日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百十四話『神風来たりいざ起きよ(後編)』 序

 十一月二十三日月曜日昼、皇(こう)國(こく)は首都統(とう)京(きよう)、皇宮大食堂「翠(すい)玉(ぎよく)の間」。

 現在、主の居ないこの宮殿は侍従達の手によって維持管理されている。

 即(すなわ)ち、実質的に侍従長の紫(し)桐(どう)玄(ひろ)貴(たか)に預けられているのだ。

 

「皆の者、本日はよくお越しくださった」

 

 最奥の七席を空け、紫(し)桐(どう)を始めとする貴族達が顔を並べていた。

 皆、皇(こう)國(こく)でも家格の高い上位の貴族や、神(じん)皇(のう)との関係が深い顔(かお)馴(な)染(じ)みの者達である。

 

「良いのですか、紫(し)桐(どう)卿(きよう)。このような集まりに皇宮を使用して……」

 

 狩(かり)衣(ぎぬ)に烏(え)帽(ぼ)子(し)を被った男――侯爵・花(か)鳥(ちよう)院(いん)夢(ゆめ)春(はる)が斜め向かい側の紫(し)桐(どう)に尋ねる。

 

「勅許は頂いてある。というより、地上での政(まつりごと)を助ける為(ため)に陛下の方から勅命を下賜いただいた。陛下がアメノミナカヌシにて偉業に取り掛かられる間、我々は皇宮を拠点として皇(こう)國(こく)を最善に治めねばならぬ」

「成程、流(さ)石(すが)は紫(し)桐(どう)卿ですわね」

 

 紅一点の人物――女侯爵・玖(く)我(が)麟(りん)子(こ)が紫(し)桐(どう)を讃(たた)えた。

 紫(し)桐(どう)・玖(く)我(が)・花(か)鳥(ちよう)院(いん)、そこに榊(さかき)御(み)門(かど)飯(い)降(ぶり)・菊(きく)屋(や)敷(しき)師(もろ)継(つぐ)の両侯爵を加えた五名は六摂家に次ぐ家格を持つ「青(せい)華(が)家(け)」の当主である。

 皆見た目は二十代から三十代に見えるが、最も若い玖(く)我(が)でさえ五十代、最年長の花(か)鳥(ちよう)院(いん)に至っては百歳を超えている。

 

「扨(さて)て、我々にとって目下の課題は二つ。一つは皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)の統御、そしてもう一つは畏れ多くも皇(こう)國(こく)の正統政府を名乗る賊共への対処だ」

 

 本来ならばこの場にはもう二人、重要な地位を占める者達が顔を揃(そろ)えている筈(はず)だった。

 

(常(とこ)立(たち)研究所の嶼(しま)津(づ)卿が敗れるとは……敵にも相当の実力者が居るようだな)

 

 公爵・嶼(しま)津(づ)寅(とら)宗(むね)は皇(こう)國(こく)でも随(ずい)一(いち)の武(ぶ)装(そう)神(しん)為(い)の使い手であり、常(とこ)立(たち)研究所に彼を配備した以上、皇族か六摂家当主が出て来ない限り落とされない筈だった。

 

(加えて、最高戦力の灰(かい)祇(ぎ)院(いん)卿まで戦死したのは痛手だ。私(わたくし)とて彼まで差し向けるつもりは無かった。動かしたのは……貴(き)龍(りゅう)院(いん)か。そして、皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)に妙な動きがあるな)

 

 紫(し)桐(どう)は思い出す。

 嘗(かつ)て、侯爵・灰(かい)祇(ぎ)院(いん)靜(しず)業(なり)は親戚にして親友である神(じん)皇(のう)のことをこう評していた。

 

『ええですか、紫(し)桐(どう)卿。陛下はあまりにも御強く、一人でなんでも出来てしまわはる故に、従う者の能力や人格に頓着なさあらへん』

『私(わたくし)もそれは感じている。だからこそ私(わたくし)の様な者も御(お)側(そば)に置いていただけているのだ』

『御謙遜を。僕(やつがれ)から見ると、貴方(あなた)は相当優秀やないですか。なんで今まで六摂家の陰に隠れ、貴族院議員にもなってはらへんのか、不思議なくらいですよ』

