貴龍院は不快の絶頂にあった。
彼女の尋常ならざる眼には、航達を載せたカムヤマトイワレビコが「神世七代の層」を通過して「地神五代の層」に入る様子が見えている。
伊弉諾尊と伊弉冉尊の神像の台座にはそれぞれ入り口が備わっており、何方かが「地神五代の層」に続くのだが、間違った方の内部はブラックホールになっており、選べば圧死してしまう。
しかし航達は当然、伊弉諾尊を選んで難なく通過した。
(そりゃそうよねぇ。死者の国に棲まい、「一日千人殺す」と云った伊弉冉尊の方を選ぶ訳が無い。地神五代最初の神である天照皇大御神は伊弉諾尊の禊で生まれた娘だし……。こんな問題、温過ぎよぉ……)
続く「地神五代の層」は、中央を球状に大きく刳り抜いた構造となっており、その空間に巨大な球形のオブジェ――最終層「人代の璽」が鎮座し、透明の壁で覆われている。
その周囲は宛ら果物を横に輪切りにした様な階層に分かれていて、此処へ入ると先ずはその階層部分を上から下へと進んでいくことになる。
そして最下層では空間が中央へ繋がっており、空洞へ抜けてと対面するという訳だ。
また、階層によっては同じ様な「先に進む道を選ぶ問題」が待ち構えている。
地神五代に纏わる知識が要求されるのだが、航達はこれも特に迷わず進み続けている。
(腹が立つわねぇ、麗真魅琴。皇室の打ち上げた神話を能く御存知じゃなぁい。そんなにあの下らない作り話が好きなのぉ? そんなにこのしょうもない国と歴史が……)
強く歯軋りする貴龍院を横目に、神皇は満足気に微笑みを浮かべていた。
「貴龍院よ、彼らは順調のようだぞ。『地神五代の層』の最深部へ突入する」
「はい……。これだけのことを知りながらよくも陛下に刃向かおうなどと考えたものですわ……」
「ふむ、だから気に入った。と言うより、『惚れ直した』と言うべきかな?」
貴龍院は目を皿のように見開き、神皇の横顔を凝視した。
「何を仰るのですか、陛下?」
「俺は常々考えていた。不幸にも互いに争うことになってしまった皇國と明治日本だが、これから再創する新しい世界では凡ての日本人が手を取り合うべきだ。ならば和解の象徴として何が相応しいかと惟いを巡らせたとき、争いの以前に為そうとしていた宥和を思い出したのだ」
「ま、まさか……!」
貴龍院の肩は既に怒りで震えていた。
しかし神皇はそんな貴龍院の胸の内など知る由も無く、事も無げに告げる。
「俺は今一度、麗真魅琴の立后を試みる。互いに肉親の恩讐を越えて結ばれるのだ。どうだ、素晴らしいとは思わんか?」
「それは……御言葉ですがあの女が受けるとは思えませんわ……」
「そうか? しかし真摯に心を込めて語り合えば、日本人同士必ず解り合える、俺はそう信じている」
貴龍院は目眩を覚えた。
この男は常に自分の都合の良い世界、夢の中にだけ生きている。
如何なる状況に陥ろうとも、最終的に自分の願いは叶うと疑いなく信じているのだ。
絶対強者故の夢想と傲慢――貴龍院にとって、知り尽くしていた筈の思考回路だった。
「貴龍院よ、彼らは間も無く『地神五代の層』を通過し『人代の璽』に入るであろう。だがその玄関口である『皇祖皇宗の廻廊』の入口にはまだ榊御門と菊屋敷が控えておる。交戦が始まるまでに汝が行って二人を下がらせ、客人を迎え入れて俺の前まで丁重に案内せよ」
貴龍院の目蓋が痙攣している。
耐え難い命令だった。
(私に……あの女を迎えに行け、と……? 私を差し置いて、最も尊き御方の后になる女を、この私自ら遜って持て成せ、と? いくら……いくらなんでもそれは……!)
しかし、彼女には断ることなど出来ない。
彼女は唯、神皇の言葉に唯々諾々と従う他無いのだ。
皮肉にもそれは、彼女が嘗ての元相棒・敷島朱鷺緒に講釈を垂れた覚悟である。
「承知……致しました……。しかし、彼らが『地神五代の層』最後の関門を越えるとは限りません。また、間に合わず榊御門様・菊屋敷様が戦闘を始めてしまうことも……」
「そのときは遺憾だが致し方あるまい。だが、急げよ」
「はい……」
「フフフ……俄然、会って話すのが楽しみになってきたな……」
貴龍院は怒りから足早に神皇の許を離れた。
屹度、主君には己の命を忠実に守り、急いでいるように見えるだろう。
それがまた、貴龍院には気に入らなかった。
(許せない……! 全員殺してやるわぁ……! 私が、私こそがこの世界の御媛様なんだからぁ……!)
