日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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幕間十八『船出の時に向けて』 下

 不思議な雰囲気の女だった。

 彼女だけ、この世界から切り取られているかの様に、人との関わりから絶たれていた――そんな空気を纏(まと)っていた。

 その麗(うる)真(ま)魅(み)弓(ゆみ)という女が何故自分に近付いてきたのか、その答えが廣(ひろ)坂(さか)には解る気がした。

 

『貴方(あなた)は何処か……私(わたし)と同じ雰囲気を感じるんです』

 

『貴方(あなた)は御自身の過去に罪悪感と後悔を抱いている……』

 

 そういうことか――廣(ひろ)坂(さか)は黙って酒に口を付ける。

 つまり、彼女もまた大きな罪を犯したのだ。

 その罪が、他人と交わること、繋がることを許さない。

 

「私(わたし)は……息子を棄(す)てました」

 

 暫(しば)しの後、魅(み)弓(ゆみ)が沈黙を破って語り始めた。

 

「棄てたってのはまた随分な言い様ですな」

 

 この時、廣(ひろ)坂(さか)は少々下衆なことを考えてしまっていた。

 成程、子供と離れ離れになったというのは自分と似ているかも知れない。

 だが、それがどれ程の罪だというのか。

 言っては難だが、子供を手放した過去を重く受け止めているだけではないのか。

 

 果たしてその罪は、自分の罪と天(てん)秤(びん)に乗せる程のものなのか。

 呉(くれ)々(ぐれ)も、虚(こ)仮(け)威(おど)しでがっかりさせてくれるなよ。

 

「とはいえ、そう思っているのは案外貴女(アンタ)だけかも知れませんよ?」

「確かに、貴方(あなた)の言うことも一理あるかも知れません」

 

 意外な答えだった。

 普通、罪悪感に対する慰めの言葉をこうも簡単に受け容れるだろうか。

 

「私(わたし)は息子を手放さざるを得なかった、それそのものは確かに、棄てたとまでは言い切れないかも知れない」

「どういうことです?」

「手放さざるを得なかった、その理由こそが私(わたし)の罪なのです」

 

 廣(ひろ)坂(さか)は眉を顰(ひそ)めた。

 子供と離れ離れになったことより、そうなるに至った自分の所業こそが罪――奇妙な重なりを感じずにはいられない。

 嫌な気分だった。

 しかし、そんな彼に追い打ちを掛ける様に、彼女は思いも懸けないことを言いだした。

 

「貴方(あなた)もそうなのでしょう。貴方(あなた)は許されざる所業の因果により、我が子を手放した……」

「なっ!?」

 

 廣(ひろ)坂(さか)は勢い良く立ち上がる。

 椅子を倒し、そしてその音以上の剣(けん)幕(まく)を魅(み)弓(ゆみ)にぶつけずにはいられなかった。

 

「なんなんだ貴方(あなた)! 一体、俺(おれ)の何を知って……!」

「分かるんです、昔から色々なことが。私(わたし)にはそういう力があるんです」

「ふ、ふざけたことを……!」

「見せましょう、貴方(あなた)には特別に……」

 

 その瞬間、廣(ひろ)坂(さか)と魅(み)弓(ゆみ)だけを残して世界が暗転した。

 闇の中で唯(ただ)二人、静寂(しじま)の中に置き去りにされたかの様だ。

 

「な、なんだこれは!?」

「これが私(わたし)の能力。私(わたし)の過去や現在、更にはそのもしもの可能性を垣(かい)間(ま)見(み)、そして共有することが出来る」

「の、能力だって?」

 

 信じられない事態だった。

 何が起きているのか解らない。

 

 しかし、魅(み)弓(ゆみ)が嘘(うそ)を言っていないことは解る。

 何故なら、魅(み)弓(ゆみ)の背後に一つの映像が流れているからだ。

 更に、自らの背後にも。

 自分が背にしているのは、まさに自分が元妻・岬(さき)守(もり)湊(みなと)に犯した所業だった。

 

「み、見るな……!」

 

 廣(ひろ)坂(さか)は狼(ろう)狽(ばい)を禁じ得なかった。

 

「頼む、見ないでくれ! 見たくもない! やめろ、やめてくれ!」

「それは違います」

 

 魅(み)弓(ゆみ)が廣(ひろ)坂(さか)に言い宥(なだ)めてくる。

 

「私(わたし)は貴方(あなた)の過去を見てはいない。唯、罪の意識を抱えているが判るだけ。そして、自分の過去を見続けてきたのは貴方(あなた)自身。それが罪の意識というものです」

