夜、一人の男が夢を見ていた。
目蓋の裏に鮮明な映像として焼き付いた、あの日の日暮れ前の記憶……。
『よくも斯様な惨い仕打ちをしてくれたな、貴様ら』
大空に映し出された親友は、口調こそ静かだったが、見たことも無い表情で怒気を放っていた。
彼には親友が何を言っているのか、すぐに理解出来た。
嗚呼、陛下が、あの優しい叡智君がお怒りや。
俺ら日本人のことを想って悲憤慷慨しとる。
俺らはみんなあの御方に愛されとるから、輝かしい未来へ連れて行ってもらえるんや。
あの御方は俺ら日本人を等しくお救いくださる。
だから俺らはあの御方に感謝を返さなならん。
あの御方が笑っていられるように、あの御方が望むままに幸せで居なならんのや。
あの御方を思い煩わせるものは悉く排除せなならんのや。
あの御方が創り給われる、皇民が一体となる完璧な新世界の為に……。
その為には何でもするんや。
俺こそ、誰よりもあの御方から恩を受けとったんやから。
そう、俺こそが陛下の、叡智君の一番の……。
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侯爵・灰祇院靜業は胤子島近くの離島「屋玖島」の空港建屋で目を覚ました。
現在、この場所は皇道保守黨系の軍人が接収している。
「お目覚めですか、御主人様」
メイド服を着た女が侯爵に声を掛ける。
彼女の名は壬生透子――灰祇院侯爵家の侍女で、壬生伯爵家の令嬢である。
「壬生……僕は……負けたんやな……。あの女に……」
「はい。ですが御安心ください、皇都府の邸宅へ戻る回転翼機を御用意して御座います」
「阿呆言うな。このままおめおめと引き下がれるかいな……!」
侯爵は激しく歯噛みした。
そう、彼が態々離島の常立研究所にまで足を運んだのは、其処へ侵入しようとする皇國正統政府の狙いが明らかだったからだ。
神皇の邪魔立てをしようとする輩は許さない。
賊共はおそらく所長の嶼津寅宗や皇道保守黨系軍人達をも斃し、研究所を占拠して不届きな目的を果たそうとしているに違い無い。
「軍人共、君らもこのままじゃ済まされへんよな? 今から夜襲を掛けて研究所を奪還する! 壬生、今すぐ紫桐侍従長に連絡や! 紫桐一派の私兵も総動員して数で潰す!」
侯爵は周囲の軍人に呼び掛けた。
この場に集まっているのは、研究所を占拠していたが追い出されて命辛々この島に上陸した軍人達である。
ならば当然、名誉挽回の為に今一度立ち上がるべきだ――侯爵はそう考えている。
しかし、一つの問題を彼の侍女・壬生が指摘する。
「ご、御主人様! 御主人様は今、神為を失われておいでですよ?」
侯爵・灰祇院靜業は生まれながらの神為の使い手である。
東瀛丸を服用して後天的に神為を得る者達と異なり、彼らは定期的な服用を要しない代わりに一度敗北して神為を失うと、その回復に長期間を要する。
今、侯爵の力は常人と変わりない状態なのだ。
「解っとるわ! 壬生! 東瀛丸を寄越し!」
「し、正気ですか? 御主人様の様な御方が東瀛丸を服用するということは、以後神為を維持する為に定期的な服用を必要とする凡人と同じになるということですよ?」
「構うかいな、陛下の為や! 僕のことなんかどうなってもええ、あの御方にお尽くしするのが皇國臣民の務めやろが!」
壬生は迷っていた。
確かに、一介の貴族である彼女は東瀛丸を持ち歩いている。
だが彼女は旧皇族としての灰祇院侯爵に憧憬を抱いていた。
主君の思いを後押しするべきなのだろうが、その存在の格を落とす真似に手を貸すことに躊躇がある様子だ。
「早う寄越せ!」
「は、はい!」
しかし、主に発破を掛けられた壬生は慌てて懐に手を入れて小瓶を取り出した。
そしてそのまま、両手で主に差し出そうとする。
が、その時、彼女は両手首を何者かに切り落とされてしまった。
「ぎゃあああああっっ!? わ、私の! 私の腕がああああっ!!」
「なっ、何事や!?」
一人の軍人が軍刀を抜いていた。
つい先程まではこの場に居なかった、明らかに格の違う男だった。
「困りますよ、灰祇院侯爵閣下。折角貴方様が神為を失うという千載一遇の機会が巡ってきたんだ、これを逃す訳にはいかない」
男は次の太刀で壬生を袈裟斬りにし、辺りを鮮血に染める。
「み、壬生! おのれ貴様何者や!」
「皇道保守黨副総裁・荒木田佐佑大尉。荒木田将夫総裁の息子です」
荒木田佐佑は刃を侯爵に向けた。
「な、何の真似や貴様。僕が誰か解ってやっとるんか」
「勿論。旧皇族の地位を良い事に陛下に近付く貴方は、皇國でも一番の君側の奸だ。よって、陛下の新しい御代には、真の皇道政治に貴方の様な者は必要無い。故に、今此処で排除する」
「僕が……俺が君側の奸やと……? 言うに事欠いて貴様……誰に向かって言うとるんや……!」
侯爵は激しい怒りに全身を震わせていた。
血管という血管が浮き立ち、筋肉という筋肉が強張っている。
これ程の怒り、おそらくはあの日の神皇に次ぐであろう。
「貴様らにあの御方の何が解る! 陛下の一番の理解者は俺や!」
激情に任せて飛び掛かった侯爵であったが、常人と変わらぬ今の彼に勝ち目は無かった。
荒木田の剣は無情にも彼の体を縦に裂き、鮮血と共に倒れ伏させた。
