ディスコに戻ってきた魅琴と白檀だったが、入り口周りに人集りが出来ていた。
「なんでしょう、妙なことになっていますね?」
白檀は首を傾げた。
見たところ、どうやら店が閉まっている。
「あ、揚羽姐さん、それとお友達の娘も、戻って来たんスね」
ディスコで軟派してきた男が二人に声を掛けてきた。
「おや、こりゃどうも。何かあったんですかね? この時間で閉まる事って無いと思いますが」
「それがね、聴いてくださいよ姐さん。なんでも、この辺に大変な人が来るってんで、一帯の遊興施設全部閉めろって云われちまったらしいんスわ」
「ええ!? 誰なんですか、そんな無茶な事云うのは?」
「よっぽどの人なんでしょうね、詳しくは聞いてねっスけど」
一体どれ程の人物が横車を押したのだろうか。
急に臨時で店を閉めるというのは、その日の客入りだけでなく客の信用も毀損する恐れがあり、おいそれと受け容れられる話ではない筈だ。
ただ金を出せば補填出来る損害とは限らず、店も良い迷惑だろう。
「そんな訳で、飲み直しに誘いてえところっスけど、店開いてねンで今日は失礼するっスわ」
「そうですか、残念ですねー。また宜しくお願いしますー」
白檀は軟派男に手を振って彼の背中を見送った。
魅琴は男に酒席へ誘われなくてほっとしていたが、白檀が状況を分かっていないように思えたので、確認してみることにした。
「白檀さん、此処はあまり良くないですね」
「え? どういうことですか?」
やはり、分かっていないらしい。
「どうもこうも、その御大尽が来るっていうことは、また無用な面倒事に巻き込まれるリスクがあるってことですよ。それに、私達は本来、あまり表立って活動出来る身分じゃ無いでしょう。まあ既に目立ち過ぎていてそこは私も反省が要りますけれど……」
「でも、根尾さんには動くなって言われていますよ」
「事情を話して場所を変えてもらいましょう。ちゃんと話せば解ってもらえますよ」
白檀は渋々根尾に電話を掛けた。
「と、いう訳で、麗真さんがどうしても場所を変えたいと……」
『それは麗真君が正しいな。尤も、彼女もそれが解っているなら最初のトラブルからして避けてもらいたかったが』
「あ、ですよねー」
『言っておくが、お前に責任が無い訳じゃないぞ。寧ろ、そういう不可抗力を事前に防ぐ為にお前を付けているんだ』
白檀本人が承知している責任の所在を、指示した根尾が解っていない筈も無かった。
『兎に角、事情は分かった。俺は今、既にそちらへ向かう電車を待っている。このまま統京駅で降りるから、中央改札口前で落ち合おう』
「了解しましたー」
白檀は電話を切ると、胸を撫で下ろした。
「いやあ、今日は一寸小言を言われるくらいであまり怒られませんねえ、機嫌が良いのかなあ?」
「呆れて怒る気力が無いだけだと思いますが」
「そうですか、それは良いことですねー」
白檀はあまりにも暢気であった。
「あ、安心したらトイレに行きたくなっちゃいました。出発前にそこの小売店で済ませてきますね」
「あ、一寸」
魅琴の制止も聞かず、白檀はさっさとその場を離れてしまった。
人混みの中、誰か相当な人物が来るという状況の中、魅琴は再び一人になってしまった。
(何だ、この胸騒ぎは……。こんな感覚は初めてだ……)
魅琴は言いようの無い不安の暗雲が胸に立ち込めていくのを感じていた。
それは今にも雷鳴となって鼓動を響かせるようとしている気がした。
不眠の大都市は街灯とビルの明かりで眩く彩られているが、対照的に魅琴は独り漆黒の闇の中で佇んでいる様な心許なさに包まれていた。
(六年前、皇國が顕れた時に似ている……。でも、これ程ではなかった。まるで、決して出会ってはならない何かが目と鼻の先まで近付いてきている様な……)
