日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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幕間十八『船出の時に向けて』 上

 男はタクシー運転手という仕事柄、様々な人間の人生の機微に立ち会ってきた。

 彼がこの仕事を始めたのは十年ほど前である。

 

 元々妻との間に一人の男の子に恵まれていた彼だったが、長年の秘密が妻にばれてしまい夫婦関係が破(は)綻(たん)し間も無く離婚。

 その後、妻に隠していた秘め事の悪質さが職場にも伝わり、会社に居られなくなって自主退職。

 そして始めたのが今のタクシー運転手という仕事である。

 

 彼の元妻と息子は彼が今何をしているのか全く知らない。

 連絡を禁じられているのだから、当然と言えば当然である。

 しかしある時、彼は意外な形で息子との再会を果たすことになる。

 

 それは、珍しい配車依頼だった。

 梅雨入り前のある日、深夜未明だというのにアパートまで車を寄(よ)越(こ)してくれという相談だった。

 大学生の様だったので、大方友人のアパートで飲んで帰れなくなったのだろうと、最初はそう思っていた。

 

(若えのには青春があって良いな)

 

 自分には最(も)早(はや)到底望めない、望んではならないそれを羨(うらや)ましく、少し僻(ひが)みながら会社からの指示でアパートに向うことになった。

 

「お客様のお名前を」

『岬(さき)守(もり)様、と仰(おつしや)っていました』

 

 男は思考を硬直させた。

 忘れもしない、元妻の旧姓だ。

 男は幽(かす)かに脳裏を掠(かす)めた可能性を振り払い、十分か十五分で向かうと連絡を返して指定されたアパートに車を走らせた。

 

(そんな奇跡なんてものがあっちゃいけないんだ)

 

 男はアパートに向かう道中で思い出す。

 幼馴染だった元妻と何としても付き合う為(ため)に、虐(いじ)めと救済のマッチポンプを仕掛けた事を。

 その虐めによって、予想外にも元妻は追い詰められており自殺未遂までしていたと知った事を。

 そこまでするつもりはなかったと激しく後悔しながらも、責任を取る為に彼女を支え続けていたらいつの間にか恋仲となり、当初の願いが叶(かな)ってしまった事を。

 

 自分は最低の人間である。

 そんな人間が、息子と再会する資格など有る筈(はず)がない。

 そう考えている内に、指定されたアパートの駐車場が見えてきた。

 タクシーを呼んだ青年は態(わざ)々(わざ)見えやすいようにスマートフォンのライト機能で自分の周囲を照らしていた。

 

「なんてこった……」

 

 彼は車内で小さく呟(つぶや)いた。

 忘れる筈が無い。

 小さな少年から大人の青年に成長していたが、見間違える筈が無い。

 

 その青年には確かに息子の面影があった。

 母親似の茶髪も、痩せていた頃の自分似の童顔も、成長した息子そのものだ。

 男は涙が零(こぼ)れそうになるのを必死に堪えた。

 こんな事で感極まる権利など自分にはない。

 

 だが、息子に声を掛けるとき、どうしても顔を見せる必要がある。

 自分が父親だと気がつくだろうか。

 いや、気付かれたところで罵声を浴びるだけかもしれないが、謝るチャンスは巡って来るだろう。

 そんな僅(わず)かな期待を胸に、男は窓を開け、青年に、息子に声を掛けた。

 

「岬(さき)守(もり)様ですか?」

「あ、はい。すみません、こんな時間にお呼び立てしてしまって……」

 

 どうやら気付いている様子はない。

 暗くて顔が能(よ)く見えないだけだろうか。

 しかし、運転席と擦れ違い様に目が合っても、息子の顔色は僅かな変化も見せない。

 

(そうか、本当に判(わか)らないのか……)

 

 男は内心がっかりしながら、客となった息子に行き先を尋ねた。

 

「どちら迄(まで)お送りしましょう?」

「すみません、実はですね……」

 

 申し訳無さそうに切り出された行き先と目的を聞き、男は呆(あき)れた。

 何とここは息子の借りている自宅で、ただ日の出前に海を見たくなったのだという。

 

「あの、迷惑ですよね?」

「いいえ、仕事ですのでお構いなく。それに、良いんじゃないですか? お若いんだからそういう事もありますよ。青春を感じてしまいますね……」

 