『その理由、貴方(あなた)も御(ご)存(ぞん)知(じ)だろう。だが侍従長を拝命した以上、私(わたくし)は全てを懸けて陛下にお尽くしする。命も、名誉すらも御(お)捧(ささ)げしよう』

『ほんまに、貴方(あなた)が侍従長に選ばれはって良かった。先刻(さっき)も言いました通り、あの御(お)方(かた)には無能や佞(ねい)臣(しん)がいくらでも近寄って来よる。せやから、貴方(あなた)が取(と)り纏(まと)めるんや。相(ふ)応(さわ)しい者と相応しくない者を適切に使い、再配置する。陛下の治世の成否は貴方(あなた)に懸かっている言うても過言やない』

『……謹んで拝承する』

 

 紫(し)桐(どう)は鋭い眼(め)で、下座に位置する眼帯の男に視線を向けた。

 

「皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)は陛下の剣だ。その暴が陛下の忠臣に向くことあってはならぬ。手(た)綱(づな)は我々が握っている必要がある」

「その役を、私(わたし)が?」

 

 言葉とは裏腹に、男は不敵な笑みを浮かべている。

 

「貴方(あなた)は彼らの思想を完成させた理論的指導者だ。適任でしょう、壬生(みぶ)伯爵」

 

 伯爵・壬生(みぶ)十(じっ)輝(き)――皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)が掲げる「皇道政治」「光(こう)文(ぶん)維新」の提唱者で、貴族を敵視する下級士族や貧農出身の軍人ですら、彼のことは例外として扱っている。

 だがしかし、そんな男すらも紫(し)桐(どう)は既に取り込んでいた。

 

「引き受けましょう、紫(し)桐(どう)公爵閣下。一人巫(ふ)璽(じ)山(さん)を登ってまで陛下のお役に立とうという心意気、真の忠臣として信用に足るものです」

「全ては陛下が望まれる『完璧な新世界』の為だ。あの御方は全ての日本人の御(み)魂(たま)に靖(やす)らぎを齎(もたら)そうとなさっている。私(わたくし)はその為に、一つ重要な勅許を賜ってきた」

 

 紫(し)桐(どう)は天井を仰ぎ見る。

 

「紫(し)桐(どう)家からの分家、没後養子により、観(かん)院(いん)流(りゅう)青(せい)華(が)家(け)の二家を再興せよとのことだ。陛下は日本人の間に生じた全ての蟠(わだかま)りを治められるおつもりなのだ。なんと有難いことか……」

 

 紫(し)桐(どう)家は六摂家と祖を同じくする「観(かん)院(いん)流(りゆう)」の一族である。

 しかしその観(かん)院(いん)流(りゆう)青(せい)華(が)家(け)には元々更に二家が数えられていた。

 久(く)遠(おん)寺(じ)家、そして道(どう)成(じょう)寺(じ)家である。

 前者は先の革命動乱にて鏖(みなごろし)の憂き目に遭い断絶、後者は国家転覆の咎(とが)により断絶後再建されていない。

 

「百年の時を超えて青(せい)華(が)家(け)の七家が揃う、ということですか。いやはや何とも目(め)出(で)度(た)い」

「素晴らしいですな」

 

 二人の白人男性が紫(し)桐(どう)を讃えた。

 幼き神(じん)皇(のう)の教師を務めた独(ド)逸(イツ)系の帰化新華族達だった。

 元語学教師の楼(ろう)染(ぜん)襟(えり)印(いん)――独(ド)逸(イツ)語名・エルヴィン=ローゼンベルク、元世界史教師の絵(え)駈(かる)都(と)繁(しげる)――独(ド)逸(イツ)語名・ジークフリート=エッカートである。

 二人は紫(し)桐(どう)に取り入ろうとしていたが、紫(し)桐(どう)もそれは百も承知だった。

 

(帰化人でありながら国粋主義に傾倒する新華族、この二人は使える。二人に貴(き)龍(りゆう)院(いん)を排除させても、「帰化新華族の裏切り」として処分すれば陛下の御宸(しん)襟(きん)は靖(やす)んじられる)

 

 この場の議題には出さないが、紫(し)桐(どう)にとって最大の懸念は近衛侍女である貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)の存在である。