全身の細胞が、速やかに此処を離れろと言っている。
ふと、周囲を見渡した魅琴は一つ違和感に気が付いた。
いつの間にか、人集りが彼女の後方に移動している。
その時、魅琴が振り返るとほぼ同時に、数発の銃声と悲鳴が駆け巡った。
魅琴は人混みを掻き分けて音の方へと向かう。
これだけの人が居る中で発砲されたとすれば周囲に危害が及ぶ可能性が高く、捨て置くことは出来ないと思ったからだ。
だが、騒ぎの中心で待っていたのは、誰かを守るように群衆に立ち塞がる二人の女だった。
それぞれ、背の高い女が、ゴスロリ服とメイド服に日本刀を携えて周囲へ目を配っている。
見たところ、ゴスロリ服の女は刀を使い終えて納刀したところらしい。
「私の術識神為で不届きな鉛玉の速度は全て殺しましたわ。敷島ちゃん、後は宜しく頼むわね」
妖艶に、余裕たっぷりに、ゴスロリ服の女が自らの成果を朗々と謳い上げた。
彼女の言葉通り、足下には鉛玉が散らばっている。
「引き受けた、貴龍院殿」
相方の指名を受け、メイド服の女は腰の刀に手を掛ける。
「逃げ隠れしても無駄だ! 銃弾の方向より、既に下手人は割れている!」
一閃、凄まじい速度の踏み込みと抜刀により、雑踏に紛れていた一人の男が血飛沫を上げて倒れた。
「おのれ……体制の……走狗共め……。これで終わりと……思うなよ……。俺の名前は……」
瞬間、それ以上の発言を許さず、メイド服の女が暴漢の口に刃を突き立てた。
「貴様に名乗る資格は無い。己が何者なのかも、目的の如何も、何一つとして明かせぬまま、誰一人にとて知られぬまま、生まれてきた事実さえも喪ってこの世から消えろ」
女の無慈悲な始末に、周囲の群衆から歓声が上がった。
「流石は近衛侍女様方! 格好良い!」
「過激派の凶悪犯に相応しい末路だ!」
どうやらこの暴漢は、この場に来た高貴な人物の暗殺を企て、その意志を挫かれたらしい。
謂わば反体制派のテロリストだが、この場の全員が死した暴漢を憎しみに任せて痛罵している。
『皇國では穏便な反政府活動など出来ない』
魅琴は皇國へ来る前に聞いた母の言葉を思い出していた。
尤も魅琴自身が懸念した様に、この場の者達は皆テロリストによって身の安全を脅かされたのだ。
そんな相手を痛罵するのは当然の心理かも知れない。
それに「テロリストに名を与えるな」と、暴力に訴えることを許さない原則を謳うのは、文明国として正しい態度ではある。
しかし、反政府活動に対してこのように暴力で鎮圧され、更に民衆の憎しみもあるから真当に訴えることが出来ないのか、将又、過激な手段に訴えるから体制側も強権的な対応に出ざるを得ず、民衆の憎しみを買ってしまうのか。
鶏が先か卵が先か、魅琴には計りかねていた。
メイド服の女は暴漢の死体に背を向け、刀に付いた血を拭き取っている。
そんな彼女に、ゴスロリ服の女が冷笑を浮かべて話し掛ける。
「敷島ちゃん、走狗ですって。嫌ねえ」
「相変わらず、此奴らの戯れ言はいつまで経っても同じだな、貴龍院殿」
飛んでくる弾丸を完璧に無力化した女と、下手人を一瞬で切り伏せた女。
だが、魅琴の注意はその二人に向いていなかった。
(違う。この二人は確かに強い。けれどもこの不気味な気配の主じゃない)
魅琴は警戒を強めた。
そして、それは間もなく姿を現した。
「終わったか……」
二人の女に守られていたであろう男が、強烈な存在感を伴って人波を縦に割った。
一目見た瞬間、魅琴は警戒していた相手がこの男だと確信した。
その男は見目形からして既に次元の違う唯一無二の特殊性をこれでもかと示していた。
二米は優に超えるであろう長身に、鎧の様な筋の塊を纏った肉の摩天楼。
絹糸の様に靡く長髪と、細やかに整った睫眉が、白金色に煌めいている。