 息子はどうやら別の悩みごとがあるらしい。

 そんな心境なら、自分に気付かないのも理解できる。

 ならば態々名乗りを上げてこれ以上悩みの種を増やすこともあるまい。

 

「じゃ、出発しますね。説明があったかと思いますが、只(ただ)今(いま)の時間は深夜料金が適用になりますので割増しになります」

「あ、はい。大丈夫です」

 

 男は料金メーターを回し、車を出した。

 これが全ての運命の始まりになろうとは、まだ二人とも知る由も無かった。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 数日後、男は警察の事情聴取を受けた。

 何事かと訊(き)くと、どうやら息子を送り届けた海浜公園の丁度同じ頃に事件があったらしい。

 

 男は胸騒ぎを覚え、居ても立ってもいられなくなった。

 事情聴取から解放され、勤務時間が終わると彼はすぐさま息子の自宅アパートに車を走らせた。

 すると郵便物が取られないままポストに溜(た)まっており、ここ数日帰っていないことを思わせた。

 

(なんてこった……)

 

 男は頭を抱えた。

 しかし、長居しても何かが解決するわけでもないと思い直し、警察が早急に事件を解決することを願いながらアパートを後にしようとした。

 車を出そうとしたその時、見慣れない若い女がサイドミラーに映り込み、息子の部屋の様子を窺(うかが)っているのが見えた。

 

「あれは……」

 

 男は息子との移動中に身の上話を聞かされていた。

 幼馴染の女性に片(かた)想(おも)いしているということを、血は争えないと思いながら聞いていた。

 

(少し話をしてみるか……)

 

 男は車を降りた。

 彼のこの行動が、後に巡り巡って息子を助け、日本国の運命を大きく変えることなど、彼には知る由も無かった。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 その後、彼は何度か息子のアパートの部屋を訪ねてみたが、やはり帰った様子は無い。

 息子を海浜公園に送り届けてから約一カ月後、丁度息子を海まで送り届けたのとほぼ同じ時期に皇(こう)國(こく)内のテロ組織による邦人拉致が行われていたというニュースを聞いた。

 そして、皇(こう)國(こく)で何やら不手際があったらしく、帰国の目途が立たなくなったというニュースも入って来た。

 

 彼は毎日、皇(こう)國(こく)に関するニュースに注視するようになった。

 

 しかし彼の心配も虚(むな)しく、日本と皇(こう)國(こく)は最悪の衝突に向かって突き進んでいく。

 皇(こう)國(こく)による日本侵攻が始まった。

 彼が暮らす東京の上空にまで敵国の兵器――それも大量破壊兵器と言っても過言では無い火力を備えた「為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)」という巨大ロボットが迫ったのだ。

 

 だが、日本国も負けてはいなかった。

 皇(こう)國(こく)と同じような為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)、金色の機体が日本の本土を敵の攻撃から守った。

 その後も幾度と無く皇(こう)國(こく)による侵攻作戦が行われたようだったが、金色の機体は悉(ことごと)くこれを撃ち砕いた。

 

 尤(もつと)も彼にとっては、そんな事よりも息子の事が一大事だった。

 邦人は全員帰国した筈なのに、その中には確かに息子がいた筈なのに、未(いま)だに息子はアパートに帰って来ない。

 

「畜生、一体何がどうなってやがる!」

 

 彼は誰も居ない息子の部屋の前で悪態を吐いた。

 政府は拉致被害者たちの身体に異常が無い事を確認してから帰宅させると言っているが、一体どういうつもりなのか。

 彼の中で日本政府、特に皇(すめらぎ)奏(かな)手(で)防衛大臣に対する不信感が募っていった。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 ある日、彼は行きつけの居酒屋で一人飲んでは愚痴を垂れていた。

 

「全く、何なんだよ特別警察特殊防衛課って……? この国、色々おかしくなってんじゃねえのか?」

 

 彼は風の報(しら)せで悪い噂(うわさ)を聞いていた。

 

「なあ女(おか)将(み)さんよ、若(も)しアンタの子供がその特別なんちゃらの一員に加わっていたとしたら、貴女(アンタ)どう思うね?」

 

