日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百十二話『霊魂』 破

 結局、この日に行う筈(はず)だった芳(よし)原(はら)輝(き)太(た)郎(ろう)の受け渡しと、カムヤマトイワレヒコの直(なお)靈(ひ)彌(み)玉(だま)の運搬は翌日に延期することとなった。

 航(わたる)や新(しん)兒(じ)・繭(まゆ)月(づき)の恢(かい)復(ふく)も然(さ)る事(こと)ながら、推(つき)城(しろ)との戦いで暴れすぎた為(ため)、目立った行動に移すことは避けた方が良いという判断だった。

 航(わたる)は常(とこ)立(たち)研究所で待機する麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)と根(ね)尾(お)弓(きゅう)矢(や)に事情を話し、危険な賭けに出たことを咎(とが)められながらも、待機の日程を明日まで延ばす様了承を取り付けた。

 

 夜になって、風呂から上がり、薄着で龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸の中庭に出て寛(くつろ)ぐ航(わたる)は、推(つき)城(しろ)から手渡された遺言――頭巾牌(ドミノ)型の記録媒体をじっと見詰めている。

 これには虎(こ)駕(が)と能(のう)條(じょう)の会談の真実が記録されているという。

 

「気になるかい?」

 

 突然、女の声に話しかけられた航(わたる)は心臓が止まるかというほど驚いた。

 一切の気配を感じさせずいつの間にか航(わたる)の背後に佇(たたず)んでいたのは、皇妹・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)だった。

 

「深(み)花(か)様、吃驚(びっくり)させないでくださいよ……」

「いやあ、悪い悪い」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は悪戯(いたずら)っぽく微(ほほ)笑(え)む。

 その調子は一見すると初めて会った時と変わらないものの、どこか疲れても見える。

 弟の蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)と衝突して気を失って以来、神(しん)為(い)を失っているというのもあるだろう。

 だがそれ以上に、自身の双肩に伸(の)し掛(か)かる重圧を感じているのだろうか。

 

「本当に良かったんですか?」

「何がだい?」

「神(しん)為(い)の供給の話ですよ。なんだか大変なことになっちゃいましたけど……」

 

 航(わたる)は彼女の兄・神(じん)皇(のう)と弟・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)の遣(や)り取(と)りを思い出していた。

 

『俺(おれ)を排除すると言うが、その後の皇(こう)國(こく)はどうするつもりなのだ? 皇(こう)國(こく)は今、この俺(おれ)の神(しん)為(い)で保(も)っている。俺(おれ)にとって皇(こう)國(こく)を支えるのは容(た)易(やす)いが、汝(なれ)と深(み)花(か)の神(しん)為(い)では安定させるのは極めて困難であろう。戦時中は能(よ)く頑張ったと思うが、これから死ぬまであの様なことを続けるつもりなのか?』

『兄様……僕(ぼく)は予(かね)てより、皇(こう)國(こく)が他の日本に有る天(あま)日(のひ)嗣(つぎ)を求めて侵略を繰り返す様なことは終わりにすべきだと考えていました。その為には、神(しん)為(い)に依存した現在の国家体制から脱却しなければならない』

『ほう……。立派な心掛けだが、一(いつ)朝(ちよう)一(いつ)夕(せき)で切り替えられるものでもあるまい。汝(なれ)の構想が実現するには、まず間違い無く数十年の時を要するであろう』

『はい、そうでしょうね……だから僕(ぼく)と姉様はそれまでの間の繋(つな)ぎとなります。皇(こう)國(こく)が神(しん)為(い)を脱却し、他国を侵略する必要の無い国になれるように……。僕(ぼく)達はその為に、残りの生涯の全てを捧(ささ)げます』

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)と蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は、兄と戦う為に人生を棒に振ったのだ。

 これから先、皇族として恵まれた未来があっただろうに、その全てを棄(す)ててでも世界の為に、そして日本国の為に新しい皇(こう)國(こく)を作ると云(い)ってくれている。

