日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百二十話『想死』 序

 どれ程の時が流れただろう。

 これは閏(うる)閒(ま)三(みつ)入(なり)の心が壊れ、思考能力を喪(うしな)う寸前に見た夢だろうか。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 一九四五年六月二十四日、後の閏(うる)閒(ま)三(みつ)入(なり)こと鬼(き)獄(ごく)魅(み)三(さぶ)郎(ろう)は元妻に引き取られた息子の許(もと)を訪ねた。

 丁度、疎開先の学校の帰りを狙っての再会だった。

 

『貴方(あなた)は……誰ですか?』

 

 息子は父親の顔を覚えていない様だった。

 無理も無い、父と離れ離れになったのは息子が二歳の頃だ。

 あの時期、鬼(き)獄(ごく)魅(み)三(さぶ)郎(ろう)は叛(はん)乱(らん)を起こして逃亡中だった。

 

『儂(わし)はお前の父だ』

『お父さん……? 死んだ筈(はず)ではなかったのですか?』

『母親にはそう聞かされておったか。しかしそんなことはどうでも良い。入(いる)彌(み)、今すぐ準備しろ。天皇陛下をお助けせねばならん』

 

 突然の来訪に、息子の鬼(き)獄(ごく)入(いる)彌(み)――後の麗(うる)真(ま)魅(み)射(いる)は驚いた様子だった。

 無理も無い、来るとは夢にも思っていなかっただろう。

 

『天皇陛下を? どういうことですか?』

『お前が知らんのは無理も無い。だが儂(わし)は軍の伝(つ)手(て)で恐るべき情報を掴(つか)んだ。日本は連合国に、米英に降伏しようとしておる』

 

 実際には彼に軍上層部との繋(つな)がり等有る筈が無く、これは神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)の同志である貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)の目から齎(もたら)された情報だ。

 しかし、息子に方便を騙(かた)る上では軍服姿が功を奏した。

 

『嘘(うそ)だ! そんなことはあり得ない!』

 

 しかし、息子には受(う)け容(い)れられない様子だ。

 当然だろう。

 彼は国民学校の教育で、日本は挙国一致の体制で欧米の悪(あ)しき植民地支配から亜(ア)細(ジ.ア)亜を解放する正義の聖戦を臣民が最後の一人になるまで戦い抜くのだと信じ切っているのだから。

 その勇猛果敢な戦いと夥(おびただ)しい犠牲を伴う祈りが屹(きつ)度(と)神々に届き、奇跡の神風で屹度日本は最後に勝つのだと信じて已(や)まないのだから。

 

『入(いる)彌(み)よ、心して聴け。儂(わし)が何故(なぜ)今の今までお前の前に姿を顕(あらわ)さなかったのか、それはこの国の高官に巣食う国賊共を一掃すべく叛乱を起こしたからに他ならぬ。幸い、軍にはまだ儂(わし)らに内心共感する国士も居て、定期的に情報を流してくれはするが、それでもこの国の上層は相変わらず腐っておる。聖戦の意義も國(こく)體(たい)護(ご)持(じ)の重要性も解(わか)らず、鬼畜米英に降ろうと考えても何らおかしくはない。儂(わし)はそれを、あの九年前の雪の中で思い知ったのだ。しかしだからこそ、このまま奴(やつ)らと米英に天皇陛下の命運を握られてはならんのだ』

 

 父の話を聴いた息子は、眉(み)間(けん)に皺(しわ)を寄せて思い詰めた様に目を伏せていた。

 そんな彼に、鬼(き)獄(ごく)は今一度言い聞かせる。

 

『だから、儂(わし)と共に来い。天皇陛下を、日本をお助けする援軍を呼ぶのだ』

『援軍って、どうやって呼ぶのですか? 新しい同盟国でも見付けるのですか?』

『まあ、その様なものだ。既に当ては有る。彼の国ならば必ずや日本の大義に共鳴し、神の如き御力で皇軍を助けてくれるだろう』

『まだ……そんな国があるのですか?』

『うむ。但し、この世界ではない』

『この世界ではない?』

『そう。全く違う歴史を歩んだ、謂(い)わば違う世界のもう一つの日本だ。ならば何よりも信用出来る同盟国となろう。何せ、同じ日本なのだからな。亜細亜には日本の崇高な正義を理解せず裏切る者も居たが、同じ日本ならば心配あるまい』

