貴龍院皓雪には恐るべき真の能力が有る。
畢竟、それに比べれば彼女の剣の腕前など添え物に過ぎない。
「うふ……ふふふふふ……」
足下から漏れ聞こえる不気味な笑い声に、魅琴は不快気に眉を顰めた。
「何が可笑しい?」
「何って、分からないのぉ? 如何に自分が能天気な事を言っているかを……」
貴龍院の体からドス黒い靄が立ち上がる。
酷い屍臭を伴う靄だった。
「教えてあげるわぁ。生かし続ける事に比べ、殺すのは一瞬の容易さ。私は生きとし生けるもの総ての死を統べる者。そして、思い出しなさぁい。生あるものにとって決して抗えぬ絶対的宿命的結末こそが死であると……! つまり『死』こそ『最後にして永遠の花婿』……! 思い知りなさぁい! 私こそ『最後にして絶対の仲人』であると!」
地べたに顔を擦り付ける自称「絶対の仲人」――神瀛帯熾天王の頭目「広目天」貴龍院皓雪がその真価を発揮しようとしていた。
『穢詛禍終・磐那娥告逝』
貴龍院皓雪は生まれ付き強力な神為を持っていた。
それこそが彼女の持つ「尋常ならざる眼」と呼ばれる超感覚の正体である。
しかし、その割に貴龍院には神為の第三段階で発現する能力――「術識神為」や「武装神為」が備わっていない。
何故ならば彼女のそれは、神の理に背く力である「穢詛禍終」と同化してしまっているからだ。
とはいえ、その穢詛禍終は神為の能力の欠如を補って余りある程に強力で、絶対的である。
生きとし生けるものにとって「命」という存在そのものに関わる要素を操るのだから、並の能力など比較にならない。
穢詛禍終「磐那娥告逝」――その能力は生と死の境界線を操るというものだ。
平たく言えば、寿命の操作である。
自他を問わず、限り無く死を遠ざけることも出来れば、遠ざけることも出来る。
ただ、その為には二つ条件がある。
それ即ち「対象を認識する」ことだ。
これは単に「知っている」だけでは不足で、相手のことを「知覚」しなければならない。
逆に「知覚」さえ出来れば、対象と死の距離がどれだけ接近し、或いはその境界を越えようとも、再び限り無く遠ざけることが出来る。
貴龍院は神瀛帯熾天王の三人と「穢詛禍終」の契約を行う際、「黄泉戸喫」に自身の血を少量混ぜている。
これに因り、契約相手は貴龍院の血と一体になる為、肉体が死ぬ度に与えられた彼女の血が「死」を「知覚」し、自動的に再び死を遙か彼方へ追い遣る。
そうして蘇った体は、より貴龍院の因子と混ざり合い、適合する。
また、それは細胞の生と死にも適用される為、一度の契約で「不死」になるだけでなく、死んで蘇る度に適合した肉体はより「不老」に近付いていく。
そして貴龍院自身も述べるとおり、生かすのでなく殺すのであれば、この様な面倒な手続など必要無い。
繰り返すが、彼女の能力に必要な条件は「知覚」だけだ。
彼女が相手を殺すのに難儀するとすれば、相手を知覚するのに大きな力が必要な場合――即ち、対象と距離があったり、多人数であったりする場合である。
その場合、彼女は能力の行使に神為を大きく消耗してしまう為、余り濫用は出来ない。
が、今の様に至近距離ならばその心配は無い。
加えて、これも繰り返すが彼女には「尋常ならざる眼」がある。
顔を伏せた状態からでも、死角の相手を知覚することなど容易いのだ。
そしてもう一つの条件、これは別に大した話ではない。
相手を明瞭に意識して、はっきりと能力の行使を念じるだけだ。
即ち、相手を殺したければ相手に明確な殺意を向ければ良い。
要するに「死ね」「殺す」などと念じれば、それだけで相手は死から逃れることは出来ない。
そう、実は魅琴は最初から大いなる危機に陥っていた。
一度貴龍院がその気になれば、魅琴には逃れようの無い死が襲い掛かる。
自然の摂理、世界の理――それは魅琴を以てしても「抗い様の無い強大な、絶対的な力」と評するものである。
即ち、魅琴の運命は決まったも同然であった。
貴龍院は顔を伏せたまま、血走った目を見開き、魅琴を意識に捉えた。
そして、念じる。
(死っ……!)