 

「まあ、そう重く考えることはないよ。妾(わらわ)の人生など安いものだ」

「安いわけないでしょう」

「安いさ。何せ妾(わらわ)には生まれ付き卵巣が無いらしいからね。元々女としての幸福は得られないんだ」

「それは……おかしいでしょう。貴女(あなた)の犠牲が必然だって理由になりはしない」

 

 航(わたる)は食い下がりながら遣(や)る瀬(せ)なさを感じていた。

 

「いつもそうだ。みんな、僕(ぼく)の周りでいつの間にか体を張って自分を犠牲にする。強い人達ってどうしてそうなんだ。まるで自分の人生が自分のものじゃないみたいに……」

「君(きみ)だってそうじゃないか。妾(わらわ)に言わせれば、君(きみ)だって他人の為によく自分を投げ出しているよ。以前だって、折(せつ)角(かく)妾(わらわ)が出した助け船を不意にしようとしてくれたよね」

「それは……手痛い竹(しっ)篦(ぺ)返(がえ)しを喰(く)らったからもう良いじゃないですか」

 

 痛いところを突かれた航(わたる)は、仏頂面で頭を掻(か)く。

 話をはぐらかされている様で、どうにも腑(ふ)に落ちない。

 そんな航(わたる)に、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は小さく微笑んだ。

 

「じゃあ君(きみ)が妾(わらわ)を此(こ)処(こ)から連れ去ってくれるかい? いつか言った様に、君(きみ)が妾(わらわ)に真実の愛を教えてくれても良いんだよ? 君(きみ)が幸せにしてくれるなら、それもありかもね」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は蠱(こ)惑(わく)的(てき)な笑みを航(わたる)に向ける。

 窓から差し込む星明かりに照らされた龍(たつ)乃(の)神(かみ)は心に決めた相手がいる航(わたる)ですらどきりとするほど美しい。

 それこそ、普通の男なら心移りしてしまっても何らおかしくない雰囲気がある。

 

「え、いや……」

「ははは、冗談だよ」

 

 航(わたる)は彼女と初めて会った時の事を思い出していた。

 あの時と今、これが彼女の素なのだとしたら、最近はずっと無理をしてきたのだろう。

 

「やっぱり、疲れてます?」

 

 航(わたる)の問いに、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は頷(うなず)くように息を吐いた。

 

「少し、ね。でも、負けていられない」

「そう……ですか……」

 

 自分以外にも、この異常事態に気と体を張る者達が大勢いる。

 足を引っ張るわけにはいかない、のに……――航(わたる)は自分の不(ふ)甲(が)斐(い)なさに心を締め付けられる思いがした。

 今夜、航(わたる)が未(いま)だに龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸に留(とど)まっているのは、偏(ひとえ)に航(わたる)が推(つき)城(しろ)を相手に大いに手(て)子(こ)摺(ず)ってしまったからだ。

 これから戦うべき相手を考えると、このままではいけない、いけないのに……。

 

「不安になるな、やっぱり……」

 

 そんな航(わたる)の様子を見て、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は一つの提案をした。

 

「それ、今から一緒に視(み)ないかい?」

「え?」

「彼の一番の友人だった君(きみ)には一番に知る権利があると思うんだ。ま、妾(わらわ)は設備を貸し出す者として、御一緒させて貰(もら)えないかと我(わが)儘(まま)くらい言わせておくれよ。個人的な領分に立ち入るなと言うなら、大人しく身を引くがね」

 

 確かに、気になってはいる。

 航(わたる)は勿(もち)論(ろん)、虎(こ)駕(が)が皇(こう)國(こく)に日本を売ったわけではないと信じている。

 では、一体真実はどうだったのか。

 その答えが今、航(わたる)の手の中にあるのだ。

 

