形勢は既に決定的だった。
殴り倒された閏閒はめげずに再度武装神為の超大型二丁拳銃「奇門遁甲魔弾銃・晴卍道満」を形成し、起き上がり様に航へと向かって行く。
「調子に乗るな、青二才が!」
閏閒の武装神為で形成された拳銃には、非常に細かな遁甲の図が描かれている。
その図は敵の動きに合わせ一部が光り、吉方を示す。
閏閒はその導きに従い、近接戦闘で有利に立ち回りながら高威力の銃弾で相手を確実に仕留めるのだ。
軍隊で鍛えた体幹と機敏な動きと相俟って、独特且つ洗練された一つの格闘術として敵に襲い掛かる。
「ガアアアッッ!!」
初撃は牽制としての前蹴り――これは航の腕で強く払い除けられる。
航は腕の光線砲ユニットの砲口を閏閒に向けようとするが、閏閒は既に銃の示す吉方に従い、航の背後に回り込んでいた。
そして、振り向くことなく航の後頭部に銃口を向け、発砲。
S&W・M500を片手で寸分の狂い無く照準を合わせ、空かさず狙い撃てる彼は、充分過ぎる程に技を磨いている。
だが、銃弾は航に中らない。
それどころか、航は閏閒が引金を弾く直前に、閏閒を見ることも無く光線砲で眉間を正確に撃ち抜いていた。
「ぐ、が……糞っ……!」
本来ならば致命傷だが、穢詛禍終で不死身となっている閏閒はすぐさま傷を再生し、腕を交差させながら一度航と距離を取った。
そして、勢いを付けて跳び上がり、回転蹴りを繰り出す。
当然、跳び上がる方向は奇門遁甲に従って航に対して有利な位置を選んでいる。
閏閒は此方を再び狙おうとする航の手を蹴り上げ、脇の下から銃を向けて発砲。
しかし、航の後回し蹴りが閏閒の背中を激しく撲った。
同時に、銃弾も回し蹴りの動きで躱している。
「ぐおおっ、ま、まだっ……!」
閏閒は肘で転倒から体を庇い、上半身の発条で跳ね上がる。
が、この時彼は吉方に従うことを忘れていた。
跳び上がった閏閒は隙だらけで、航の光線砲が一瞬のうちにその胴体を蜂の巣にしてしまった。
「か……は……」
閏閒は体の方々が辛うじて繋がっている状態になりながら、それでも怒りに塗れて血走った眼で航を睨み付けていた。
「糞っ、糞っ……!」
そしてこれだけやられても、彼の体はあっという間に再生する。
「糞アアアアッッ!!」
「お前だよ、糞野郎は!」
閏閒の体が再生した瞬間、航の渾身の拳が再び顔面に叩き込まれた。
「ぐはっ!!」
航の攻撃は終わらない。
もう一発、更にもう一発と、怒りに固められた石の様な拳が何度も何度も閏閒の顔面に、脇腹に、他汎ゆる部位を打ち付け、抉り、穿つ。
「お前に解るか! お前のせいで! 魅琴がどんなに哀しい想いをしたか! どんなに苦しんで全てを諦めたか! どれほどの重荷を背負わされたか! ええ、鬼獄魅三郎!? 俺がお前に与えられる痛みなど、あいつが運命付けられた物に比べたら、泡沫の様に軽く儚い!」
下からの拳が閏閒の頬を激しく打ち上げた。
「ガハアアアアアッッ!!」
閏閒の体は血を吐きながら数米程も舞い上がり、既に崩壊した顔面から地面に叩き付けられた。
流石の閏閒も、凄惨なる怒濤の連打を受けては力無く突伏すしか無く、すぐに起き上がることは出来なかった。
そんな彼に、航は静かな怒りと共に宣告する。
「さっさと立て。お前には地獄を見せてやる。あいつが悩み傷付いた分に釣り合うだけ痛め付けなきゃ、この怒りは収まらないと思え。飽くまでも抵抗する限り到底終わらないから覚悟するんだな」
閏閒は損傷と疲労から震える体を気力で支える様に手を床に着いた。
散々殴られる中、武装神為も何処かへ手放してしまった。
彼の脳裡に、古い記憶の言葉が浮かぶ。
