日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百十五話『人類解放の聖戦』 急

 時を(さかのぼ)り、十一月一日夜――(じん)(のう)が「日本以外の(おう)(さつ)」を宣言して一時間程後。

 (じん)(のう)の近衛侍女、(しき)(しま)()()()()(りゆう)(いん)(しら)(ゆき)は彼の私邸の寝室で(たい)()していた。

 

()(りゆう)(いん)殿、貴女(あなた)はこれからどうするつもりだ?」

「行くしかないでしょう、陛下の(ところ)へ……」

 

 天空上映の直後、侍従長・()(どう)(ひろ)(たか)から全侍従侍女へ通達があった。

 (じん)(のう)(いわ)く「アメノミナカヌシへは()()山頂から転移門が通じており、(えつ)(けん)を望むのならばいつでも()(さん)じよ」とのことだ。

 

貴女(あなた)は言っていたな。『自分は陛下が何を望まれようと、何処(どこ)までも只管(ひたすら)に忠誠を尽くすのみ』と。その言葉を貫くという訳か……」

(もち)(ろん)よぉ……。そう言う貴女(あなた)はどうするのぉ?」

「無論、(わたくし)も陛下への忠誠は変わらん。()()山頂へ登ることも(いと)わない。しかし、事()()に至っては……(ただ)の追従者では……いられまい。陛下にどうか……考え直していただけるように……(かん)(げん)する他無いと思っている」

 

 (しき)(しま)は肩を震わせながら言葉を絞り出した。

 彼女が(じん)(のう)に仕えることになった切掛は、その絶対的な力に屈服した苦い経験である。

 それ故に、(じん)(のう)(しん)()に異を唱えることはこの上無く(おそ)ろしい。

 だが一方で、彼女の正義感は(じん)(のう)に世界の大半が滅ぼされるのを看過することも(もと)さなかった。

 

「とはいえ、(わたくし)がこれからしようとしている上奏が(せん)(えつ)極まり無いことであるとは百も承知。謁見には影腹を召して臨む」

「駄目よ。そんなこと、駄目に決まっているでしょう?」

 

 (しき)(しま)の覚悟を止める()(りゆう)(いん)――しかしその表情には不穏な(ほほ)()みを(たた)えている。

 

「陛下に逆らおうだなんて、そんなのは悪手も良いところだわぁ。やるなら陛下が(おの)ずから『気が変わる』よう取り計らわないとぉ……」

「どういうことだ?」

 

 (しき)(しま)()を凝らして()(りゆう)(いん)の真意を見極めようとする。

 ()(りゆう)(いん)は得意気に考えを述べた。

 

「要するに、陛下は他の全てを排除してでも日本人を甘やかしたいのよぉ。日本人がそうするに値する、愛すべき民族だと心の底から信じている。その前提を覆すの」

 

 ()(りゆう)(いん)は口角を上げ、白い歯を見せて邪悪な笑みを浮かべた。

 

(あたくし)は陛下の許へ馳せ参じ進言するわぁ。『どうか(こう)(こく)のことは(こう)(どう)()(しゆ)(とう)にお任せになって、貴方(あなた)様はその偉大なる事業に御専念ください。彼らの心配はご無用です。(あたくし)が常にこの尋常ならざる眼を光らせ、必要なことがあれば御報告いたします』」

貴女(あなた)が陛下と(こう)(どう)()(しゆ)(とう)(つな)ぎ役になる、と?」

「ええ。陛下に入る情報のうち、(しん)(きん)を患わせるものを除き、伝えるべき事のみを伝える。その名目で陛下の元に届く情報を制御し、日本人に対する考え方の変わる様な情報を厳選することが出来るという訳よぉ……」

 

 (しき)(しま)()(りゆう)(いん)(にら)む。

 思えば彼女は以前から、(じん)(のう)が自分の思い通りに動くと確信している節があった。

 だが天空上映の勅命の後は(ひど)(ろう)(ばい)していた。

 

()(りゆう)(いん)は陛下に、今とは全く違う何かをさせようとしていた……? そういえば、どうも()(りゆう)(いん)は以前から陛下に入る情報を(せん)(てい)していた様に思える……)

 

 (しき)(しま)は刀を握り締める。

 今、彼女は先代侍従長・(だい)(かく)()(つね)(さだ)の言葉を思い起こしていた。

 

()(りゆう)(いん)(しら)(ゆき)の動きに気を付けよ。あの女が(ねい)(しん)の動きを見せたならば……』

 

 時が来たのかも知れない。

 (いや)、もっと早く、()(りゆう)(いん)が余計なことをする前に決心が付いていれば、違う未来もあったのではないか。

 

