日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百十三話『神風来たりいざ起きよ(前編)』 急

 魅(み)琴(こと)の祖父・魅(み)射(いる)は更に驚くべきことを語り続ける。

 

『告(つげ)雪(ゆき)戸(と)畔(べ)が何時どうやって穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)に身を染めたのかは定かではない。じゃが、事実として彼女は己の生を神の摂理をも捻(ね)じ曲(ま)げて延ばし、しかも度々皇位継承者問題に裏から介入して五(い)十(す)鈴(ず)媛(ひめ)の血を絶やそうとした。そしてその中で一つ、彼女はあまりにも恐ろしい所業に手を出した……』

「まだあるのですか……?」

『はっきり言(げん)えば、これが何よりも恐ろしい所業と言えるじゃろう。時は第十代崇(す)神(じん)天皇陛下の御(み)代(よ)、告(つげ)雪(ゆき)戸(と)畔(べ)は当時の都に大いなる穢(けが)れを蔓(まん)延(えん)させ、甚大な犠牲を伴う疫病を流(は)行(や)らせた。この大厄災を受けた皇(すめら)尊(みこと)は皇居に祀(まつ)られていた八(や)咫(たの)鏡(かがみ)を移す勅(みことのり)を出し、伊(い)勢(せ)神宮の建(こん)立(りゆう)に繋(つな)がる訳じゃが、他に一つ、とんでもない影響が引き起こされた……』

「それは……どの様な……」

 

 そう尋ねかけた魅(み)琴(こと)は、祖父の眼(め)に生前にも見なかった怒りを帯びているのを認めた。

 その理由、彼女はすぐに察した。

 

「皇(こう)國(こく)が……神(しん)聖(せい)大(だい)日(にっ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)に行き着く歴史が枝分かれした、ということですか?」

『少し違う。正確には既にあった可能性が形になった、と言うべきか。尤(もつと)も、本流が日本国か皇(こう)國(こく)のどちらか、将(はた)又(また)全く別の世界線なのかは実のところ判(わか)らん。はっきりしておるのは、この大厄災が過去八代の伝承を混乱の渦に巻き込み、無数の歴史を混雑させたということじゃ、神(じん)武(む)聖帝が崩御してから崇(す)神(じん)帝が即位されるまでに何が起きたのか、混乱の後に殆(ほとん)どの伝承が失われ、血筋しか辿(たど)れなくなってしもうた。その理由は、この間に生じていた数(あま)多(た)の歴史分岐が悉(ことごと)く枝として顕現したが故に、正確な事績を口(く)伝(でん)出来る者が居なくなってしまったのじゃ』

「その一つが、後の神(しん)聖(せい)大(だい)日(にっ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)へと繋がる訳ですか……」

 

 魅(み)射(いる)も触れたことではあるが、正確にはこの世界が本流であるという確証は無い。

 ただその時の混乱が、多くの分岐点で枝分かれした歴史を具現化させたということだ。

 その枝の先に現在の日本国と神(しん)聖(せい)大(だい)日(にっ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)へ繋がるというのは、以前に別のところで神(じん)皇(のう)も語っていたとおりだろう。

 

『我が父、閏(うる)閒(ま)三(みつ)入(なり)は穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)に目覚めた折にその事実を、そして日本国を滅ぼし得る枝として皇(こう)國(こく)を見つけ出し、貴(き)龍(りゆう)院(いん)から最大限の賛辞と信を贈られたのだ』

 

 祖父の言うことが本当なら、日本の皇室の歴史に於(お)いて貴(き)龍(りゆう)院(いん)以上の朝敵は居るまい。

 日本三悪人が可(か)愛(わい)く見えるレベルである。

 

『扨(さ)て、伝承によると、神(じん)武(む)天皇の崩御後に謀(む)叛(ほん)を起こそうとした多(た)研(ぎし)美(み)美(みの)命(みこと)、その寝室に押し入った二皇子の内、多(た)研(ぎし)美(み)美(みの)命(みこと)を誅(ちゆう)殺(さつ)した弟宮・神(かむ)渟(ぬ)名(な)川(かわ)耳(みみの)尊(みこと)が二代綏(すい)靖(ぜい)天皇として即位したという。だがもしも、この時殺ったが兄宮の神(かむ)八(や)井(い)耳(みみの)命(みこと)だったとしたら? 兄宮は殺せなかったことを恥じて皇位を譲ったのだから、そのもしもが、躊(ため)躇(ら)わずに誅殺した可能性あったとしたら、神(かむ)八(や)井(い)耳(みみの)命(みこと)が皇位を継承した世界も在り得るとは思わんか?』