『兵に告ぐ。勅命が發せられたのである。既に天皇陛下の御命令が發せられたのである。お前達は上官の命令を正しいものと信じて絶對服從をして、誠心誠意活動して來たのであろうが、既に天皇陛下の御命令によって、お前達は皆原隊に復歸せよと仰せられたのである。此上お前達が飽くまでも抵抗したならば、それは勅命に反抗することとなり逆賊とならなければならない。正しいことをしたと信じてゐたのに、それが間違っていたと知ったならば、徒らに今迄の行きがゝりや、義理上からいつまでも反抗的態度を採って天皇陛下に背き奉り、逆賊としての汚名を永久に受ける樣なことがあってはならない』
閏閒があの時、蹶起の失敗を知らされた時に抱いた感情は、裏切られたことへの激しい怒りだった。
尤も、他の青年将校達に比べても彼の怒りは随分と身勝手なものだ。
彼は実のところ皇道派の理念に対して興味は無く、「東方」での「蹶起」に「平将門」との繋がりを勝手に見出して陶酔していただけだった。
彼が当時の昭和天皇に抱いたのは、相手が自分の都合の良い物語に乗らなかったことへの自己都合的な逆恨みだった。
(儂は……選んだ! 逆賊上等だと! 我らの大義も解らぬ暗愚な君主など此方から願い下げだと! 彼奴の方こそ暗君の汚名を永久に受けろと! 怒りが収まらんのは儂の方だ!)
閏閒は懸命に当時の感情を思い出し、怒りで自分を奮い立たせようとする。
しかし、同時にそれは彼にとって決定的な挫折だった。
何故、蹶起が失敗に終わったあの時のことを今思い出したのか。
それは今の状況が詰みだと、最早航には勝てないのだと、此処から先はただ痛め付けられ続けるだけだと、心の奥底で悟ってしまったからかも知れない。
(ぐううっ、何故儂がこんな目に? あの暗君の、萬世一系の日嗣は何故未だに潰えていない? 所詮米国に敗北した劣等民族のボス猿の癖に! 儂は本当の君主に仕えている! 勝ったのは儂の筈だ! 神皇の力を使って天皇を今度こそ滅ぼす筈だったのに!)
気力でどうにか起き上がった閏閒。
しかし、既に足がふらついて真面に戦うどころではない。
航はそんな彼の足の甲を、掌を、容赦無く光線砲で撃ち抜く。
「ぎゃあああああっっ!!」
「魅琴が言っていたよ。掌や足の裏は感覚神経が集中しているから痛みも感じ易いってな。先刻も言ったと思うが、あいつと付き合いが長いせいかそういうことに詳しくなってな。お前を苦しめる手段ならいくらでも思い付く。普段は悪趣味なことはしたくないが、お前だけは別だよ」
閏閒は痛みに再び蹲り、起き上がることが出来ない。
最後の性根まで燃え尽きてしまった、と言ったところか。
(ま、まだだ……。まだ負けではない……。どの道こいつを閉じ込め続ければ時間切れで儂の勝ちなんだ。儂は食料が無くても生きられるが、こいつは違う。如何に神為で耐久力と生命力が大幅に上がり、飲まず食わずで活動出来る時間が長かろうが、限度が有る。最終的に儂が勝つことは確定している)
しかし、閏閒は震えていた。
持久戦に持ち込むとして、その間ずっと航に痛め付けられることになる。
耐えられるのか。
既に心は戦意を喪失してしまっているのに。
「なあ、鬼獄魅三郎」
そんな閏閒に、航が語り掛ける。
「お前は今、貴龍院皓雪に仕えているのか? それとも神皇か? どちらにしても、トップは神皇だよな? だとしたら今のお前は、お前こそが『君側の奸』だな」
「な、何だと!?」
「だって、自分でも言っていただろう? 『貴龍院は神皇を操って日本を滅ぼすよう仕向けようとしている』って。正に、完全な佞臣じゃないか。皮肉なもんだな」
「き、貴様……!」
一瞬、閏閒の心に怒りの火が点いた。
しかし、それでも航の眼を見た瞬間に心が竦んでしまう。
今や彼の心は、魂は、怒りや憎しみよりも恐怖に塗り潰されていた。
(糞っ糞っ、糞糞糞糞ぉぉぉっっ!)