 これまでは先代神(じん)皇(のう)が居り、また彼が崩御した後ももう一人の近衛侍女・敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)が居て、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は自由に動けなかった。

 しかし、二人の枷(かせ)から解き放たれた貴(き)龍(りゆう)院(いん)は最(も)早(はや)神(じん)皇(のう)を惑わすばかりだろう。

 紫(し)桐(どう)としてはなんとしても排除しなければならない相手だ。

 

「では皆、頼んだぞ。『御(み)魂(たま)靖(やす)らかなる、完璧なる新時代の為に』」

「『御魂靖(やす)らかなる、完璧なる新時代の為に』」

 

 彼らは最後に、標語を唱えて解散した。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 夕刻、同じく統(とう)京(きよう)、荒(あら)木(き)田(だ)邸。

 家主である皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)総裁である大将・荒(あら)木(き)田(だ)将(まさ)夫(お)は小卓に突っ伏して眠りに落ちていた。

 どうやら皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)の青年将校達と酒盛りをしている最中、睡眠薬を盛られたらしい。

 

「どうした、副総裁。この男は陛下より地上を一任されながら、正統政府を名乗る逆賊をのさばらせたのだぞ。その罪、命を以(もつ)て償うのは当然だろう」

 

 総裁の頭に銃口を向けるのは彼の息子・荒(あら)木(き)田(だ)佐(さ)佑(すけ)大尉である。

 灰(かい)祇(ぎ)院(いん)侯爵家当主・靜(しず)業(なり)を粛正した彼であったが、実の父親を相手にすると流石に躊(ちゆう)躇(ちよ)があるらしい。

 そんな彼を、猛(もう)禽(きん)類(るい)の様な眼をした青年剣士・鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)氷(こおり)が急(せ)かしている。

 

「早く殺(や)れ、荒(あら)木(き)田(だ)! 父に代わり総裁になるのではなかったのか!」

「ぐっ……!」

「どうした! 実の父親は殺せんとほざくか! 俺(おれ)は殺(や)り果(おお)せたぞ!」

「殺(や)る! 殺(や)ってやる! 親(おや)父(じ)を……!」

 

 だが撃鉄は下りない。

 そんな荒(あら)木(き)田(だ)大尉の様子に、鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)はとうとう痺(しび)れを切らした。

 

「もう良い!」

 

 一(いつ)閃(せん)、日本刀が翻り、荒(あら)木(き)田(だ)の頸(くび)が斬られ、床に堕(お)ちて嫌な音を立てた。

 酒に酔い、気持ちよさそうな顔のまま、荒(あら)木(き)田(だ)の頭は転がって上を向いた。

 

「うぐっ、親父……!」

「撃てなかったな、荒(あら)木(き)田(だ)。そんな貴様に総裁の座に着く資格は無い」

「くっ……!」

 

 荒(あら)木(き)田(だ)大尉は踏ん切りが付かなかった。

 

「どうする、鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)? 荒(あら)木(き)田(だ)大尉の処遇は」

 

 そんな鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)に、皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)の重役達が詰め寄った。

 

「士道不覚悟として処分するか?」

「まっ、待ってくれ!」

 

 総務会長・伊(い)東(とう)陽(よう)之(の)進(しん)が軍刀の柄に手を掛けた。

 しかし、鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)は首を振って制止する。

 

「荒(あら)木(き)田(だ)大尉には灰(かい)祇(ぎ)院(いん)侯爵粛正の功績がある。それに免じて、今後とも副総裁として心を入れ替えて力を振るってもらおう」

「そうか。だが総裁職はどうする? 次点で幹事長の芹(せり)沢(ざわ)大尉が就任するか?」

「何を言っているんだ?」

 

 鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)は政調会長・新(にい)見(み)虹(こう)の提案を一笑に付す。

 ここまでの遣(や)り取(と)り、既に主導権が誰にあるのかは明らかだろう。

 

