同じ頃、根尾弓矢は龍乃神邸から一本の電話を入れていた。
「もしもし。白檀、そっちの調子はどうだ?」
『一寸時間が掛かっちゃいましたが、上手くセッティング出来ましたよー』
根尾は一足先に帰国させた白檀揚羽に一つ仕事を頼んでいた。
その為に彼女は先ず、現政府の首脳陣と信頼関係を構築。
彼女の最大の強みである人材形成能力を生かし、一つ会談の場を用意しようとしていた。
『今頃、閣僚が雁首揃えて党首会談でもしているんじゃないですかねー』
「そうか。ありがとう、御苦労だった」
『いえいえ、どういたしましてー。これくらい朝飯前、お安い御用ですよー』
「流石だな。後は会談が上手く行ってくれれば良いが……」
『そこは大重鎮であるあの方も一枚噛んでいますし、大船に乗った気で居て大丈夫だと思いますよー』
「大重鎮? 一寸待て白檀、今回の会談は真柴前総理に御助力いただいたのではないのか?」
根尾には白檀の発言に心当たりが無かった。
彼が彼女に伝えた指示は、南川総理と真柴前総理の会談の場を設け、そこに一人の人物を立ち会わせることだった。
それ以上の政治家を引き込むことまでは指示していない。
「真柴元総理以外に誰が噛んでいる?」
『天羽元総理ですねー』
「本気で言っているのか……?」
白檀揚羽は元々、皇國で現神皇や皇妹を始めとした超大物とも平気で人脈を築いてきた女である。
日本国の大物政治家を次々と人脈に加えるくらい朝飯前なのかも知れない。
「白檀、俺はお前のことが怖くなってきたよ……」
『根尾さん、今後政界入りを見据えているんですよね? 私をお嫁さんにしてくれたら何かとお役に立てますよー』
「……有難い申し出だが、俺は既に結婚している」
『は!? 初耳なんですけど!』
「最近の話だからな。狼ノ牙の捜査中に知り合いに押し掛けられて、そのまま一気にそうなった」
『てことは長く見積もっても付き合って二箇月半くらいじゃないですか! 速すぎでしょ!』
「式はまだだから、その時は招待させてくれ」
『酷い! 結婚を申し込んできた女に言うことですか!』
「す、すまん。冗談じゃなかったのか……」
『冗談ですけど! 何なら私にも彼氏が居ますけど!』
「……俺は今何に文句を言われているんだ?」
『自分で考えてください!』
根尾は訳が解らず、頭を抱えた。
白檀は明らかに揶揄ってきている調子だったのだが、何故彼女が逆ギレしているのか、見当も付かなかった。
『根尾さん、新婚の奥さんを一人にしてはいけませんよ。絶対に帰って来てくださいね』
「ん? ああ、そうだな。幸か不幸か、俺は戦いに挑む訳じゃないからな。結果がどうあれ、年が明けたら帰国することになるだろう」
そう、これから命を懸けて神皇に挑む人員の中に、根尾は含まれていない。
但し、根尾は解っている。
もし神皇に負けたとしたら、後に待っているのは紫桐一派や皇道保守黨など、彼を神と崇め忠誠を尽くす危険な勢力である。
ならば神皇に刃向かった彼らの命の保証は、実は期待出来ない。
「白檀」
『なんですか?』
「いつも助かっている。結婚式、呼ばせてくれ」
『はいはい、解りましたよ』
夜は更けていく。
⦿⦿⦿
日本国では丁度夕食時である。
内閣総理大臣・南川和之は、外務大臣の相野幸靖から緊急の会合に呼び出されていた。
一体何事かと閣議室に赴いてみると、そこには相野の他に前総理・真柴和也と、そしてもう一人、初老の男が坐っていた。
他には官房長官・与野党の幹事長が同席している。
「真柴さんまでいらっしゃるとは……。内密の話ではなかったのですか、相野外相?」
南川首相が尋ねると、相野外相は首を傾げる。
そして驚くべきことを口走った。
「総理、私は貴方に呼び出されて来たのですよ? 前総理も総理に相席を頼まれたと、そう仰っていました。それで、総理の到着をお待ちしていたのです」
「はい!?」
南川には何が何やらわからない。
相野もこのような冗談を言うような人物ではない。
二人して困惑していると、真柴は徐に語り始めた。
