地球の大気は地表から約百粁のカーマン・ラインを超えると殆ど無くなる。
為動機神体の速度に限界がある理由は主に二つで、一つは操縦士の感覚が保たなくなることと、もう一つは空気の摩擦によって生じる衝撃波が波動相殺機構の吸収許容量を超えてしまう為だ。
つまり、機体の性能上はカーマン・ラインを越えれば限界速度は大きく跳ね上がる。
皇級為動機神体・カムヤマトイワレビコはマッハ五を超えて加速することが出来るようになる。
これまでの超級為動機神体・カムヤマトイワレヒコでは宇宙空間に適応しておらず、その苛酷な環境が操縦士の感覚に直接伝わってしまう為、大気圏内でしか運用出来ないという問題があった。
しかし、耐宇宙装甲に改造した今なら、その活動域は宇宙にまで拡大される。
「おおおおおっっ!!」
高度八十粁、航は機体の上昇にラストスパートを掛ける。
機体の外には色取り取りの極光が燦めいており、操縦室「直靈彌玉」からも見ることが出来る。
「ふにゅぅ」
「綺麗ですね、御兄様」
幽鷹と兎黄泉が感嘆の声を漏らすのも無理は無い。
航も魅琴も、思わず浪漫を感じてしまう美しい景色だ。
光に包まれながら果てしなく昇っていくその光景は、まさに天界へと浮遊していくかの様であった。
何処までも上り詰めた先の世界――此処が高天原なのだろうか。
神話の天津神も、この様な美しい世界で営みを為し、地上を見守っているのだろうか。
この多幸感に満ちた領域から見て、地上は愛するに値する世界なのだろうか。
「十秒、そろそろね……」
カーマン・ラインは極光溢れる熱圏に入って二十粁の位置である。
マッハ五では僅か十二秒――繰り返すがこれを過ぎれば、大気は殆ど無くなる。
「抜けたっ!」
航は体が軽くなった様な気がした。
空気抵抗が消え、推力の効率が大幅に増す。
耐宇宙装甲の御陰で、航は真空の感覚をものともせずただ浮遊感に身を委ねていた。
光り溢れる世界の中、航は背中に翼を感じていた。
「航、浸っている場合じゃないわよ」
「っと、そうだね、ごめん」
魅琴に釘を刺され、航は我に返った。
そう、まだアメノミナカヌシへの道程は始まったばかりである。
大気圏を抜けた今、カムヤマトイワレビコはマッハ五を超えて加速出来るようになった。
想定では、その推力を東方向に発揮して、静止軌道上を公転するアメノミナカヌシへと緩やかに接近するという寸法になっている。
「さあ、みんな行くぞ!」
航は東上方に進路を取り、機体を大きく加速させた。
⦿⦿⦿
地上、日本国は首相官邸執務室。
今、内閣総理大臣・南川和之と防衛大臣・梅宮圭一が自衛隊の統合幕僚長・波瀬京太郎を呼び出し、物凄い剣幕をぶつけていた。
「どういうことですか! 誰の許可で護衛艦を移動させたのですか!」
「勝手に軍事力を越境させて外国に入港させるなど、完全に領海侵犯しまうじゃないですか!」
二人は完全に狼狽していた。
波瀬は二週間前からカムヤマトイワレヒコを援護する為に出撃命令を出していたが、これは内閣に無許可で行われていた。
本来これは、絶対にあってはならないことである。
「そうは仰いますが、アメノミナカヌシの使節派遣に超級為動機神体の出撃を許可されたじゃないですか」
「自衛隊の出撃までは許可していません! にも拘わらず、貴方はあろうことか先の大戦で我が国の侵略を受けたアジアの国に軍事力を越境させたのです! こんな暴走、到底看過出来ませんよ!」
「侵略戦争の反省は何処へ行ったんですか、反省は! 自衛隊が旧軍と同じでは困ります!」
波瀬は大きく溜息を吐いた。
「まさか、本当にカムヤマトイワレヒコ一機だけでどうにかなると思っていたんですか? 皇國側、皇道保守黨側が何もせずに使節団をやり過ごしてくれるとでも?」
「そうは言っていません! 先に裁可を取れと言っているんですよ!」
「あのですね、勿論申請したに決まっているじゃないですか。内閣が施設派遣を決めたその時点でね。しかし、貴方達はギリギリまで話し合いで説得すると言って黙殺し続けたんです。一週間前には出港しないと間に合わないと再三お伝えしたにも拘わらず、です」
「だからといって、文民統制を逸脱したことに変わりはありません! この責任は屹度取って……」
この責任は屹度取っていただく――そう言い放とうとした南川は波瀬の眼光にたじろいだ。
梅宮もまた気圧されている。
波瀬は静かに答える。
「言われずとも、基より責任は全て引き受ける覚悟です。何なりと、お気の召すままに処分なさってください」