が、蹴り。
その瞬間、魅琴の足が貴龍院の頭を振り抜いた。
貴龍院は気絶しながら宙に打ち上げられる。
(なっ……!? 今蹴られて一瞬意識が飛んだ!?)
貴龍院は空中で体勢を立て直して着地。
魅琴の背後を取り、今度はその眼で彼女の後ろ姿を凝視しつつ唱える。
(死っ……!)
だが今度は魅琴の拳が顔面を激しく撲ち、一瞬意識を飛ばす。
貴龍院が見たのは膝から崩れ落ちて目の前に迫っていた地面だった。
床に手を突いて頭を庇った彼女は気を取り直し、今度こそ魅琴を殺そうとする。
「ガッ!?」
しかし、再び蹴り。
貴龍院の意識は三度飛び、思考が復帰した時には拳が目の前に迫っていた。
「ぐぼぁっっ!?」
凄まじい打擲が貴龍院の身体を壁に叩きつけた。
またしても彼女の意識が飛び、尻餅を突いたところで目の前の敵を仰いで気が付いた。
「くっ……!」
穢詛禍終の脅威はどうした――そんなことは貴龍院本人が一番痛感している。
彼女は無敵の能力を手に入れた筈だった。
しかし、「穢詛禍終・磐那娥告逝」には意外なほど脆い欠点があった。
いや、本来は欠点にならないのであろうが、現に彼女はそれによって苦しめられている。
「おのれ……!」
貴龍院は依然自分を窮地から逃さない相手、麗真魅琴を睨み上げる。
自分の能力に絶対の自信を持つ筈の彼女は、確かに魅琴を瞬殺しようとしていた。
何より、見下す眼が気に入らない。
澄ました綺麗な顔も気に入らない。
だから今すぐに殺……と考えた瞬間、魅琴の回し蹴りが貴龍院の蟀谷に炸裂し、彼女は地べたを転げ回る。
「このっ……!」
貴龍院は勢いを利用して立ち上がった。
何度も邪魔が入るが、決まりさえすれば一瞬で終わる。
今度こそ死……と念じようとした瞬間、今度は魅琴の拳が顔面に突き刺さる。
かなり飛ばされた筈だったが、魅琴はその間合いも刹那で詰めていた。
そして、貴龍院も気が付いた。
意識を失っていたので、二重の意味で。
「小娘がぁっ……!」
貴龍院はずっと能力を行使しようとしている。
しかし、魅琴に殺意を向けようとした瞬間、何故か彼女の攻撃が頭部に飛んできて意識が暗転してしまうのだ。
有り得ない……!――貴龍院は想定外の事態に困惑していた。
今まで誰に対してもいとも容易く行ってきた筈のことが出来ない。
おかしい、そんな筈はない。
高々二十歳そこそこの小娘如きを殺……また殴られ、意識が飛ぶ。
「糞ぉぁぁああアッッ!!」
恥も外聞も無く汚い言葉を叫ぶ貴龍院だが、それほど彼女は焦っていた。
もう認めるしかない。
どういう訳か、この相手は能力の行使を察知してくるのだ。
そして、「殺す」「死ね」などの単語が頭を過っただけでその意識をぶん殴られ、消し飛ばされてしまう。
殺……何度でも殴られる。
死……何度やっても意識が中断される。
「そんな……そんな莫迦な!」
貴龍院は口を拭いながら、迫り来る魅琴をただ睨みつける事しか出来ないでいた。
こんな状態になっては、最早戦うどころではない。
このままでは寧ろ此方が殺……今度は顎を蹴り上げられた。
意識を失い、床に後頭部を強打した事で逆に目覚めた彼女は、這う這うの体で後退る。
「何故……何故分かる!?」
困惑を極める貴龍院を冷酷に見降ろしながら、魅琴短く答えた。
「さあ? 『勘』かしら?」