「そうですね。能(のう)條(じよう)さんは皇(こう)國(こく)の元首相ですから、深(み)花(か)様も御一緒にどうぞ」

「では、早速映写室へ行こうじゃないか。灰(かい)祇(ぎ)院(いん)に用意させよう」

 

 愈(いよ)々(いよ)、あの日の真実が明かされようとしている。

 虎(こ)駕(が)は実際のところ、能(のう)條(じよう)との対談で何と言ったのか――航(わたる)はほんの少しの覚悟と共に、龍(たつ)乃(の)神(かみ)の後に続き映写室へと向かった。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 会談記録映像の中で驚かされたのは、虎(こ)駕(が)が皇(こう)國(こく)に残る話は彼が首相官邸に向かう前から既に出ていたらしいということだった。

 考えてもみれば、龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸にも申し出る相手はいるのだから、隣で席を共にしている龍(たつ)乃(の)神(かみ)か、或(ある)いは十(とお)桐(どう)辺りに密(ひそ)かに相談していたと考えるのが自然だろう。

 隣で航(わたる)と同じく驚いている龍(たつ)乃(の)神(かみ)の様子を見れば、相手は十(とお)桐(どう)だろうか。

 

『では、虎(こ)駕(が)憲(けん)進(しん)さん。いや、正式に養子縁組が御成立となれば、貴殿は一(いち)桐(どう)憲(けん)進(しん)様となられる訳です。では、善は急げとも言いますし、先に、これをお渡ししておきましょう』

 

 能(のう)條(じよう)から虎(こ)駕(が)へ東(とう)瀛(えい)丸(がん)の小瓶が手渡された。

 これが後に虎(こ)駕(が)の自害と、日本国の攻勢へと繋がるのだから運命とは分からないものだ。

 

『これから皇(こう)國(こく)は、貴殿の嘗(かつ)ての祖国である明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)の吸収合併へ動きます。平和裏に事を運ぶ為、貴殿には明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)の勝手を知る者として是非お力添え頂きたい。その為に、尽力して頂けますな?』

 

 やはり、能(のう)條(じよう)は戦争には消極的だった。

 虎(こ)駕(が)の事もあくまで人脈として活用するつもりで、開戦の口実に利用しようとしているようには見えない。

 

 しかし、その先には航(わたる)と龍(たつ)乃(の)神(かみ)にも予想の付かない展開が待っていた。

 映像の中の虎(こ)駕(が)は、意を決したように能(のう)條(じよう)に切り出す。

 

『あの、その件ですが……』

『む、何でしょう?』

 

 虎(こ)駕(が)は一瞬、能(のう)條(じよう)の鋭い視線にたじろいだ様に見えたが、一瞬の間を置いた後、ここで気後れするものかとばかりに続けた。

 

『皇(こう)國(こく)が日本国の吸収を求める理由はお聞きしました。しかし、本当にそれしか方法は無いのでしょうか? 皇(こう)國(こく)の独力で、神(じん)皇(のう)陛下の御(お)力(ちから)を千代に八千代に受け継ぐ方法が何か他には無いのですか?』

『虎(こ)駕(が)様、貴殿のお気持ちも解(わか)らないではありません』

 

 能(のう)條(じよう)は静かに、諭すように言葉を返していく。

 

『しかし、残念ながらそのような希望的観測に国家の命運を託すわけにはいかないのです。現在、皇太子殿下の神(しん)為(い)は未知数。陛下と同等以上であれば次の御代まで時間を稼げますが、最悪の場合も想定せねばならない。若し悠長に構えていて、最悪の場合が来てしまったとしたら、それこそ却(かえ)って強硬手段に出ざるを得なくなります。何としても明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)を併合すべく、出し得る最大級の戦力を差し向けようという決断を迫られることにもなりかねない。私(わたし)は、それだけは避けたいと思っています』

 

 航(わたる)と龍(たつ)乃(の)神(かみ)は互いの視線を見合わせた。

 双方ともに、虎(こ)駕(が)の言葉には多分に思うところがあるらしい。

 だが、能(のう)條(じよう)はあくまでも現実論を語り、譲らない。

 