迎えに行く前に神皇には言質を取った。
こうなったら「地神五代の層」の最後の関門か、榊御門・菊屋敷両侯爵が彼らを討ち取ったことにして殺害するしか無い。
(あの二人では足止めにもならないでしょうが、私には「穢詛禍終」の能力がある。生死の境界を自在に操り、殺意のみで人を殺す能力が……。上手く二人の仕業に見せかけないとねぇ……!)
貴龍院は邪悪な笑みを浮かべ、「皇祖皇宗の廻廊」を急ぐ。
⦿⦿⦿
「地神五代の層」はその名の通り五つの層に分かれており、全ての層から刳り抜かれた中央の空間が見える。
この、中央に鎮座する巨大な球体こそが最終層「人代の璽」であり、その外壁には地神五代それぞれの神々の物語が彫刻されている。
第一の、最上の層には三つの神像彫刻が正三角形の頂点を成す陣形で並べられている。
一女神と二男神――神像に表示される名前はそれぞれ「素戔嗚尊」「月読尊」そして「天照皇大御神」となっており、「天照皇大御神」と「素戔嗚尊」の台座には次の層へ続く入り口が拵えられている。
下の層へ通じているのは勿論「地神五代」一代目の天照皇大御神の神像であり、素戔嗚尊を選ぶと超重力で潰されるという構造だ。
次の層には三女神五男神計八柱の神像彫刻が円形に並べられており、それぞれ「田心姫命」「市杵嶋姫命」「湍津姫命」「天忍穂耳尊」「天穂日命」「天津彦根命」「活津彦根命」「熊野櫲樟日命」の表示がされている。
五男神の台座には入り口が設けられていて、次の層に続く入り口が開いているのは「地神五代」二代目で神武天皇の高祖父「天忍穂耳尊」の神像だ。
それ以外を選択すると、この「地神五代の層」そのものから外へ出されてしまい、またあの光線砲の雨に曝されることになる。
その次は二つの神像が「人代の璽」を挟んで向い合う様に並べられており、それぞれ「饒速日命」「瓊瓊杵尊」の表示がされている。
この二柱の神は一説に天孫の兄弟であったとされている。
そして天照皇大御神から「天壌無窮の神勅」を授かり、日本を未来永劫その血統にて治めるよう託けられたのは「瓊瓊杵尊」である。
故に、この「地神五代」三代目「瓊瓊杵尊」の神像が次の階層へ続く。
饒速日命の神像を選ぶと、此方も「地神五代の層」の外へと放り出される。
更にその次の層もまた、「人代の璽」を挟んで二つの神像が向き合っている。
表示は「海幸彦」「山幸彦」であり、このうち弟の「山幸彦」が海神の娘「豊玉姫」の間に神武天皇の父「鸕鶿草葺不合尊」を儲けたとされている。
よって、「山幸彦」こそが「地神五代」四代目「彦火火出見尊」のことを指し、次の層へと続く。
逆に兄の「海幸彦」を選ぶと、そのままアメノミナカヌシ自体の外部――宇宙空間へと放り出されてしまう。
「遂に此処まで辿り着いたか……」
最下層まで辿り着いた航達を待ち受けていたのは、カムヤマトイワレビコより一回り程大きな神像であった。
その周囲には階段が拵えられ、掌に止まっている鸕鶿の背中に続いている。
鸕鶿の目線の先にはもう一匹、三本足の烏の像が浮遊し、上方から光に照らされていた。
光源を仰ぎ見ると、目に入るのは直径四九六米にもなる巨大な球状の大彫刻だ。
此処までずっと外から見えていたその彫刻は、近くで見ると尚のこと凄まじい存在感をで航を圧倒していた。
「次に向かうのはあの彫刻の中という訳ね……」
魅琴は最初に目に付いた神像を指差した。
その脇には例によって神像が模る神の名と、ここから先へ進む道が記されている。
『鸕鶿草葺不合尊』
『手前:地神五代の層――奥方:人代の璽』
『爾、此より奥方に莫入幸りましそ。荒ぶる神甚多かり。今天より八咫烏を遣せむ。故れ其の八咫烏引道きてむ』
見たところ、此処から先へ行くには八咫烏の導きに従えということらしい。
そして導きを得る為には階段を昇り、鸕鶿の背中に乗れということか。
「つまり、この先は為動機神体から下りて進まなければならないということだな……」
「まあ見たところあの『人代の璽』というのは直径五百メートルも無さそうだし、此処まで来れば自分達の足でも充分行けるわ」
航は機体を鸕鶿草葺不合尊の彫刻の目の前に進ませた――その時だった。
三度目の赤い点滅が部屋一帯を包み込む。
「やっぱり何事も無く進ませてはくれないか……。今度はどんなのが来るんだ?」
神像が縦に割れ、眩い光が漏れる。
中から一機の為動機神体の姿が覗いていた。
此方と同じくらいの大きさで、金色に輝く機体だ。
「ま、まさか……」
割れた神像から丁度卵が孵化する様に顕れたのは、カムヤマトイワレビコと全く同じ姿形の為動機神体だった。
同じ機体同士の対決――それが神皇の最後に用意した関門だということか。
「くっ!」
襲い掛かってきた敵の刃を受け止め、鍔迫り合いとなる。
当然、機体の出力は両者とも全く同じ。
航はすぐさま受け流し、格闘戦を仕切り直す。
奇しくも、相手の判断も同じだった。
(こいつ、まさか!)