それは余りにも理不尽な答えだった。
貴龍院の思考は今、一切理解不能な存在を前にして完全に恐怖で埋め尽くされていた。
いつだったか、誰かがこんなことを言っていた。
絶対に破れない能力など、この世には無い。
他者に破られぬよう理不尽に構築した能力程、思わぬ落とし穴があるものだ。
そして、理不尽な術理を組めば組む程、破られた時の敗北はより一方的で悲惨なものとなる。
如何に死の統括者を気取ろうが、異能に頼っている限り神皇はおろか他の皇族にも劣る。
貴龍院皓雪という女は自分で思っている程絶対的な存在ではなかったのである。
怯える貴龍院に対し、魅琴は更なる恐怖の追い打ちをかける。
「だけどもう少し精度を上げないと……。多分、今お前は自分の死を予感したでしょう? 死の恐怖を中断させるなんて、面白くないものね」
「ひ、ヒイイイイィィィッッ!!」
貴龍院は悲鳴を上げながら転げ回るようにその場から逃げ出した。
「へ、陛下! 神皇陛下ァァァッッ!!」
彼女は歴代天皇の彫刻の前を無様に駆けていき、「皇祖皇宗の廻廊」の奥へと引っ込んで行った。
⦿⦿⦿
時を遡り一九時三〇分頃、地上、皇國皇宮「宇気比の間」。
皇國全土に神為を送り終え、神為を失った皇弟・蛟乃神賢智は、姉・龍乃神深花と共にこの広間で待機していた。
傍らには日本国からの使者――根尾弓矢・虻球磨新兒・繭月百合菜の三名、六摂家当主――十桐綺葉・丹桐士糸・甲烏黝・公殿零鳴、新華族令嬢三羽烏――鬼獄東風美・枚辻埜愛瑠・別府幡黎子、三名の侍従侍女――水徒端早辺子・灰祇院在清・敷島朱鷺緒、といった、この事態に立ち上がった者達が揃い踏みで控えている。
「蛟乃神殿下! 龍乃神殿下! 大変です!」
そんな彼らの許へ、蛟乃神の侍女・飛燕寺霧花が慌てた様子で駆け込んできた。
「飛燕寺、どうしたんだい?」
「皇道保守黨が……! 皇道保守黨の軍人達が統京で『皇道師団』を結成し一斉に動き出しました! 同時に青華家の紫桐公爵家・玖我侯爵家・花鳥院侯爵家も一斉に挙兵! 皇道師団は紅坂方面から、青華家私兵団は澁屋方面から此処皇宮へ向け進軍中です!」
飛燕寺の報告は「宇気比の間」に唯ならぬ緊張を走らせた。
皇族でありながら神皇に刃向かう龍乃神と蛟乃神は、神皇に忠誠を誓う者達にとって邪魔で仕方が無い筈だ。
二人が神為を失った今、排除の絶好の機会である。
動くであろうことはこの場の誰もが解っていた。
「遂に来た、か」
根尾弓矢は此処まで同行した虻球磨新兒・繭月百合菜に目配せする。
二人は精悍な表情で微笑み返して見せていた。
その脇では十桐綺葉と灰祇院在清が同時に立ち上がり、互いの顔を見合わせて頷き合う。
「奴原を退けるのは我々の責任じゃ」
「そうですね、此処は私達が討伐に向かうべきでしょう」
二人はそれぞれ六摂家当主と侍従侍女に目で合図を送り、立ち上がる様に促した。
そして、部屋全体に指示を出す。
「皇道保守黨と青華家の討伐には我ら六摂家当主と水徒端早辺子・灰祇院在清・敷島朱鷺緒が向かう!」
「御士人方・御婦人方、皆様はこの場に待機し、両殿下を御守りください」
「承知した」
「お任せください!」
根尾達日本国の使者と、新華族令嬢三羽烏は皇族の護衛に残る。
遙かなる宇宙とは別に、地上でも波乱の時が刻一刻と迫っていた。