「うぅぅ……」

「自分の過去を見続けた眼(め)には独特の闇が宿ります。貴方(あなた)も屹(きつ)度(と)、私(わたし)の眼にそれを見たでしょう」

 

 廣(ひろ)坂(さか)は憔(しよう)悴(すい)の果てに魅(み)弓(ゆみ)の方へと振り向いた。

 

「そして、今日貴方(あなた)と私(わたし)が出会ったのは何かの縁だと思っています。貴方(あなた)には私(わたし)の罪を見せるべきだと、私(わたし)の力がそう囁(ささや)くのを聞きました。ですから、お見せしましょう。私(わたし)が何をしてしまったのか……」

 

 魅(み)弓(ゆみ)の背後に移っているのは、家族の確執だった。

 彼女には弟が居た。

 弟の名は麗(うる)真(ま)魅(み)弦(つる)、つまり父親は麗(うる)真(ま)魅(み)射(いる)である。

 二人は父親から秘密政治結社「崇(す)神(じん)會(かい)」の後継者として思想を吹き込まれ、戦う術を叩(たた)き込(こ)まれたが、そんな父に彼女は反発していた。

 

「そして、十八の時でした。私(わたし)は父の配下から一部の者達を引き連れて離脱しました。離脱した者達は父の組織の分派として『廻(かい)天(てん)派(は)』を結成した」

「それが……どうしたってんだ?」

「廻(かい)天(てん)派(は)は崇(す)神(じん)會(かい)の本流とは比較にならない、邪悪なテロリストに成り果てたのです。大勢の人間が彼らのテロに、そして本流との『内ゲバ』に巻き込まれて死にました。私(わたし)の愛した人も……」

 

 一人の青年の死に様が大きく映し出された。

 これは屹度魅(み)弓(ゆみ)の記憶であり、他に何も見えない程に彼だけを見ていたのだろう。

 この大きさは彼女の後悔の大きさそのものなのかも知れない。

 

「私(わたし)は……息子の父親を……殺してしまったんです……」

「そう……か……」

 

 廣(ひろ)坂(さか)は胸が締め付けられる様だった。

 未来の息子の母親を自殺未遂に追い込んだ自分も同じ様なものだ。

 ただ偶(たま)々(たま)、相手が助かっただけに過ぎない。

 

 互いの罪を比べようと、少しでも過(よぎ)ってしまった自分が恥ずかしい。

 いや、既にこれ以上無く恥ずかしい存在だったか。

 

 いつの間にか、周囲が許の居酒屋に戻っていた。

 夢にしては現実感の強い体験だった。

 

「背負っていくしかないのか……俺(おれ)達は、罪を……」

「かも知れません」

 

 廣(ひろ)坂(さか)は溜息を吐くと、椅子を立て直して再び腰掛けた。

 

「過去は変えられない。時計は左回りでも、犯した罪は……」

「過去を変えたとしても、やっちまった俺(おれ)はずっと残り続けるんだ。あいつが、息子が許しても! 誰だろうが、神様だろうがそれだけは変えられやしない!」

「許されることに意味など無い、と……?」

「ねえさ! 在る訳がない! 俺(おれ)は俺(おれ)なんだ! 罪を犯した俺(おれ)だ! あの時から! 今でも! これからも! 死ぬまで! 死んだ後も!」

 

 廣(ひろ)坂(さか)は勢い良く酒を飲み干し、コップで食卓を叩(たた)いた。

 

「っと、すみません、つい……」

 

 しまった――彼はつい耐え切れず、罪悪感を酷(ひど)い言葉にして吐き出してしまった。

 隣に居る人間の事情も気持ちも考えず、軽(けい)率(そつ)な発言だった。

 

「相手のことを何も考えちゃいない。こういうところが碌(ろく)で無(な)しなんだ、俺(おれ)は……」

「私(わたし)も……そうです。自分一人で罪を抱え込むのが辛くて、貴方(あなた)に八つ当たりをしてしまったのかも知れない……」

 

 八つ当たり――廣(ひろ)坂(さか)の吐露も同じ様なものだった。

 結局の所、彼には、彼女には、苦しむ資格すら無いのだろう。

 

 重い沈黙が続く。

 廣(ひろ)坂(さか)には次の言葉が見付からなかった。

 全て無かったことにして、消えてしまいたい。

 