 

 息子は今一つ理解が及んでいないようで、怪(け)訝(げん)そうな顔で父を見上げる。

 しかし、父の目を見ているうちに少しずつ表情を変えていく。

 とはいえ、決心には至っていない様だ。

 

『天皇陛下をお助け出来るというなら、帝国臣民として、喜んで行きたいです。でも、僕(ぼく)が居なくなったらお母さんは……』

『母親のことならば心配要らん。既に話は付けてある。あれの身寄りにも当てがある』

『本当……ですか……?』

『勿(もち)論(ろん)だとも。それとも、父の言うことを疑(うたぐ)るか?』

 

 息子の眼(め)に決意の火が宿る。

 

『解り……ました。御(お)国(くに)の為(ため)なら……。兵隊さん達(たち)が戦いに行くのと、行き先が違うだけですから……』

『ククク、それでこそ儂(わし)の息子だ』

 

 斯(か)くして、鬼(き)獄(ごく)父子は終戦間近の日本国から別世界の日本――神(しん)聖(せい)大(だい)日(につ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)へと渡った。

 この時、息子の鬼(き)獄(ごく)入(いる)彌(み)――は如(い)何(か)程(ほど)の悲壮なる決意の果てに父を信じ、付いて行ったのか。

 彼は二度と、母に会うことは無かった。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 孤独な闇の中、閏(うる)閒(ま)三(みつ)入(なり)は消え入りそうな自我で考える。

 

(何故今になって……。だがあの時、入(いる)彌(み)を連れて行こうなどと考えなければ、こんなことにはならなかったのか……)

 

 的外れな後悔――しかしそれはすぐに逆(さか)恨(うら)みに変わった。

 

(いや、あの莫(ば)迦(か)息子が余計な気を起こさなければ良かっただけではないか……!)

 

 閏(うる)閒(ま)は思い出す。

 息子が自分の許(もと)を離れたのは皇(こう)國(こく)へ旅立って二年後、一九四七年の秋だった。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 違う世界に渡って、父子はすぐに先代神(じん)皇(のう)――当時の畔(ほとり)宮(のみや)大(ひろ)智(とも)親王と接触した。

 父の説得で当時のヤシマ人民民主主義共和国に帰還した親王は、内戦状態に陥っていた国を瞬く間に統一。

 二箇月足らずの後に神(しん)聖(せい)大(だい)日(につ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)の建国を宣言し、神(じん)皇(のう)として即位した彼の姿は、息子にとって正に現(あら)人(ひと)神(がみ)に見えていたに違いない。

 

『あの御(お)方(かた)に……天皇陛下を助けていただくのですね?』

『然(さ)様(よう)。だが神(じん)皇(のう)陛下にも国を纏(まと)め上(あ)げる時間が必要だ。幸い、国の奪還に際して功を認められた我らは新華族に召し抱えられると約束されておる。時が来て、国が落ち着いた後に、日本国の救済を神(じん)皇(のう)陛下に進言するのだ』

『はい。その為ならば僕(ぼく)は何でもします』

 

 この時、父である鬼(き)獄(ごく)魅(み)三(さぶ)郎(ろう)は「莫迦め」と、息子の乗せやすさを嘲(あざけ)っていた。

 そして同時に、こう確信もしていた。

 

 神(じん)皇(のう)陛下は必ず、大日本帝国など及びもつかない強大な国家を作り上げる。

 そして、必ずやかの憎き天皇を滅ぼすだろう、と。

 

『神(しん)聖(せい)大(だい)日(につ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)、ねぇ……。三種の神(じん)器(ぎ)も喪ったこの世界で、あの神通力が何処(どこ)まで維持出来るかしらぁ』

『媛(ひめ)様(さま)……』

 

 皇(こう)國(こく)へは、神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)の首(しゆ)魁(かい)である貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)も共に渡っていた。

 このこともまた、後の父子の運命を大きく変えることになる。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 二年後、一九四七年十一月。

 この日の夜、鬼(き)獄(ごく)伯爵邸には珍しく来客があった。

 父・鬼(き)獄(ごく)魅(み)三(さぶ)郎(ろう)は三名を食堂に通し、会食を行う。

 しかしその様子を扉の隙間から息子が盗み見ていることに気付かなかった。

 

『どういうことですか、お父さん!』

 