()(りゆう)(いん)殿、(わたくし)は反対だ。それは陛下を謀る行いに他ならない。主君と正面から向き合わず、(しん)()(ほしいまま)にしようなどと、臣下にあるまじき不敬不遜だ」

「残念だけれど、これは譲れないわぁ。陛下にはもっとやるべき大切なことがあるのよ」

「ならばそうはっきりと申し上げるべきだ。それとも出来ない理由でも有るのか?」

 

 ()(りゆう)(いん)は答えず、刀に手を掛けようとしている。

 今、二人の考えは重なった。

 

「この(ねい)(しん)め!」

 

 二人の刀が同時に翻り、刃と刃が合わさる。

 (つい)に二人の近衛侍女は完全に決裂した。

 

「この(あたくし)を斬ろうとするなんてね。だったら応戦するしか無い。始めたのは貴女(あなた)よぉ」

 

 ()(りゆう)(いん)が突き放し、斬りかかる。

 二人は一進一退の攻防の末、再び(つば)()()いとなった。

 

「事此処に至った責任は(そば)に仕えたる貴様と、そしてこの(わたくし)にも一端がある! ()ずはこの期に及んで(なお)(ねい)(しん)の動きを見せる()(りゆう)(いん)(しら)(ゆき)を斬る! そして(わたくし)は命を賭して陛下に御変心を訴え腹を切る!」

 

 二人の刃が離れ、再度の攻防が繰り広げられた。

 次第に剣士としての()(りき)の差が現れ始め、遂に(しき)(しま)の刀が()(りゆう)(いん)の首を()ねた。

 

「やってくれるじゃなぁい、(しき)(しま)ちゃん……」

「何っ!?」

 

 ()(りゆう)(いん)の両腕が(こぼ)()ちた頭を受け止め、切断された首の上に乗せた。

 赤い蜘蛛(くも)が切り口から湧き、糸を吐き出して縫い付けていく。

 

「ば、()()な……! 貴様、一体何者だ!」

(あたくし)は殺した程度じゃ死なないのよぉ。言ったわよね、貴女(あなた)(あたくし)を殺すことは不可能だって。確かに剣の腕じゃ貴女(あなた)の方が上でも、斬っても死なない相手をどう(ちゆう)(さつ)しようというのかしらぁ?」

「くっ……!」

「そして万全の状態なら貴女(あなた)の力が上でも、戦いが続けば次第に消耗していく。さあ、果たしていつまで()つかしらぁ?」

 

 その後、戦いは日を(また)いで続いた。

 (しき)(しま)は終始()(りゆう)(いん)を圧倒したが、殺せない相手には不毛な努力だった。

 そして翌日、六摂家当主が集まる頃に、限界を迎えた(しき)(しま)は遂に斬られてしまう。

 こうして、(しき)(しま)の身柄は()(りゆう)(いん)の手で六摂家当主の許に届けられた。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 時を現在、(おお)(みそ)()に戻す。

 今、(しき)(しま)()()()(わたる)()(こと)(ただ)ならぬ眼で(にら)()けている。

 行き場の無い怒りと、悲しみと、(ざん)()が混濁した、痛々しい目付きだ。

 

(わたくし)は……(わたくし)はずっとあの()(かた)の美しい夢を守り続けてきた……。()(りゆう)(いん)の本性に気付きながら、それでもずっと……ずっと守り続けなければならなかった……。だが!」

 

 (しき)(しま)が己に課していた使命である。

 だがそれは不可能な絵空事であると、()(こと)に明かした時には即座に看破されていた。

 それでも(しき)(しま)は感情を抑えられずに刀を抜いた。

 (かつ)()()(かみ)(えい)()に与えられた名刀の(ほこ)(わたる)()(こと)に向けられる。

 

「だが貴様らが全て台無しにした!」

 

 そう、()()(かみ)の美しい夢がいつから崩れ始めたかといえば、()(こと)が先代(じん)(のう)暗殺を試み、重傷を負わせた時からだ。

 ()(こと)自身が後に彼を酷く裏切ると踏まえた上で(しき)(しま)を諭したとすれば、それは彼女にとって(ふん)(まん)やる方無い仕打ちだろう。

 

()(かど)(ちが)いの八つ当たりだと(あき)れたければ呆れるが良い! 滑稽な女だと(わら)いたければ嗤うが良い! 無恥な女だと(さげす)みたければ蔑むが良い! 基より(わたくし)に誇るべき振る舞いなど何も無し! 妹に合わす顔など有ろう(はず)も無し! 基より誰に(わか)る心情など何も無し! この只管に愚かな女を煩わしいと思うならば(くび)り殺してみよ! だが! それでも(なお)この怒り抑える術は無いと知れ!」