 一層、今から彼女を誘ってみるか。

 もしかすると、同じ気持ちかも知れない。

 二人が出会ったのは、死に場所を求める心に引き合わされたのかも知れない。

 廣(ひろ)坂(さか)が魅(み)弓(ゆみ)に声を掛けようとした、その時だった。

 

「私(わたし)は何度も、自分の過去から逃げようとしました」

「俺(おれ)もだよ……」

 

 そして、何度も思い知らされた。

 逃げ場など無いのだ、自分から逃げることは出来ないのだ。

 

「先程、私(わたし)には『もしもの可能性を見る』ことも出来ると言いました」

「つまり、自分がやらかさなかったらどうなってたか、ってことか?」

「ええ。その先に良い未来があれば、それだけで救われる気がしたんです。でも駄目でした。都合の悪い過去を変えたところで、理想の未来など在りはしなかった……」

「そうか……」

 

 酒を飲み干してしまった廣(ひろ)坂(さか)は、瓶から自分のコップに注(つ)ぎ直(なお)した。

 そして、魅(み)弓(ゆみ)の分も。

 

「気が利かなかったな。貴女(アンタ)も気を紛らわした方が良い」

「ええ……」

 

 魅(み)弓(ゆみ)は少量飲んだ。

 

「いつだったか、こんなことを聞いたことがあります。時の流れ、歴史には無数の可能性があり、可能性の数だけ世界は分岐し得るのだと。しかし同時に、近すぎる世界は同時に存在し得ない。実体化出来るのは、遠くかけ離れた世界線だけのようです」

「どういう意味だ?」

「日本と皇(こう)國(こく)の様に、異なる歴史を歩んだ世界があるとします。しかし、二つの世界には同じ人間が居ないんです。つまり私(わたし)達はこの世界、この歴史上にしか存在しない」

「つまり……罪を犯さなかった俺(おれ)や貴女(アンタ)は何処にも居ない、あり得ないってことか」

「ええ、残念ながら……」

「考えようによっちゃ、俺(おれ)があいつを陥れて、結婚して、子供が生まれる、それ以外の可能性は無いってことか。俺(おれ)が居て息子が居ない世界も存在しない」

「そうですね……」

「息子にとっちゃ最悪な話だ。こんな俺(おれ)の最低の罪とセットにされるなんて」

 

 廣(ひろ)坂(さか)は酒を一気に飲み干した。

 

「しかし、御(お)陰(かげ)で判ったことがある」

「なんでしょう?」

「噂が本当なら、息子は真(まっ)当(とう)に育った、立派に育った。そうならなかった息子も存在しない。ひょっとすると、こんな俺(おれ)に救いがあるとすれば、その事実だけかもな……」

「成程……」

 

 初めて、魅(み)弓(ゆみ)の表情に微(かす)かな笑みが浮かんだ。

 

「確かに……弓(きゅう)矢(や)も真(まと)面(も)な人間に育ってくれました。こんな女の息子なのに。父親の遺伝かも知れませんが……」

「願わくはあいつらだけは、幸せになってほしいもんだ……」

 

 廣(ひろ)坂(さか)は魅(み)弓(ゆみ)と出会って、一つの確信を得た。

 屹度、自分には幸せな未来などもう訪れない。

 しかし、誰かの幸せを願うことは、それだけは今も許されている。

 

「貴女(アンタ)、これからどうするね?」

「さあ、どうしましょう? 御一緒しても構いませんが?」

「それはどっちの意味かね?」

 

 魅(み)弓(ゆみ)は廣(ひろ)坂(さか)の問いに厭(えん)世(せい)的(てき)な微(ほほ)笑(え)みを返した。

 そうか――廣(ひろ)坂(さか)には解った。

 やはり魅(み)弓(ゆみ)もまた同じ気持ちだったのだ。

 共感のある美しい女――共に暗黒の海へ船を出すには、悪くない相手だ。

 

(ただ、このまますぐに出ちまうのも、な……)

 

 廣(ひろ)坂(さか)は考える。

 もう少しだけ待ってみたい。

 微かな未練が消えるまで。

 

「どうせなら、もう少しゆっくりしていきませんか? せめて今の世の中が落ち着くまで……」

「落ち着くでしょうか?」

「落ち着きますよ。でなければ、困るじゃありませんか」

 

 噂が本当なら、世界の行く末は息子の運命と重なっている。

 だったらもう少し、信じて待ってみよう。

 心を決めるのはそれからでも遅くはない。

 

「そうですね……」

 

 その後、二人は来るべき時の為に、連絡先を交換して別れた。

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