「……大厄災から遡(さかのぼ)って分岐した枝にも新たな歴史が生じたのなら、確かに考えられますね。というか、二代から九代までの、所謂(いわゆる)欠史八代で分岐する可能性はそこくらいしか考えられない」

『そう、そうだ』

 

 魅(み)射(いる)は力強く頷(うなず)いた。

 

『儂(わし)は皇(こう)國(こく)に渡り、向こうの記紀からその事実を知った。神(しん)聖(せい)大(だい)日(にっ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)は弟宮の神(かむ)渟(ぬ)名(な)川(かわ)耳(みみの)尊(みこと)ではなく兄宮の神(かむ)八(や)井(い)耳(みみの)命(みこと)が二代天皇となった世界なのだ』

「つまり、神(じん)武(む)天皇を共通の初代としつつも完全に分かれた系統……。されどやはり天(てん)壌(じょう)無(む)窮(きゅう)の神(しん)勅(ちょく)を受け継ぐ神(かみの)國(くに)、それが神(しん)聖(せい)大(だい)日(にっ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)であり、現在の神(じん)皇(のう)……」

 

 魅(み)琴(こと)は今初めて漸(ようや)く、己が命を賭けて戦った相手が何者だったのかを知った。

 

「そして、その全ての元凶が貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)こと告(つげ)雪(ゆき)戸(と)畔(べ)であり、彼女は今(いま)尚(なお)日本国に、三千世界に仇(あだ)なそうとしているということですね」

 

 しかし、祖父は渋い顔をして首を振る。

 

『魅(み)琴(こと)、お前も薄々解(わか)っていよう。黒幕と言っても所詮裏方で蠢(うごめ)く輩(やから)など表で暴威を振るう巨悪と比べれば小悪党に過ぎん。今更奴(やつ)らを誅(ちゆう)したところで事態は何一つ好転せんのじゃ。それは先代神(じん)皇(のう)の頃から変わらん。だからこそ、儂(わし)はお前に神(じん)皇(のう)を、偽りの帝(みかど)こそを討てと言い続けた……。その使命は尚(なお)もお前の双肩に伸(の)し掛(か)かり、更なる絶望として聳(そび)え立(た)っておる……』

 

 魅(み)琴(こと)は祖父の言葉を否定できず俯(うつむ)いた。

 だがその時、祖父の双(そう)眸(ぼう)に焔(ほのお)が、狂気の燦(きら)めきを帯びた静かな灼(しやく)熱(ねつ)の燈(ひ)が点(とも)った。

 

『しかし、儂(わし)は信じておる。誰が何と言おうと、時代がどう変わろうと、依然変わることなく信じ続けておる……』

 

 この後、魅(み)琴(こと)は祖父の狂信、妄執、情念ともいうべき発言を聞き、戦慄した。

 それは嘗(かつ)て否定された筈(はず)の教えであり、今尚、死して尚そんなことを本気で言っているとしたら、笑うことすら出来ず彼女と同じ反応を示すだろう。

 

 如(い)何(か)なる道化師をも真顔にし、空気をも凍(い)て付(つ)かせる、内容とは裏腹に漆黒の意思から発せられた言葉――それをこの期に及んで孫娘に向けるという狂気……。

 しかしそれは、同時に再び死地へと赴(おもむ)く彼女に無(む)理(り)矢(や)理(り)勇気を呼び起こさせる様な、そんなある種の檄(げき)言(げん)だった。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 同じ頃、中庭は物思いに耽(ふけ)る人物を引き付けていた。

 男と女が偶然時を同じくして中庭で鉢合わせることとなった。

 

「貴方(あなた)は……」

 

 繭(まゆ)月(づき)百(ゆ)合(り)菜(な)は歩みを止めた。

 皇弟・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)――兄である神(じん)皇(のう)・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)に対抗し、廃位を迫る為(ため)に必要とされた、表向きの彼らの頭目である。

 そしてその彼に、繭(まゆ)月(づき)はある人物の面影を重ねていた。

 

