十一月二十三日月曜日昼、皇國は首都統京、皇宮大食堂「翠玉の間」。
現在、主の居ないこの宮殿は侍従達の手によって維持管理されている。
即ち、実質的に侍従長の紫桐玄貴に預けられているのだ。
「皆の者、本日はよくお越しくださった」
最奥の七席を空け、紫桐を始めとする貴族達が顔を並べていた。
皆、皇國でも家格の高い上位の貴族や、神皇との関係が深い顔馴染みの者達である。
「良いのですか、紫桐卿。このような集まりに皇宮を使用して……」
狩衣に烏帽子を被った男――侯爵・花鳥院夢春が斜め向かい側の紫桐に尋ねる。
「勅許は頂いてある。というより、地上での政を助ける為に陛下の方から勅命を下賜いただいた。陛下がアメノミナカヌシにて偉業に取り掛かられる間、我々は皇宮を拠点として皇國を最善に治めねばならぬ」
「成程、流石は紫桐卿ですわね」
紅一点の人物――女侯爵・玖我麟子が紫桐を讃えた。
紫桐・玖我・花鳥院、そこに榊御門飯降・菊屋敷師継の両侯爵を加えた五名は六摂家に次ぐ家格を持つ「青華家」の当主である。
皆見た目は二十代から三十代に見えるが、最も若い玖我でさえ五十代、最年長の花鳥院に至っては百歳を超えている。
「扨て、我々にとって目下の課題は二つ。一つは皇道保守黨の統御、そしてもう一つは畏れ多くも皇國の正統政府を名乗る賊共への対処だ」
本来ならばこの場にはもう二人、重要な地位を占める者達が顔を揃えている筈だった。
(常立研究所の嶼津卿が敗れるとは……敵にも相当の実力者が居るようだな)
公爵・嶼津寅宗は皇國でも随一の武装神為の使い手であり、常立研究所に彼を配備した以上、皇族か六摂家当主が出て来ない限り落とされない筈だった。
(加えて、最高戦力の灰祇院卿まで戦死したのは痛手だ。私とて彼まで差し向けるつもりは無かった。動かしたのは……貴龍院か。そして、皇道保守黨に妙な動きがあるな)
紫桐は思い出す。
嘗て、侯爵・灰祇院靜業は親戚にして親友である神皇のことをこう評していた。
『ええですか、紫桐卿。陛下はあまりにも御強く、一人でなんでも出来てしまわはる故に、従う者の能力や人格に頓着なさあらへん』
『私もそれは感じている。だからこそ私の様な者も御側に置いていただけているのだ』
『御謙遜を。僕から見ると、貴方は相当優秀やないですか。なんで今まで六摂家の陰に隠れ、貴族院議員にもなってはらへんのか、不思議なくらいですよ』
『その理由、貴方も御存知だろう。だが侍従長を拝命した以上、私は全てを懸けて陛下にお尽くしする。命も、名誉すらも御捧げしよう』
『ほんまに、貴方が侍従長に選ばれはって良かった。先刻も言いました通り、あの御方には無能や佞臣がいくらでも近寄って来よる。せやから、貴方が取り纏めるんや。相応しい者と相応しくない者を適切に使い、再配置する。陛下の治世の成否は貴方に懸かっている言うても過言やない』
『……謹んで拝承する』
紫桐は鋭い眼で、下座に位置する眼帯の男に視線を向けた。
「皇道保守黨は陛下の剣だ。その暴が陛下の忠臣に向くことあってはならぬ。手綱は我々が握っている必要がある」
「その役を、私が?」
言葉とは裏腹に、男は不敵な笑みを浮かべている。
「貴方は彼らの思想を完成させた理論的指導者だ。適任でしょう、壬生伯爵」
伯爵・壬生十輝――皇道保守黨が掲げる「皇道政治」「光文維新」の提唱者で、貴族を敵視する下級士族や貧農出身の軍人ですら、彼のことは例外として扱っている。
だがしかし、そんな男すらも紫桐は既に取り込んでいた。
「引き受けましょう、紫桐公爵閣下。一人巫璽山を登ってまで陛下のお役に立とうという心意気、真の忠臣として信用に足るものです」
「全ては陛下が望まれる『完璧な新世界』の為だ。あの御方は全ての日本人の御魂に靖らぎを齎そうとなさっている。私はその為に、一つ重要な勅許を賜ってきた」
紫桐は天井を仰ぎ見る。
「紫桐家からの分家、没後養子により、観院流青華家の二家を再興せよとのことだ。陛下は日本人の間に生じた全ての蟠りを治められるおつもりなのだ。なんと有難いことか……」
紫桐家は六摂家と祖を同じくする「観院流」の一族である。
しかしその観院流青華家には元々更に二家が数えられていた。
久遠寺家、そして道成寺家である。
前者は先の革命動乱にて鏖の憂き目に遭い断絶、後者は国家転覆の咎により断絶後再建されていない。
「百年の時を超えて青華家の七家が揃う、ということですか。いやはや何とも目出度い」
「素晴らしいですな」
二人の白人男性が紫桐を讃えた。
幼き神皇の教師を務めた独逸系の帰化新華族達だった。
元語学教師の楼染襟印――独逸語名・エルヴィン=ローゼンベルク、元世界史教師の絵駈都繁――独逸語名・ジークフリート=エッカートである。
二人は紫桐に取り入ろうとしていたが、紫桐もそれは百も承知だった。
