十一月二十四日火曜日夜、無窮為動機神体・アメノミナカヌシ内部「皇祖皇宗の廻廊」。
二手に分かれ、それぞれ日本国と皇國の歴代帝の銅像が見下ろす大廻廊のうち、皇國の歴代帝が並ぶ側で、貴龍院皓雪は二人の男を斬り伏せていた。
「紫桐……まさかこの私を排除する一手をこうも早々に打ってくるとはね……」
刀に付いた血を振り払い、鞘に収める彼女の脇で鮮血に塗れて倒れ伏すのは、二人の帰化新華族――男爵・楼染襟印ことエルヴィン=ローゼンベルク、男爵・絵駈都繁ことジークフリート=エッカートである。
二人は下級貴族でありながら、幼少期の神皇にそれぞれ語学と史学を教授した縁で上級貴族に混じって紫桐一派に加わっていた者達である。
つまり、二人は貴龍院を始末する為に送り込まれた侍従長・紫桐玄貴の刺客であった。
とはいえ、紫桐の目的はただ単純に貴龍院を殺害しようというものではない。
「こいつらの能力、私にとっては中々面倒なものだったわ」
貴龍院は肩で息をしていた。
といっても、二人を相手に苦戦した訳ではない。
戦い自体は、貴龍院の一太刀の下に二人が斬り伏せられてあっさり決着している。
しかし、二人はそれぞれの能力に貴龍院を捉えることに成功していた。
楼染の能力は、身体のエネルギー消費を大幅に増大させるというものである。
これに因り、貴龍院は一挙手一投足はおろか、基礎代謝だけで膨大な体力を消耗してしまう。
神為を以てしても疲労困憊となり、立っていることもままならなかった。
更に、絵駈都の能力は体内の悪玉菌を活性化させる。
悪いことに楼染の能力によって免疫細胞の活動にも大量のエネルギーを消耗してしまう為、彼女は今や全ての神為を状態の恢復に当てなければならない状態に追い込まれていた。
(おそらく二人に、そして紫桐にも戦闘で私を殺すつもりは無かった。ただ、いつ死んでもおかしくない状態に追い込むことで、不慮の事故を装おうというもの)
そう、紫桐は貴龍院を佞臣と判断し始末しようとしているが、ただ消してしまうと神皇の信頼する臣下を独断で除くことになってしまい、不興を買うだろう。
そこで、二人の能力を使って貴龍院を間接的な死に追い込もうとしたのだ。
また、帰化新華族という二人の素性も都合が良かった。
(万に一つ二人の仕業と陛下に発覚しても、帰化新華族の暴走ということにすれば日本人を愛する陛下の世界観は守れるという訳ね。小賢しい真似を……)
しかし、貴龍院は不敵な笑みを浮かべる。
思わぬ相手に追い込まれた貴龍院だったが、彼女の命には遠く及ばないのもまた事実であった。
貴龍院には死を限りなく遠ざける「穢詛禍終」の邪法があり、並大抵のことでは死なないのだ。
これは紫桐にとって最大の誤算だろう。
「やれやれ、大事な時期だというのにどっと疲れてしまったわぁ……」
『とんだ災難で御座いましたな、媛様』
『あら三入君、お疲れ様ぁ』
彼女の脳裡に、仲間である閏閒三入が思念を飛ばしてきた。
『アメノミナカヌシの解析が完了いたしました』
『思ったよりも早かったわねぇ』
『自力での解析は極めて困難と早々に見切りを付け、最高級の人工知能に解析させました。尤も、最高級の人工知能自体が陛下の手で組まれたものですので、そのままでは禁則事項に引っ掛かってしまい解析は拒否されてしまいましたが、別の人工知能に脱獄の手段を尋ね、命令文を組ませました。まあそれも拒否された為、また別の人工知能に脱獄命令文を組ませるよう試み……と、何重にも脱獄を繰り返すのは骨が折れましたがな』
『あー、そういう難しい話は結構よぉ。兎に角、アメノミナカヌシの制御権を私のものにする準備は出来たのねぇ?』
貴龍院は歪んだ笑みを浮かべた。
宇宙を創造し、それを利用して世界線の枝を摘み取るという絶大なる力を持つアメノミナカヌシを、自らの思い通りにする――それは神皇を出し抜いて日本人を根絶やしにしようとする貴龍院にとって、降って湧いた妙手だった。
『如何なさいますか、媛様? 早速、この宇宙の近傍に宇宙を創造し、対消滅させてしまいますか?』
『残念ながら一寸今は無理ねぇ。私が恢復するまで手は出さないでおきましょう。下手に制御権を移したまま放置して、陛下に感付かれでもしたら一巻の終わりだわぁ』
『承知いたしました。それならばもう一つ、アメノミナカヌシとは別に面白い座興を仕掛けることも可能ですぞ』