「やはり……僕(ぼく)は似ているのですね。貴女(あなた)の喪(うしな)った誰かに……」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)はあの時とは違い、今度は確信した面持ちで繭(まゆ)月(づき)に問い掛けた。

 繭(まゆ)月(づき)はその姿に戸惑いながらも、俯き思う。

 

 確かに、彼女の死んだ恋人・紅(あか)夜(や)こと有(あり)明(あけ)孝(たか)也(や)と蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)はとてもよく似ている。

 バンドマンだった彼はステージでは強気で過激で、そして何(ど)処(こ)か刹那的なパフォーマンスを繰り広げたが、その実性格の根は繊細で少し臆病な、しかし儚(はかな)さを伴う優しさがある人物だった。

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は彼が繭(まゆ)月(づき)だけに見せていた素(もと)の姿を彷(ほう)彿(ふつ)とさせるところもあった。

 

 だが、この青年は彼とは違う。――彼女は自分に言い聞かせるように念じた。

 

 まず、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は彼と比べて若過ぎる。

 それに、否が応にも立ち振る舞いから感じさせる育ちの良さは彼に無かったものだ。

 もし彼が生きてどれだけ大きな存在になってもおそらくは身に付かなかったであろう「本物」の仕草が、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の一挙手一投足から垣(かい)間(ま)見(み)える。

 

(嗚呼(ああ)、どれだけ似ていても、どれだけ重ねても、彼はもう居ないのね……)

 

 繭(まゆ)月(づき)の目が涙で潤む。

 そんな彼女に、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は慣れた様に優しい声を掛ける。

 

「あの、大丈夫ですか?」

「はい……。すみません、急にこんな……」

 

 ある程度の事情を察している蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は、繭(まゆ)月(づき)を縁側に誘導し、彼女を座らせ寄り添うように隣に腰掛けた。

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は目の前の女が傷付いている時、悪意無く自然にその心の隙間に入り込もうとする悪癖がある。

 しかしその気遣いさえ、繭(まゆ)月(づき)には彼との差を感じさる材料となってしまう。

 そんな彼女を慮(おもんぱか)ってか、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は切り出した。

 

「貴女(あなた)が僕(ぼく)を見て大切な人を思い出してしまうのは無理も無いかも知れませんね……」

「え……?」

 

 繭(まゆ)月(づき)は不思議に思い、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の方へ顔を上げた、

 彼は優しく微(ほほ)笑(え)みながら反対方向を向くように促している。

 宛(さなが)ら、そこに誰かがいるかの様に……。

 

「ほら、先程から其(そ)処(こ)に……」

「あ……」

 

 朧(おぼろ)気(げ)な光を放ち、彼は確かに立っていた。

 繭(まゆ)月(づき)の目尻から大粒の涙が零(こぼ)れ落(お)ちる。

 

「紅(あか)夜(や)君!」

 

 繭(まゆ)月(づき)は思わず彼の許(もと)へと駆け寄った。

 夢か、幻か――その様な迷いは些(さ)細(さい)なこととして、簡単に振り切れてしまった。

 

『おいおい、そんなに泣いてちゃ俺(おれ)のことが能(よ)く見えないだろ?』

「ええ……ええ……!」

 

 繭(まゆ)月(づき)は上(う)手(ま)く思いを伝えられず、ただ感嘆を漏らす事しか出来ずにいた。

 彼との邂(かい)逅(こう)は彼女にとって、それ程の事だったらしい。

 

『すまないな、一緒に居てやることが出来なくて……』

「いいえ……」

 

 少しずつ、繭(まゆ)月(づき)は落ち着きを取り戻し始めていた。

 どうやら本当の意味で彼女の喪失感を慰める事にかけて、喪われた彼本人の右に出る者はいないらしい。

 

「紅(あか)夜(や)君、逢(あ)いに来てくれてありがとう。けど今でもまだ心配を掛けていたのね……」

『気にするな。俺(おれ)が勝手に未練を残していただけだから』

 

 彼はそう言うと、繭(まゆ)月(づき)のよく知る優しくも儚げな微笑みを浮かべた。

 

『そうそう、それともう一つ伝えとくことがある。俺(おれ)、君(きみ)の弟にも逢ったよ』

「え?」

『ちょっと気恥ずかしいらしくて出ては来れないみたいだけど、気に病まないで欲しいと言っていたよ。僕(ぼく)は微(み)塵(じん)も気を悪くしていないから、だそうだ』

「そう……」

 