茶金色に艶立つ肌に彩られた顔は身震いする程に美しい。
左右色違いの、柳緑と深紅の眼には三つ巴の様な瞳孔が穿たれている。
唇は青みを薄らと帯びており、その下に雪色の歯が覗いている。
鴉羽根が施された袖無しの長い上着は、よく見ると白金の毛波が光沢を散らせている。
所々から垣間見える強靱な筋肉を宿した肌には、無駄毛が一本も見られない。
まるで神話の世界樹の様に巨しく、御伽噺の魔王の様に麗しく。
誰よりも異様で、幻想的な姿をした男が、刹那にして辺りの空気を支配した。
「しかし、敷島よ」
「は」
偉丈夫は暴漢を斬殺したメイドに語り掛けた。
「何も殺すことは無いだろう」
「畏れながら申し上げますが、私は私の仕事を遂行したまでで御座います。貴方様を己が身命を賭して御守りいたしまする旨、他ならぬ貴方様御自身により畏れ多くも拝命いたしております」
「それはそうなのだがな。しかしこの場の皆も血など見たくはあるまい。それに、如何に叛逆者といえども臣民の命だ。掛ける情けがあっても良いと思うのだが……」
敷島と呼ばれるメイド服の女は改まって頭を垂れた。
そんな彼女に、もう一人の貴龍院と呼ばれるゴスロリ女が僅かに微笑み、助け船を出す。
「あまり敷島ちゃんを困らせても可哀想ですわ。確かに、少々苛烈であったかも知れませんが、全ては貴方様を、延いてはこの場の臣民を御守りする一心からの処断に違いありません。万に一つ、あの男の銃弾が臣民に流れたと思いますと、考えただけでも恐ろしいではありませんか?」
「成程、貴龍院の言うことも尤もだ。ならば詮方も無しか」
「恐縮の至りに御座います」
深く頭を下げる敷島を尻目に、貴龍院は暴漢の死体へと歩み寄った。
「では、この者の屍は私が処理いたしましょう」
貴龍院は抜刀し、切っ先を軽く死体に当てた。
すると死体は瞬く間にぐずぐずとなって腐り落ち、跡形も無い程に分解されて消えてしまった。
正しく、敷島が言った様に生きた痕跡さえも消されてしまったのだ。
その様子を、偉丈夫は酷く憐憫の情に満ちた眼で見詰めていた。
「敷島よ、教えてくれ。何故これ程素晴らしき国に誇り高き民族して生まれ落ちたにも拘わらず、愚かな叛逆者として斯様な末路を辿らねばならんのだ。かの者にも光り輝く一生が約束された筈ではなかったのか」
「貴方様の深甚なる慈しみが、必ずや迷える魂を、孰れ誉れ高き来世へと導くでしょう」
偉丈夫は摩天楼に切り刻まれた小さな星空を見上げた。
「そう願いたいものだ」
そんな彼らの許に、納刀した貴龍院が歩み寄った。
「終わりましたわ。さあ、哀悼も程々に、楽しい酒宴と舞踏会へ参りましょう。屹度、貴方様の御行啓を、皆楽しみにしておりますわ」
貴龍院の言葉を聞いた偉丈夫は、先程とは打って変わって憂いの欠片も無い笑みを花咲かせた。
「それもそうだ。これから宴を共にする臣民も、辛気臭い空気など望むまいな。流れ往く過去より先に来る未来に思いを馳せねば」
「しかし、畏み畏みも申し上げますると、どうやら区長が気を利かせて辺りの店を全て貸し切りにしてしまったようです」
「なんだと、それは誠か敷島。うーむ、民草と触れ合う為にとの思い付きなのだが……。かと言ってそこまでさせておいて今更取り消すのも難だな」
「でしたら、この場で人を集められては如何でしょう」
「成程、良い考えだ貴龍院。しかし、誰も彼も連れ行くわけにもいくまい。さて、どうしたものか……」
偉丈夫は付き人の女二人とそんな会話を交わし、眼で周囲を物色し始めた。
そして、間の悪いことに彼の柳緑花紅の視点が魅琴と合ってしまった。
「おおおっ!? これはなんという巡り合わせだ!」
偉丈夫は両眼を輝かせて、巨躯を魅琴へ近付けてきた。