閏閒の提案を聞き、貴龍院はおどろおどろしい笑い声を上げた。
『良いわねぇ! それならばあの目障りな弟妹を葬る目途が立つわぁ!』
『では、その様に進めます』
『決行は大晦日、奴らが反攻に転じる出鼻を挫いてやりましょう。それまで私は、鬱陶しい二人から受けた疲労の恢復に専念する』
『畏まりました、ではお大事に……』
何やら二人は良からぬことを多く企んでいた。
最終日、岬守航と麗真魅琴はそう易々と最後の戦いに赴ける訳ではないらしい。
⦿⦿⦿
十二月八日火曜日、運命の日まで残り一箇月を切った。
この日までに日本国は、戦闘能力を持たず命の危険があるとされた数名の皇國正統政府閣僚の亡命を受け容れ終えた。
引き渡しは自衛隊機と摂関家連合兵団機との間で行われ、実施の際に連合兵団が皇道保守黨系の正規軍に撃墜されることも屡々あり、亡命叶わず命を落とした閣僚も何人か居たものの、概ね正統政府として活動する人員は日本国に揃ったと言える。
そんな中、二人の男と二人の女が夜の海を眺めていた。
といっても、彼らは別に男女の関係がある二組ではない。
謂わば盟友か、将又好敵手か、そう言った関係の者達だった。
「今回はお疲れ様でした、天羽先生」
最年長の天羽嘉郎元総理に頭を下げたのは、伴藤明美――亡き皇奏手の元秘書である。
彼女は今、皇の伝で天羽の秘書の一人となっていた。
「いやー、本当に助かりましたよー。伴藤さんが天羽さんの秘書で良かったです」
一仕事終えたといった様子で伸びをするのは白檀揚羽である。
彼女は元々真柴和也前総理と懇意にしていたが、今回念には念を押す形で伴藤に取り次ぎを頼み、天羽と接触したのだ。
「ま、こちとら体力には自信があるんでね。こんな爺で良けりゃあいくらでも働かせてもらうぜ」
「いえいえ、そういつまでも私達年寄りがのさばるものではありませんよ」
皮肉と共に天羽にくぎを刺すのはその真柴前総理だ。
彼と天羽は本来、あまり関係が良くないと言われている。
前回下野した際、二人の間に何やら確執が生まれる出来事があったらしい。
「そう言いつつ、貴方はまだ総裁への返り咲きを諦めちゃいないんじゃねえか? 総理を経験して随分と狸になったもんだぜ」
「行政の頂点、あの椅子には人を変えるものがあります。貴方も御存知の通りだ」
真柴の言葉に、天羽は小さく笑みを溢した。
「南川総理もそろそろ感じてきたかね。総理大臣だけが抱える『どす黒いまでの孤独』って奴を……」
「まあ、気の毒ではあります。こんな事態、我が党の政治家でも受け止められるかどうか……」
「亡き貞戸元総理か、絹田元総理か、あの二人の胆力なら動じなかったろうがね」
「そういえば貞戸さんでしたね、皇さんを我が党に引き入れたのは……」
故・貞戸宗二元総理――二度目の下野から返り咲き、長期政権を築いた大宰相であるが、四年前、米国が皇國に降伏して間も無い時期に急死している。
彼の功績は多岐に亘り、取り分け安全保障分野に関しては絶大であるが、その一つに「皇國の事情に詳しい皇奏手を自党に取り立てて重用した」ことがある。
貞戸は天羽の盟友でもあり、皇も本来はどちらかというと其方の派閥なのだが、皇國という差し迫った危機に際して対立派閥の絹田・真柴両政権も彼女を閣僚として迎え入れざるを得なかった。
「今回、俺達が手を取り合うことになったのも、皇の縁か……」
「ですね。彼女には悪いことをしてしまった……」
「ああ……」
真柴は選挙に負けて下野した際、その原因を皇の強硬的な法整備のやり方に見出して彼女に激怒したことがある。
その後彼女が急逝し、真柴としては思う処があったのだろう。
「ま、何にせよ南川総理にはもっと苦しんで、耐えて貰わなきゃな。俺達から政権を奪ったんだからよ」
「性格がお悪いですね。だが、言い得て妙でもある。それが出来なければ総理の座になど着くべきではない、私も思い知りました」
二人はそう言って笑い合った。
政敵同士が腹を割って話し合う、貴重な絵がそこに在った。
「ま、南川総理も本音では神皇に相当頭に来ていたみたいですけどねー」
「そうなんですか?」
「なんだ、訳知り顔だな白檀。詳しく聞かせろよ」
白檀が話に割って入ると、途端に空気が軽くなった。
こういう所が彼女の才能なのかも知れない。
「総理が一番気になさっていたのは、彼を天皇陛下に会わせてしまったことみたいですよ」