 息子・鬼(き)獄(ごく)入(いる)彌(み)は物(もの)凄(すご)い形相と剣(けん)幕(まく)で食堂に飛び込んで来た。

 父はすぐに、会話を聞かれたのだと察した。

 

『息子は眠りに就いたのではなかったのか?』

 

 大男が父を責める。

 

『不用意だよね、持(じ)国(こく)天(てん)。これからはもっと確実に隠れて話をした方が良いんじゃない?』

 

 少年もまた大男に続いた。

 女は黙って溜息を吐く。

 

『聞かれてしまったからには仕方が無い。先程まで御(お)三(さん)方(かた)と話していたとおりだ。儂(わし)らの真の目的は、皇統の断絶と日本国の滅亡よ。その為に、絶大なる力を持つ神(じん)皇(のう)を抱え込んだのだ。何(いず)れ、凡(すべ)ての世界の日本を統一すべく動き出す様にな』

『なんという……なんという……! 僕(ぼく)を騙(だま)したのか!』

 

 息子は血走った目で父を、神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)達を睨(にら)んで怒号を上げる。

 その表情は、凡(おおよ)そ十代の少年とは思えない、汎ゆる感情が織り混ざった、如(い)何(かん)とも形容し難(にく)いものだった。

 

『そう怖い顔をするな、入(いる)彌(み)よ』

 

 父はそんな息子を、最(も)早(はや)隠そうともせずに嘲る。

 

『どうせあのまま行けば日本は遅からず敗けていた。そして今や誇りも何も無い、これまでとは似ても似つかぬ、しかし相(ふ)応(さわ)しい紛(まが)い物(もの)の国に成り下がった。欧米の顔色を窺(うかが)い、奴隷同然に辱められ、二度と立ち上がることも敵(かな)わぬ最貧国にな。そのような国の為に、態(わざ)々(わざ)神(じん)皇(のう)陛下の手を患わせる訳には行くまい。寧(むし)ろ、強大なる真の日本で征服してやった方が彼らの為というもの』

『紛い物の国……だと……?』

『そうだ、紛い物だ。二年前、儂(わし)は叛(はん)逆(ぎやく)に敗れたと言ったが、天皇への忠誠を旗印にした儂(わし)らを裏切ったのは他でもない、天皇自身だった。最早あの男は国を正しく治める気概も無く、奸(かん)臣(しん)共の言いなりだった。そして軍の統御も喪った結果、勝てる筈も無い愚かな戦いにのめり込み、結果当然の敗北を喫したのだ』

 

 天皇を痛罵する父は、その言葉に万(ばん)感(かん)の憎(ぞう)悪(お)を込めていた。

 これこそ、彼が穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)に堕(お)ちた動機、息子に聞かせた初めての、逆恨みの吐露であった。

 

『解るか! 天皇は最早偽りの帝に過ぎん! 神(じん)皇(のう)陛下こそが真の帝(みかど)なのだ!』

『違う!』

 

 しかしその憎しみは、息子の声に掻(か)き消(け)された。

 少年のそれとは思えぬ迫力に、父は思わずたじろぐ。

 

『天皇陛下は偽物なんかじゃない! 神(じん)皇(のう)とどちらかだけが本物で、どちらかは偽物だというなら、神(じん)皇(のう)こそが偽りの帝なんだ!』

『莫迦め。あの男に神(じん)皇(のう)陛下と同じ真(ま)似(ね)が出来るというのか? 奸(かん)賊(ぞく)共に奪われた国を、その神通力で奪い返せるとでも言うのか? 少しは現実的に物事を考えろ。ああ、無理か。それが出来れば、日本人は抑(そもそ)も莫迦な戦争など始めておらん』

 

 父が嘲り返したとて、息子は一遍も揺るがない。

 

『お父さん、貴方(あなた)の思い通りにはさせない』

『フン、貴様の様な餓鬼に何が出来る? 神(じん)皇(のう)陛下と違い天皇は所詮唯(ただ)の人間、日本国は戦争に敗れ無力、そしてお前にそれを覆す当てなど無かろうが』

『それでも! 僕(ぼく)は日本を、天皇陛下を御(お)守(まも)りする!』

 

 そんな二人の争いを見かねてか、大男と少年が父子の間に割って入り、息子に槍(やり)と弓矢を向ける。

 

