日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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幕間十七『臥龍飛鳥』 下

 その後、黒巫女は生まれた子を引き取ると、「子を育ての親に届ける序(ついで)に、未(いま)だ見ぬ恵まれぬ者を救う旅に出る」と言い残し彼女の許を去った。

 彼女はその後も百年、二百年、何百年と洞穴の中で生き続け、巫女の帰りを待ち続けた。

 

 余りにも永過ぎる時を孤独に過ごせば気が狂いそうなものだが、彼女の精神が限界を迎えそうになる度に「曾祖父の夢」が彼女を襲い、彼女を身籠らせた。

 彼女は孤独を紛らわすために全てを受け容れ、子を儲(もう)け続けた。

 子を孕めば、黒巫女が必ず帰って来たからだ。

 産んだ子らは皆彼女の許を離れ、その時々の里親に届けられたと聞かされていた。

 

 ただその中には動物との間に産まれた奇妙な妖怪の様な子もいた。

 流(さ)石(すが)にこれには一抹の不安を覚えざるを得なかった。

 

 そして時代の移り変わりなど何一つ知らぬまま実に千三百年の時が過ぎようとしていた。

 或る日のこと、それまでとは違い、身籠っていない彼女の許(もと)に例の黒巫女が帰って来た。

 これまでと違い、異国の装束なのか、奇妙な服を身に纏(まと)っていた。

 黒を基調としているのは同じだが、異例のことだらけで、彼女は激しい不安に襲われていた。

 

「飛鳥(あすか)、遂(つい)に時が来たわぁ。直(す)ぐに此(こ)処(こ)から出て時空を越えた新天地へと共にたびだちましょう」

 

 更に違っていたのは、巫女が若い男を伴っていたことだ。

 彼もまた見たことの無い、皺一つ無く固そうな生地で仕立てられた服を着ていた。

 

「あの、巫女様……。其(そ)方(ちら)の御方は……?」

「ああ、彼は……」

「鬼(き)獄(ごく)魅(み)三(さぶ)郎(ろう)と申します。貴女(あなた)と同じく、貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)様に救って頂いた者ですよ」

「貴(き)龍(りゆう)院(いん)……皓(しら)雪(ゆき)……?」

 

 男が名告と素性語りをすると、女は見たことも無いような険悪な表情で男を睨(にら)みつけた。

 何やら様子がおかしい。

 いつもの優しい巫女様ではない。

 若(も)しやこの男に何か誑(たぶら)かされているのではないか――彼女はそう直感した。

 

「巫女様、私(わたくし)に此処を出よ、というのは確かに天の思(おぼ)し召(め)しなのですか? 其方の方とは何か関係があるのですか? それに、貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)とは一体……」

 

 此処へ来て自分を妄信していた臥(が)龍(りゆう)飛鳥(あすか)からまさかの疑いの眼を向けられ、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は頭を抱えて天井を見上げた。

 

「余計な事を言い過ぎるのは貴方(あなた)の悪い癖の様ねぇ……」

「申し訳御座いません、媛(ひめ)様(さま)……」

「仕方が無いわねぇ。この際だから、全てお話ししましょうか。何故(なぜ)私(あたくし)が貴女(あなた)を拾ったのか、帝の血筋とこの私(あたくし)の旧(ふる)きより続く因(いん)縁(ねん)、その全てを……」

 

 鬼(き)獄(ごく)魅(み)三(さぶ)郎(ろう)――後の閏(うる)閒(ま)三(みつ)入(なり)が貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)の素性を他の神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)より詳細に知っていたのは、この時彼女自身の口から語られたことによる。

 臥(が)龍(りゆう)飛鳥(あすか)は話を聴く内に見る見る青(あお)褪(ざ)めていき、話が終わる頃には俯(うつむ)いたまま震えるばかりとなっていた。

 

「飛鳥(あすか)、貴女(あなた)の血筋、物(もの)部(のべ)氏は遡(さかのぼ)るとこの大和の地で元々崇め奉られていた日(ひの)神(かみ)・饒(にぎ)速(はや)日(ひの)命(みこと)に辿り着くわぁ。即(すなわ)ち、あの日向から来た皇族に恭順を余儀なくされた本来の統治者よぉ。そして子孫である貴女(あなた)の曾(ひ)御(お)爺(じい)様(さま)もまた、この地に伝わる神の信仰よりも天(てん)竺(じく)より来る仏の教えに傾倒する皇族により処された。だからこそ、私(あたくし)は貴方(あなた)を誰よりも信頼に値する者として迎え入れたの。解るでしょう? 旧き神々への信仰を取り戻す為に、この地から帝の血筋は必ず除かねばならない……」