(帰化人でありながら国粋主義に傾倒する新華族、この二人は使える。二人に貴龍院を排除させても、「帰化新華族の裏切り」として処分すれば陛下の御宸襟は靖んじられる)
この場の議題には出さないが、紫桐にとって最大の懸念は近衛侍女である貴龍院皓雪の存在である。
これまでは先代神皇が居り、また彼が崩御した後ももう一人の近衛侍女・敷島朱鷺緒が居て、貴龍院は自由に動けなかった。
しかし、二人の枷から解き放たれた貴龍院は最早神皇を惑わすばかりだろう。
紫桐としてはなんとしても排除しなければならない相手だ。
「では皆、頼んだぞ。『御魂靖らかなる、完璧なる新時代の為に』」
「『御魂靖らかなる、完璧なる新時代の為に』」
彼らは最後に、標語を唱えて解散した。
⦿⦿⦿
夕刻、同じく統京、荒木田邸。
家主である皇道保守黨総裁である大将・荒木田将夫は小卓に突っ伏して眠りに落ちていた。
どうやら皇道保守黨の青年将校達と酒盛りをしている最中、睡眠薬を盛られたらしい。
「どうした、副総裁。この男は陛下より地上を一任されながら、正統政府を名乗る逆賊をのさばらせたのだぞ。その罪、命を以て償うのは当然だろう」
総裁の頭に銃口を向けるのは彼の息子・荒木田佐佑大尉である。
灰祇院侯爵家当主・靜業を粛正した彼であったが、実の父親を相手にすると流石に躊躇があるらしい。
そんな彼を、猛禽類の様な眼をした青年剣士・鸙屋敷氷が急かしている。
「早く殺れ、荒木田! 父に代わり総裁になるのではなかったのか!」
「ぐっ……!」
「どうした! 実の父親は殺せんとほざくか! 俺は殺り果せたぞ!」
「殺る! 殺ってやる! 親父を……!」
だが撃鉄は下りない。
そんな荒木田大尉の様子に、鸙屋敷はとうとう痺れを切らした。
「もう良い!」
一閃、日本刀が翻り、荒木田の頸が斬られ、床に堕ちて嫌な音を立てた。
酒に酔い、気持ちよさそうな顔のまま、荒木田の頭は転がって上を向いた。
「うぐっ、親父……!」
「撃てなかったな、荒木田。そんな貴様に総裁の座に着く資格は無い」
「くっ……!」
荒木田大尉は踏ん切りが付かなかった。
「どうする、鸙屋敷? 荒木田大尉の処遇は」
そんな鸙屋敷に、皇道保守黨の重役達が詰め寄った。
「士道不覚悟として処分するか?」
「まっ、待ってくれ!」
総務会長・伊東陽之進が軍刀の柄に手を掛けた。
しかし、鸙屋敷は首を振って制止する。
「荒木田大尉には灰祇院侯爵粛正の功績がある。それに免じて、今後とも副総裁として心を入れ替えて力を振るってもらおう」
「そうか。だが総裁職はどうする? 次点で幹事長の芹沢大尉が就任するか?」
「何を言っているんだ?」
鸙屋敷は政調会長・新見虹の提案を一笑に付す。
ここまでの遣り取り、既に主導権が誰にあるのかは明らかだろう。
「記紀にこの様な条がある。『神武聖帝崩御の折、皇子多研美美命に謀叛の企てあり。皇后・媛蹈鞴五十鈴媛の歌にてそれを知りし二皇子・神渟名川耳尊・神八井耳命、これを誅す。然れど弓矢を射りしは弟・神八井耳尊なり。兄・神渟名川耳命、躊躇いて是を為せず。而るに兄是を愧じて弟に皇位を譲り給へり』……。ならば我らもそれに倣い、誅殺を実行した者が総裁の位に就くべきとは思わんか?」
本来、記紀の記述では兄と弟が逆だが、皇國の世界線では神八井耳命が皇位を継いだことになっている為、このような記述になっているのだろう。
しかし、独断で全てを決めようとする鸙屋敷だったが、それを咎めたのは総務会長・山南知郎である。
「おい待てよ。俺達がやったのは下剋上じゃないか。記紀を当て嵌めると俺達は多研美美命になっちまわないか?」
「ほう、いつから皇道保守黨は荒木田将夫の私兵になったのだ? 軍を統帥するは荒木田なのか? 貴様らは荒木田の兵なのか?」
鸙屋敷は刀の鋒を山南に向けた。
「い、いや! 俺が間違っていた!」
「そうだよな! 皇國の軍は、兵は、皇道保守黨は、三千世界の遍く凡ては神皇陛下のもの! ならば我々の為したるは誅殺であって下剋上などではない! つまり! 記紀に倣い俺が総裁の座に着くこと、異論はあるまいな!」
「わ、解った! 総裁は貴方で良い! 鸙屋敷新総裁、万歳!」
山南に続き、重役達は口々に鸙屋敷を讃え始める。
鸙屋敷はそんな様子を見て、満足気に刀の血を拭って鞘に収めた。
斯くして、皇道保守黨は急進派の中でも最も過激な思想を持つ伯爵令息・鸙屋敷氷総裁の新体制に移行した。
⦿⦿⦿
日が沈み、夜を迎えた。
運命の大晦日まで、時は誰も待たずに刻一刻と迫っていく。
岬守航はこの日も延々と鍛錬を続け、夕食時を過ぎて漸く休憩を許された。
相変わらず、実戦訓練では麗真魅琴に手も足も出ず、何度も伸されてしまっている。
彼には依然として、神為の才能が乏しく思う様に成長できていないという現実が伸し掛かっていた。
(何故、僕なのだろう……?)