南川と梅宮はそれ以上何も言えなかった。
「お話は終わりですか? では、失礼致します」
波瀬は二人に一礼すると、踵を返して執務室を出て行った。
⦿⦿⦿
無窮為動機神体・アメノミナカヌシ内部、中央制御室「高御座の間」に二人の男が馳せ参じていた。
「畏れながら申し上げます、神皇陛下」
「只今、紫桐卿から我々に連絡が御座いました」
アメノミナカヌシに控えている紫桐一派の二名が神皇を仰ぎ、頭を下げた。
頭を丸めた力士を思わせる巨漢の榊御門飯降と、極端な長身痩躯に憲法家の装いを纏った菊屋敷師継――共に青華家当主の侯爵である。
その二人が並ぶ姿は、如何にも「凸凹コンビ」といった様相だった。
「そうか。神為供給はどうなった? 復旧出来たか?」
「それが、何から申せば良いやら……」
二人の頭目である侍従長・紫桐玄貴はアメノミナカヌシからの神為供給が途絶した皇宮「宇気比の間」に向かい、状況を復旧すると神皇に申し出て地上へ降りた。
しかし、実際には神皇と対立する皇弟・蛟乃神賢智が皇宮に入り、直接神為の供給を行って事態を打開したのだった。
紫桐はこの事実を二人に伝え、更にこれからの方針について神皇の裁可を仰ごうとしていた。
「成程、賢智が……」
「申し訳御座いません、陛下。対立する弟君に皇宮を抑えられてしまったこの咎、紫桐卿は如何なる処分も承ると……」
「良い。神為の供給が再開されたのであれば何も問題無い。賢智には感謝せねばならんだろうな」
「寛大なる御言葉、痛み入ります。して、これからのことなのですが……」
二人は神皇に、紫桐はこのまま地上で皇宮を去ることになった玖我や花鳥院と共に皇道保守黨を助けたいと考えている旨を伝えた。
神皇はこれを快く了承し、二人は下がった。
一方で、面白くないのは貴龍院である。
(なんだか紫桐の思い通りといった感じねぇ……。折角の三入君の余興だというのに、すぐに解決しちゃったみたいだし……)
と、そんな彼女の意識に当の閏閒が語り掛けてきた。
『御安心ください、媛様。神為供給の遮断はあくまでも余興、アメノミナカヌシの防衛は基よりこの儂自身が引き受ける所存』
『へえ、そういえばあったわねぇ、貴方にはあれが……』
『はい』
神瀛帯熾天王のうち、八社女征一千と閏閒三入には為動機神体の操縦技能があった。
そして、閏閒には専用の機体まで用意されているのだ。
『岬守航と麗真魅琴、それから先帝の複製である双子は、生意気な金色の機体と共に、儂が宇宙の塵にしてくれましょうぞ。儂の壜級為動機神体・トミノナガスネヒコで』
『あら、良いわね。そういえば彼方の機体、改造を施して皇級為動機神体・カムヤマトイワレビコになったんですって。どちらにせよ、お誂え向きじゃない?』
『全くです』
閏閒の笑い声が貴龍院の脳内に鳴っている。
『儂もまた追い詰められた将門公の如く、皇尊に目に物見せてやりましょうぞ!』
『はいはい、じゃあ頑張ってね』
カムヤマトイワレビコが近付くアメノミナカヌシの内部では、様々な立場の者達が思惑を交錯させる。
『ところで媛様、アメノミナカヌシの制御権ですが、時が来れば制限を廃し一般に開放されるよう更新予告を掛けておきましたぞ』
『成程、誰でも操れるようになれば私にもこの宇宙を対消滅させられるという訳ねぇ』
中でも取り分け、神瀛帯熾天王の二人はまさに「獅子身中の虫」になろうとしていた。
⦿⦿⦿
太平洋上、高智州沖。
自衛隊は岬守航らの搭乗する皇級為動機神体・カムヤマトイワレビコを突破させることに成功し、ポートモレスビーの護衛艦へ退避するばかりとなっていた。
しかし、大群を為す皇道保守黨がそれを黙って見ている訳も無い。
『すみません、豊中隊長! 後は頼みます!』
スイゼイ一機が敵の斉射を躱し切れず、爆発炎上した。
機体から操縦室「直靈彌玉」が飛び出し、落下傘を拡げる。
空かさず、池田隊のシキツヒコがこれを回収した。
「これでこっちの残りは七機か……」
ここまでの戦いで豊中隊のスイゼイは三機、池田隊のシキツヒコは二機が撃墜され、二名の戦死者を出してしまっている。
無事なのは豊中隊の豊中大洋一尉・恩田聡二尉・剣持或人二尉・求来里美乃三尉、それから池田隊の池田照史一尉・ 黒山理恵三尉・寺田章平三尉。
池田隊のシキツヒコにはそれぞれ、既に撃墜されてしまったスイゼイの操縦士が救助されて副操縦席に乗り込んでいる。
「恩田二尉・剣持二尉・求来里三尉、池田隊を援護しろ! 絶対にこれ以上犠牲を出すな!」