 

 脇では男もまた顔を蒼(あお)くしていた。

 彼もまた現代の帝を強く憎み、それ故に自称『告(つげ)雪(ゆき)媛(ひめ)』、またの名を告(つげ)雪(ゆき)戸(と)畔(べ)、そして現代の名を貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)と道を共にすることを選んだのだろう。

 

 だが、彼女は違う。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)に選ばれた者達の中で臥(が)龍(りゆう)飛鳥(あすか)だけは、帝に対する憎しみなど持ち合わせていなかった。

 何故ならば彼女が憎んだのはあくまで蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(こ)やその子らであり、帝の血筋は寧(むし)ろそれを彼女の時代に除いたのである。

 

「どうしても、私(わたくし)は行かねばなりませんか……?」

 

 震える声を絞り出すように、彼女は貴(き)龍(りゆう)院(いん)に尋ねた。

 

「私(わたくし)は貴女(あなた)に返し切れないほどの大きな大きな恩があります。ですから、どうしても、と仰(おつしや)るのであれば最後までこの身を共にすることも吝(やぶさ)かではありません……」

 

 しかし、本心では貴(き)龍(りゆう)院(いん)を信じる事など最早出来なかった。

 これ程大事な目的を千三百年もの長きに亘(わた)り隠し続けた女の事を心の底から信じ切れという方が無(む)茶(ちや)な話である。

 だが、彼女は貴(き)龍(りゆう)院(いん)を裏切ることもまたそれ以上に出来なかった。

 

「巫女様、どうかいつものように笑ってください。いつもの巫女様に戻って頂けるのならば、私(わたくし)はこれまで通り貴女(あなた)をお慕い申し上げます。この身を貴女(あなた)の望みに何なりとお使いくださいませ! ですから、どうかたった一つの私(わたくし)の願いをお聞き入れください!」

 

 臥(が)龍(りゆう)飛鳥(あすか)は切実極まりない想いを貴(き)龍(りゆう)院(いん)に洗(あら)い浚(ざら)い吐き出した。

 しかし、返された貴(き)龍(りゆう)院(いん)の視線は極めて冷たいものだった。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は溜息交じりに吐き捨てる。

 

「何処(どこ)までも面倒臭い娘……。これも全て貴方(あなた)のせいよ」

「申し訳御座いません、媛(ひめ)様(さま)……」

「この娘が身籠る度に態(わざ)々(わざ)こんな狭苦しい洞穴に戻る破目になり、付きっ切りで世話をして産んだ子供の処分までさせられて……、その苦労を返して欲しいわね……」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)の言葉に、彼女は自分の耳を疑った。

 それはどうしようもなく突き付けられた現実だった。

 

 そう、彼女が慕い続けた「優しい巫女様」など最初から居なかったのだ。

 思い返せば、最初に蘇(そ)我(がの)蝦(えみ)夷(し)を殺させ人の多くいる邸宅に火を放たせた時点で、彼女が人命を顧みない外道であることは明らかな筈だった。

 それでも、彼女にとって救世主だった「巫女様」は余りにも眩(まぶ)しかったのだ。

 

 その眩しさが、実に千三百年もの間彼女を盲目にさせ続けた。

 いつだったか、彼女は貴(き)龍(りゆう)院(いん)から「自分には尋常ならざる眼があり、それによって救いを求める者が見えるのだ」と教えられた。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は確かにその力で彼女を救いはしたが、同時に自身の行く悪の路(みち)へと誘おうとしていたのだ。

 

「まあ、良いわ……」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は彼女に手を翳(かざ)した。

 

「もう充分、貴女(あなた)の力は試された。貸していたものを返してもらう、それで手を打ちましょう……」

「え?」

 

 どういうことか、と問いかける前に臥(が)龍(りゆう)飛鳥(あすか)は吐血した。

 

「あ、え? 巫女様……? 巫女様……!?」

 

 困惑の表情を浮かべながら崩れ落ちる彼女の体を、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は冷たく見降ろしていた。

 今(いま)際(わ)の中、彼女は考える。

 

 自分の人生は一体何だったのか。

 何の為に生まれてきて、この女に付き従って生きてきたのか。

 産み落とした子供達さえ、無残に処分されてしまって……。

 

「どう……して……」

 