航は自らの同型機と斬り結ぶ中で、一つの恐ろしい仮説に行き当たった。
短い攻防だが、敵は人工知能ながらも史上最強の為動機神体操縦士である航と互角に渡り合っている。
今までの自動操縦機とは明らかに精度が違うのだ。
距離を取って遠距離からの射撃戦に切り替えても、戦況は拮抗したまま変わらない。
「やっぱりそうか! こいつ、今までの僕の戦いからこっちの動きを学習してやがる! こいつは此処までの僕自身だ!」
そう、此処までの道程でゲームの様な仕掛けを攻略させられたのは、この為の布石だったのだ。
航は持てる操縦技能の全てを駆使して全霊で戦うも、敗けはしないが、埒が明かない。
(チンタラやってたら時間切れになる! まだあの巨大な球体の中に入って進まなきゃいけないのに……!)
神皇が全人類に宣告した鏖殺の時までもう一時間余りである。
早く勝負を決めなければ、これまでの道程が、苦労が、全て無駄足・無駄骨になってしまう。
(相手の、自分自身にさえ想定出来ない、意表を突く攻撃を仕掛けなければ勝てない……。考えはある……。しかしそれをやると……)
航は勝ち筋を見てはいる。
しかし、実行するのは躊躇われた。
要は、同じ戦い方で同じ機体を操るから互角なのだ。
戦い方そのものは既に自分の全てを駆使しているので、その均衡を崩すには機体の条件を変化させるしか無い。
航は思い出す。
常立研究所で機体を改造する際、研究員とこんな会話を交わした。
『耐宇宙装甲に改造すれば、機体の耐久力そのものが多少上がりますが、重量が増す分若干動きが鈍くなるかも知れません』
『そうですか……。それは一寸厳しいかも知れませんね。どうにも機動力重視の機体に慣れてしまっているんで』
『まああくまで若干ですよ。それに、総合すると完全に利点が欠点を上回りますので御安心を』
此処へ来て、航は研究員の言葉を痛感していた。
彼程の技量になると、その「若干」が痛切に感じてしまう。
改造前ならばもっと鋭敏に動けた筈だ。
研究員はこうも言っていた。
『まあ、その気になれば自力で脱着出来るようにしておきましょう。そして一つ約束していただきたいのは、万が一帰って来た際には必ず耐宇宙装甲を脱着していただけますか? 一応我々も皇國臣民として、敵国に装備を献上する訳には参りませんので』
そう、耐宇宙装甲を脱着し、動きを軽くすれば状況は打開出来る。
しかし、それをやってしまうと最早此処から帰ることが出来なくなってしまうのだ。
(僕一人なら構わない。魅琴も覚悟して来ている筈だ。幽鷹君も、兎黄泉ちゃんも。それでも……)
そんな彼を、副操縦席の魅琴が叱咤する。
「何を迷っているの? さっさとやりなさい!」
「魅琴……良いのか?」
「当たり前でしょう。何の為に此処まで来たの?」
航は目を閉じた。
基より決死行――解っていた筈だ。
ならば、必要とあらば自ら退路を断つ。
此処から先は、帰り道無しの特攻隊だ。
「解った。すまん、もう帰れない!」
皇級為動機神体・カムヤマトイワレビコの装甲が弾け飛び、中から元の超級為動機神体・カムヤマトイワレヒコが脱皮した。
瞬間、その刃が敵機の胸部を貫く。
直靈彌玉の位置――此処を破壊すれば、自動操縦と雖もそれ以上動くことは出来ない。
「さあ、行こうか。僕らの世界の畢りまで……」
敵機は爆発四散し、航達の行く手を阻む者は消え去った。
彼らの帰る路を巻き添えにして。