「ほう、意外ですね。彼にそういう意識があったとは」
「なんだかんだ、日本人としちゃそこは気になっちまうよな。ま、陛下が謁見した要人が後にやらかした例は過去にもあるし、そんな程度で揺らぐ様な権威じゃねえとは思うがな」
「あの時はこうなるとは思っていなかったでしょうしね。彼も、同じ祖先を持つ遠い遠い親戚として親近感を持っていた様でした。それがこんなことになるなんて、未だに信じられません」
天羽と真柴は溜息を吐いた。
「……ま、結局のところ向こうの神皇と我が国の天皇陛下が根本的に違うってことが浮き彫りになったってところだろう」
「確かに、そうですね」
「おうよ、当たり前だ。罷り間違っても天皇陛下は、皇室ってもんはあんな、異民族を消し去ろうって存在じゃねえよ」
「あれは嘗ての我が国とも異質と言えるでしょうね。彼らは異民族との共生・協和……その名目すら持っちゃいない」
そう、二人が看破しているとおり、神聖大日本皇國は「帝国」ではない。
彼らには「他民族を取り込む」と言う発想が殆ど無く、只管に純化した「日本人」のみでその国家を完結させようとしている。
極僅かな帰化人は存在するが、そんな彼らも含めて「日本人」だけの大連合を、世界線を越えることで実現しようとしている、世界史的にも極めて異質な超大国である。
神皇の存在は、ある意味でその病理の集大成と言えるだろう。
「尤も、こっち側の俺達も度し難いもんだとは思わんかね、真柴よ」
「と、言いますと?」
「解ってんだろ? 岬守航と麗真魅琴のことだよ」
天羽は再び、今度は先程よりも一層大きな溜息を吐いた。
「政治的な名目で色々と飾っちゃいるが、結局の所俺達がしたことはあの二人に死にに行けって命じたのと同じだ」
「成程、図らずも敵が『嘗ての我が国』と異質なら、『現在の我が国』は変わっていない同質の業を以て対抗しようとしている、ということですか……」
真柴もまた負けず劣らず大きな溜息を吐いた。
「法的な制約がある中、自衛隊に『危険を冒せ、死にに行け』と命じるのは我々安全地帯の政治家だ。だが、そうであって初めて彼らは国家にとって必要な防衛能力たり得る」
「彼等が守るのは勿論、政治家というより国民、国家そのものだ。丸腰の民を殺傷の為の武力と鍛錬を積んだ敵兵の前に差し出さぬよう、此方側もまた日々訓練を重ねた彼等が前に立たねばならん。だが彼等の統制を維持し、国民国家に壊滅的な厄災を齎さぬ為には、彼らを自在に動かすことのできる我々政治家もまた、弱者である民衆と共に守られていなければならん。仮令我が身可愛いがる自身が如何に醜悪に思えようとも、この美しき瑞穂の国を護る為に……」
「戦いを終わらせる人間は最後まで残っていなきゃいけませんからね。指揮官や政治指導者を前線に送ろうなどというのは、平和を遙かな彼岸に追い遣る愚か者の発想です」
「文民統制、ままならねえもんだ。未来ある若い命に比べて、俺達老いぼれの命なんざ、守るべき価値も無かろうに……」
「それは逆に問題発言ではありますがね。マスコミに聞かれていなくて良かったですね」
「へっ、相変わらず面倒臭え野郎だね、貴方も……」
月が水面に映し出されている。
この空の向こうで、今まさに若者達が命を賭した戦場へ旅立つべく最後の追い込みを続けている。
「ところで白檀よ、根尾の奴は元気だったかい?」
「ええ、まあいつも通りですよー」
「そうか、そいつは良かった。あいつには皇の後釜として、次の総理を支えて貰わにゃならんからな」
天羽は不敵な笑みを浮かべた。
その眼にはまだまだ野心が燃えている。
そんな政敵の様子に、真柴は半ば呆れた様に尋ねる。
「おや、気が早いですね。次の選挙で政権を奪還出来る当てがあると?」
「あの調子じゃどうせ短命政権だよ。だったら準備させとくさ」
「そういえば、貴方達にはまだ有力株の女性が居ましたね。私としてはあまり面白くありませんが」
「皇とどっちかが初の女性総理になるかと思ってたが、こんな形で決着が付くとはな。まあ、何れにせよこっちは既に新体制を見据えてるってこった」
「そう簡単にいくかは扨置き、先ずはこの難局を乗り越えなくてはなりませんね」
四人は東の海を見詰めていた。
この先の昏い空から、先の見えない明日が訪れようとしている。
年が明けるまで、その混沌が収まることはないだろう。
新しい年に如何なる光を見るかは、今この国の者達に託されていた。