 女店主は目を丸くして固まる。

 何を言っているのかよく呑(の)み込(こ)めない、といった様子だ。

 インターネット上には例の「金(こん)色(じき)の機体」を操縦しているのが拉致被害者の一人で、しかも息子の岬(さき)守(もり)航(わたる)らしいという出所不明の情報が見られた。

 どういうわけか、彼にはその情報に捨て置けないと思わせる何かを感じていた。

 

「あの、すみません……」

 

 その時、一人の女が彼に声を掛けてきた。

 彼と同じくらいの年代の、長い黒髪の女。

 所謂(いわゆる)「美魔女」といった、美しさと何処(どこ)と無い儚(はかな)さを兼ね備えた女だった。

 

「貴方(あなた)は特殊防衛課メンバーのお父様なのですか?」

 

 その女は何故(なぜ)か特殊防衛課の事情を気にしている様子だった。

 怪しいと思った男は、一つ鎌をかけてみることにした。

 

「噂ですがね。因(ちな)みに私(わたし)、廣(ひろ)坂(さか)というものですが、もしかしてこの名前に心当たりがおありですか?」

 

 彼の名前は廣(ひろ)坂(さか)任(あたる)という。

 息子の岬(さき)守(もり)航(わたる)は両親が離婚して母方の姓に変わったのだ。

 もし、ここで女が「廣(ひろ)坂(さか)という特殊防衛課の一員がいる」と言ってしまえば、彼女は嘘(うそ)吐(つ)きという事になる――そう考えての名(な)告(のり)だった。

 

「廣(ひろ)坂(さか)……。いいえ、分かりません。ただ、少し貴方(あなた)の面影がある気がします」

 

 引っ掛からない。

 そしてその上で、なおも奇妙な事を言ってくる。

 彼、廣(ひろ)坂(さか)任(あたる)は少し彼女に興味を持った。

 

「そういえば、貴女(アンタ)のお名前をまだお伺いしていませんでしたね。差し支えなければ、教えて頂けませんか?」

 

 女性は廣(ひろ)坂(さか)の問いに対して少し躊(ため)躇(ら)う様子を見せた。

 廣(ひろ)坂(さか)としても無理に訊くつもりはないので、すぐに謝って発言を取り消そうとした。

 

「あいや、すみません……」

「麗(うる)真(ま)……」

 

 しかし彼女はそんな廣(ひろ)坂(さか)の言葉を遮って答えた。

 

「麗(うる)真(ま)魅(み)弓(ゆみ)と申します……」

 

 麗(うる)真(ま)――その名前に、廣(ひろ)坂(さか)は何故か奇妙な繋(つな)がりを感じた。

 息子の岬(さき)守(もり)航(わたる)が幼馴染の麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)と出会ったのは廣(ひろ)坂(さか)が離婚した後の話なので、彼には縁が無い筈である。

 しかし廣(ひろ)坂(さか)には、この麗(うる)真(ま)魅(み)弓(ゆみ)が他人ではないような気がした。

 

「貴方(あなた)は……岬(さき)守(もり)航(わたる)さんの御(お)父(とう)様(さま)ですか?」

 

 魅(み)弓(ゆみ)は突如、廣(ひろ)坂(さか)の素(す)性(じよう)を言い当ててきた。

 不思議と、驚きは無かった。

 

「能く……判りましたね……」

「貴方(あなた)は何処か……私(わたし)と同じ雰囲気を感じるんです」

「雰囲気?」

「ええ……」

 

 意味深なことを告げた魅(み)弓(ゆみ)は、徐に廣(ひろ)坂(さか)の隣の席に坐(すわ)った。

 

「貴方(あなた)は御自身の過去に罪悪感と後悔を抱いている……。そんな気がしたんです……」

 

 言われてみれば解(わか)る様な気がした。

 廣(ひろ)坂(さか)もまた、魅(み)弓(ゆみ)から似た雰囲気を感じ取っていた。

 

「少し、御一緒しても?」

「……どうぞ」

 

 一人を好む廣(ひろ)坂(さか)だが、この時だけは何故か彼女を受(う)け容(い)れている自分が居た。

 此(こ)処(こ)で話を聴くのは重要な意味がある――そんな気がしていた。

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