遅い夕食を終えた航は、龍乃神邸の廊下を歩きながら、ふとそんなことを思い浮かべた。
丁度中庭を脇にしており、そこから月明かりが差し込んでいた。
航は月を見上げ、独り言のように問い掛ける。
「どうして僕なんだ……。もっと才能の有る人の方が相応しいだろうに……。それこそ、僕なんかがどうして魅琴と……、汎ゆる才能に恵まれ、圧倒的な強さを備え、先代神皇と戦うことすら出来たあの魅琴と運命を共にすることになったんだろう……。こんな何も持たない筈だった、無才な僕が……」
確かに、希望があるとすれば航の術識神為である、ということには彼も納得していた。
そう思わせるだけの判断材料はある。
だが、その運命に導かれたのが自分であった、ということがどうも腑に落ちない。
同じく魅琴と出会い、恋に落ち、同じ運命を辿るとすれば、もっと他に持ち得る才能に恵まれた傑物が居たのではないか。
「本当に、どうして僕なんかが……」
「それは屹度、貴方だからこそよ」
突然の声に中庭の方を向くと、そこには麗真魅琴――悩みの種の一つだった才気をこれでもかと注がれて生まれた選ばれし者が立っていた。
彼女も何となくこの場へやって来たところだったらしい。
「僕だからこそ?」
「少なくとも私はそう信じるわ。何より私も嫌だもの。貴方以外の誰かが貴方の代わりだなんて、ね」
魅琴はそう言うと航の傍に歩み寄ってきた。
風呂上がりの好い香りが悩める航の頬を少し緩ませる。
二人は縁側の隣同士に腰掛けた。
「ありがとう。そう言って貰えると助かるよ。後は明日から一寸手心を加えてくれれば一層有り難いけどね」
「それは無理ね。こんなに愉しい事……じゃなかった、大事なことに手は抜けないわ」
「本音が漏れてるよ、全く……。やっぱり昨晩の風呂での声は君だったんだろう」
「あら、聞こえていたの。まあ自信を失くしているみたいだから、一寸フォローを入れておこうと思っていたのよ。前にも言ったけれど、貴方のことを凄い人だと尊敬しているから、誤解してほしくなくてね……」
「そか……」
航は少し、自尊心を擽られた気がした。
周囲だけでなく他ならぬ魅琴が航の力と成長に期待して鍛えてくれている、ということ自体は身に余る光栄だった。
「気休めでも嬉しいな、君に評価されるのは。なんだかんだで、僕は君に恋をし続けているんだ。付き合うようになった今でも、君の言動に一喜一憂してしまう」
「だから、気休めじゃないわよ。まあ上から目線ではあるけれどね」
「自分で上から目線って言う人、初めて見たよ」
だが航は、自分に謙遜しない魅琴のことも好きだった。
とはいえ、そんな評価に応えられていない現状には、思わず溜息が出てしまう。
「ごめんね。僕にもう少し才能があったら良かったのに……」
「ふふふ、前にも言ったけど、そういう戦いの才能に恵まれていない貴方が好きなのよ、私は」
「誉め言葉と受け取っておくよ。でも、今はそんなことを言っていられない……」
自分の才の無さに思い詰める航は俯く。
「魅琴、僕だからこそだと、本気でそう思うのかい?」
航は本当の、嘘偽りない真実の言葉を欲して魅琴に問い掛けた。
そんな彼に対し、魅琴は一点の曇りの無い眼で答える。
「本気よ。貴方の才能の無さも、運命は屹度全て織り込み済みなのよ」
魅琴には何か、航には思いもよらない確信があるらしい。
「御爺様と少しお話したわ」
魅琴は語り始める。
何故岬守航という男が、元々才能の乏しい彼が運命に選ばれたのか、彼女が得た確信めいた答えを。
月明かりが二人を柔らかく照らし、青く美しく彩っていた。