「申し訳御座いません。今回の集まりは私から言いだしたことなのです。御二人には此方の御方と是非会っていただきたかった」
「ま、真柴さん!? 貴方がこの場を仕組んだのですか!? 其方は一体どなたなのです?」
南川は狼狽して第四の男を指差した。
しかし、すぐさまこの一件の首謀者、第五の男が彼の背後に現れた。
「南川総理、他人を指差すたァ余り感心しませんな」
その男の姿を見て、南川は頭を抱えた。
確かに、彼からこのような席を設けたいと切り出されても、先ず受けなかっただろう。
相野もまた、それは同じである。
この男こそは、野党時代における彼らの不倶戴天の政敵だった。
天羽嘉郎――保守勢力最大の派閥を率いる、政界の大重鎮である。
彼は飄々と悪びれもせず非難を躱し、謎の老人の隣に腰掛けた。
「扨て、もうお解りでしょうが、此方の御方をお呼びしたのはこの私、天羽です。先ずは私達の新しい『御友達』を御紹介致しましょう」
言葉に込められた皮肉に気付かない南川と相野ではなく、二人して仏頂面を並べていた。
そんな彼らに構わず、男は自己紹介した。
「南川和之内閣総理大臣閣下、相野幸靖外務大臣閣下、私は皇國正統政府暫定内閣総理大臣・芳原輝多郎と申します」
男から飛び出た名前に南川と相野は心臓が止まるほど驚いた。
皇國で起きている政変に首を突っ込みたくない南川にとって、正に不意打ちに近い形で最悪の会席を設けられたことになる。
「なっ、芳原氏!? どういうことですか! 一体いつの間に、何処の誰が我が国への入国を許可したのですか! 法的根拠はどうなっているのです!」
「南川総理、彼が我が国にお越しになる根拠を作ったのは他ならぬ貴方ですよ?」
天羽はにやにやと意地の悪い笑みを浮かべながら南川に落ち着くよう諭す。
「皇國は現在内乱状態にあると御認めになったのは貴方だ。ならば、彼が皇國の政治的事由により我が国に亡命しようと考えても何らおかしくないではありませんか。そして彼が日本国と皇國の間にある海「皇海」上で我が国に保護されてしまった以上、人道的な立場を鑑みても、我が国の価値観に照らし合わせても、その生命を保護すべく一旦身柄をお預かりするのは自然なことでは? 実際、現場の自衛官はそう判断したからこそ、正統政府の中心人物である彼をそのまま我が国に輸送したのです」
「わ、私が皇國は内乱状態だと認めた!?」
「ええ。貴方は皇國正統政府に人的支援を求められた際に断っていますね。国民を内乱に巻き込むつもりか、と」
南川と相野は反論出来ず、すっかりやり込められたかのように黙りこくってしまった。
尤も、以前はこのようなやり方など罷り通らなかった。
皇奏手が真柴政権で推し進めた安全保障改革の中には、輸送対象者選抜のポジティブリスト方式を有事且つ日本及び相手国に限りネガティブリスト方式にできるようにするというものがあった。
これは偏に、未知の拉致被害者救出を考慮してのことだった。
実際、開戦の折に航が超級為動機神体で「邦人を輸送」した際、対象に指定された魅琴だけでなく雲野幽鷹を入れることが出来た根拠にもなっている。
そして、現政権が否定する皇の政治成果をさらりと追認の根拠にされて仏頂面を浮かべる南川に対し、追い打ちをかける様に、芳原が彼らに願い出る。
「本日は、私を受け入れてくださったお礼を貴方方に直接申し上げたく思いまして、貴国に亡命させて頂いてから真先に御会いくださった天羽殿にこの場を設けて頂いたのです。つきましては、貴国に皇國正統政府を承認して頂きたい」
「因みにですが、既に各国は承認に向けて動いております」
真柴も逃げ道を塞ぐかのように追い打ちをかける。
しかし、尚も南川は首を縦に振ろうとしない。
「真柴さん、貴方ならお解りになるでしょう……。何事も勇ましく声を上げて猪突猛進に事を進めれば良いというものではない。我が国には我が国の国益と、原理原則というものがある……」
「承認は出来ない、と?」
「申し訳ありません、芳原さん。我が国としては、表立って皇國と対立する訳には……」
「そうですか……。ではせめて、私やその他、戦闘能力を持たない者達を貴国で受け容れていただけませんか? 今の皇國の情勢ですといつ殺されてもおかしくはないのです」