『了解!』
『しかしこの数は厳しいですよ』
『だからって大人しく死ぬのは真平です!』
豊中一尉は部下達に発破を掛けた。
池田隊のシキツヒコは性能でスイゼイに勝るが、豊中隊の面々を救助する際に被弾し、一部の兵装や装甲を失ってしまっている。
豊中隊としては、自分達を助けたばかりに池田隊の犠牲が増えることは避けたい。
『黒山三尉・寺田三尉、無理はするなよ!』
『はい!』
『でもこっちはブースターが一個やられちゃってるんですよ!』
一人弱気なのは寺田三尉だったが、彼の機体もどうにか敵の猛攻に耐えていた。
しかしその時、彼の機体の背後を一機のガルバケーヌ弐式が取った。
重火装型の強力な切断ユニットが、寺田の命を狙って振り下ろされる。
『寺田!』
『うわああああっっ!』
が、その時一筋の射撃がガルバケーヌ弐式の腕を撃ち抜いた。
自衛隊の七機には今、この男達が味方に付いている。
『明治日本軍・豊中一尉、こちら囃子中尉。我々も援護する』
『こちら枚辻少尉、同じく援護する』
囃子鐵男中尉と枚辻磊人少尉――何れも嘗て自衛隊が刃を交えた強敵達である。
それが今は味方となって、皇道保守黨の最新鋭機を相手取って活躍してくれている。
二人のミロクサーヌ零式が次々と皇道保守黨のガルバケーヌ弐式を撃ち落とし、斬り裂いていく。
「元輪田隊と元鯱乃神隊の副官、やはり凄まじい操縦技術だ……」
豊中は感心を禁じ得なかった。
此程の敵を相手取り、よく日本を守れたものだ。
『おのれええっっ! 数では此方が圧倒的に優位なんだ! それが何故こうも押される!』
『当然だろう。先の戦争に駆り出された精鋭の我々と、後方で待機していた貴様らとは抑も練度が全く違う。その我々と渡り合った彼らも、貴様らとは比べるべくも無い。皇道保守黨の兵に、我らと真面に勝負出来る者など数える程しか居まい』
『なんだとぉっ……!』
皇道保守黨の兵達は明らかに苛立っていた。
確かに、彼らの技量では元輪田隊や元鯱乃神隊に敵うべくもない。
また、最前線で戦ってきた石動隊や下柳隊の相手も厳しいだろう。
しかし、彼らにも意地がある。
『ふざけやがって! 貴様ら自分達が誰に与して戦っているか解っているのか!』
一機のガルバケーヌ弐式がミロクサーヌ零式に斬り掛かる。
『そいつらは我らの領海に軍を侵入させ、神皇陛下の大望を阻まんとする逆賊に手を貸し現体制転覆を助ける侵略者共だぞ! 栄えある皇國軍人として恥ずかしくはないのか!』
皇道保守黨の言い分を聞く豊中は内心、尤もだと思わざるを得なかった。
どう取繕おうが、皇國にとって今の自分達は領海を侵犯し国家の治安出動を阻んだ敵軍だ。
しかし、ならば彼らの所業を指を銜えて見ていることは果たして正しいのか。
(縦しんば正しくなくても、俺達に後悔は無い……!)
屹度、皇國の軍人達も同じ気持ちだろう。
彼らもまた、やるべきだと信じたから此処に居るのだ。
御陰で、自衛隊の退路は開いた。
「今だ! 豊中隊・池田隊、全速前進!」
七機は南へ向けて一気に加速する。
敵軍の中に開けた僅かな隙であった。
『くっ! 皇道保守黨、追え!』
『させん!』
追い掛けようとする皇道保守黨の一部機体、それを防がんとする皇國正規軍。
しかしその時、正規軍の数機が射撃を浴びて爆発炎上した。
『なっ……!』
撃ったのは一機のガルバケーヌ弐式、しかしその技量は明らかに他と違った。
『追わなくて良い! 退くぞ貴様ら!』
女の声が、皇道保守黨の友軍機に呼び掛けた。
自衛隊を追い掛けていたガルバケーヌ弐式はその呼び掛けに応える様に旋回する。
『皇道保守黨にもまだあれだけの腕の操縦士が居たとは……』
『ああ……』
枚辻少尉と囃子中尉は驚愕の中、退却していく敵機の中の一機を見ていた。
『皇道保守黨には一人の失われた逸材が所属していると聞いたことがある』
『失われた逸材?』
『ああ。皇國軍の黄金世代と言われた輪田少佐や鯱乃神殿下の同期の中、御二人に混じり首席を争った女将校が居た……。一つの失態で失脚したが、今は皇道保守黨に所属しているという噂は本当だったのか、武田観月少尉……』
ガルバケーヌ弐式の一機が囃子と枚辻の方へ振り向いた。
『命令が出たから今回は退こう。だが覚えておけ、孰れは貴様らのことも逆賊として粛正してやる。そして一つ訂正しておくが、今の私は武田観月大尉だ』
どうにか皇道保守黨の大軍を退けた自衛隊と皇國軍だったが、敵の持つ不穏な気配を拭い切るには至らなかった。