「記紀にこの様な条(くだり)がある。『神(じん)武(む)聖帝崩御の折、皇子多(た)研(ぎし)美(み)美(みの)命(みこと)に謀(む)叛(ほん)の企(くわだ)てあり。皇后・媛(ひめ)蹈(た)鞴(たら)五(い)十(す)鈴(ず)媛(ひめ)の歌にてそれを知りし二皇子・神(かむ)渟(ぬ)名(な)川(かわ)耳(みみの)尊(みこと)・神(かむ)八(や)井(い)耳(みみの)命(みこと)、これを誅(ちゆう)す。然(さ)れど弓矢を射りしは弟・神(かむ)八(や)井(い)耳(みみの)尊(みこと)なり。兄・神(かむ)渟(ぬ)名(な)川(かわ)耳(みみの)命(みこと)、躊(ため)躇(ら)いて是(これ)を為(な)せず。而(しか)るに兄是を愧(は)じて弟に皇位を譲り給へり』……。ならば我らもそれに倣い、誅(ちゆう)殺(さつ)を実行した者が総裁の位に就くべきとは思わんか?」

 

 本来、記紀の記述では兄と弟が逆だが、皇(こう)國(こく)の世界線では神(かむ)八(や)井(い)耳(みみの)命(みこと)が皇位を継いだことになっている為、このような記述になっているのだろう。

 しかし、独断で全てを決めようとする鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)だったが、それを咎めたのは総務会長・山(やま)南(なみ)知(とも)郎(ろう)である。

 

「おい待てよ。俺(おれ)達がやったのは下(げ)剋(こく)上(じよう)じゃないか。記紀を当(あ)て嵌(は)めると俺(おれ)達は多(た)研(ぎし)美(み)美(みの)命(みこと)になっちまわないか?」

「ほう、いつから皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)は荒(あら)木(き)田(だ)将(まさ)夫(お)の私兵になったのだ? 軍を統(とう)帥(すい)するは荒(あら)木(き)田(だ)なのか? 貴様らは荒(あら)木(き)田(だ)の兵なのか?」

 

 鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)は刀の鋒(きっさき)を山(やま)南(なみ)に向けた。

 

「い、いや! 俺(おれ)が間違っていた!」

「そうだよな! 皇(こう)國(こく)の軍(みいくさ)は、兵(つわもの)は、皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)は、三千世界の遍(あまね)く凡(すべ)ては神(じん)皇(のう)陛下のもの! ならば我々の為したるは誅殺であって下剋上などではない! つまり! 記紀に倣い俺(おれ)が総裁の座に着くこと、異論はあるまいな!」

「わ、解(わか)った! 総裁は貴方(アンタ)で良い! 鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)新総裁、万歳!」

 

 山(やま)南(なみ)に続き、重役達は口々に鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)を讃え始める。

 鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)はそんな様子を見て、満足気に刀の血を拭って鞘(さや)に収めた。

 斯(か)くして、皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)は急進派の中でも最も過激な思想を持つ伯爵令息・鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)氷(こおり)総裁の新体制に移行した。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 日が沈み、夜を迎えた。

 運命の大(おお)晦(みそ)日(か)まで、時は誰も待たずに刻一刻と迫っていく。

 

 岬(さき)守(もり)航(わたる)はこの日も延々と鍛錬を続け、夕食時を過ぎて漸(ようや)く休憩を許された。

 相変わらず、実戦訓練では麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)に手も足も出ず、何度も伸されてしまっている。

 彼には依然として、神(しん)為(い)の才能が乏しく思う様に成長できていないという現実が伸(の)し掛(か)かっていた。

 

(何故(なぜ)、僕(ぼく)なのだろう……?)

 

 遅い夕食を終えた航(わたる)は、龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸の廊下を歩きながら、ふとそんなことを思い浮かべた。

 

 丁度中庭を脇にしており、そこから月明かりが差し込んでいた。

 航(わたる)は月を見上げ、独り言のように問い掛ける。

 

「どうして僕(ぼく)なんだ……。もっと才能の有る人の方が相応しいだろうに……。それこそ、僕(ぼく)なんかがどうして魅(み)琴(こと)と……、汎(あら)ゆる才能に恵まれ、圧倒的な強さを備え、先代神(じん)皇(のう)と戦うことすら出来たあの魅(み)琴(こと)と運命を共にすることになったんだろう……。こんな何も持たない筈だった、無才な僕(ぼく)が……」

 