 

 しかし、(わたる)()(こと)も構えない。

 彼女と戦うつもりなど無かった。

 

 彼女自身も、()(こと)はおろか今では(わたる)にも(かな)わないと悟ったのか、ただ目を血走らせたまま微動だにしない。

 そんな彼女に、()(こと)は穏やかに語り掛けた。

 

(しき)(しま)さん……いえ、()()(はた)()()()さん。貴女(あなた)は決して自分で思っている程弱くも浅ましくもない。()()なら、貴女(あなた)はずっと孤独な重責に耐え続けていた。時に憎まれ口を(たた)き、彼の夢を(かば)い続けた。確かに、それを邪魔してしまったのはこの(わたし)。本当に申し訳ありませんでした……」

 

 ()(こと)(しき)(しま)に頭を垂れた。

 (しき)(しま)はそんな()(こと)の態度に動揺を隠せない。

 

「な……何を……」

()()(はた)さん、もう御自身をお許しになって下さい」

 

 (わたる)も彼女を諭す。

 

「全ては()(こと)の言う通りだと思います。貴女(あなた)はずっとこの世界、いえ全ての世界を守り続けて来たんだ。只管孤独に……」

 

 (しき)(しま)は脱力した手から刀を落とし、赤らんだ両目から涙を(こぼ)した。

 

(わたくし)は……あの御方に力で()()せられ、完膚無き(まで)に誇りを砕かれた……。何をどう取繕おうと、あの時から(わたくし)はあの御方に(こび)を売るしか能の無い情婦、惨めな性奴隷に過ぎなかった……。ただ、それを恨むことも到底出来なかった。だってあの御方は悪くない。(わたくし)が意気地無しで、自分を(おとし)めることしか出来ず、あの御方への(おも)いを()てることすら(かな)わなかった……。不意に幸せを感じてしまうことすらあった。忠誠心すら抱いていた。感謝すら覚えていた」

 

 (しき)(しま)はその場に崩れ落ちてすすり泣いた。

 

()()(かみ)様は(わたくし)にとって、確かに愛すべき御方だった……! 永遠にそう在って欲しかった……! けれども今はもう……!」

 

 腹の奥底から嘆きが絞り出される。

 全ての醜い苦しみを絞り出し、そして額を床に擦り付ける。

 

「恥を忍んでの一生のお願いで御座います! あの御方を、嘗て(わたくし)が愛した主君をどうか()()めください!」

 

 (すが)るように絞り出した、心の底からの願いだった。

 ()(こと)は膝を突き、頭を下げて彼女に近付く。

 そして一言、静かに、だが力強く答えた。

 

「勿論です」

 

 続いて(わたる)(かが)()み、彼女に一つ語り掛けた。

 

「ただ、どうか妹さんと、()()()さんと一度よく話し合ってください。(ぼく)は彼女に大恩があります。彼女が居なければ今の(ぼく)は無かった。そして、彼女が突き動かされたのは貴女(あなた)への強い想いがあったからです。(きつ)()立派だからじゃなく、大好きなお姉さんだったから……」

 

 (しき)(しま)は消え入りそうな声で「はい」と答えた。

 分かってくれただろうか、分かってくれたと思いたい。

 

()(こと)

「ええ」

 

 二人は(うなず)き合い、(しき)(しま)に一礼して(かかと)を返した。

 残りの時間、出来ることは(ほとん)ど無い。

 悔い無く過ごすよう取り計らわれてもいる。

 

 それでも二人は、最後の時まで戦いに備えることにした。

 個室へ戻り、目を閉じた闇の中で来たる戦いに思い描く。

 決死なれど敗けられない聖戦なれば、残る時間をイメージトレーニングに費やすのだ。

 

 廊下を戻る二人は一人の背の高い女と出くわした。

 ヴィクトリアンスタイルのメイド服を身に(まと)った、(しき)(しま)の妹・()()(はた)()()()である。

 

(さき)(もり)様、(うる)()様」

 

 彼女は二人に深々と頭を下げた。

 

()()(づか)い感謝いたします。どうか、御武運を」

「はい」

 

 二人はそれぞれの個室へと戻った。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 日本国東京都、(こう)(こく)との時差は約三時間で、午前十一時三十分。