『辿(たど)った歴史は違えども、明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)もまた同じ日本である。それを信条として、私(わたし)は明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)のこともまた救いたい。貴殿に歴史のお話を聴き、その思いは益(ます)々(ます)強まりました。皇(こう)國(こく)は必ず明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)を救い出そうと、その為に力を合わせようと……。全ては皇(こう)國(こく)の掲げる大義、汎(はん)世(せ)界(かい)的(てき)大(おお)日(やま)本(と)連(れん)盟(めい)の理念の下に……』

『私(わたし)も……この虎(こ)駕(が)憲(けん)進(しん)も同じ思いです。ただ皇(こう)國(こく)の世話になり、庇(ひ)護(ご)を求めたいわけじゃない! 私(わたし)もまた、皇(こう)國(こく)の力となりたい! だから、能(のう)條(じよう)閣下、今暫(しばら)くの御(お)猶(ゆう)予(よ)を貰えませんか? 一(いち)桐(どう)公爵家の養子として頂けるのならば、その力、吸収合併とは別の道を模索する事に注力したい』

『それが皇(こう)國(こく)の、日本の為になると、貴殿はそうお考えか……』

『はい、勿論です閣下……!』

 

 航(わたる)は中身を見て愕(がく)然(ぜん)としていた。

 二人の論理は、あの日全世界の大空に晒(さら)されたものと全く違う。

 

「虎(こ)駕(が)……。やっぱりお前……」

「ああ、妾(わらわ)も驚いた。もし彼が何事も無く皇(こう)國(こく)臣民、それも六摂家である一(いち)桐(どう)公爵家の一員となっていれば、心に秘めた妾(わらわ)の理念に共感するたった一人の心強い味方になってくれていたのか……」

 

 映像はその後も数分続いたが、それ以上目を見張る情報は無かった。

 虎(こ)駕(が)は日本を売ってなどいなかった。

 寧(むし)ろ、皇(こう)國(こく)の内側から日本を救おうとすら考えていた。

 

 尤(もつと)も能(のう)條(じよう)の言う様に、それは至難の業だっただろう。

 皇族である龍(たつ)乃(の)神(かみ)ですら、弟以外に打ち明けることは躊(ため)躇(ら)われた理念である。

 だが、その意思があったという事実は揺るぎ無い。

 

「推(つき)城(しろ)……お前はこれを捻(ね)じ曲(ま)げたのか……。そして一方で、真実を残し僕(ぼく)達に託してくれたのか……」

「虎(こ)駕(が)君だけでなく能(のう)條(じよう)の名誉も思えば、彼のしたことは許し難い。だが、最後に良心が残っていたのもまた事実なのだろうね……」

 

 ふと、航(わたる)は推(つき)城(しろ)の言葉を思い出す。

 穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)に身を染めた推(つき)城(しろ)は物質的な肉体としてしか存在できないが故に、もうその霊魂は何処(どこ)にも居ない。

 だが、航(わたる)の死んでいった仲間達はどうなのだろう。

 あの時、死後の虎(こ)駕(が)に束(つか)の間(ま)だけ逢(あ)えたように、今も何処かに存在しているのだろうか。

 

「深(み)花(か)様。これを取り戻せたこと、虎(こ)駕(が)は喜んでくれますかね?」

「当然だろう、と思うよ。何処かで彼の魂に会った時に訊(き)いておいてあげようか?」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)の答えに、航(わたる)は例えようも無く救われた気がした。

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は莫(ばく)大(だい)な神(しん)為(い)があり、それ故に死者の霊魂が見える。

 その彼女が言うのだから、間違いは無いだろう。

 

「虎(こ)駕(が)、お前の名誉、取り戻したからな……!」

 

 航(わたる)は窓の外の星空を見上げ、小さく呟(つぶや)いた。

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