『もう良い。この餓鬼は余計なことを知ってしまった。始末するより他にあるまい。持(じ)国(こく)天(てん)、異存は無いな?』

『致し方有りませんな。此奴の、人を纏め上げる才能は惜しくはありますが』

『まあ、人材ならまた探せば良いよ』

 

 息子の顔は一瞬青(あお)褪(ざ)めたが、しかしその眼はすぐに力を取り戻した。

 そして息子の後方に純白の鳥居が姿を顕した。

 どうやら彼はこの二年で術(じゅつ)識(しき)神(しん)為(い)を身に付けていたらしい。

 

 槍と矢が息子に襲い掛かるその寸前、息子は後方に跳躍する。

 息子は鳥居に吸い込まれる様に消えていき、鳥居もまた光の粒となって消えていった。

 

『逃がしたか。厄介なことにならなければ良いが……』

『そうだね。まあ彼に何が出来るとも思えないけれど、これは持(じ)国(こく)天(てん)の失態だよねえ』

『申し訳御座いません……』

 

 形の上で頭を下げる鬼(き)獄(ごく)魅(み)三(さぶ)郎(ろう)だったが、彼の意見も少年と同じだった。

 息子一人で何が出来るというのか――そう侮っていた。

 だが結局は、その侮りが最終的に命取りになったと言う他無い。

 否(いや)、命は失われていないのだが……。

 

 日本国に帰国した息子・鬼(き)獄(ごく)入(いる)彌(み)はその後、母方の親族に引き取られた。

 母親は父親と駆け落ちしていた為実家と絶縁しており、また母親自身も終戦の混乱期にこの世を去っていたが、実家と距離を置いていた一人の男が里親として手を挙げたのだ。

 そして息子は姓を母方のものに、名も父の手(て)垢(あか)が付いた「入(いる)彌(み)」から「魅(み)射(いる)」と改め、日本国を皇(こう)國(こく)から守るべく、秘密結社「崇(す)神(じん)會(かい)」の結成と活動に邁(まい)進(しん)することとなる。

 彼が名乗る「魅(み)射(いる)」の名は、父「魅(み)三(さぶ)郎(ろう)」の野望を射(い)貫(ぬ)く破魔矢となる決意が込められている。

 

 そんな息子を、父親は嘲り続けた。

 だが今、父は極めて惨めな境遇に陥り、そして何も出来ないでいた。

 

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 闇の中、閏(うる)閒(ま)三(みつ)入(なり)の正気は消えようとしていた。

 死にたくても死ねない孤独な永遠の中、妄念だけを残して思考を消そうとしていた。

 

(岬(さき)守(もり)……航(わたる)め……)

 

 消え入る意識の中、閏(うる)閒(ま)は恨むべき者達の名を唱える。

 

(麗(うる)真(ま)……魅(み)琴(こと)め……)

 

 最後まで神(じん)皇(のう)に刃向かい、自身を斯(か)様(よう)な運命に陥らせた者達の名だった。

 

(入(いる)彌(み)……め……)

 

 その恨みは息子にも向かう。

 彼を射貫いたのは息子が研ぎ、そして放った矢だったのだろう。

 

(貴(き)龍(りゆう)院(いん)……め……)

 

 彼は元々、天皇を逆恨みしていた男である。

 その精神性は、当然貴(き)龍(りゆう)院(いん)にも向けられる。

 この様な身勝手な精神だからこそ、彼は闇に堕ちたのだ。

 

(裕(ひろ)仁(ひと)……め……)

 

 逆恨みがぶり返す。

 しかしその恨みが届くことは無い。

 そして、最終的にその恨み言は彼の根源にまで遡(さかのぼ)った。

 

(将(まさ)門(かど)め……将(まさ)門(かど)め……将(まさ)門(かど)め……将(まさ)門(かど)め……)

 

 闇の中、恨み言の念は小さくなり、無へと漸(ぜん)近(きん)していく。

 彼は決して死ぬことはない。

 彼に触れられる者は誰も居ない。

 如(い)何(か)なる人物も、生物も、神霊すらも。

 

 彼の命は失われない。

 何者にも粗末に使い捨てられることは無い。

 何者も彼の命に手出しは出来ない。

 宇宙の理も、時の流れすらも。

 

 闇の中、彼は永遠の命を味わい続ける。

 それは正に、終わること無い生き地獄である。

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