 (こう)(こく)では丁度、(わたる)()(こと)が出発に向けて(とお)(どう)(あや)()(きのえ)邸跡地へと呼び出された頃だろう。

 雲一つ無く晴れ渡った街中には、休日の午前だというのに、圧し(つぶ)れそうな程の人波が(ひし)めき()い、大空に映し出された(じん)(のう)の姿を仰ぎ見ている。

 

(あら)ゆる世界、汎ゆる時代の日本人達よ、遂に時が満ちようとしている。(なれ)らを(すべ)ての苦しみから解き放ち、()(まま)の世界、(まこと)の世界を(さい)(そう)する時は近い。新たなる年の訪れと共に、日本人を虐げる者、(ののし)る者、(そし)る者、蔑む者、貶める者、陥れる者、()かす者、縛る者、(あわ)れむ者、(おだ)てる者、汎ゆる型に押し込める者、(すべ)てが消えて無くなり、心の奥底に固く(とざ)していた同胞(はらから)への友愛、(ふる)(さと)への愛着、()(をや)への思慕、神々への畏敬、歴史への()()、現代への感謝、未来への希望、自己への確信、(こく)(たい)への帰属、それらの心が(かせ)を解かれ、(おり)を離れ、限り無き天空へと自由に()(ばた)くことが出来るようになる。(まばゆ)い日輪は(なれ)らの人生に遍く(せい)()(もたら)し、豊潤なる色彩で満たすであろう』

 

 バスターミナル前で演説を見上げる群衆の中に、二人の対照的な男女が居た。

 

「何を言ってやがる、あの野郎……!」

 

 一人の男は舌打ちした。

 

『無論、中には(おれ)に賛同出来ぬ者も居るだろう。百億の日本人が居れば百億の正義が有る。ならば(おれ)(あい)()れぬ正義もまた存在するのが道理。だが(おれ)()(よう)なる者を新世界より排除するつもりは毛頭無い。(むし)ろ誇るべきだ。一方で(おれ)に付き従い、新世界の創造に(まい)(しん)する者もまた同じ。輝ける明日には汎ゆる正義が相争うこと無く尊重され、(たた)え合われなければならない。総ての日本人には生の(まま)の己を誇る神聖不可侵なる権利が有るのだ。(おれ)は唯、その邪魔立てをする者の総てを(そう)(じょ)し、世界を在るべき真の形へと作り変えようとしている。どうかそれを理解して欲しい。(おれ)の願いはそれだけだ。(なれ)らが一片の曇りも無き幸福に包まれる時代を築けるのなら、(おれ)(なれ)らの許から永久に隠れても良いと思っている』

 

 一人の女が両手で口を覆い、両目から涙を(こぼ)している。

 

「なんという……あの御方は……!」

 

 歓喜に震える女を、男は横目で睨んだ。

 (じん)(のう)の竜顔に眼を奪われた女は周囲の視線に何も気付いていない。

 

(おれ)(なれ)らに約束しよう。これだけは覚えて置いて欲しい。(おれ)は未来にも、過去にも、現在にも、()()なる時代の(いか)()なる(なれ)らに対しても擁護者で在り続ける。何があろうと、(おれ)は絶対に日本人の味方だ。願わくは新たなる年に訪れる新たなる世界で、総ての日本人に有るべき至福の光が()()に満ち、凡ての日本史に来たるべき大団円が訪れることを……』

 

 (じん)(のう)の映像がゆっくりと消えていった。

 一呼吸置き、女が叫ぶ。

 

「じ……(じん)(のう)陛下万歳! (じん)(のう)陛下万ざーい!!」

「なっ、何をふざけたこと抜かしやがる!」

 

 男の怒号が女の歓喜とぶつかった。

 

「ふざけてなんかないわ! 世界からの抑圧が消えるのよ! (じん)(のう)陛下が消してくださるのよ!」

「余計なお世話だ!」

「あの御方は日本人の味方だと(おつしや)ってくださった! (わたし)達を解ってくださっている!」

「この(くそ)莫迦が! 良いか、日本政府は(じん)(のう)の処へ()(どう)()(しん)(たい)で使節団を送ると発表した! おそらくは討伐隊だ! 世界全部を絶滅前提の占領下に置いた空前絶後の大罪人から人類を解放する(ため)に!」

 

 男は更に声を(あら)らげ、全ての(ぞう)()を吐き出さんばかりに大声を張り上げる。

 

「これは疑い様も無く聖戦だ! そして覚えとけ! (おれ)達日本人が(まん)(ざい)(ささ)げる君主は! 天・皇・陛・下・だ・け・だ!!」

 

 間も無く、人類解放の聖戦へと向かう者達が異国の地より飛び立つ。

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