う)け容(い)れていた! 最(さい)期(ご)に一句遺そうとしていただけだ! お前はあいつの仲間なのに、最期の願いすら叶(かな)えないのか!」

『仲間? あの男、私(あたくし)達を止めろ、と言ったのに? 笑わせないでくれるかしら』

「違う! 何故(なぜ)解(わか)らないんだ! 仲間だと思っていたからこそ……!」

 

 そんな彼の窘(たしな)めに対しても、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は冷たい言葉を以(もつ)て受ける。

 

『岬(さき)守(もり)航(わたる)、いつか誰かが言っていた言葉だけれど、覚えているかしら? 今まで散々悪行の限りを尽くしておいて、最期に改心すれば万(ばん)事(じ)落着などという都合の良い話が許される筈が無いでしょう?』

 

 同じく自分を見つめ直した屋(や)渡(わたり)倫(りん)駆(く)郎(ろう)に向けられた言葉。

 航(わたる)は貴(き)龍(りゆう)院(いん)に言われて思い出した。

 確かにそれは、推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)の口から出た言葉だった。

 

「だからって……!」

 

 だが、今此処でその彼を余りにも無情な形で切り捨てたのは他でも無い貴(き)龍(りゆう)院(いん)である。

 推(つき)城(しろ)の過去の言動を隠(かく)れ蓑(みの)にしたところで、その非情さに批難は免れ得ないだろう。

 そんな彼女は、天を仰ぐ彼らを尚(なお)も嘲笑うように捨(す)て台(ぜ)詞(りふ)を吐く。

 

『言っておくけれど、私(あたくし)の主はあくまでも神(じん)皇(のう)陛下、あの御方への忠誠の為(ため)に採るべきものを捕り、捨てるべきものは棄(す)てる、それだけのことよ。そして、今までの手(て)筈(はず)は全て念押しに過ぎない。あの御方が年明けに勅命を遂(すい)行(こう)なさる状況は依然、変わりようも無く厳然と世界を覆っているということは忘れない事ね』

 

 何処までも悍(おぞ)ましい女の笑い声が、旧甲(きのえ)邸跡地の虚空に響き渡っていた。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 何処かの闇の中、円卓の席に着いた女・貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)が溜息を吐いた。

 

「いやはや、四(よ)方(も)や媛(ひめ)様(さま)が未来予測をお外しなさるとは……」

 

 共に円卓を囲う、と言っても二人だけとなってしまい事実上向き合って座っているだけの老翁・閏(うる)閒(ま)三(みつ)入(なり)もまた、彼女に合わせて溜息を吐いた。

 

「三(みつ)入(なり)君、嫌(いや)味(み)かしら? 流(さ)石(すが)に少しショックを受けているのよ。彼があんな行動に出るなんてね……」

「若(も)しや、この儂(わし)の事もお疑いですかな?」

 

 皺(しわ)の刻まれた目蓋の奥で猛(もう)禽(きん)類(るい)の様な眼が鋭く光る。

 そんな最後の同志・閏(うる)閒(ま)三(みつ)入(なり)を前に、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は表情を緩めた。

 

「あら、貴方(あなた)はあの役立たず共とは違い、この私(あたくし)に対して多大な貢献をしてきたじゃないの。基より、私(あたくし)が心より信を置いているのは貴方(あなた)一人よ、三(みつ)入(なり)君」

「それはそれは……。呉(くれ)々(ぐれ)も失望されぬよう気を引き締めねばなりませんな……」

 

 閏(うる)閒(ま)は言葉とは裏腹に自信を見せながら不気味に笑った。

 

「そういうことよ。ところで、例の件はどうなったかしら?」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は話題を変えた。

 前々から、閏(うる)閒(ま)は彼女から頼まれていたことがある。

 

「アメノミナカヌシの制御権を得る話ですな。早速取り掛かっております。年内には御期待に添えるかと」

「流石ね。やはり他の二人とは一味も二味も違うわ。それでこそ私(あたくし)の一番の同志」

「恐縮に御座います」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は白い歯を覗(のぞ)かせて笑い、そして朗々と歌い上げる。

 

「栲(たく)縄(なは)の、長き温(ぬる)みも、冷(さ)むるなら、瞬く焔(ほむら)、恋(こ)ふぞ目(め)出(で)度(た)き……」

 

 闇の中、二人の男女が企みを巡らせている。

 それは、あの神(じん)皇(のう)の眼すら盗んで行われている秘め事であった。

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