その時だった。
閏閒は前方から光が差し込むのを感じた。
篝火とは違う、自らの心の闇を暴く様な光だ。
それと共に、航は踵を返す。
「行こう、幽鷹君、兎黄泉ちゃん」
「ふにゅ」
「はいです」
「なっ……!?」
航はそう言うと、幽鷹と兎黄泉を連れて歩き出した。
突然の行動に理解が遅れた閏閒だったが、すぐに三人が向かう行き先を認めた。
何故か閏閒の意思に反し、「穢詛禍終・深膿」異空間に出口が開け、「皇祖皇宗の廻廊」に繋がったのだ。
「ば、莫迦な……どういうことだ?」
事態が呑込めない閏閒は震えた声で疑問を漏らした。
そんな彼に、航は立ち止まり、振り向いて答える。
「お前が願ったんじゃないのか? 僕が出て行くことを。自分の胸に訊いてみろよ」
航はそう言い残すと再び歩き出し、「皇祖皇宗の廻廊」へと異空間を出て行った。
自分の胸に訊いてみろ――航はそう言ったが、閏閒も心の奥底では解っている。
しかし、力の差と恐怖に折れた心が無意識のうちに航から逃げたいと願ったなどと、決して認めたくは無い。
「ま、待て!」
閏閒は慌てて航を追い掛けようとする。
しかし、それは形だけの偽りだった。
もう痛め付けられないと、心の奥底では安堵している。
だからなのか、航と雲野兄妹が出て行くと同時に、異空間の出口は閉じて辺りは再び闇に包まれた。
「そんな……莫迦な……」
驚愕だった、屈辱だった。
だがそれ以上に、閏閒は深刻かつ絶望的な事態に見舞われていた。
今、異空間の出入りは閏閒の意思に反して行われている。
つまり裏を返せば、閏閒自身の意思では異空間の出口を開けなくなってしまっているのだ。
「ま、まさか……! 嘘だ、そんなの嘘だ……!」
程無くして、閏閒は気が付いた。
自分の中から何か決定的なものが失われている。
明らかに闇の力が、理から外れた力が自分の中に感じられなかった。
閏閒は思い出す。
嘗て、神瀛帯熾天王は貴龍院から揃ってこの様な忠告を受けていた。
『穢詛禍終を支えるのはこの世界への恨み、神々への強い憎しみよぉ。それがある限り貴方達は永遠に生き、理外の力を操ることが出来る。つまり、貴方達が目的を忘れない限りね』
『大丈夫だよ、御媛様。僕達が忘れる訳が無い』
『うむ。我ら、既に冥府魔道を突き進む覚悟よ』
八社女征一千と推城朔馬はそう即答していた。
しかし、閏閒は少し気に掛かることがあった。
『それは無論で御座います。しかし媛様、仮にですよ、仮に儂等が世界への恨み、神々への憎しみを失うか、もっと別の目的が出来て忘れるか、してしまった場合はどうなるのです?』
『失われるわぁ。貴方達の中から穢詛禍終の力が。だって、それこそが黄泉戸喫の契約だものぉ』
恨みを、憎しみを忘れた場合、穢詛禍終は失われる――その言葉を思い出した閏閒は全身に怖気を感じた。
世界への恨みと神々への憎しみ、皇統を断絶させ日本を滅ぼさんとする執念よりも、航への恐怖が上回って屈してしまった。
それが恨みと憎しみを忘れたと判定され、穢詛禍終の力が消えてしまったとしたら……?
「畜生、開け! 儂を此処から出せ! 出してくれ!」
閏閒は最早、自らの穢詛禍終で作り出した異空間を他の場所に繋ぐ術を失ってしまった。
つまりこのまま、閏閒はたった一人で闇の中閉じ込められたままになってしまう。
「嫌だ……嫌だ! 開け! 開いてくれ! 開いてええええっっ!!」
閏閒三入は二度と異空間から出られなかった。
自らが作り出した闇の中、永遠の恐怖と孤独、敗北感と屈辱感に苛まれ続けるのだ。
そして死ぬことも出来ない彼は絶望の中で発狂し、正気の思考を失ってしまった。