(嗚呼、あかん……。死ぬ訳にはいかへん……。俺が死んだら……叡智君が悲しまはる……)
灰祇院靜業はそのまま事切れた。
「貴様ら、解っているな?」
荒木田は軍刀を治め、側の軍人達に無言で圧を掛ける。
「は、はい! 我々は唯、大尉殿の御命令に従い帰還いたします!」
「うむ、親父には『灰祇院侯爵は討ち死にした』と伝えておく」
斯くして、常立研究所奪還作戦は実行されることなく、軍人達は本土へと戻っていった。
空港には二人の貴族の無残な死体だけが虚しく横たわっていた。
⦿⦿⦿
十一月十一日水曜日、岬守航は虻球磨新兒・繭月百合菜と共に、皇國正統政府暫定内閣総理大臣・芳原輝太郎を日本国自衛隊に受け渡し、彼の亡命を成功させた。
更にその足で超級為動機神体・カムヤマトイワレヒコの直靈彌玉を胤子島は常立研究所へ運搬。
機体は追って到着した蛟乃神賢智の手で再生され、耐宇宙装甲への改造が開始された。
全高二十八米にもなるカムヤマトイワレヒコの巨大な機体が、同様の規模を持つ昇降機に載せられ、ゆっくりと地下へ下っていく。
後はこのまま必要な機体情報を入力すれば、全ての工程が自動で進められるという訳だ。
航は魅琴や根尾と共に、研究所内の電視越しにその様子を窺っていた。
驚いたのは、研究所の職員が進んで手を貸してくれたことだ。
「意外と交渉が上手く行ったんですね、根尾さん」
「ああ。俺の能力を使わずに済んだ。彼らは良くも悪くも研究にしか興味が無いらしい。そんな彼らに対し、研究データを破棄しようとした敵側のやり方が失策だったのさ」
「これはおそらく神皇の指示ではないわね。彼はそんな小知恵を働かせたりしないわ。侍従長の紫桐という男に神瀛帯熾天王が手を回したのか、将又侍従長もまた独断で動いているのか……」
「『紫桐一派』か……。皇道保守黨に加え、また面倒な連中が増えたようだな……」
根尾は溜息を吐いた。
「何れにせよ、研究員の為にも口実として俺が能力で操ったということにしておいた方が良いだろうな」
そんな中、研究員が装置に数値を入力し終え、改造設備を稼働して此方へ歩いてきた。
「はい、これでバッチリです。後は全工程の終了まで七十時間程掛かりますが、改造が終了すれば自動で昇降機が浮上します」
「ありがとうございます。しかし、改造の為にカムヤマトイワレヒコの機体データを要求されるかとヒヤヒヤしましたが……」
「舐めてもらっては困る。皇軍が散々煮え湯を飲まされた機体、既に分析済みですよ」
研究員はねちっこい笑みを浮かべた。
「あの、ところで興味本位なんですが……」
航はおそるおそる手を挙げた。
「耐宇宙装甲って、簡単に言えばどういう物なんですか? 今までのカムヤマトイワレヒコで宇宙に出るのと何が変わるんですか?」
「よくぞ訊いてくれました!」
研究員は先程までの根暗な様子から一転、眼を輝かせて答え始める。
航の質問が余程嬉しかったのだろう。
「おっと、いけないいけない。技術的な話は極力抑え、掻い摘まんで説明しますね」
「はい、是非そうしていただけると……」
「通常、為動機神体を操縦する時は神為だけでなく、感覚も機体と同期させます。機体を操るというよりは、機体が自分の肉体そのものになる感覚、覚えがあると思います」
「ええ、初めて操縦した時は驚きましたよ」
航は水徒端早辺子と共にミロクサーヌ改の操縦訓練を行った時のことを思い出した。
つい数箇月前のことなのに、もう遠い昔の様だ。
「つまり、操縦者にとっては機体が晒される環境がそのまま直接肌感として伝わるのです。これは一長一短あり、自分自身と一体化することでより精密な操縦が可能となるのですが、一方で苛酷な環境下では神為の消費を著しくし、操縦不能に陥ってしまう危険性が高まるのです」
「ああ、成程……」
今度は、戦闘中に燃える巨球を突っ切った時や海中に身を潜めた時のことを思い出した。
そういえばあの時、自分が限界に近付いた感覚があった。
「通常、皇國の機体はその際に神為の消耗を抑える装甲を備えています。しかしながらこの機体は少々予算をケチった様で、その対策装甲が弱い。そこで、今回我々の技術でそちらを搭載しようという訳です」
「対策すれば、神為の消耗はどれくらい抑えられるんですか?」
「先ず苛酷な環境下で受ける感覚的負荷が百分の一に削減されます。これによって神為の消耗は千分の一以下になります。付随して、おそらく攻撃に対する耐久力その者も上昇するでしょう。こちらは機体や操縦者の資質によって個体差がありますが、概ね一から五割増しといったところです」
つまり、カムヤマトイワレヒコは改造後にパワーアップするということになる。
航は少し楽しみに思えた。
「終わるのは三日後か……」
「岬守君と麗真君はすぐに龍乃神邸へ戻ってくれ。大晦日の作戦決行に向けて鍛錬に入ってもらいたい。俺と虻球磨君、繭月君は此処に残り、改造が無事完了するのを見届ける。まだ皇道保守黨や紫桐一派、神瀛帯熾天王が研究所を奪還しようとしてくるかも知れないからな」
こうして、一連の任務を無事終えた航と魅琴は龍乃神邸へと戻って鍛錬を開始する。
三日後の十一月十四日、カムヤマトイワレヒコの改造は完了し、蛟乃神賢智の手で再び直靈彌玉だけを残して破壊。
龍乃神邸へ運搬され、その勇姿のお披露目は大晦日を待つことになった。