 繭(まゆ)月(づき)は後ろめたさを覚え、悟られまいと誤(ご)魔(ま)化(か)すように小さく微笑んだ。

 彼女が弟に抱いた感情、いや劣情は、決して肯定できるものではない。

 弟本人が許していたとしても、何とも思っていなかったとしても、それは屹(きつ)度(と)、充分に理解し切っていないからだ。

 

 ただ、弟が傷付いていないということだけは救いだった。

 繭(まゆ)月(づき)にとってそれは充分過ぎる程に有り難く、更に多くを求めるのは度が過ぎると思っていた。

 

『何かまた思い詰めているな……』

「ええ、流(さ)石(すが)に。紅(あか)夜(や)君は知っているからね、騙(だま)せないね」

『まあな。だが、少しだけすっきりした感じもする。何処か晴れ間が差したというか……。どうやら答えを見つけたらしいな』

 

 やはり彼には敵(かな)わないと、繭(まゆ)月(づき)は改めて思い知った。

 全てお見通しの様だ。

 

 そして、繭(まゆ)月(づき)は彼と再会できたことで、少しずつではあるが確実に気持ちに整理を付け始めていた。

 

「紅(あか)夜(や)君、逢えて嬉(うれ)しかった。私(わたし)はもう大丈夫だから……」

『ああ。もう行くよ。じゃあな』

「ええ……」

 

 そう、どれほど大切に思っていた人とも、いつか必ず別れの時が訪れる。

 ただ彼女にとって、それが余りにも突然に理不尽に齎(もたら)されたから完全に割り切るのに時間を要しただけだ。

 

 だが、もう大丈夫だ。

 薄れていく彼が見えなくなれば、全てを思い出に変えることが出来る。

 もう蛟(みずち)乃(の)神(かみ)に彼の面影を重ねることは無いだろう。

 

 一陣の風が吹き、彼女の恋人は完全に姿を消した。

 

 それを裏付けるように、恋人を見送って振り返った彼女は先程までとは全く別人を見る目を蛟(みずち)乃(の)神(かみ)に向けていた。

 恋人に似た人を見る目ではなく、恩人を見る感謝の目だ。

 

「殿下、御世話と御心配をお掛けしました。有難うございます」

 

 その言葉を聞き、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は安心した様に、何処か寂し気に笑顔を返した。

 若い彼には未来がある。

 その為にも、兄である神(じん)皇(のう)の暴挙を阻止しなくてはならない。

 

 その後、彼は自分とは全く無関係な、相(ふ)応(さわ)しい縁によって誰かと結ばれるのだろう。

 そんなことを考えながら、繭(まゆ)月(づき)は蛟(みずち)乃(の)神(かみ)に一礼して寝室へと戻っていった。

 

⦿

 

 そんな繭(まゆ)月(づき)を見送り、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は溜息を吐いた。

 

「良かった。神(しん)為(い)を貸してあげた甲斐(かい)があった」

「本当にな」

 

 背後から掛けられた声に、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は不穏な気配を感じた。

 能く知る声、数少ない、彼に惑わされない女の声だ。

 

「ね、姉様……いつから居たの?」

「君(きみ)が彼女を口説こうと企(たくら)み始めたところから、かな」

「何のことか解らないな。今来たところ、ということで良いの?」

「白々しい……」

 

 彼の姉・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)は呆(あき)れ果(は)てた様子で、弟に白い眼を向けていた。

 

「呉(くれ)々(ぐれ)も言っておくけれど、君(きみ)はこれからあの兄様と戦うんだ。それに、事が済んだら君(きみ)が皇位を継ぐことになる。流石に好(い)い加(か)減(げん)、言動に慎みを持って自分を強く戒(いまし)めておいた方が良い。口説くなら真剣に、本気で相手に向き合い覚悟を持って愛するべきだ」

「肝に銘じるよ」

「妾(わらわ)は本気だからな。もう君(きみ)の女癖に甘い顔はしない」

 

 姉の視線に、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は思わずたじろいだ。

 強く睨(にら)まれている訳ではないが、有無を言わさぬ迫力がある。

 

「わ、解ったって……」

「賢(けん)智(ち)、これが最後だ。次からは妾(わらわ)の説教を受けてもらう。みっちりとな」

「うひぃ……」

 

 案外これから先、彼は姉が苦手になるのかも知れない。

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