「それは……。我が国で亡命政府として活動させてほしい、と? 申し訳御座いませんが……」
南川の言葉に、天羽は初めて表情から笑みが消し、そして小さく呟いた。
「何言ってやがんだ貴方は……」
心底呆れ果てた、という様に彼は続ける。
「皇國と対立したくねえって、つまり貴方は容認するってェことかい? 神皇の奴がやらかしてる全世界に対する絶滅政策を」
「しかし、そうは申されましても我が国が生き残る為には……」
南川がそう口答えした瞬間、天羽は卓を叩いた。
「いい加減にしなさいよ! 今貴方のしていることは政治責任の放棄だ! 運命を決める選択をして、歴史の法廷に立つ覚悟が出来ないからと、徒に楽な方へ流され状況に追従しているだけだ! 事此処に至ってそんな様で、歴代の総理大臣に顔向けが出来んのかい? いい加減に目を覚ましやがれってんだ!」
「貴方こそ無責任な野党だから威勢の良い事が言えるだけだ! そんなに戦争がしたいんですか! 勝ち目の無い戦争が!」
南川は負けじと食い下がるが、ここで突然、天羽はまた笑みを浮かべた。
「総理、何も戦争を再開しようだなんて、そんなこと俺は一言も言っちゃいねえよ」
「は?」
「日本国はいつでも国際協調を重んじ、武力による現状変更を容認せず、最後まで諦めず対話と圧力で解決する……。だろ?」
天羽の言葉に南川と相野は顔を見合わせた。
どうにも話が見えてこない。
そんな彼らを言い包めるように、天羽は打って変わって穏やかな口調で持論を述べる。
「これは元総理として、あくまで野党の一議員の対案だと思って聴いてください。一先ず、この場は芳原氏他亡命者を受け容れましょう」
「そ、それでは亡命政府を承認して神皇と表立って対立することに……」
「いやいや、それは保留で良いでしょう。しかし、我が国には言論・思想、そして結社の自由がある。彼らが亡命政府として活動することは、承認はしないまでも禁ずる法的根拠が無い」
「そ、それはそうですが……」
「そして総理、貴方の頭を悩ませているのは、貴方に先方の説得が難しいから、そうではありませんか?」
確かに、その通りだ。
南川の思惑通り、神皇を説得できれば事は全て解決するのだが、そうはいかないから彼は追い詰められ、自暴自棄になっている。
「確かに南川総理、貴方は皇國とのパイプも細く、碌に関係を構築できていない以上、先方の頑なな態度を崩すのは難儀でしょう。しかし、もっと以前より親交がある、気心の知れた方ならどうです?」
「そ、それは……。」
「しかし、天羽さん」
押し負けそうになっている南川に代わり、真柴が口を挟んだ。
「気心の知れた方の説得というのならば、既に御弟妹が対立関係となっているではありませんか?」
「確かにそうだが、彼らは陛下と対等に話せる間柄でもないだろう? 俺が言っているのは、あくまで我が国の人材。以前より親交があり、腹を割って対等に話せる人物だよ」
此処へ来て、南川と相野は天羽の意図を察した。
求めているのはやはり、現在皇國正統政府が進めている作戦の承認である。
本質的な要求は最初から何も変わっていない。
「アメノミナカヌシに岬守航ら使節団を派遣することを認めろ、と?」
「あくまで平和的な話し合いの為だ。これなら我が国の理念、価値観にも背かない。正統政府を承認する訳ではないので神皇と表立って敵対するではなく、また芳原氏他の亡命を受け入れる事で立場は正統政府側であると国際社会に示せる」
南川は少し考え込み、間を置いた後、遂に認めた。
「解りました。但し、直前までは声明の発表等で説得を続けます。派遣はあくまで最終日まで翻意が叶わなかった時。予告の日の出前。最後の手段としてです。それなら認めましょう。日本国首相として」
この夜、南川総理の目も醒めた様だ。
愈々、戦いに向けて全ての準備は整った。
出撃は大晦日、神皇が粛清開始を宣言している期日前の最後のチャンスに行われる。
翌日、皇國の航達にも連絡が行き、来たる時に備え最後の調整が始まった。