 確かに、希望があるとすれば航(わたる)の術(じゅつ)識(しき)神(しん)為(い)である、ということには彼も納得していた。

 そう思わせるだけの判断材料はある。

 

 だが、その運命に導かれたのが自分であった、ということがどうも腑(ふ)に落ちない。

 同じく魅(み)琴(こと)と出会い、恋に落ち、同じ運命を辿(たど)るとすれば、もっと他に持ち得る才能に恵まれた傑物が居たのではないか。

 

「本当に、どうして僕(ぼく)なんかが……」

「それは屹(きつ)度(と)、貴方(あなた)だからこそよ」

 

 突然の声に中庭の方を向くと、そこには麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)――悩みの種の一つだった才気をこれでもかと注がれて生まれた選ばれし者が立っていた。

 彼女も何となくこの場へやって来たところだったらしい。

 

「僕(ぼく)だからこそ?」

「少なくとも私(わたし)はそう信じるわ。何より私(わたし)も嫌だもの。貴方(あなた)以外の誰かが貴方(あなた)の代わりだなんて、ね」

 

 魅(み)琴(こと)はそう言うと航(わたる)の傍(おか)に歩み寄ってきた。

 風呂上がりの好(い)い香りが悩める航(わたる)の頬(ほお)を少し緩ませる。

 二人は縁側の隣同士に腰掛けた。

 

「ありがとう。そう言って貰(もら)えると助かるよ。後は明日から一寸(ちよつと)手心を加えてくれれば一層有り難いけどね」

「それは無理ね。こんなに愉(たの)しい事……じゃなかった、大事なことに手は抜けないわ」

「本音が漏れてるよ、全く……。やっぱり昨晩の風呂での声は君(きみ)だったんだろう」

「あら、聞こえていたの。まあ自信を失くしているみたいだから、一寸フォローを入れておこうと思っていたのよ。前にも言ったけれど、貴方(あなた)のことを凄(すご)い人だと尊敬しているから、誤解してほしくなくてね……」

「そか……」

 

 航(わたる)は少し、自尊心を擽(くすぐ)られた気がした。

 周囲だけでなく他ならぬ魅(み)琴(こと)が航(わたる)の力と成長に期待して鍛えてくれている、ということ自体は身に余る光栄だった。

 

「気休めでも嬉(うれ)しいな、君(きみ)に評価されるのは。なんだかんだで、僕(ぼく)は君(きみ)に恋をし続けているんだ。付き合うようになった今でも、君(きみ)の言動に一喜一憂してしまう」

「だから、気休めじゃないわよ。まあ上から目線ではあるけれどね」

「自分で上から目線って言う人、初めて見たよ」

 

 だが航(わたる)は、自分に謙遜しない魅(み)琴(こと)のことも好きだった。

 とはいえ、そんな評価に応えられていない現状には、思わず溜息が出てしまう。

 

「ごめんね。僕(ぼく)にもう少し才能があったら良かったのに……」

「ふふふ、前にも言ったけど、そういう戦いの才能に恵まれていない貴方(あなた)が好きなのよ、私(わたし)は」

「誉(ほ)め言葉と受け取っておくよ。でも、今はそんなことを言っていられない……」

 

 自分の才の無さに思い詰める航(わたる)は俯(うつむ)く。

 

「魅(み)琴(こと)、僕(ぼく)だからこそだと、本気でそう思うのかい?」

 

 航(わたる)は本当の、嘘(うそ)偽りない真実の言葉を欲して魅(み)琴(こと)に問い掛けた。

 そんな彼に対し、魅(み)琴(こと)は一点の曇りの無い眼で答える。

 

「本気よ。貴方(あなた)の才能の無さも、運命は屹度全て織り込み済みなのよ」

 

 魅(み)琴(こと)には何か、航(わたる)には思いもよらない確信があるらしい。

 

「御(お)爺(じい)様(さま)と少しお話したわ」

 

 魅(み)琴(こと)は語り始める。

 何故岬(さき)守(もり)航(わたる)という男が、元々才能の乏しい彼が運命に選ばれたのか、彼女が得た確信めいた答えを。

 月明かりが二人を柔らかく照らし、青く美しく彩(いろど)っていた。

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