男はタクシー運転手という仕事柄、様々な人間の人生の機微に立ち会ってきた。
彼がこの仕事を始めたのは十年ほど前である。
元々妻との間に一人の男の子に恵まれていた彼だったが、長年の秘密が妻にばれてしまい夫婦関係が
その後、妻に隠していた秘め事の悪質さが職場にも伝わり、会社に居られなくなって自主退職。
そして始めたのが今のタクシー運転手という仕事である。
彼の元妻と息子は彼が今何をしているのか全く知らない。
連絡を禁じられているのだから、当然と言えば当然である。
しかしある時、彼は意外な形で息子との再会を果たすことになる。
それは、珍しい配車依頼だった。
梅雨入り前のある日、深夜未明だというのにアパートまで車を
大学生の様だったので、大方友人のアパートで飲んで帰れなくなったのだろうと、最初はそう思っていた。
(若えのには青春があって良いな)
自分には
「お客様のお名前を」
『
男は思考を硬直させた。
忘れもしない、元妻の旧姓だ。
男は
(そんな奇跡なんてものがあっちゃいけないんだ)
男はアパートに向かう道中で思い出す。
幼馴染だった元妻と何としても付き合う
その虐めによって、予想外にも元妻は追い詰められており自殺未遂までしていたと知った事を。
そこまでするつもりはなかったと激しく後悔しながらも、責任を取る為に彼女を支え続けていたらいつの間にか恋仲となり、当初の願いが
自分は最低の人間である。
そんな人間が、息子と再会する資格など有る
そう考えている内に、指定されたアパートの駐車場が見えてきた。
タクシーを呼んだ青年は
「なんてこった……」
彼は車内で小さく
忘れる筈が無い。
小さな少年から大人の青年に成長していたが、見間違える筈が無い。
その青年には確かに息子の面影があった。
母親似の茶髪も、痩せていた頃の自分似の童顔も、成長した息子そのものだ。
男は涙が
こんな事で感極まる権利など自分にはない。
だが、息子に声を掛けるとき、どうしても顔を見せる必要がある。
自分が父親だと気がつくだろうか。
いや、気付かれたところで罵声を浴びるだけかもしれないが、謝るチャンスは巡って来るだろう。
そんな
「
「あ、はい。すみません、こんな時間にお呼び立てしてしまって……」
どうやら気付いている様子はない。
暗くて顔が
しかし、運転席と擦れ違い様に目が合っても、息子の顔色は僅かな変化も見せない。
(そうか、本当に
男は内心がっかりしながら、客となった息子に行き先を尋ねた。
「どちら
「すみません、実はですね……」
申し訳無さそうに切り出された行き先と目的を聞き、男は
何とここは息子の借りている自宅で、ただ日の出前に海を見たくなったのだという。
「あの、迷惑ですよね?」
「いいえ、仕事ですのでお構いなく。それに、良いんじゃないですか? お若いんだからそういう事もありますよ。青春を感じてしまいますね……」
息子はどうやら別の悩みごとがあるらしい。
そんな心境なら、自分に気付かないのも理解できる。
ならば態々名乗りを上げてこれ以上悩みの種を増やすこともあるまい。
「じゃ、出発しますね。説明があったかと思いますが、
「あ、はい。大丈夫です」
男は料金メーターを回し、車を出した。
これが全ての運命の始まりになろうとは、まだ二人とも知る由も無かった。
⦿⦿⦿
数日後、男は警察の事情聴取を受けた。
何事かと
男は胸騒ぎを覚え、居ても立ってもいられなくなった。
事情聴取から解放され、勤務時間が終わると彼はすぐさま息子の自宅アパートに車を走らせた。
すると郵便物が取られないままポストに
(なんてこった……)
男は頭を抱えた。
しかし、長居しても何かが解決するわけでもないと思い直し、警察が早急に事件を解決することを願いながらアパートを後にしようとした。
車を出そうとしたその時、見慣れない若い女がサイドミラーに映り込み、息子の部屋の様子を
「あれは……」
男は息子との移動中に身の上話を聞かされていた。
幼馴染の女性に
(少し話をしてみるか……)
男は車を降りた。
彼のこの行動が、後に巡り巡って息子を助け、日本国の運命を大きく変えることなど、彼には知る由も無かった。
⦿⦿⦿
その後、彼は何度か息子のアパートの部屋を訪ねてみたが、やはり帰った様子は無い。
息子を海浜公園に送り届けてから約一カ月後、丁度息子を海まで送り届けたのとほぼ同じ時期に
そして、
彼は毎日、
しかし彼の心配も
彼が暮らす東京の上空にまで敵国の兵器――それも大量破壊兵器と言っても過言では無い火力を備えた「
だが、日本国も負けてはいなかった。
その後も幾度と無く
邦人は全員帰国した筈なのに、その中には確かに息子がいた筈なのに、
「畜生、一体何がどうなってやがる!」
彼は誰も居ない息子の部屋の前で悪態を吐いた。
政府は拉致被害者たちの身体に異常が無い事を確認してから帰宅させると言っているが、一体どういうつもりなのか。
彼の中で日本政府、特に
⦿⦿⦿
ある日、彼は行きつけの居酒屋で一人飲んでは愚痴を垂れていた。
「全く、何なんだよ特別警察特殊防衛課って……? この国、色々おかしくなってんじゃねえのか?」
彼は風の
「なあ
女店主は目を丸くして固まる。
何を言っているのかよく
インターネット上には例の「
どういうわけか、彼にはその情報に捨て置けないと思わせる何かを感じていた。
「あの、すみません……」
その時、一人の女が彼に声を掛けてきた。
彼と同じくらいの年代の、長い黒髪の女。
「
その女は
怪しいと思った男は、一つ鎌をかけてみることにした。
「噂ですがね。
彼の名前は
息子の
もし、ここで女が「
「
引っ掛からない。
そしてその上で、なおも奇妙な事を言ってくる。
彼、
「そういえば、
女性は
「あいや、すみません……」
「
しかし彼女はそんな
「
息子の
しかし
「
不思議と、驚きは無かった。
「能く……判りましたね……」
「
「雰囲気?」
「ええ……」
意味深なことを告げた
「
言われてみれば
「少し、御一緒しても?」
「……どうぞ」
一人を好む