 それを最(さい)期(ご)に、臥(が)龍(りゆう)飛鳥(あすか)は死んだ。

 土塊に変わり果てた彼女の身体から、無数の蜘蛛(くも)の子が走り去っていく。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は崩れゆく臥(が)龍(りゆう)飛鳥(あすか)の残骸から光り輝く何かを拾い上げた。

 

「私(あたくし)の真の力はあらゆるものの生と死の境界線を自由に操作できる……。果て無き彼方(かなた)に追いやることも出来れば、今この時に振り被らせることも出来る。貴方(あなた)も能く覚えておくことねぇ……」

「肝に銘じます。しかし媛(ひめ)様(さま)、それは……?」

 

 鬼獄は貴(き)龍(りゆう)院(いん)が拾い上げた光る何かが気になるようだ。

 これこそ、貴(き)龍(りゆう)院(いん)が臥(が)龍(りゆう)飛鳥(あすか)を求めた理由だった。

 

「先刻も言った通り、私(あたくし)はあらゆるものの生と死を操ることが出来る。本人が死んだ後でも、卵巣だけを生かし卵子を大量に生成させることも……」

「つまりそれは……」

「彼女の卵子、どれほど神の摂理に背く様な子でも産み落とすことが出来る彼女の力そのものよ。これさえあれば、彼女自身は別に要らない」

「成程……。しかしそれでは、今の今まで生かし勧誘せずとも良かったのでは?」

「卵子を私(あたくし)自身の力で生かし続けるのも骨でしょう? だから、出来れば彼女自身に生きていて貰(もら)った方が都合が良かったのよぉ。でも、彼女は私(あたくし)を信じられなくなったわぁ。あれだけ世話を焼かせておいてまだ一々好(い)い顔をしろと要求してきたのも癪(しやく)に障ったし、此処で切り捨てることにしたのよぉ」

 

 斯(か)くして、貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)は臥(が)龍(りゆう)飛鳥(あすか)の卵子という、後に神(しん)聖(せい)大(だい)日(につ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)神(じん)皇(のう)に六人の子女を設けさせる至宝を手にした。

 そして目(もく)論(ろ)見(み)通り、神(じん)皇(のう)に子が出来ぬと悩む皇(こう)國(こく)に「臥(が)龍(りゆう)飛鳥(あすか)」名義で提供した。

 彼女の目当ては、神(じん)皇(のう)ですら叶(かな)えられぬ彼女の望みを実現できる力を持った子を神(じん)皇(のう)の世継として生み出すことにあった。

 それは、第一皇子・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)の誕生によって早くも叶い、自身の眼で視(み)た彼女は大喜びで神(じん)皇(のう)の許へと馳(は)せ参(さん)じたという訳である。

 

 六人の皇子皇女の母親である臥(が)龍(りゆう)飛鳥(あすか)の辿(たど)った奇妙で悲惨な運命を知る者は、日本国には勿(もち)論(ろん)の事、神(しん)聖(せい)大(だい)日(につ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)にも最早貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)と閏(うる)閒(ま)三(みつ)入(なり)の他に居ない。

 

 扨(さ)て、此処に一つ、獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)が何故此(これ)程(ほど)までに強大無比な「絶対強者」として生まれてきたのか、その理由の一端がある。

 臥(が)龍(りゆう)飛鳥(あすか)は夢の中でこう託(ことづ)けられている。

 

『何代要しても構わぬ! 帝がある限り、我らの国は生き続ける! 悠久の時の果てに、必ず生み出すのだ! 仏の教えなどを崇め奉り広めようという者達になど、凡そ考えることも及びも付かぬ程に遠大無窮なる究極の神を! 必ずや我らの国に純潔を取り戻せ!』

 

 彼は本当に物(もの)部(のべの)守(もり)屋(や)だったのか。

 仏教の世界観を以(もつ)てしても、想像すら及ばない「遠大無窮なる神」――それが何を意味するのか、果たして彼は知っていたのだろうか。

 彼はその悲願が叶うまでに要する時として、どれ程の歳月を想定していたのだろうか。

 

 臥(が)龍(りゆう)飛鳥(あすか)は「神の領域」に達した神(じん)皇(のう)との間に、漸(ようや)くその目的に適(かな)う「究極の神」を生み出してしまったのかも知れない。

 そしてその神・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)は今、日本の純潔を取り戻す為に他の汎ゆる人間・文化・歴史・思想……そして信仰を鏖(おう)殺(さつ)しようとしている。

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